精霊の瞳に守られて③
こういうことがあることも予想はできた。
王城と宮廷は地続きになっている。
宮廷で働く人間は、報告などで王城へ赴く機会も少なくない。
タイミングが合えば、知人とばったり遭遇……なんてことも容易に予想できる。
だからって、これはあまりに作為的だ。
一番顔を合わせたくない人と、最初に出会ってしまうなんて。
「ルミナ……」
「……お久しぶりです。リエリアお姉様」
動揺した。
けれど、すぐに頭を切り替えた。
今の私は、殿下と共に王城へ報告にやってきた身だ。
堂々としていよう。
何より相手は肉親、本来もっとも遠慮のいらない相手なのだから。
「どうして……あなたがここにいるのかしら?」
「報告のために、殿下と共に王城へ来ました」
「殿下……?」
「はい。エルムス殿下です」
「――!」
お姉様は目を大きく見開き、動揺と驚きを露にした。
驚くのは当然だろう。
左遷された妹の口から、殿下の名前が飛び出したのだから。
お姉様は難しい顔をする。
「……あの噂は事実だというの?」
「噂?」
「辺境の地に、殿下が街を作っているという噂よ。最近になって貴族の間で聞こえるようになったわ」
限定解放の影響だろう。
殿下がおっしゃっていたように、王都の貴族たちにも噂として広まったらしい。
お姉様の耳にも……。
「事実です。私は今、殿下の元で働いています」
「――! 何? 自慢でもしているの? 運よく転属先がそうだっただけでしょう?」
「そうですね。運よく、殿下に選んでいただけましたから」
「っ……」
きっとお姉様は知らなかった。
噂程度の知識から、この瞬間に現実へと変わった。
私がいる場所は、ただの辺境領地ではなかったのだと。
「お姉様は変わりありませんか?」
「……」
私は尋ねた。
聞くつもりはなかったけど、少し気になりはしていたこと。
顔を合わせてすぐに伝わる。
上手くいっていないだろうことは……。
「眠れていないのですね」
目の下にくっきりと隈が出来ている。
元気で明るく、いつも得意げな顔をしていたお姉様が嘘のようだ。
どんよりした空気と、疲れから両肩も下がっている。
だらっとして、だらしがない姿勢だった。
「お忙しいのですか?」
「ええ、とても忙しいわ! 頼られてしまって大変よ?」
「それはよかったです」
「っ……」
嘘だということはすぐにわかった。
曲がりなりにも姉妹として過ごした時間が、彼女の嘘を容易に暴く。
頼られているから、疲れが溜まったわけじゃない。
きっと……。
「お仕事は大変でしょう? 意外と」
「っ、知っているわよ。そんな当たり前のこと」
「そうですか」
本当に知っていましたか?
知らなかったから、今こうして苦労しているのでしょう?
私に押し付けて、自分は好き勝手に遊んでいたから。
ここにいると、彼女を見ていると蘇る。
しばらく忘れていた感覚が……辛く苦しかったここでの日々が。
あの頃は苦しいだけで、それ以外に何も感じられなかった。
そんな余裕すらなかったから。
けれど今は、殿下のおかげで心に少しだけ余裕がある。
余裕から、怒りが沸々と湧く。
「優秀なお姉様なら、私よりもお仕事を任されて、頼られているのでしょうね」
「ええ、当然でしょう? 私にできないことなんてないわ。その気になればなんだってやれるのよ!」
その気になれば……遅すぎましたね。
私たちの職業は、才能だけでやっていけるほど簡単じゃないんです。
毎日勉強して、試して、失敗して……そういう積み重ねが明日の自分を作っていく。
それに気づいていれば、違った立場で再会できたかもしれない。
「なら、何の心配もいりませんね」
「ええ、ルミナの癖に私の心配なんて生意気よ」
「すみません。それじゃ、私はこれからも殿下の元で頑張りますから。お姉様も頑張ってください」
「言われるまでもないわよ!」
お姉様は声を荒げた。
私は怒りを通り越して、同情する。
プライドが高いと大変だ。
こんな時、誰かに頼ることもできない。
弱さを見せることができない。
今ならわかる。
一人でも生きていけることと、一人きりで生きることはまったく違うことを。
人はいつだって、他人と関わらずにはいられないのだと。
「……いつか、気づけるといいですね」
「何よ?」
「いいえ、何も。それでは、さようなら――お姉様」
もしも次に会う機会があれば、また同じ質問をしよう。
変わりありませんか?
彼女がどう変わるのか、変わらないのか。
期待はしていないけど、気にはしておこうと思う。
どんなに仲が悪くとも、私にとってもっとも古く、最も近しい相手は……家族だから。
私はお姉様の隣を通り過ぎる。
恐怖はない。
ただ自然と、当たり前のように歩き去った。
私は振り返らない。
その必要すらなかった。
曲がり角を曲がる。
二人目の遭遇だ。
「室長!」
「ルミナさん」
次に出会ったのは、宮廷錬金術師時代の上司。
私たち錬金術師を束ねるトップ。
正直、この人のことはよく知らない。
単なる上司と部下の関係でしかなかったし、必要以上に関わることもなかった。
ただあの頃は、気づいてくれないことに少し苛立っていたっけ?
私がお姉様の仕事を肩代わりしていることに。
でも今は――
「あの、ありがとうございました!」
「――? 急にどうしたのかしら?」
「殿下から聞きました! 私を推薦してくれたこと! それに仕事のことも、気づいて調整してくださっていたこと!」
「――そう」
室長は目を逸らす。
「感謝されることはないわ。私はただ、業務に支障がない範囲で調整しただけ。あなたを推薦したのも、あなたが適任だと思ったからよ」
「はい! だから、嬉しかったです!」
殿下だけじゃなかった。
私のことを見ていてくれた人は、ここにもいる。
室長の推薦がなければ、私は選ばれなかったかもしれない。
仕事の調整のおかげで、大変だったけど、ギリギリ倒れずにここまで来られた。
今はただ、感謝を伝えたいと思う。
それ以外の感情はない。
「……どう? 新しい職場は」
「最高の職場です! ずっとここで働きたいと思えるくらいに」
「そう、ならよかったわ」
室長が笑う。
初めて見る優しい笑顔だった。
「期待しているわ。これからも頑張りなさい」
「はい! 頑張ります!」
私を選んでくれたこと、間違いだったと思われないように。
私でよかったと、思ってもらえるように。