第一話「再誕少女」/ 夢よ覚めて
いつぞやぶりに情熱が再燃して書き始めました。
リハビリも兼ねてなのでそのうち色々と再編集もするかと思いますが、お付き合いいただければと思います。
また舞台設定の都合上、ジャンルをハイファンタジーにしておりますが、私自身もっとしっくりくるものを探しております。指摘等があればこっそり変更するかもしれません。
見る人が見ればすがりついているように見えるだろう。いや、実際のところそうなのかもしれない。
幼い娘を抱き上げても抵抗する様子はない。それどころか体の力が抜けているようで、顔を上げることなくぐったりとしている。
意識があるのか不明だが、顔は赤く息は荒い。瞼も降ろされていた。
「奥様、リリ様はいったい……」
「そんなことはどうでもいいからお医者様を呼んで! 今すぐよ!!」
「かっ…かしこまりました!!」
もはや夕暮れ時のこの時間に来てくれる医師がどれほどいるだろうか、それでも呼ばないという選択肢はない。
咳や鼻水はなく、今日を思い返しても風邪を引いているような素振りは見せていなかった。本当に突然の出来事。何が起こっているのか全くわからないが、とにかくこの寒空の下にいるのが良くないことだけは明白だった。
扉を閉める時間も惜しんで家の中に入る。担架などないので抱えて移動するしかいない。
途中で出くわした使用人に娘の部屋までの先導と部屋着の準備を指示した。その間も足を止めてなどいられない。普段、廊下は走らないようにとこっぴどく言い聞かせる私が、一番うるさい足音を響かせている。それはそれは意外な姿だろう。驚く顔が視界の端に映るがかまってなどいられない。
悪いことばかりが頭をよぎる。具体的な何かなどない。ただただ漠然とした昏く、重い何かが頭から離れていかない。
やっとの思いで娘をベッドに寝かせた。雪のついたコートは引っぺがし、布団をかける。
メイドが話しかけてくるが全く頭に入らない。きっとひどい顔をしていることだろう。何をすればいいのかわからない。
ざわざわと集まってきた使用人たちの中から黒いコートを羽織った女性が出てきた。その女性は手早くコートを脱ぎ、持っていたかばんから清潔そうな割烹着を取り出す。
「お子様はどちらですか」
この街では男は海の仕事、女は街の仕事をすることが多い。女性医師の数も少なくなかった。夕飯時ともなれば、男どもは酒をかっくらっているに違いない。医師が来てくれて良かった。
「この子です……」
やっとのことで声を絞り出し、娘の前を開けた。
女性はベッドの横から覗き込むと、ときにメモを取りながら娘の様子を観察する。
どれだけの時間がたっていたのだろう。まだ空が夜に染まりきっていないのだから、ほとんどたっていないに違いない。それでも恐ろしく長い時間だった。
「ふぅ…今のところただ眠っているようですね」
「そっ!? そんなはずは……」
「倒れた、という言葉を疑っているわけではありません。呼吸も荒いですしね」
未だに赤い顔をしているが熱らしい熱は出ていないようだった。
「子供なので多少体温が高いのはしょうがないとして、なぜ倒れたのか心当たりは?」
「朝から元気でしたし、風邪をひいたりもしていません…」
「そうですか…そうなると本人からも話を聞かないと判断できませんね」
うなされている様子はないが、鋭い呼吸が部屋に響いている。心なしか先程早いような気がした。
「念の為、熱冷ましをお渡しします。今夜は様子を見ていただいて、起きたら話を聞かせてください」
「わかり、ました……」
「飲み物はしっかりあげていくださいね」
結局のところ何もわからなかった。
玄関まで見送りにいく間も言い知れない不安がまとわりついてくる。初めて風邪を引いてしまった日も怖かったが、今はその何倍も恐ろしかった。
「病弱でないのならいきなりどうということはないでしょう」
「そうでしょうか……」
「ヒトというのは案外丈夫ですよ。これが乳児なら話は違いますが……」
外に出ると日はとっぷりと暮れていた。まだ街灯のついている時間だが、すぐに落とされることだろう。少し先を見れば足早に歩いていく人が見えた。
「明後日に一度きます。それまでに変わったことがあれば知らせてください」
「……遅い時間にありがとうございました」
敷地の外に出るのを確認してようやく頭を上げる。誰もいない道をぼんやりと眺めていると、後ろから声をかけられた。
振り返ると痛々しい顔をした使用人がいた。今の私はそれほどの顔をしているのだろうか。
「奥様、夕食をお食べください」
「っ…! リリを放っておいてなんて!?」
「フレスがみております。奥様が倒れてしまっては元も子もありません。どうか」
今日は夫も帰ってこない。自分が動けなくなれば、娘に何かがあったときに誰か何をできるのだろうか。私は母なのだ。
「喉を通らないほど心配されているのはこちらも承知の上です。ですが……」
「…………」
「お医者様もなんともないとおっしゃっていたではないですか」
「……そうね」
どうにか絞り出した声は届いたようで、彼女は先導するように歩き始めた。
かわされる言葉はなく、廊下には足音だけが響いた。いよいよをもって足元の感覚がおかしい。歩いているはず。歩いている、はず……
入った部屋で一つのテーブル席に座る。正面には食器が並んでいるのが見えた。二人分の食器。今日は二人で食べるはずだった。はずだったのに。
運ばれてきたスープは、温め直されたのか湯気が立ち上っている。食べなければという義務感だけで無理矢理飲み込む。
「……うっ!?」
灼熱の塊が喉を通り、胃の中で叫ぶように自己主張した。慌てて追いかけるように水を流し込む。
こんなひどい食事は初めてだ。美味しかったはずなのに、ついぞ今のことなのに、もう味がわからない。わざわざ料理してくれたというのに申し訳なかった。
傍目にはやけ酒を煽っているように見えたかもしれない。そうこうしているうちに、食事も、風呂も済まされていた。気がつけばベッドの上にうつ伏せに倒れている。
短くない時間がたっているはずだが、娘の様子に関して知らせが来ることは今のところない。
それは良くも悪くも容態が変わっていないということだった。
(寝なきゃ……)
緊張からか荒くなっていた呼吸をどうにか落ち着ける。
明日もやらなければならないことは山積みになっている。無理にでも眠るべき。時間だけが過ぎていく中でもそれだけはわかっていた。
窓から差し込む月明かりが、手の届きそうなすぐそこまで伸びている。
それに気づくとなぜか睡魔が襲ってきた。随分時間がたっていたのかもしれない。
もう任せてしまおうか。
瞼が重くのしかかる。抗う気にもなれない。意識もゆっくり沈んでいく。
(お願い――)
街の灯りも全て消え、誰ももう起きていない。静まり返ったこの世界で、その声を知るのは夜空に浮かぶ瞳だけ。
読んでいただきありがとうございます。
第一話はおおよその構成はできておりますが、時間が取れないため毎日投稿は難しいかもしれません。
少なくとも切りのいいところまでは書き上げるつもりですので、お待ちくださいますようよろしくお願いいたします。