第4話:『その男、名探偵で桃太郎 その4』
――被害者の名前は、牛沢叶。〇月×日、黄紋町角芽一丁目の路地裏にて遺体が発見される。通報者は三人の少女。遊んでいたら偶然見つけたという。
遺体の損傷は激しく、まるで巨大な何かに齧られたように左脇腹が抉れており即死。状態からして死亡したのは一週間程前だと断定。
警察はこれを殺人事件として捜査、関係者及び容疑者として交際相手の和島尊を事情聴取する。和島尊にはアリバイがあり、被害者を見つけるために探偵へ依頼していたという。
怪物に襲われた日から、二日が経った。
昨日は警察署での事情聴取で潰れて、前の日の疲れを癒す暇など無かった。今も疲れが重くのしかかっているが、今私が抱いている悲しみに比べたら紙のように軽い。
そんな私は今どこで何をしているか。改めて川郷探偵事務所に足を運んでいた。初めて来た時にも通された部屋で、目の前にはやり切れない表情をした川郷さんが座っており、助手の女の子たちは場の空気を汲み取ってくれているのか、あの日より静かだった。
長く続く沈黙に耐えきれなくなったのか、川郷さんが言葉を絞り出した。
「……彼を見つけたのは、こいつらです。既に警察から聞いているでしょうが、見つけた時には既に……」
死んだ叶を見つけてくれたのは、川郷さんの三人の助手だった。どうやってかは分からないが、調査の末に叶に辿り着いたという。
「このような結果になってしまい……本当に残念です。私は貴方の気持ちに応えられなかった」
そう言う川郷さんの表情にはこの結果を無念に思う様子が見て取れた。その言葉は決して上辺だけのものではなく、心の底から私に対して申し訳なく思っているのが分かる。
川郷さんは悪くない。彼の死亡推定日は一週間前、丁度彼がいなくなった日だ。つまり私が依頼をした時にはもう遅かったことになる。
貴方に非は無いと言いたかったが、自分自身の心の整理ができてないせいで最適な言葉が見つからない。この現実を信じたくないのは、私の方だからだ。
「……一応これで依頼は終わりということになります。何かご質問はありますか」
川郷さんは私に質問が無いかと聞く。そんなの、あるに決まっていた。
「この前の怪物が、叶を殺したんですよね? 警察の人が言ってました。殺し方が人間業じゃないって。それに川郷さんもこの事件に間違いなく関わってるって言ってたし……」
あの日私を襲った怪物、あれが叶を殺したのは流石に私でも分かった。だったら私は、大切な人を奪われた挙句に襲われたことになる。
――なんで私がこんな目に? こんな酷いことが他にあるだろうか。少なくともあの怪物のことについて教えてもらわないと納得がいかない。
「――教えてください! あの怪物の事を! 何か知っているんでしょう!?」
沸々と怒りが込み上げて、その感情をそのまま川郷さんにぶつける。八つ当たりに等しいのは分かっていたが、こうでもしないと気が静まらない。
川郷さんは悩むように俯き、少しの間考えていた。そして観念したのか、私にあの怪物について話し始める。
「……あれは鬼妖犯。怪異とも呼ばれている、人に取り憑く鬼です」
――鬼、確かにあの怪物には角が生えており鬼のようだった。しかし鬼妖犯と言う名前にはピンと来ない。人に取り憑くという部分も理解できないし、何も知らない人が聞けば冗談としか思わないだろう。
「あいつらがどこで生まれて、どこからやって来ているのかは分かりません。しかし大昔から存在しているのは確かです。
鬼妖犯は魂だけの状態で実体が無い。それだけなら何もできません。ですが人間に取り憑くことで活動することができます」
「じゃああれは……誰かが取り憑かれた姿なんですか……?」
あの怪物がその鬼妖犯という怪物に取り憑かれた人間であることに、私は酷く驚いた。一体どんな取り憑かれ方をしたら、人があんな怪物になってしまうのだろうか。
鬼妖犯に対する怒りが込み上げてくる。どうしてそんなことをしてまで、叶を殺したのだろうかと。
それを見越した川郷さんが、私が聞くより先に答えを教えてくれた。
「……先ほど、貴方は叶さんを殺したのが鬼妖犯だと言った。少しだけ違います。
正確には……鬼妖犯とそれに取り憑かれた人間にです」
「――えっ?」
叶を殺したのは鬼妖犯だけではなく、憑り憑かれた人間も含まれる。その言葉に私は首を傾げた。言葉としては理解できるが、その意味が分からないからだ。
話を聞けば、鬼妖犯は人に取り憑いて暴れるという。ならば悪いのはその鬼妖犯だけのはずだ。取り憑かれた人間は寧ろ被害者とも言える。
「鬼妖犯の目的は、自分の肉体を得ること。その為に人間に取り憑きます。しかし取り憑いただけではその肉体と意識を完全に操れるわけじゃない。人間の肉体を自分の物にするには、元々ある魂が邪魔なんです。
だから奴らは取り憑いた人間の魂を食べて、空になった肉体に収まろうとする」
取り憑くという言葉を聞いて、私は真っ先に身体が乗っ取られることを連想した。しかしそう簡単にはいかないらしい。ただ取り憑くと言っても、最初から自由に活動できるわけではないという。
ならばとっとと元々の魂を食べればいいだけの話。だけどそれも難しいらしい。
「奴らが魂を食べられるのは、その魂が緩んだ時だけ。簡単に言うと、強い達成感や満足感を得た時なんです」
「達成感と満足感、ですか?」
その二つの言葉に、またしても私はピンと来なかった。今までの話とその言葉が少々合っていないのもあって、実感が湧かなかった。寧ろ怖かった話が和らいでしまったように感じる。
そこで川郷さんは伝えにくそうに言葉を詰まらせる。それでもその話がどういうことか、私に分かってもらう為に口を開く。
「……例えば、殺したかった相手を殺せた時、とか」
「なっ――!?」
それを聞いて、川郷さんが何を伝えようとしているのかが私にも分かった。恐ろしい話だけど、確かに達成感と満足感を得てもおかしくはない。
殺したかった相手、それはつまり……
「……あの鬼妖犯に取り憑かれた人は、叶を殺したかったんですか!?」
叶を殺したのは鬼妖犯とそれに取り憑かれた人間。その言葉もようやく理解できた。この話が本当なら叶は鬼妖犯と人間、二つの存在から殺意と悪意を向けられていたということになる。
「鬼妖犯は憎しみや恨みなど、黒い望みを抱く人間を選んで取り憑きます。そうしてその望みを叶えるために自分が力を貸すと交渉することで、人間の身体を一時的に得る。つまりは人間と結託するんです」
「じゃあ叶は、誰かに殺される程恨まれていた……?」
話を要約するとこうだ。
叶は誰かに殺したいと思われる程恨まれていた。その誰かが鬼妖犯に取り憑かれて、鬼妖犯に手を貸してもらって叶を殺したという。
――こんな話が、あるだろうか。私の好きな叶が、怪物と結託してまで殺したい程憎まれていた?
信じたくないけど、他に信じる当てがない。それと同時に、もう一つ疑問が浮かび上がった。
「じゃあ何で私が、叶はもう殺したのに……」
「……あの夜、鬼妖犯はこう言った。"殺したい奴が増えるなんて"。
あの言葉から推理するに、鬼妖犯と結託した犯人は最初叶さんだけを殺したいと思ってた。だけど叶さんを殺してもそこまで達成感は得られなかった。そしてどういう訳か、今度は貴方を殺したいと思うようになった」
川郷さんの推理に、私は頭がどうにかなりそうだった。その犯人は叶だけじゃなくて私のことも憎んでいることになる。当然だけど身に覚えが無い。怪物に狙われる程のことをしたことも無かった。
「……何よそれ。叶を殺されただけでも辛いのに、私が何したって言うのよ」
「鬼妖犯は心に迷いが歪んだ人間を好んで利用する。そうして取り憑かれた人間は自制心が弱まり、鬼妖犯の言葉を真に受けるようになる……!」
燃えるような怒気を感じて、顔を上げる。
そこには唇の裏で歯を食いしばり、血が出る勢いで手を握りしめる川郷さんがいた。どうやら鬼妖犯に対して、強い怒りを抱いているようだった。
――私も同じ気持ちだった。大切な人を殺された上に、覚えのない恨みで自分が狙われている。こんな理不尽なことが他にあるだろうか。
許せない。鬼妖犯も、その手を借りた犯人も。一度顔を見ないと気が済まない。
怒りと哀しみ、様々な複雑が複雑に絡み合う。それを抑えつけようと、私は自分のネックレスを強く握りしめた。
「そのネックレスは……?」
「叶がくれたものです。私の為に買ってくれて……」
それは叶がプレゼントしてくれたものだった。バイト代を貯めて買ったらしく、それが嬉しくて外に出かけるときはいつも付けていた。しかし私と叶の関係を繋ぐそれは、今となっては形見になってしまった。
「ところで和島さん。授業の出席数は大丈夫ですか?」
「えっ? なるべく休まないようにはしてますけど……どうして?」
すると川郷さんは私の出席数について聞いてくる。突拍子も無く今までの話に関係無い話題に、思わず間抜けな声を零してしまう。
私は体調不良以外の理由で授業を欠席したことはない。叶よりかは優等生のつもりだった。
「でしたら、しばらく大学に行かない方がいい。またいつあの鬼妖犯に襲われるか分からない」
「そうですね……?」
ふと、川郷さんの発言が気にかかった。
あんな怪物に狙われていると分かった以上、あまり外出しないようにするのは当然のこと。だからこの場合「大学に行かない方がいい」と言うより、「外出しない方がいい」と言うべきだ。大学への登校だけを警告する必要は無い。
――もしかして、川郷さんの言葉で当てずっぽうにも近い推理が頭の中で組み上がっていく。
そうして得た結論を、私はそのまま彼に聞く。
「もしかして犯人は……大学生なんですか?」
「――!」
川郷さんの目が僅かながら見開いた。私の質問に少し驚いているようだ。
そこから私が何を思ってそんな質問をしたのか、ヒントを与えたのは自分だということに気づき、やってしまったと言わんばかりに溜息を吐く。
「……参ったな、仕事上あまり失言はしないよう気を付けてるのに……」
「もう、このドジ!」
自分を責める川郷さんにモリカちゃんが追い打ちをかける。彼の頭に跳びかかり、髪を乱雑に引っ張った。
――やっぱり、私の推理は当たっていた。川郷さんは鬼妖犯に取り憑かれた犯人の目安を立てていた。
私はそれが何なのか、教えてもらうべく真剣な眼差しを彼に向ける。それを見て誤魔化せないと悟ったのか、観念して語り始める。
「鬼妖犯が叶さんを殺したのは九日前、そして和島さんが襲われたのは二日前。あいつは叶さんを殺した後、一週間も次の得物……つまり貴方を探していたことになる。
恐らく和島さんを狙い始めたのは、叶さんを殺した直後。叶さんを殺しただけじゃ犯人は満足できず、貴方も殺そうと思った。
だけどそれにしては貴方を狙うまで日が空きすぎている」
犯人は叶に恨みを持つ人間、そして鬼妖犯の力を借りることで彼を殺した。だけど私を次の標的にして、先日襲ったわけだ。
鬼妖犯と犯人は叶を殺した後、すぐに私を狙う事は無かった。叶の死から一週間も経った後で私を襲った。
「そもそもの話、何故和島さんも狙い始めたのか。恐らく叶さんと交際関係だったから。犯人は叶さんに交際相手がいることは知っていたけど、それが貴方とは知らなかった。だから一週間も探す羽目になった。
つまり犯人はあの日、叶さんの彼女が貴方であると知って襲った」
「私が……叶と付き合っていたから……? でもどうして……?」
確かに私と叶は恋人同士だった。叶を殺した後で私も狙うようになったのを見ると、私を狙う理由はそれと関係しているのだろう。しかしそれでは、ますます叶と私を狙う理由が分からない。私とあいつが付き合っていてなんだというのか。
「あの日私と和島さんが大学で聞き込みをした相手は十人程、その内貴方が叶さんと交際していることを教えたのは三人」
「……あ!」
その三人というのは、民俗学の授業で叶と同じグループだった浅野武、伊野明美、赤井希望。確かに聞き込みした人の中で私たちの関係を言ったのはこの三人の時だけだった。
「じゃあ、あの三人の誰かに鬼妖犯が取り憑いて……?」
「間違いなく」
怪物と手を組んでまで人を殺そうとする人間が、どんなのか気になっていたが、ついこの間顔を合わせたばかりの三人の中にいるかもしれないと言われ、驚かずにはいられない。
何はともあれ三人の容疑者が浮上した。後はこの三人の中から犯人を見つけ出すだけ。絶対に見つけて罪を償わせると決意する。
「――あの三人については我々が調べます。和島さんは犯人が分かるまで大学には来ないように。外出自体を控えたほうがいいかと」
「ッ……はい」
しかし川郷さんは私に大人しくしているよう遠回しに言ってきた。恐らく私が犯人探しに躍起になることを見越してだろう。
鬼妖犯と犯人の狙いは私、外に出ればまたいつ襲われるか分からない。二日前は川郷さんに助けられたが、一人の時に出くわしたら間違いなく殺されてしまう。
――それでも、あの三人のうち誰かが叶を殺した犯人かもしれないと思うと、ジッとなんかしてられなかった。
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