残されたモノ
戦場の風が冷たく頬を撫でる中、カイはぼんやりと視線を空に向けた。無数の星々が夜空を飾り、静けさが広がる。しかし、その静けさは彼の胸の中には全く存在しなかった。セリナの死、そして戦争の終わりの兆しが見えない現状が、彼の心をどんどん重くしていった。
「帰ったら、王都のパン屋にでも行こう。もちろん、私の奢りだ」
セリナの言葉が、頭の中で何度も響く。あの日、何気なく交わした約束が今もカイの胸に刺さっていた。あの明るい笑顔、王都での幸せそうな時間を一緒に過ごす約束が、もう二度と叶わないという現実を受け入れられなかった。
「王都のあのパン屋、いつか絶対に行こうな。今度はお前を奢ってやるから」
そんな言葉を交わし合った日々が、今では遠くに感じられる。それでも、セリナが生きていた頃のあの明るさと優しさが、カイの心の中で生き続けていた。
彼女がいないこの戦場で、どれほどの時間が経っただろうか。カイは目を閉じて深いため息をつく。
その時、隣に立っていたマークの声が聞こえてきた。
「カイ……お前も、辛いんだろ?」
カイは一瞬驚いてマークを見た。彼はいつもの無表情の中にも、どこか気まずさを感じさせるような表情をしていた。
「うん……」
カイは静かに答えた。「セリナがいなくなって、まだ心の中が整理できていない。彼女が戦場で命を落とすなんて、考えたくなかったからな」
マークは軽くうなずいた。「俺もだ。セリナがいなくなってから、ずっと気持ちが整理できていない。俺のせいだと思ってる。あの時、俺がちゃんと魔法を抑えていれば……」
「お前のせいじゃない」
カイはすぐに答えた。彼はあの時、マークが魔法を制御できなかったことが悔やまれて仕方なかっただろうとは理解している。しかし、セリナが死んだ理由をマークに押しつけることはできなかった。
「でも、俺があんな魔法を放ってなければ、セリナは……」
「魔法を制御できなかったのはお前一人の責任じゃない。俺たち全員が戦争に巻き込まれて、みんなが必死に生き延びようとしてるんだ。セリナも、戦場ではあれだけ強かった。でも、あの戦いの中で誰もが守りきれなかったんだ」
カイは自分でも驚くほど冷静に言葉を紡いでいた。心の中ではまだセリナの死が信じられない思いでいっぱいだったが、彼の言葉にはどこか力強さがあった。彼はセリナの意志を無駄にしないためにも、戦争を終わらせなければならない。彼女が奮闘していたように、自分も戦い抜かなければならない。
「お前の力を信じて、前に進むしかないんだ。俺たちが何を守り、何を失ったのか――それを忘れずに。戦争はまだ終わっていないけど、俺たちが負けないために戦い続けるんだ」
マークはしばらく黙っていたが、やがて静かにうなずいた。「ああ、そうだな。戦わなきゃ、セリナの死が無駄になっちまうもんな」
その言葉を聞いて、カイは少しだけ安堵の息を漏らした。戦争がもたらしたものは、仲間の死だけではなく、心の中に深い傷を残した。だが、それでも立ち向かわなければならないという現実を、彼は受け入れていった。
その夜、二人は夜の空を見上げた。風が少し冷たく、まるで戦場の荒涼とした雰囲気をそのまま運んできたかのように感じる。しかし、そんな中でもカイは思った。どんなに辛くても、彼らは前に進まなければならない。それがセリナのためであり、彼ら自身のためでもあるのだと。
――だが、翌朝、カイは最悪の知らせを受けることになる。
マークが命を絶ったという知らせだった。
カイはその言葉を信じることができなかった。戦友、仲間として共に戦い抜いてきたマークが、どうして自ら命を絶ったのか。何が彼をそのような決断に追い込んだのか、カイには理解できなかった。
彼の遺体は、彼が最後に一人で過ごしていた場所で見つかった。どこか冷静な表情を浮かべていたが、その目には深い絶望が刻まれていた。
カイはその遺体を見つめながら、静かに呟く。「お前が……セリナのことを、そんなに責めていたのか?」
マークは、セリナの死を自分のせいだとずっと思い続けていた。彼はセリナが死ぬ原因となったあの魔法を、自分の力の限界だと悔いていたのだ。そして、それが耐えられずに、最終的には自らの命を絶つ選択をした。
カイはその場に膝をつき、深く頭を下げた。「お前を救えなかったことを、俺は許せない。でも、お前を守ることはできなかったとしても、俺は戦い続けるよ。セリナのため、そしてお前のためにも」
カイは、涙をこらえながら、マークを心の中で送り出した。
戦争はまだ続いていた。だが、カイはこれ以上、仲間を失いたくなかった。次は、自分が誰かを守らなければならない。そして、戦争の終結を果たさなければ、何も残らないと強く感じた。
マークの死を背負い、カイは再び戦場へと歩みを進めた。その胸には、失った仲間たちへの深い後悔とともに、戦い抜く覚悟が固まっていた