空席と破滅の音色
セリナを失ってから、小隊はしばらくの間、ただ無言で命令をこなしていた。
喪失はあまりにも大きく、深かった。
誰も口に出さなかったが、あの夜の記憶は全員の中に残っていた。誇り高く、凛とした姿で隊を導いてくれた上官。戦場での理不尽な別れ。なぜ、彼女が死ななければならなかったのか。
王国軍は小隊を一度後方へ下げ、王都近くにある軍事拠点に戻す決定を下した。防衛再編のため、そして新たな指揮官を配属するためだった。
しかし、王都の空気は重苦しかった。
兵士たちが道を急ぎ、広場では避難の準備が進められている。鐘の音が不安をかき立て、街に漂う焦燥感は隠しようもない。かつて栄華を誇った首都は、いまや戦争の最前線となろうとしていた。
「セリナがいたら……こんな時、なんて言ったかな」
カイはぼそりと呟き、仲間に聞こえないように下を向いた。自分でも分かっている。もう、彼女はいない。
そして、マークも。
新たに配属された上官は、厳格で有能な男だったが、隊の空気を完全に理解するにはまだ時間がかかるようだった。
「隊の再編が決定した。お前たちはそのまま、王都防衛部隊に組み込まれる」
その一言で、全員の心に重しがのしかかった。
休む間もなく、戦況が動き出す。
⸻
それから数日後。
帝国の大行進――通称「黒鉄の軍勢」が国境を越え、王国の第四方面防衛線を蹂躙したという報が届いた。
「帝国軍、第四方面の前線を突破。王都へ進軍中。主力の防衛部隊は壊滅状態」
報告を読み上げる伝令の声に、作戦本部の空気が凍りつく。
「くっ……ここまで来るとはな」
エリオットが歯噛みした。彼もまた、セリナの直属の部下であり、カイたちの戦友だった。
「貴様ら、ここからは後がない。帝国はここを落とすために全兵力を注いできている。俺たちが踏ん張らなければ、この国は終わる」
その言葉に、誰も反論しなかった。
これまで何度も「最前線」を経験してきたカイたちだったが、今回は違う。今度は、本当に“背後”が存在しない。
この王都を守れなければ、王国そのものが地図から消える。
そして誰よりもそれを理解しているカイは、剣を見つめながら心を決めた。
もう、これ以上、誰も――失いたくない。
⸻
夜、配給の食事をとる兵士たちの間にも、言葉は少なかった。
セリナがいた頃、食事の時間には必ず誰かが冗談を言い、笑い声があった。彼女の何気ない一言が、緊張を解きほぐしてくれていた。
いま、その席は空いていた。
誰もその場所に座ろうとしない。
「……明日、敵が来ると思うか?」
若い兵士がぽつりと聞いた。
「来るだろうな」と、誰かが返した。「あいつらは容赦しねぇ」
カイは何も言わなかった。ただ、静かにパンを噛み締めた。
かつてセリナが言っていた、王都の美味しいパン屋。その味を知ることは、もう叶わない。
空席が、風のように冷たかった。