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黒き姫様

 初めて出会ったのは、人気のない川辺でのこと。

 長い黒髪の少女だ。歳は恐らく十七ほど。漆黒の美しい着物を纏っていた。

 一際目を引く姿に、男は声をかけずにはいられない。「どうしたんですかい?」

 こちらを振り向く少女。頭の簪は愛らしく、澄んだ瞳に若い男が映り込んでいる。

「別に何もない。ただの考え事じゃ」

 この戦国の世、町娘であればこのような喋り方はしまい。男はすぐにピンときた。彼女が貴族だと。

「どこのお生まれで?」

「それは無礼ではないか? 斬られて当然じゃぞ」

 可愛い顔でそんなことを言うから怖い。それでも男は彼女の言葉を無視して続けた。

「おいらは下町で酒屋をやってる吾郎でさぁ。ここで会ったも何かの縁、お名前をお聞かせくだせぇ」

 我ながら強く出たなと男は思う。黒衣の彼女は軽蔑の視線を向けると、一言、「麿のことは菊と呼べ」とのこと。

 菊とは平民のような名前だ。もしや彼女、お貴族様じゃないのではないか? と思ったが、すぐに考え直した。どう考えても平民とは風格が違っている。

「じゃあ菊嬢、こんな場所になんで?」

「これ以上に話すことはない。麿は去る」

 突然そう言い出し、黒い着物を引きずって少女は立ち去ってしまった。

 男は唖然となるしかない。

 帰ってから彼は気を悪くさせたのだと反省した。明日、謝りに行こう。


 ――次の日も、彼女は川辺に佇んでいた。「また来たか。何故に麿の憩いの邪魔をする?」

「邪魔してるんじゃねえんですけどね。昨日は悪かった、色々と聞き過ぎましたかい?」

 男がそう訊くと、少女はふんと鼻を鳴らす。「その程度で気分を害すものか。麿が寛容でなければ、命はなかろう」

 高くか細い声で言われるても締まらいな、などと思いつつ頷く男。

「良かった。じゃ、少しここで涼ませてもらおうかね」

「勝手にせい」

 川辺にはそよ風が吹き、少女の黒い髪を撫でる。その様をじっと眺めながら男は静かな時を過ごし酒屋に戻った。


 始まりはそんな何気ない話。

 しかし男は菊が忘れられず度々川辺へ通っては彼女と会うようになった。最初は拒絶の色が強かった菊も、徐々に話してくる。

「酒はどんな味じゃ?」「平民の食事はいかなものか教えよ」

 大抵は質問だ。でも男はそれに答えるのが楽しくなっていた。

 いつしか男は――少女に惚れ込んでしまったのである。

「馬鹿なこと考えてやがる」男は自分に呟いた。だって彼女とは身分が違う。この時代、身分違いの結婚などできない。「なのになんでおいらはまた来ちまうんだ?」

 今日も少女は川辺で待っていてくれる。しかしこの日は少しだけ、いつもと様子が違って見えた。

「どうしたんですかい、菊嬢」

「気にするな。麿の抱えることが平民風情にわかるか」

 しかし彼女の顔は明るくない。男は思い切って踏み込んでみた。「菊嬢の悩み事なら何でも聞きたい」と。

「大層な口ぶりよ。そなたに話して何が変わる?」

「気が楽になるかもですぜ」確かに男はしがない酒屋だ。でも相談に乗るぐらいできる。

「誠か?」不審げながらも少女は事情を話してくれた。


「麿の実の名は黒菊姫。かの大名の娘よ。長きの間、城で過ごしておった。窮屈じゃったがこの川辺へ足を運び、憩いとしていたのじゃ。……だがつい先日、城へ使者がやって来おった。こやつが伝言を任されていると。聞くと内容は、同盟関係にある別の城の若殿が麿に求婚して来ておるそうな。昨日麿はそやつと見合いを行った。しかしどうにも若殿の態度が好かん。それでも破談にはできまい? 故に悩んでおったのじゃ」


 苦い表情の少女、黒菊姫。

 男は姫を見て思った。婚談が成っても黒菊姫は幸せにはなれない。その上、彼女と会えなくなるのは嫌だった。

 その時閃いた。「菊嬢。おいら名案を思いついたんだが、その前に一言教えてくだせえ。……おいらを信じてくれるか?」

 黒瞳に戸惑いが生じるが、黒菊はすぐに頷いた。「良い、信じてやる」


 黒菊姫はなんと駆け落ちをした。運命から逃げるべく最善手がこれだ。

 そして黒菊は、男の酒屋に身を隠した。

 世間は姫の失踪の噂で持ちきりになり、大名が必死で探していたらしい。それを黒菊は「ふふ」と鼻で笑っていた。


 決断を迫る時、男は彼女に想いを伝えた。無言の姫だったが、まんざらでもないのだろう。

 一緒に酒屋を営むうち、関係が深まり籍を入れるまでになった。力関係は姫の方が上であるのは変わらないが。

「吾郎、いつまで寝ておる。酒の仕込みじゃ」

「あ、忘れとった!」男は慌てて飛び起きる。すっかり女将さんとなった黒姫が強引に手を引き酒蔵へ連れて行った。

 ――こんな毎日が、二人にとって最高の幸せなのである。

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