お手洗い
さあて、ただいまより重要な会談を行いますよ。
…まあ、場末の居酒屋なんだけどさ。
「ちょいと失礼、まず、お手洗いに行ってまいります。」
「はい行ってらっしゃい。」
会談前に、手を洗っておかねば。
「お手洗いはどちらですか。」
忙しく注文をとるスタッフに声をかける。
「こちらでございます。」
フム、店の奥にあるのか。
ぎいー
ドアを開けて、蛇口をひねって、水が出た。
じゃぶじゃぶじゃぶ。
手を洗う。
ああ、真っ黒だ、真っ黒い水が流れていくよ。
じゃぶじゃぶじゃぶ。
今日はずいぶん手に汗を握ったからな。
じゃぶじゃぶじゃぶ。
ずいぶん染まったから、よく落としておかないと。
じゃぶじゃぶじゃぶ。
これくらいでいいか。
ハンカチを取り出して、手を拭う。
さあ、会談の始まりだ。
「お待たせしました。」
「いえいえ。」
「それで、今後のことなんですけれども。」
「そうですね、ぜひ共にありたいと思っております。」
「本当ですか、それはありがたい。」
「こちらも死活問題でしてね。」
「では当面は持ちつ持たれつということで。」
「そうですね、生きのいい魂、お願いしますよ。」
「では、こちらお渡ししておきますね。」
僕は生きの良すぎる魂をまとめて差し出した。
「はい確かに受け取りましたよ。」
「助かります、処分に困っていたんですよ。」
僕と悪魔は、がっちり握手を交わした。
「「今後とも、どうぞよろしく。」」
僕の頭の上で輪っかが輝く。
最近の天国事情はあまりにもひどい。
優しいことを言って、実は真っ黒い本心を隠していたり。
優しいことを言って、人を貶めるのを生きがいにしていたり。
優しいことを言って、成長するはずの人の心を幼いままに留めてしまったり。
優しさの数にごまかされた天使たちは、優しさの陰に隠れたどす黒さに気が付かないまま天国の扉を開きすぎてしまったのだった。
もうさ、天使たちの平和脳が生み出した悲劇?
疑うことを知らない天使たちが、盛大に騙されまくった結果がこれだよ!!!
おかげでもう、天国は足の踏み場もないわけで。
踏み荒らされた天国の白い雲の上に、クッソきたねえ足跡がびっちり残っているという。
優しさの奥に隠されたどす黒さが漏れ出してるんだなあ。
実に、実にまずい。
天使のミスは天使が何とかせねばなるまい。
僕たちは闇狩りを始めたってワケさ。
優しさで押さえ込んでるどす黒い感情を漏らしている者をひっ捕まえて、悪魔に渡す。
おとり捜査は実に簡単。
ヘタレの振りして近づいて、ぶわっと黒いのが出たらさくっと捕獲。
悪気はなかった?
いやいやいやいや…ご冗談を。
純真無垢な振りしたってね、どだい無理なんだって。
どす黒さはどす黒い感情の持ち主にしか出せない色。
無理して天国にいる必要ないんだよ。
どす黒さを持ったまま、こんなに白くてクリーンな世界にいるなんて、逆に大変だと思うんだけどねえ…。
おっと、またあんなところに、どす黒い靄を噴出してる奴がいるぞ。
いい人のふり、ヘタレのふりして近づいてと。
…はい、捕獲。
こんなことしてるおかげでさあ、僕まで最近染まってきちゃったんだよ。
天使が手を染めるだなんて、世も末だよ。
…ほら、僕の手が真っ黒。
僕は、手が真っ黒に染まりきる前に、お手洗いに行ってがっしがっしと手を洗った。