雷の音
――雷鳴が、空を裂いた。
ルメルの南西。帝国軍の一部隊が動きを見せたという報が入ると、カイは即座に動いた。風を纏った脚で地を蹴り、誰よりも早く現場へと急行する。
かつての彼なら、周囲を気遣い、仲間と連携していたかもしれない。だが、今の彼にはもう、何もなかった。
セリナも、マークも、守れなかった。
罪も贖えず、戦友も、愛しい人も失った。
ただ、戦うことしか残されていなかった。
**
丘にたどり着いた時、既に帝国兵たちが展開を終えていた。
その中央。白銀の髪を靡かせ、雷の気配を纏った一人の女将校が立っていた。
その姿に、カイの足が止まる。
「……セリナ……?」
あまりにも似ていた。髪、構え、魔力の質……その全てが、セリナの面影を思い起こさせる。だが、彼女は確かに死んだ。マークの魔法で。自らの目で、手で、亡骸を抱いた。
違うと分かっていても、心がざわつく。
「名を名乗れ!」カイは剣を構え、叫ぶ。
女将校は答えない。ただ、淡々と雷の剣を構え、無言のまま距離を詰めてくる。
その動き――まさしく“雷”だった。
瞬間、女の体が空気を裂き、目にも留まらぬ速度で迫る。
「くっ!」
カイは風を纏った体をひねり、間一髪でかわす。すれ違いざまに交差する剣。火花と雷鳴が弾け、空間が振動した。
(速い……!)
だが、怯んでいる暇はない。反撃の風刃を放つが、女は雷の跳躍で難なくそれをかわす。地に着地するより早く、次の一撃が飛んでくる。
「……なぜ、そんな目で俺を見る……セリナと、同じ目を……っ!」
風の力を極限まで高める。瞬間的に視界が白く染まり、突風が吹き荒れる。その風を乗せた剣が女の脇腹を捉える。血が飛び散り、女の身体が吹き飛ぶ――
だが、倒れない。
「……!」
女将校は姿勢を崩さず、雷の魔力を爆発的に放出しながら突っ込んできた。その速度は、先ほどの比ではない。
(このままじゃ……!)
迎え撃つカイ。風と雷の渦の中、最後の一撃を交わす。風刃と雷剣が交錯した刹那、風がかき消され、視界が真っ白になった。
――ずぶり、と重く鈍い音。
視界が戻った時、女の剣がカイの胸を貫いていた。
「……っ……あ……」
血が、口からこぼれ落ちる。足に力が入らない。女は言葉を発することなく剣を引き抜き、静かに後退する。
「……まだ、終わって……ない……!」
風が、再びカイの体を包む。意識が薄れゆく中で、それでも彼は一歩、また一歩と足を進めようとする。
だが、その身体は限界だった。
胸から流れる血が止まらない。魔力も、風も、もう応えてくれなかった。
「俺……こんな場所で……」
ふと、頭に浮かぶ言葉があった。
『帰ったら……王都のパン屋に行こう。もちろん、私の奢りだ』
(行きたかった……な……セリナ……)
視界がぼやける。女の姿も、帝国兵も、遠く霞んでいく。
カイの膝が崩れ、ゆっくりとその身が倒れ込む。
「……パンは……好きか?」
気づけば、彼の口からその言葉が漏れていた。
目の前の女は、少しだけ驚いた表情を浮かべ、カイに答えることなく立ち尽くす。
その瞬間、カイの視界が完全に消えた。
風が、彼の体を撫でるように吹き抜けた。
**
その後、帝国の雷使いの女は小隊を率いて撤退。
カイの遺体は、誰にも発見されることなく、戦場の中に埋もれていった。
――そして、その地に咲いた一本の白い野花が、風に揺れていた。