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古今馬鹿集

作者: 小☆説太郎

 我輩は馬鹿である。理由はまだ分からない。


 村の朝は早いらしく、みな日の出と共に起きてはそれぞれの生業に精を出すらしい。だが、我輩は正午に起きては、お母様の作ってくれたご飯と漬物を食べるのが日課となっている。その後は日が落ちるまで酒を飲むか昼寝をしている。


 村の何人かに聞いたが、そういう日もあるにはあるが時々だそうだ。何故、そのような大変な思いをして稲作や商売をするのかと聞いたら、みなこぞって難しい話をした後に、我輩に向かって働けと叱ってくるのだ。


お母様に聞いてみても、答えは同じだ。だが、お父様には絶対に聞かない。我輩が口を開く度に、話の内容とは関係なしに働けと叱ってくるのだ。お父様の話はとても長いので、お父様が家に居る時は極力話さないようにしている。


 お父様は我輩に名前があるにも関わらず、馬鹿としか呼んではくれない。馬鹿野郎、馬鹿野郎、そう言って酒を飲んでは毎晩涙を流している。お母様もそんなお父様を心配しては涙を流すのだが、悲しい事にお母様はいつも殴られている。


お母様は悪くないのに、何故殴られなければいけないのだろう。



 分からない事ばかりだが、一つだけ分かる事がある。我輩が馬鹿と言う事だ。


だか、何故馬鹿なのかは分からない。聞いてはみるが、みなの説明がよく分からないのだ。そこで我輩は村で賢いと言われる者の何人かに、我輩が何故馬鹿であるか聞いてみたが、答えはみな同じ事を言った。働かないからだと。


 意味が分からなかった。だが、我輩実は頭がいいので、いい考えを思い付いた。同じく馬鹿と呼ばれる者に聞いてみれば分かるのではないかと。つまり、餅は餅屋だ。何人かの馬鹿と呼ばれる者に聞いてみたが何故か答えは同じだった。


馬鹿に聞いても、やはり馬鹿なので分からないのかと諦めかけたその時、最後の一人が酒を飲もうと言うのだ。これはいい考えだと意気揚々に酒を酌み交わし、気が付けば馬鹿の家で翌日の正午に起きた。やはり馬鹿は正午に起きるらしい。


 そう思ったのも束の間、その馬鹿は実は馬鹿ではなかった。何故ならその馬鹿は起きたと同時に風邪を引いたからだ。馬鹿は風邪を引かないのだから、風邪を引く馬鹿は馬鹿ではない。馬鹿じゃない馬鹿に相談した我輩が馬鹿だった。



 馬鹿らしくなった我輩は、寝込んでいる馬鹿に礼を言って、馬鹿の家をあとにした。家の者にも礼を言ったが、何故か無視された。帰り道、村人の視線を感じて目を移すと、我輩の顔を見て、みな冷ややかにささやき合っている。


そういえば、いつも正午に起きては酒を飲むか昼寝をしてばかりだったので、明るい時間に村を歩くのは久しぶりだ。昨日も夕暮れで気が付かなかっただけで、同じ様に陰口を叩かれていたのだろう。お父様が荒れているのはこのせいか。


 家に着くと玄関に見慣れぬ紙が貼ってあった。久しぶりに見るお父様の字だ。我輩の名前が書かれており、その下に立ち入り禁止と書かれている。お父様の字は久しぶりに見るが、やや、これは達筆な字だと感心。


 我輩はどうやらついに勘当されたのだと理解したが、それよりも達筆なお父様の字が頭から離れず、おそらく半刻ほど見とれていた。二日酔いの頭はみるみる内に冴え渡り、残りの人生は全て書道に費やそうと決意した。我輩は天才だ。



 書道の道は何と奥深い道か。歩きながら我輩は思いを巡らせた。お父様の書いたあの字、我輩への憎悪が筆の先までひしひしと伝わってくる。墨をすっている時の怒りに満ち溢れたお父様の顔までもが、ありありと浮かんでくるようだ。


つまり、書の意味と感情は表裏一体。心理に近づき、我輩の心は書の達人へと浮き足立っていた。我輩はもう今までの我輩ではない。いつもならふらふらの足取りも軽く、先程までの冷たい視線も気にならない。


 書の達人へと近づいている我輩なので、むやみに歩いている訳ではない。村の離れの山奥に住んでいると言われる書道家に弟子入りする為に歩いているのだ。書の道は険しいはずなので、山の斜面などどうと言う事はない。


慣れない山道を歩き続け、とうとうたどり着いたのは書の達人にふさわしくご立派な家であった。我輩、あまりのご立派な家に、ははあと土下座して手を天に仰いだ。これから始まる修行の日々が目に浮かぶようだ。



 書道家に早速弟子入りするべく、元気よく戸を叩き、頼もう頼もうと何度も言った。きっと髭を長く垂らした皺だらけの達人がうるさいと怒鳴って出てくるだろう。達人と呼ばれる者は頑固だと聞いている。我輩それを期待していた。


しかし、出てきたのは、髭もないし皺もそれほどない、代わりに頭がつるつるの爺さんだった。爺さんに書の道を志しているので弟子入りしたい趣旨を力説すると、そうかそうかと優しく迎え入れてくれて、晩御飯をご馳走すると言うのだ。


 これは少し、思い描いていた方向とは違うが百歩譲って爺さんなので良しとしよう。我輩、雑炊をご馳走になり、そこでも書に対する熱い思いを力説した。爺さんはそうかそうかと、また優しく微笑み、酒までご馳走してくれた。


 弟子は取っておらんと怒鳴られる予定が、初日から至れり尽くせりなのはどうしたものか。一番風呂に入りながら、我輩物思いにふけるのだった。しかし、優しい爺さんと言えど達人は達人、修行が始まれば爺さんも鬼になるだろう。



 翌日、書の道への高揚で寝付きづらかったのが幸いして、日の出と共に起きられた。師匠への感謝の気持ちで丁寧に布団を畳み、弟子として朝一の仕事はやはり雑巾がけであろうと思って師匠を探したが、部屋の何処にもいない。


これはどうしたものかと家を出て山の中を探し回っていると、小川のせせらぎで師匠の後ろ姿が遠くに見えた。何か豆粒のような物を投げている。周りに鳩が寄ってきている事から、餌付けをしているようだ。のどかな風景である。


 しかし、それがただの餌付けでない事はすぐに分かった。師匠の動きを注意深く見ていると、弓矢を引いて見事に鳩に射抜いた。それだけではない、飛んで逃げ惑う鳩の一羽までも射抜いたのだ。これには我輩度肝を抜かれた。


 鳩が地面に落ちて、辺りが静かになった頃、師匠がゆっくりとこちらを振り向いて何かを言った。聞き取れない程の距離なのに何故、我輩の気配を察しきれたのか。背筋が凍る思いをした。達人、恐るべしとはこの事か。



 師匠がもう一度大きな声で言った。鳩は食べた事があるかと。我輩が首を振って合図すると、師匠は大きく笑った。山々にその声は響き渡り、これから続いていく修行の日々が、忙しく充実していくような気がして、我輩の心は踊った。


 その予想は的中した。初めて食べる鳩肉の美味しさに生きていて良かったと実感したように、修行の日々は厳しくも楽しい毎日だった。朝は日の出と共に狩りに出かけ、昼は師匠の仕草を真似て書を書き、夜はくたばるように寝た。


狩りは毎日仕止められる訳ではなく、坊主の日は師匠と悔しがりながら雑炊を食べた。師匠が書を書く時は一言も話さず、一枚、書を書く度にそれを破り、また何十枚何百枚と書き続けては破り続け、我輩もそれを真似た。


弓の引き方も、筆の使い方も、師匠は一言も教えてはくれなかった。日が沈み、虫が鳴き始め、部屋が紙くずでいっぱいになった頃、ようやく師匠は口を開いて、今日はもう寝ようと言う。そして、感謝と共に眠る。



 そんな月日が流れたある日、いつものように鳥を探して山を歩いていると、師匠が休憩しようと言った。今日はかなり歩いたが、一羽も仕止められていないので、さすがの師匠も疲れたようだ。大きな岩に二人、腰を下ろす。


足を伸ばして一息ついていると鳥の鳴き声がした。そう遠くない。鳥の鳴いた方角を二人同時に向いたので、同じ考えであろうと腰を上げると、師匠に手で制された。再び腰を下ろし、何事かと師匠の顔を見ると目に黒いくまが出来ていた。


「お主、ここに来てどのくらい経つ?」


「ひと月程でしょうか」


「狩りは慣れたものじゃの」


「師匠には及びません」


「そう謙遜するでない。……そうじゃ、一つワシと賭けをせんか?」


「賭けですか。……さて、どのような?」


「今、鳥の鳴き声が聞こえたが、腕のいいお主なら探し当てるのは造作もないじゃろう。そこで、先に鳥を仕止めた方が山を降りるというのはどうじゃ?」


「それは、いいのですが、勝った方が山を降りると言うのは、逆ではないでしょうか? 勝った方が損をします」


「まあ、最後まで話を聞きなさい。勝った方が山を降りると言う事は、負けた方があの家に残ると言う事じゃ」


「と言う事は、我輩が負ければ家を下さるのでしょうか?」


「その通りじゃ、お主にとって勝っても負けても損はないじゃろう。勝ったら久しぶりに両親に会ってたくましくなった姿を見せれば喜んでくれるじゃろうし、負けてもあの家が貰えるのじゃから」


それは、どちらに転んでもいい話だと言いたい所だが、いかんせん我輩、勘当されているので実家には帰れない。師匠に書の熱い思いを語ったのものの、それだけはさすがの我輩も末代までの恥として隠していたのだ。


つまり、我輩が勝ったら損をしますとは、言いたくても言えないのだ。この賭けは降りた方がいいのではと思ったが、馬鹿のはずの我輩、いい考えを思いついた。わざと負ければいいのではないかと。やはり我輩は天才だ。



 賭けを受けた我輩、二手に分かれて師匠が見えなくなると、すぐに木かげで寝た。昔から寝るのだけは異常に早く、馬鹿達から一目置かれる程であった。そんな我輩なので、師匠の声が聞こえたのは一瞬の出来事のように感じた。


師匠の声がもう一度聞こえる。そう遠くない。集合場所は最初に別れた大きな岩であった為、すぐに着いて岩に腰を下ろし、昼寝をしていたのを悟られてはいけまいと必死に体を伸ばしていると、我輩とても頭がすっきりした。


 しばらくして師匠の気配を感じたので、疲れた素振りで待ち受けると、見た事もない大きな鳥を両手に掲げて師匠が現れた。度肝を抜かれて称賛の言葉を伝えていると、ある事に気が付いた。師匠の目のくまがさらに黒くなっている。


 我輩、考えた。おそらく昨日の晩、いかに我輩を綺麗に両親の元に送り出すのか、夜鍋をして策を練ったに違いない。しかし我輩、勝つ事はおろか勝負すらしていなかった。師匠は本気で勝負してくれたのに、なんと言う不甲斐なさか。



 昼寝ですっきりした我輩と、夜鍋してくままで作った師匠。情けなさと感謝でいっぱいになり、その場で泣きだしてしまった。気持ちを察してくれてか、師匠は泣きじゃくる我輩を温かく抱きしめてくれた。


今まで馬鹿馬鹿と言われ続けた人生を、ようやく優しく迎えてくれたような気がして感謝で涙が止まらず、いつしかその涙は嗚咽に変わり、その声は山々に響き渡った。我輩、生きていて良かったのかもしれない。


 別れ際、師匠は勝ったはずなのに大きな鳥を我輩に差し出してくれた。


「わしに勝ってはくれなかったが、お主が弟子に来てくれて本当に良かった。礼を言う。ありがとう」


「いいえ、お礼を言うのは我輩の方です。しかし、師匠、山を降りて本当にいいのですか?」


「かまわん、お主にかわって、村に書を伝えていこうと思う。お主はこの山に残って、書の修行を続けるがいい」


その言葉を最後に師匠は山を降り、背中が小さくなるまで見送った。



 気持ちが落ち着き、改めて師匠への感謝と書の気持ちを強く持ち、師匠の家へと戻った。日はいつの間にか夕暮れになり、家は心なしか古びて見えた。我輩の心が時の流れを速くして、そう見えたのかもしれない。


 しかし、間近で家を見ると、それは気のせいではなかった。あれほどまで立派だった家は見るも無様にぼろぼろになっていたのだ。戸のあちこちは穴が空き、壁は隙間風が入ってくる程ひびが入っていた。泥棒でも入ったのか。


 家に入ると今朝まで破れた半紙でいっぱいになっていた部屋は、枯葉でいっぱいになっていた。半紙はどこにも無い。驚きのあまり言葉を失くし、落ちている枯葉を見ていると、一つの事に気が付いた。どの枯葉も半分になっている。


 我輩、声を高くして笑った。これは狸に化かされたようだ。我輩も馬鹿だが狸も馬鹿よのう。我輩に化けて村に帰れば、両親がご馳走してくれると思っていたのだろうが、勘当されているので家に入らせてももらえないであろう。



高笑いはやがて乾いた笑いに変わり、枯葉でいっぱいの部屋で我輩はいつまでも立ち尽くした。


日が沈み、虫が鳴き始め、それでも鳥はいた。


そして、感謝と共に眠る。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんとも言えない、シュールな作品に近い面白さがあります! 読み終えたあとはなんだか、思わず、心がある種の感動をした感じです。 自分の書いているバカシュール作品とは、また、全然違うなぁと(…
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