第3話:『その男、名探偵で桃太郎 その3』
日はすっかりと落ち、大学にいる生徒も次第に減っていた。残っているのは大学にまだ用事がある者、課題を取り組む者。残った生徒は大学図書館や教室に集まっているので、大通りや広場は昼間と比べて静寂となっていた。
私はそんな広場の噴水の傍に置かれたベンチに座り、溜息を吐きながら俯いていた。何の成果も得られなかった、そんな無念を姿だけで語る。
「はぁ……何も分かんなかったなぁ」
赤井さんから叶の受けている授業を聞いて、早速私たちは調査に向かった。彼から聞かされたのか、赤井さんは叶が何の授業を受けているか詳細に教えてくれた。授業数もその内容も詳しく、お陰で徹底的に調べることができた。
探偵と言えば聞き込み、そんな固定概念がいつの間にかあった。実際その通りで川郷さんは叶と同じ授業を受けていた生徒や、その教授など多くの人に話を聞きに行った。そしてそれまでの道のりは、全て私が案内した。
叶が普段どのような授業態度なのか、誰と深く接していたか、最近変わった様子は無かったか、テンプレートのように同じ質問を全員にしていく。そうして返ってきた答えを川郷さんは逐一メモに記した。
だけどあいつの居場所に繋がるような情報は何も出てこなかった。分かったことといえば、叶が如何にだらけきった大学生活を送っていたかぐらいだ。
成果は無し、あんだけ躍起になったというのに何も得られなかったことが悔しく、そして疲労となって身体の重りとなった。
私が何度目かも分からない溜息を吐くと、コトッと何かが置かれる音がする。目をそこにやると、ベンチの上に缶コーヒーが置かれていた。
「疲れたでしょう。温まりますよ」
「川郷さん……」
そう言って川郷さんは自分の分の缶コーヒーを飲む。きっとすぐそこの自販機で買ってくれたのだろう。そんな労いと気遣いの意に感謝しながら私はそっと缶に触れた。その瞬間手に伝わるのは、今浴びている夜風のようなひんやりとした感触――
「あのコレ……アイスコーヒーなんですけど」
「あっ! いつもの癖で……!」
温まるぞと言われたのに、渡されたのはアイスコーヒー。川郷さんが猫舌なのは事務所のやり取りで知っている。なのであまり暖かい飲み物は買わないのだろう。それにしても途中で気づかない辺り結構気が抜けている。
まぁアイスコーヒーが嫌いなわけではないので、どちらにしろ有り難くそれを飲んだ。ヒヤリとした苦味が口の中に広がっていき、心を落ち着かせる暇をくれた。
疲れを一身に受け、私は自分が今日ずっと学校にいたことに気付く。午前中は授業で、午後は叶探しの為の調査。ずっと構内を歩き回ったせいで足が棒になりそうだった。
まだ探し始めてから一日も経っていないが、足取りすら見つからない現状に焦ってしまう。
「どこにいるの……叶」
確かに叶は粗雑で、勉学もとてもではないが真面目とはいえず、しっかり人間とは言い切れないかもしれない。だけど他人に対して優しく接することができる温かい人柄の持ち主だった。
心に残る不安をいつの間にか口にしてしまうと、川郷さんが語りかけてくれた。
「本当に好きなんですね。叶さんのことが」
「……はい。初めての彼氏なんです」
恥ずかしい話、私は叶と付き合うまで彼氏を作ったことが無かった。だからこそ初めての男性との付き合いということで、交際当初はドキドキしていたのは記憶に新しい。
すると川郷さんは私の隣に座り、何も言わず耳を傾けてくれる。気が晴れるまで好きなだけ話すといい、彼の眼差しはそう語っていた。
「高校二年生の時に同じクラスになって、そこから同じ班になったり席が近かくなったりして……なんか、いつの間にか付き合っていたって感じです。向こうから告白してきたんですけど……それもアッサリしてて」
――「俺ら付き合わね?」、それが人生で初めて受けた告白だった。そのあっけらかんとした言葉の通り、緊張や不安などは一切感じられなかった。
ムードが無いと思うかもしれないが、それでも私は嬉しかった。例えアプローチは薄くても、私にとって初めての告白には違いないのだから。
「それに比べて私は、一週間連絡がつかなくなったくらいで探偵に依頼なんてして……ちょっと重いですかね?」
「いやいや、それくらい一途な愛ということですよ。一人の探偵として、貴方の依頼を解決したい。そう思うほどに」
気が滅入ってネガティブなことを口にしてしまう。私も最初は探偵を雇う程のことかと思ったけれど、彼のいない日々が長くになるにつれて不安は募り、それに耐えきれなくなって今に至る。すると川郷さんがそれを肯定してくれた。
「恋人探しの依頼はそこまで珍しくないです。警察が取り合ってくれなかったり、頼みづらかったり、大事にしたくないとか、様々な理由がある。
私の元へ直接依頼してきたことは、貴方の愛が純愛である何よりの証拠だ」
「川郷さん……」
そう言われて、私は少しだけ救われたような気持ちになれた。彼の優しい言葉が、暗くなっていた私の心に染み通っていく。
すると突然、携帯電話の着信音が鳴り響いた。この音は私のものではないし、私の隣から聞こえてくる。つまり鳴っているのは川郷さんの携帯電話だ。
「おっと助手たちからだ。失礼」
川郷さんは私から少し離れて通話に出る。
助手たちと聞いて、事務所にいたあの三人の女の子たちのことを思い出す。彼女たちがどうやって調査をしているかは分からないが、こうして電話をしてくるということは何か分かったのだろうか。何分どう見てもただの子供なので想像がつかなかった。
「――何だって? それは本当か?」
(……コーヒーの缶、捨ててこよ)
そうして一人になった私は、手元に飲み干された缶コーヒーがあることを思い出す。向こう側に自販機とゴミ箱があったので、そこに捨ててこようと立ち上がった。
自販機までは5メートル程、大して離れていない。私はその短い道中を、缶コーヒーの銘柄を確認しつつ歩いた。
そうして、缶を捨てようと視線を前に戻したその時だった。
「――え」
そこにあったのは、闇夜の中で光り輝く自販機ではなく、自分に齧りつこうとする巨大な口だった。
上下に生え揃う鋭利な牙、蛇のように長い舌、喉奥から放たれる生暖かい感触と異臭。
現実離れした光景に、私の体は硬直した。
(何、これ)
目の前のことが信じられず、脳が情報を処理し切れない。
上と下の牙が徐々に狭まっていく。このまま行けば自分は間違いなく更に挟み込まれる。
ああそうか、私は食べられようと——
「――きゃっ!」
次の瞬間、私の体は強く後ろに引っ張られる。その直後私の眼前で牙が噛み合った。もう少し遅ければ、今頃私の頭は噛み千切られていただろう。
私を引っ張ったのは川郷さんだった。片手にはさっきまで使っていた携帯電話、そしてもう片方の手で私を強く引き寄せたのだ。
今まで紳士的な態度を貫いていたのに突然の乱暴。驚いて彼の顔を見ると、川郷さんは張り詰めた表情で前の方を見ていた。
そして私は、改めて自分の目の前を見た。
その直後、恐怖で声が出なくなる。
「な、何こいつ……!?」
この存在を何て呼称すればいいのだろうか、取り敢えず「化け物」か「怪物」の二択が浮かび上がる。それは人の形をギリギリ保っていたが、それ以外は全て人間のそれとかけ離れていた。
熊のように大きく、五指のある四肢で四足動物のように佇んでいる。またその身体は悍ましい色の肉で構成されており、露出した骨がそれを縛り付けていた。
しかし一番に目立つのは身体ではなく、長くて太い首だった。
首元から生える首は蛇のようにうねり、その長さはなんと胴体とほぼ同じ。四つん這いの理由は、恐らく頭の方に重心が傾くからだろう。
そしてその長々と伸びる首の行き先には、これまた巨大な人間の顔。しかし口元はまるでトカゲのように尖っており、その隙間から鋭い牙が見える。人間と獣を合わせたような顔だった。
極めつけには、頭から伸びる二本の角。ヤギのような可愛らしいものではなく、宛ら鬼のように天を穿って生えていた。
突如として現れた首長の化け物に、私は腰を抜かしてしまう。見たこともない生き物の姿に、自分は今夢を見ているのだと錯覚してしまいそうにもなった。
誰だってこんな化け物を見たら動けなくなるだろう。しかし一人だけ例外がいた。
「――ただの人探しかと思ったら、まさか鬼妖犯絡みの事件だったとはな」
川郷さんは目の前の怪物に臆することなく、その場で堂々と立っている。まるで怪物を見慣れているかのように。それどころかその怪物の名前すら知っていた。
(キョウハン……?)
キョウハン、聞き慣れない言葉だ。同じ読みをする言葉があるが、それとは違うのは明らかだった。川郷さんはこの怪物について、何か知っているのだろうか。
すると鬼妖犯と目が合う。鋭い視線と殺意が私を刺してきた。
(わ、私を狙ってる……!?)
見たことのない怪物に身に覚えのない殺意を向けられ、私は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。あの長い首は本当に蛇のようなので、ある意味間違っていない。
鬼妖犯は長い首を唸らせて、再び私に襲い掛かってきた。
「きゃっ!?」
すると次の瞬間、私は後ろにいた川郷さんに抱えられ、ギリギリのところで鬼妖犯の噛みつきを躱した。
今ので分かった。やはりこの怪物は私を優先して食べようとしている。川郷さんの存在に気づいていないわけではないが、目もくれていない。
『……全ク面倒ダ。殺シタイ奴ガ増エルナンテ』
(喋った!?)
すると鬼妖犯は野太い声で喋り始めた。意外な知性に驚いてしまう。確かに姿形だけは人間と似ているので喋っても違和感は無いかもしれないが、ここまで流暢な日本語を口にするとは思ってもいなかった。
『次ハオ前カラダ、女!』
そう言って鬼妖犯は再び私に襲い掛かる。長い首を鞭のようにしならせて、口を大きく開けた頭部を上から振り下ろした。
その際、私はまたしても川郷さんに引っ張られて命を救われる。彼はそのまま私を抱えて、この場から走り出す。
「――私に掴まって、和島さん!」
「は、はい!」
突然のことについていけないが、取り敢えず言われた通りに彼の身体にしがみつく。すると川郷さんは人間一人抱えているというのに、軽い身のこなしで鬼妖犯から離れていった。とてつもない運動能力なのが分かる。
『逃ガサン!』
対する鬼妖犯は依然私の事を視線で捉えて放さず、四つん這いの状態で追いかけてきた。その手足が地面を踏む度に、強い揺れと轟音が鳴り響く。
夜の構内、勉学に励む場所において非現実的な光景が広がる。迫る巨大な怪物の姿は、夢でも幻でもない確かな現実。
こんな状況を少しでも理解しようと、私は川郷さんに質問せずにはいられなかった。
「か、川郷さん! あの怪物は一体……!?」
「話は貴方を安全な場所までエスコートした後で!」
鬼妖犯に追われ、張り詰めた表情を浮かべる川郷さん。しかし軽口を叩いている辺り、この状況には慣れているように見える。鬼妖犯という名前のことも含めて、やっぱりこの人はあの怪物について何か知っている。
噴水広場を後にして、駐車場のある方向へと向かっていく。乗ってきた車で逃げるつもりなのだろう。
鬼妖犯は猪突猛進の勢いでこちらを追いかける。自販機やベンチなど、その進行方向にある物は全て突き飛ばし、踏み潰していった。
「図体はデカいがそのせいで動きが鈍い。これなら逃げられる」
なんてことないように、川郷さんは走りながらそう言った。確かにあの怪物との距離は一定を保っている。しかしそれは向こうが遅いからでは決してない。
鬼妖犯の大きさは人間の数倍。つまり歩幅にも大きな差があり、移動速度は人間の比ではないはず。
だというのに一向に追いつかれる気配が無い。それ程川郷さんの身のこなしと走りは速かった。人間離れしていると言っても過言ではない。
『オノレ……二匹共々食イ殺ス!』
すると鬼妖犯は立ち止まり、次なる行動に出る。
なんと元々長い首を更に伸ばし始めた。メキメキという不気味な音を立てて、あっという間に倍の長さとなる。首が伸びる速さは移動速度より速く、瞬く間にこちらとの距離を縮めた。
そうして迫る鬼妖犯の頭部を、川郷さんは難なく飛び越えて避けた。私を抱えているというのに、まるで羽が生えているかのような跳躍に、私は空中で目を見張った。
その後も鬼妖犯は首を伸ばして何度も噛み付いてくるも、飲み込むのは虚空だけ。その全てを川郷さんは躱していた。
「……凄い」
「探偵ですので、これくらい当然ですよ」
それは些か探偵という職業のハードルを上げ過ぎている。皆が皆こんなに動けるわけがない。
そして鬼妖犯が首を伸ばすのに夢中になっている間に、川郷さんは駐車場へと到着。私を助手席に乗せ、すぐにエンジンを付けた。
それを見た鬼妖犯は私たちが車で逃走しようとしていることに気づき、更に首を伸ばして車ごと私たちを食べようとしてくる。
しかしその直前でアクセルが踏まれ、間一髪のところで助かった。
「全速力で走る、掴まって!」
法定速度も無視して、川郷さんの車は夜を駆ける。この大学は少し街外れた場所にあるので、しばらくは交通量も少なく安心してスピードが出せた。
流石に車には追いつけないのか、見る見るうちに鬼妖犯が遠ざかっていく。するとこの世のものとは思えないほどの怒号が後ろから聞こえてきた。
『――逃ゲラレルト思ウナヨ! ドコニ隠レテイヨウト、必ズ見ツケテ殺ス!!』
鬼妖犯の殺人予告に、私は震えが止まらなかった。これからあの怪物に追われる日々が始まるのだと思うと、どうにかなってしまいそうだった。
姿が見えなくなってから落ち着くと、改めて先程の出来事が信じられなかった。
突然現れた怪物に、命を狙われている。夢ならどれ程良かっただろうか。叶の行方不明も含めて、無かったことにしてしまいたい。
「――あぁ俺だ。すまんな切って、こっちで鬼妖犯が出た。間違いなく今回の事件に関わってる」
片手ハンドルで車を運転し、もう片方の手で電話する川郷さんの言葉に、私は耳を疑った。
今回の事件というのは私が依頼した叶探しのことだろう。それにあんな怪物が関わっているというのか。自分が狙われた時以上の不安が過ぎった。
「今日は探偵事務所に泊まった方が良いかと。あの鬼妖犯……怪物がまた襲ってくるかもしれないですし」
「川郷さん……あの怪物は一体何なんですか? 鬼妖犯って呼んでましたけど……それにどうして私が狙われているんですか!?」
川郷さんの慣れた様子を見て、私は今まで抑え込んでいた疑問を一気に放つ。間違いなくこの人は何か知っている。そして私が狙われている以上、それを知る権利があった。それに私の依頼にあの怪物が関わっていることだって気になる。知りたいことが山ほどあった。
「……そのことについて話す前に、お伝えしなければならないことがあります」
それに対し、川郷さんは神妙な顔を浮かべた。私に話したくないのだろうか? しかしその表情からはまるで辛いことを言わなければいけない時のような、葛藤と申し訳なさが感じられた。
「さっき助手たちから連絡が来たのですが、叶さんが見つかりました。しかし、その……」
「……え?」
叶が見つかった。それは何よりの朗報だった。彼にとっても依頼達成なので嬉しいことのはず。しかしそう語る川郷さんの表情は暗い。
――私が先ほど感じた一抹の不安、それは早くも的中してしまうことになる。
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