デジャブ
第4弾です。
2014年2月9日に、地方紙に掲載された作品です。
今回、もっと多くの方に読んでいただきたく、投稿しました。
午後十一時三十五分
―――日付が変わるまで、あと二十五分―――
「あぁ、あと少しで私も三十歳だ…。」
一人ベッドの中で「時間よ止まれ!」とどんなに願っても、時は一刻と時を刻んでゆく。
布団を頭から被っても、照明の電気を消して部屋中を暗くしても、私がどんなに抵抗しても、世界は移り変わっていく。
その証拠に、静まり返った真っ暗な部屋の中で、アナログの置き時計だけが妙に、カチッカチッ…と大きな音を出しながら、進んでいく…。
そのその音は、まるでエコーの様にこだまする。
暫くして、ホラー映画の主人公の様に、乱れた髪で布団の中から青白い顔をちらりと出し、置き時計に視線を送る。
午後十一時四十一分
「もう、諦めなきゃいけないんだ…寝よう。
起きていても嬉しい事は、無いのだから…」
ぼそっと呟いて、また布団の中に戻って体を丸めた。
この女。
何がそんなに悲しいかと言えば、あと十数分で三十路を迎える。
それは、健康な人間には平等にやってくる事だが、それだけではない。
三十路を目前に職を失った。
仕事なし。
彼氏なし。
そして、間もなく 祝 三十歳。
「こんなはずじゃ、なかったのに…。
何も悪いことしてないじゃない…そうよ!
小さい時から、真面目一筋だったのよ。
こんな事になる位なら、いっその事もっと、遊んでおけばよかった…。
どーして、こんなことになっちゃったのよぉ~。」
今の彼女に、真面目に生きてきた事に対しての、後悔の念だけが押し寄せる。
「もう一度だけ、やり直せたら…」
涙が一粒、目からこぼれ、布団の中で独り言を言いながら眠りに落ちた。
遠くで誰かの声がする
「…、ばちゃん!おばちゃん?大丈夫?」
誰かが、私の体を揺さぶって起こそうとする。
「…んもぅ、だぁれ?」
泣きはらして、重くなった瞼を少しずつ上げると…。
薄暗い部屋の中にいたのは、屈んでこちらを覗き込んでいる女の子。
どっかで…更に、目を細め布団から、ぬうっと顔を出す。
「…あれ?…ぁあああ!
…嘘でしょ? 私!」
紛れもなく私だ。
女の子は、悲鳴ともいえる私の声に完全に怯えてしまった。
きっと、驚いて布団から勢いよく飛び出して、目の前に立った私の形相が凄かったからだろう…
「…あ。
急に驚かせちゃって、ごめんね。
…そのぉ…起こしてくれて、ありがとね…。」
何も言わず戸惑う姿を見て私は、すかさず
「花崎 涼子です。
よろしくね。」
「すごい!私も同じ名前!」
私の名前を聞いた瞬間、目を輝かせた。
「今、幾つ? 何年生?」
「十歳です。小五。」
名前が同じと知って、親近感を持ったのだろうか…。
聞けば笑顔で答えが返ってくる。
「ここには、どうやって来たの?」
「気が付いたら、ここにいて…。
暗いからちょっと怖くて、明るくしようと思って。
電気のスイッチを探していたら、おばちゃんが寝てたから…」
ちょっと、待て!
―――私に向かって、指をさして言った。
聞き流すわけにはいかない。
「さっきから、おばちゃんって呼ぶけど私、あなただから。
未来の、あなた。
わかる?」
小五の私は、怪訝そうな顔をしている。
「十九年後の、あなたよ。
…いや、もうそろそろ二十年…後になる…かな?」
語尾の声が段々、小さくなる私に向かって顔色一つ変えず
「三十歳なら、おばちゃんじゃんっ!
で?
未来の私だっていう、証拠は?」
認めたくは無いけれど、小学生から見れば三十歳の私は…。
『おばちゃん』…だ。
証拠。
…そうだ。
いきなり、初対面のおばちゃんに未来から来た自分だって言われても、何の信憑性も無い。
「証拠か…誕生日は、昭和五十八年五月八日。
血液型はAB型で一人っ子。
絵を描く事が大好きで、将来の夢は漫画家になる事。
どぉ?」
「アマイね、その程度なら周りに住んでいる人なら、誰でも知っている事でしょ?」
うぅっ。
…確かに…言葉に詰まる…
「考える時間を、くれない?」
苦笑し追い詰められた私と、主導権を握っている小五の私。
彼女はすぐさま、口を尖らせ
「ブーッ。
時間をあげてとしても、それ以上出てこないって。
下調べも無駄だって事だよ。」
「待って!絶対に思い出す!
年取ったら、頭の回転が遅くなるのよ!
年上を敬いなさい。」
ふーん。
じゃあ、三分間だけね…と半信半疑で目を逸らし、後ろを向きながら返事をした。
大人げなかった今の私の対応に確実に、呆れふてくされた様子だ。
「い~ち、にぃ、さぁん…」
三分…落ち着け、私。
小学生の私…人に言っていない、私しか知らない事…
しばし目を瞑り考える…落ち着け、私。
「…マボロシノ…タカラ…ね?
『まぼろしの宝』は?
私、こっそりノートに描いていた漫画あったけど、誰にも見せた事ないわよね?」
そのタイトルを聞いて、小五の私は顔色を変えて振り向いた。
無職になってからの一日は、長い。
生きる目的が無くなって、途方に暮れていた。
暫くぶりに押入れの掃除をしようと、意気込んで荷物を出していたら、たまたま数冊の大学ノートが出てきた。
ぱらぱらとめくると昔、描いた漫画。
誰かに読んでもらうなんて、考えた事も無くて…。
話は最後まで描かれないまま、押し入れに仕舞ったらしい。
小学生だったから、タイトルはイマイチだし。
人に見せられるような作品ではないけれど、読んだ瞬間ふと、あの頃を思い出し、夢に向かって邁進していた自分と熱意を思い出して、つい読んでしまった。
しかも、ラッキーな事に、昨日の出来事。
漫画の構成は、多少粗削りだけれど二十年経った今でも、斬新で十分通用するものだった。
「…本当に、わたし?」
どうやら、未来の私だと信じてくれたらしい。
伏し目がちに、聞いてきた。
「ね?…今、何してるの?
…仕事は?」
やばい…返答に詰まった。
「う、う~ん…それは…ねぇ?」
苦笑している私を見上げ、目を輝かせている。
「なに?
何してるの?」
促すように、私の服にしがみついてきた。
別に勿体ぶっているわけではない。
当時の私にとって、夢を叶えることが人生の全てだったから、果たして夢を全速力で追いかけている子供の私は、未来を受け止められるだろうか…。
いくらでも働けるのに、たった履歴書一枚と、もうすぐ三十歳という年齢で採用しないと判断されて、また就活。
そして次も、不採用。
同じ事が延々と繰り返し続く…。
面接で必ず、
「御結婚の御予定は?」
と聞いてくる。
結婚して、すぐ退職されたくない会社側の都合もわかる。
けど当面予定がないのも事実…なのに。
会社に必要とされなかったんじゃなくて、世間から必要とされていないんじゃないかって思えてきて、生きることに対しての意欲がどんどん薄くなる。
毎日、目標とする事も無く一日ただ彷徨う。
これから確実に成長していく未来ある私に、こんな惨めな思いはさせたくない。
「…結婚はしてない。
勿論、子供もいない。」
「結婚なんて、しなくていいの。
私の夢は、漫画家になる事なの!
本当に未来の私なら、そんな事言わなくたってわかっているでしょ!」
はぐらかすことなんてできないし、自分に嘘はつきたくない。
何の穢れも無い社会に揉まれていない、純真無垢で真っ直ぐに見つめる瞳は、自分の将来を見据えた自信に満ち溢れている。
対して大人の私は…残酷な現実をオブラートで優しく包む…事もできなさそうだ…。
「…漫画家じゃないんだ。
趣味の範囲で、漫画じゃなくて小説を書いてる。
たまに、規模の小さいコンクールに応募して賞を獲ってるよ。」
私の言葉を聞いて、笑顔が消えた。
服にしがみついていた両手も、力なく放した。
後退りしながら、軽蔑した目で私を見る。
「…漫画家じゃないの?
何で!
趣味?
小説?
絵は描いてないって事?
どーして!
今、頑張っているのは、小説家になる為じゃなくて、漫画家になる為だよ!
だから毎日、必死で色んな絵を描いてるし、頑張って『まぼろしの宝』だって描いてる…。
それなのにどーして、漫画家じゃないのよ。
…信じられない、意味わかんない…
嫌だ―――!
ヤダー―――!!!!!
こんな、つまんない大人になりたくないよぉぉ。」
弾丸の様に喋ったと思ったら、目の前で大声上げて泣き出した。
…言葉が突き刺さる。
こんなつまんない人生。
…泣きたいのは、私の方だ。
私だって…。
こんな生活、望んだわけじゃない―――。
「生きるって、そんな甘いもんじゃないのよ!
子供のあんたに何がわかるのよ!」
一瞬、ピタッと止まって私を睨みつけた。
「おばさんに、私の気持ちわかるはずない!」
(ダメだ。
子供相手に何、ムキになってんのよ。
自分相手だから、余計に歯がゆい。
夢に向かって頑張った頃を知っているから、なおつらい。)
「ごめん。
言いすぎた…けど、今の私じゃ叶えられなかった。
だから、やり直したいの。」
きっと私の事を哀れに思った神様がくれた、最後のチャンス。
これだけは伝えたい。
彼女の両肩をしっかりと掴み、真っ直ぐ目を見て
「絶対に、漫画家になる夢を諦めないで!
今の意志の強いあんたなら、大丈夫。
途中で、周りの言葉に流されたり、人と比べたりする時が来るかもしれない。
けど、私は私!
他人に何を言われようが、自分の人生だから。
そのまま、自分の可能性を信じて。
こんな情けない人生、二度と味わいたくない。
忘れないで!
自分の弱さに負けないで!
後悔してほしくないの。」
ジリリリリリリ!!!
突然、サイレンのような音が鳴り響いた。
「何?
この、おと…怖い。」
辺りを見回す…暗い分、音が反響し恐怖心を煽る。
肩を掴んでいた私の手を、握ってきた。
「大丈夫よ。
この音どこかで、聞いたことある…。」
そう、どこかで…。
思い出そうとした時、強風が吹きつけ反動で、肩を掴んでいた手を離してしまった。
その瞬間、大人の私だけ宙に浮き、ジェットコースターのようなスピードで後方に引っ張られていく!
「!…待って!」
大人の私と子供の私は、どんどん離されていく。
小さくなっていく子供の私に
「いい?
自分を信じて貫くのよ!」
声を荒げたが、姿は既に見えず、私も大音量のサイレンが鳴り響く暗闇に吸い込まれた。
次第に、サイレンの音が大きくなる―――
「…ああぁ、もう、うるさいって!」
だるそうに、寝ぼけ眼でサイレンの鳴る方に手を伸ばす。
指先に当たったのは、電話の着信を知らせる携帯電話。
きちんと握った携帯電話を、徐に引き寄せて着信相手を確認する。
☆★☆編集 マリちゃん☆★☆
「今、何時だと思ってんのよぉ?」
呟くと同時に時間を確認する…
「…午前零時二十五分。
…何、考えてんのよ…。」
吐き捨てる様に言って、通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「せんせ!
お誕生日、おめでとうございます!」
二十代前半のマリちゃんの声のトーンも、テンションも、夜中だというのにかなり高い。
「…あ。
ああぁ、ありがと。
わざわざその為に、電話してくれたの?
…この時間に?」
「そうですよ!
年に一度の、先生のお誕生日~!
お祝いしないと!
お祝いと言えば、今連載中の漫画が映画で実写化されるって!
しかもそれ以外にも、今度違う出版社から新作を連載するって、噂聞きましたよォ!
先生の頭の中、一度見たいです!
今、何されてたんですか?
もしかして、新作の構想とか?
キャー!
楽しみ~っ♪
どんな話か、教えてくださいよぉ!」
「…寝てた。夢見てた。」
「えぇっ!
自分の誕生日、寝てたんですか!」
寝起きの耳にも頭にも、マリちゃんの叫び声のような声が、ガンガン響く…
「…三十よ…三十歳になったのよ。
二十歳とは違うのよ?
…マリちゃんも、三十路になったらわかるから。
…ビミョーな感じよ。」
「嬉しくないんですか?」
「…嬉しい…っていうより、よく生きてこられたなぁ。
ありがたいっていう境地ね…。」
「なに、悟りを開いちゃってるんですか(笑)。
ところで、どんな夢見たんですか?」
すっかり、マリちゃんのおかげで、目が覚めてしまった。
社長椅子…とまではいかないが、一日中仕事で使う自分専用の立派な椅子に深く腰かけ背もたれによしかかり、話し始める。
「自分が出てくる夢。」
「先生、もしかしてナルシストですか?」
「違うわよっ!!
子供の時に見た夢を見たのよ!
勘違いしないでよね。」
「子供の時に見た夢?
先生、凄いですね!
子供の時の夢、全部覚えてるんですか?」
電話口の彼女の声が、どんどん大きくなる。
「全部じゃないわよ。
ただ、特殊な夢だったから覚えてたのよ。」
「特殊?」
「子供だった私の前に、三十歳になったばかりの私が現れる夢。」
「それで?
私は将来、立派な漫画家になっていた!
っていう、夢ですか!
まさに、正夢じゃないですか!
すごーい!
予知夢ってやつですか?」
キャーキャー騒いでいるマリちゃんに
「残念だけど、逆よ。
見た目も性格もあり得ない程、地味で、落ちぶれた感いっぱいの私だった。
あの姿を初めてみた時は、本当に愕然としたわ。
夢なら早く覚めてーって、必死に願った。
絶対、こんな大人になりたくないよーって。」
「相当、衝撃的だったんですね。
今になっても、覚えてるって…。
しかも、その夢を三十歳の誕生日に見るなんて…。
でも、夢でよかったですね!
先生は美人だし優しいし、売れっ子の漫画家で、地味とは無関係じゃないですか!」
「忘れてた…あの夢の事なんて。
あんなつまんない大人になりたくなくて、がむしゃらに頑張った。
おかげで、今はきちんと成功して漫画家として生活していけるまでになった…。」
瞼を閉じると…冴えない、あの顔が浮かぶ。
「先生?
どうしたんですか?
大丈夫ですか?」
マリちゃんの言葉で我に返り、返事をした。
偶然、机の上に伏せてあった手鏡を見て唾を吞む。
…もしかしたら今の顔、あの地味な顔になっているんじゃないかと不安になった。
どうしよう…鏡に伸ばす手が震える。
「先生?
どうしたんですか?」
何でもないわと、平静を装いつつ伏せてあった手鏡を握り、深呼吸。
小さく聞こえてくるマリちゃんの声にテキトーに相槌を打ちながら、
もう一度深呼吸。
覚悟を決めて覗き込む!!
「!」
言葉にならなかった。
鏡の中には、見慣れたいつもの私がいた。
いい大人が、どこまであの夢に影響を受けているのか…笑えてきた。
「先生!
さっきから私の話、聞いてますか?」
「ごめん、ごめん。
こんな三十歳も悪くないなと思ったら、笑っちゃった。」
「頼みますよ、先生。
…ところで、その夢の話を漫画にしてみませんか?」
えっ…。
覗き込んだ手鏡を、机に置いた。
「面白いと思うんです!
今までそんな体験、聞いた事も見た事もないし、今が旬の先生が描いたら…。
やっぱり、絶対売れますよ!
仮タイトルだけでも先に、決めちゃいましょう!
ね?」
「…そう?
…それなら、ローマ字で『MABOROSHI NO TAKARA』はどうかな?」
机の上に伏せずに置いた手鏡の中に、ちらっと映った地味な私が、微かにフッと笑った。
第4弾も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
第5弾「アフロ」もございますので、読んでいただけると幸いです。
第1弾は「黒子(くろこ/ほくろ)」
第2弾は「風見鶏」
第3弾は「WARNING」
となっております。
よろしくお願いいたします。