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内緒の訪問者

 どうしよう。

 どうやって二人に向き合えばいいんだ。

 考えることはそればかりだ。

 拓巳くんの行動に関する数々のナゾ。それは思いもよらない形で判明してしまった。

 つまりこういうことなのだろう。

 その昔、僕を巡るやり取りの中で、拓巳くんはそれとは知らずに祐さんの好意を拒絶した。その結果、祐さんは自分の想いを封印し、以後は影に徹して拓巳くんと僕を守り続けた。井ノ上の力を使うことも厭わずに。

 祐さんの努力によってその事を忘れていた拓巳くんは、今回の事態で祐さんが払ってきた犠牲を知ることになった。そうして彼が傾けてきた情愛の深さに心打たれ、これ以上、彼の音楽が削られることがないよう動くことにしたのだ。

 自らの想いを露にした覚えのない祐さんには、拓巳くんの行動が不可解だった。しかし養子の件が現実味を帯び、放っておける段階ではなくなった。それであの夜、人目を避け、二人は話し合うことになったのだ。そこに澪奈と史昭氏が遭遇し、さらにそれを僕たちが目撃してしまったというわけだ。

 どうしよう……――いや、わかってる。

 理性が僕の態度を戒める。

 考えるまでもない。あれは見てはならない超プライベートシーン。おそらくこの先も表に出すことはなく、形にする気もないものなのだ。従って向こうから何か言ってこない限り、今までどおりに接するべきである。僕だって特殊な性別の人を選んだ身、たとえどんなにビックリ仰天だろうとも、ここは分別ある態度を心がけようじゃないか。

 でも本当に?

 すぐに別の言葉が脳裏を巡る。

 だってあの拓巳くんだよ? 男はもちろん女性にすら秋波を送られるのがウンザリな人だよ? なんか聞き間違ってない?

 思う端から否定の言葉が押し寄せてくる。

 現実逃避はよそうよ和巳。元々祐さんは別格だったじゃん。あんな目と鼻の先のやり取り見て、他にどう捉えられるっていうのさ。

(……)

 俊くんでさえマジかって絶句して、でも他に考えようがないよなって唸ってたのに。

(……み?)

 それに祐さんはストイックで有名だよ。その手の話でなんちゃってのオチとか聞いたことがない。

(――ずみ)

 ましてやあんな真剣な様子でいたのを、他にどう受け取りようが……!

「和巳!」

「うわっっ! は、はい!」

 一瞬で目が開き、次いで視界に入った美貌に心臓がジャンプする。しかしそれを全身の力で捩じ伏せ、僕は笑顔で返事をした。

「あ、ごめんね拓巳くん。ナニかな?」

 彼は数秒ほど不機嫌な顔をしたが、徐々に悲しげになって僕の額に手を当てた。

「まだ熱があるのか……? 困ったな」

 憂いを滲ませた表情が、あの夜の風情と重なって僕の脳ミソを刺激する。

 イヤあの、熱上がっちゃうからヤメてー!

 ……との思いは腹の底深くに封じ込め、ニコニコと笑顔を振りまきながら僕は言葉を続けた。

「大丈夫だよ。部屋の中がちょっと暑いだけだから。ホラ、病院って患者さんのために温かく設定されてるでしょ?」

「……昨日は鎌倉にいたんだぞ。あの屋敷はここより寒いけど、おまえは熱かったぞ」

 疑惑の眼差しを向けられ、僕は誤魔化すように咳払いをした。

「そ、そりゃ風邪っぽいんだもの。でも薬がよく効いて元気だし、夜には熱も下がってたよ。だから大丈夫」

 昨夜、体温計を見たので拓巳くんも記憶しているはずである。

「今ちょっと上がってるとしてもたいしたことはないよ。それよりもうすぐ富子さんが病室から戻る時間だから、僕はしばらく席を外すね」

 いくら本人が構わないと言ってくれても高齢の方に感染(うつ)ったら大変だからね、と立ち上がると、拓巳くんは心細げな顔をしながらも頷いた。それに手を軽く振り、極力平静を装って、今やお馴染みになりつつあるVIP室の外に出る。そして待合の椅子に腰かける二、三人の見舞い客に会釈し、足早にそこから離れて人気(ひとけ)のない場所を目指した。

 ……危ない、危ない。気をつけないと。

 僕がナニを気にしているかといえば、それはもちろん拓巳くんのご機嫌だ。昨日、散々周囲に迷惑をかけたからには、今日はなんとしても挽回しなければならないのだ。


 衝撃の場面を目撃してしまった一昨日の夜。

 ひとまずその場から戻り、その夜は俊くんと二人でダメージを癒し合ったのだったが、翌日には容赦ない現実が待ち構えていた。

「おはっ……ようございますっ?」

 俊くんを起こし、二人で向かったダイニングルームには、いつもより二人ほどメンバーが増えていて、僕は思わず朝からつんのめりそうになった。

「どうした。早く座れ」

 ゆったりとした動作で椅子を勧めてきたのは祐さんで、隣にはすでに拓巳くんが座っている。その向かい側には澪奈が着席していて、上座に座る富子夫人やはす向かいの玉枝夫人と挨拶を交わしていた。

「まあ、今日は久しぶりに賑やかで。嬉しいですわねお義母(かあ)様」

「そうですね玉枝さん。祐司はここに来てもとんぼ返りばかりで、あとは本部ビルの宿泊室に居ずっぱりでしたから。澪奈もこのところは早朝出勤が多いようですが、無理はしていませんか?」

「大丈夫ですわ。お祖母様」

 などと一見、和やかな朝の風景なのだが、こっちは心中穏やかではいられない。

 ついギクシャクしそうになった僕たちは、しかしそのときはあとから来た沙羅に救われた。

「あれー。祐司兄さま。おはようございます。あら、お姉さまも。まあ、えーと蒼雅さんまで。今朝はゴージャスねぇ」

 目を見張りながらも明るく席に着く姿に僕たちの驚きは中和され、祐さんに「来てたのか」と聞かれた俊くんも普段どおりに受け答えることができていた。

 しかし問題はその後だ。

 祐さんが早々に席を立ち、澪奈や沙羅も出勤していき、名残を惜しみつつ俊くんを玄関から見送ると、いつもの業務が待っていた。即ち、富子夫人のお供をする拓巳くんのサポートだ。

 お見舞いは一段落したのだが、富子夫人を訪ねる人の数はあまり変わらない。むしろ臨時に通ってきていた玲さんが役目を終えた分、彼女に来客が集中し、拓巳くんと顔を合わせる回数が多いことこの上ない。

 結果、何度も白昼夢を見るハメに陥り、肩をつかまれては揺さぶられ、そのたびに『ヒャッ!』だの『ヒエッ!』だのと飛び上がって彼を爆発させた。

「なんだよそのリアクションは! おまえまで他の連中みたいにするのはやめろよっ! さっきっから人の話も上の空で……! それともナニか。そんなに雅俊が恋しいか!」

 どうせ俺は伴侶じゃねーよとスネられ、昨夜の生々しい記憶が重なって僕は混乱してしまった。

「あのっ、ゴメンッ……それは恋し…じゃない、そうじゃなくて……っ」

「じゃ、何なんだよ!」

 癇癪を起こした拓巳くんの剣幕に、助け船を出してくれたのは富子夫人だ。

「おやおや。そんなに目を吊り上げて怒ったら可哀想ですよ。思うに和巳さんはお熱が出ておいでではありませんか?」

 ごらんなさいと手で顔を示され、驚いた拓巳くんが僕の額を触る。途端、発火したように赤面してしまい、今度は拓巳くんを慌てさせた。

「熱が高い……っ、大変だ!」

 病院へ行こうと血相を変えるのを、早川さんが「ひとまず寝室へ」と宥め、なんとか部屋に下がれたのだが、今度はベッドに貼りついて離れない。

「あの、拓巳くん。富子さんが心配だよ。僕、ちょっと眠るから、様子見に行ってくれない?」

 少しでも距離を取って落ち着きたかったのだが、彼はこんなとき、野性動物並みに勘が鋭い。

「……俺といるのがヤなのか?」

 どうやら僕にヘンな反応をされたのが引っかかったらしく、不安と怒りがない交ぜになって、感情がコントロールできなくなってしまったらしい。こうなると下手な誤魔化しは逆効果なので、仕方なく僕は思いきり話を作り、そこに現在の心境を織り混ぜた。

「あの、昨日からちょっと熱っぽかったんだけどね。俊くんが来てくれたから夜更かししちゃったんだよ。そのあとで変な夢を見ちゃって……」

「変な夢?」

「そ、それがなんか拓巳くんがティナになってて、僕に……えーっと、迫ってくるんだよ!」

「あ?」

「すごく綺麗で色っぽくて拒めなくて、俊くんゴメンってところで終わっちゃったの! だから拓巳くんの顔見ると……っ、ごめんね!」

 こんなしょーもないウソついて申し訳ないけどお願いだから納得して! と祈りながら上掛けを頭まで被り、シーンとしたところでおそるおそる顔を覗かせると、拓巳くんはナゼかほんのり頬を染めていた。

「そ、そっか。雅俊を迎えた夜に見た夢が俺の女バージョンで、しかもそっちを取っちゃったのか」

 ちっ、困ったヤツだな、などとつぶやきながらもどこか嬉しそうで、僕は複雑な気分になりながらもひとまずホッとした。

 その後は少し寝不足を解消させてもらい、昼には元気になったとアピールし、午後はたびたび危うくなりながらもなんとか業務をこなした。

 そして一夜明けた今日の午後。

 回復してきた総司さんを見舞う富子夫人のお供をし、風邪設定を利用して時々インターバルを取りながら、拓巳くんと密室で過ごすミッションをこなしているわけだ。


 しばらく院内をそぞろ歩いて心を休め、頃合いを見てVIP室に戻ると、空のソファーがあるだけで、先ほど足を組んで座っていた姿はどこにも見当たらなかった。

 もしかして、総司さんのところに行ったのかな?

 追いかけたほうがいいかもと思い、ポケットに入れてきたカモフラージュ用のマスクを探りながら踵を返したとき。

「ちわーっす、大奥さま。お元気だったー? っと、うわっ!」

 元気よく入ってきた男とぶつかりそうになり、僕は咄嗟によけたせいで体を大きく泳がせた。

「おっとぉ、危なーい!」

 男はサッと僕の腕をつかみ、グイと引っ張ってもとの位置に戻した。

「君、大丈夫? 腕は痛くなかった?」

 鮮やかに僕のバランスを戻した敏捷そうなその男に、僕は「ありがとうございます」と返しながらも内心で首を捻った。

 この人、誰?

 年の頃は四十代半ばあたりか。やや小柄で無駄のない体つきはどこか武道家のような印象だ。

 髪は長めのショート、メッシュにしたこめかみの銀髪をフワリと流しているのが洒落ている。それ以外の黒髪には癖がなく、クリッとした目の形がどこか玲さんを思わせる。鼻筋はスッと通り、唇も綺麗に弧を描いていて、学生時代はアイドル的な人気があっただろうことが想像に固くない。が、なにより雰囲気が明るく、彼にはいわゆる永遠の少年と言われるような、年齢不詳の人が醸し出す無邪気さがあった。

 ジャケットにカッターシャツで、ネクタイもしてるけど、サラリーマンには見えないぞ。

「あれー? ここには今日、着物のばーさまがいるはずだったんだけど。時間を間違えちゃったかなぁ……」

 困惑顔で頭を掻きながらキョロキョロする様子に自由気ままな富豪育ちの匂いがし、僕はなんとなく彼の出自が見えた気がした。

 この人、多分、一族の人だ。目元が玲さんと似てるし、総司さんや武文氏ともなんとなく顔の輪郭が似てる。

 拓巳くんが富子夫人にお供することもはや二週間を越え、今では見舞い客にも情報(ナニが待ち受けているのか)が知れ渡って、迂闊にVIP室に踏み込む輩はいなくなった。夫人は今まで味わえなかった身軽さを喜び、ちょくちょく病院に足を運んでいる。

 このエリアに入れた時点でセキュリティはパスしているし、時間も知らされていた様子だ。これはかなり親しい間柄と判断していいだろう。

 でなきゃ富子さんを『ばーさま』とは言わないだろうし。

「あの、ご親族の方ですか?」

 それでも一応、確認すると、彼はクルッとこちらを振り仰いだ。

「うん、そう。嫁さんにお尻叩かれて見舞いに来たんだ。そういう君は新しく本家に入ったスタッフだね? 早川は元気?」

 キラキラした好奇心を向けられ、おや、と心に留まる。

 僕たちの存在はすでに親戚中に知られていて、本家以外の人はどこかよそよそしく接することが多い。が、この人はまだ知らされていないらしい。

 僕はありがたく調子を合わせることにした。

「はい。色々ご指導いただいています」

「そりぁいいや。やつに鍛えてもらえば、どこに出たって立派にやっていけるよ」

 どうやら早川さんとも親しいようだ。

「はい。あの、大奥様と早川さんはまだ病室にいるかと思うのですが、ご案内しますか?」

 すると彼は一瞬、目を見張り、次いで眉間にシワを寄せながらウーンと唸って顎に手を当てた。

「大奥さまだけのつもりでいたからなぁ。いきなりご当主とご対面か。それはちょっと、ハードル高いよねぇ……」

 ハードルが高い?

 どういう意味だろうと首をかしげていると、彼はテヘヘと笑って頭を掻いた。

「君はまだ知らないか。僕ね。昔、色々やらかしたんで、今は家から勘当されたような扱いなんだ。普段もこっちにはいなくて。けど僕の奥さんがアレコレ知らせてきて『せめて富子さんくらいには顔を出せ』って言うからさ」

 その説明は、僕の中で答えに繋がった。

 わかったぞ。この人多分、史昭氏のお兄さんだ。

 澪奈があの夜に言っていた『史昭さんのお兄様はとっくに井ノ上を離れていらっしゃる』とはこのとだったに違いない。

 年齢的にもおかしくないしと納得すると、彼は人懐こい笑顔で人差し指を唇に当てた。

「わかってくれた? だから僕のこと、みんなには内緒で頼むね」

 あの武文氏の息子にしてはずいぶん気さくでノリがいい。さぞかし父親とはソリが合わなかったことだろう。

 僕はこの人物に好感を抱いた。

「承知しました。大奥様ならよろしいんですね?」

 彼は頷いた。

「あの人はウチの奥さんと親しいから。その奥さんが、あの人のそばに守護神が居着いてくれたお陰で奇跡のように身辺が静かになったから、会いに行くなら今だって教えられて。ホントなんだねぇ……」

 感慨深げに部屋を見渡され、僕は苦笑いした。

 それ、きっと拓巳くんのことだ。

「はい。最近になってようやくですが」

「いやいや凄いコトだよ。それって元々は祐司くんと芳弘くんのお陰なんだよね。この機会にそっちにも顔を出して、感謝してこいって言われちゃったよ。あ、芳弘くんは祐司くんの母方の従兄ね。本家にも顔の通った人なんだけど」

 僕は少し驚いた。

「真嶋さんをご存じなんですか?」

「もちろん。すっごく感謝してるんだ。知ってるんだね?」

 そっか、早川が芳弘くん贔屓だもんねと納得され、改めて感心する。

 真嶋さんて、あっちこっちで人助けしてたんだなぁ……。

 年が近いから、昔から親しかったのかもと想像していると、僕のスーツの内ポケットでスマートフォンが鳴った。

「ちょっと失礼します」

 軽く会釈して画面を見ると、拓巳くんからだった。

「あれ? 今どこにいるの?」

『和巳、悪いな。あれからすぐ富子さんと病室を出ることになったんだ』

「えっ、もうここにはいないの?」

『それが、本社ビルから早川に連絡が来て、俺たちに大至急、屋敷に戻ってくれってことでな』

「大至急?」

『ああ。そこの病院は廊下の電波がブロックされてるから、おまえの電話に繋がらなくて。で、富子さんの計らいで、地下駐車場にタクシーを待機させてある。慌てなくていいからそれで向かってきてくれ』

「わかった。あの、何があったの?」

『澪奈が理事会に辞表を提出したらしい』

「澪奈さんが⁉」

 辞表とはまたいきなりである。

「今、辞任なんてされたら祐さんが……っ!」

 困るんじゃないのか。

 拓巳くんにもわかっているのだろう。声から困惑が伝わってきた。

『まだ極秘なんだが、どうやら彼女は史昭を海外の事務所に出向させる形で処分したようだ。午後の理事会で報告して、監督責任の名目で辞表を提出して、再発防止のために一旦、婚約を解消すると言って屋敷に戻っていったんだとか』

「婚約を解消……!」

 そこまで思い切るとは。

『だから狸親父がカンカンで、祐司に抗議しまくって、理事室を飛び出して澪奈を追いかけていったらしい。狸の息子も婚約解消は納得できない様子でな』

「わかった。みんなが本家に殺到して来るんだね?」

『そういうことだ。祐司は理事会を収めてからでないと出られないらしいんだが、騒がれてマスコミにスッパ抜かれたら今度こそ大変なことになるんで、取りあえず狸親子が屋敷に入った時点で正門を閉めさせるそうだ。そんなわけで、悪いがタクシーには裏道を目指してもらって、途中のゲートで降りてくれ。ちょっと歩くことになるから心配なんだが……』

 井ノ上家に通じる裏山の私道は、入り口が有料駐車場のようなセキュリティゲートで塞がれていて、あらかじめ登録してある車以外は通さない。僕が熱を出していると信じる拓巳くんには気がかりだろう。

「大丈夫だよ。あそこから離れの裏口は、裏庭を突っ切れば五分もかからないんだから。もちろん誰にも見つからないように気をつけるから安心してね」

『ああ。待ってるからな』

 名残惜しそうな声音を残して通話が切れ、思わずため息をつく。すると目の端で銀のメッシュが反射した。

「あの。今のって、もしかして守護神さんから?」

 見ると、すぐ横でクリクリ目がさらに目を開いて僕を見上げている。

 やば。これ極秘情報……。

 思わず方頬をひきつらせると、そのあたりを読み取ったか、彼はこめかみを指先でコリコリ掻きながら早口でこう告げた。

「ごめん、聞き耳たてちゃって。でも僕、これでも一応、一族の端くれだから、マスコミへの守秘義務は破らないよ」

 言われてつい赤面する。

 そうだ。家を出たとはいえ、この人のほうがよほど関係者と近しいじゃないか。自分の親兄弟が絡む不祥事をペラペラ喋ったら困るのはこの人だ。

「いえ、こちらこそ新参の身で失礼しました」

 慌てて頭を下げると、彼はいいからと手を振った。

「それより、守護神さんって君とずいぶん親しいんだね。知り合いなの?」

 あ、しまった。

 電話の受け答えで不思議に思ったのだろう。

「はい。あの」

 本当の立場を明かすべきか迷うと、彼はすぐに手を横に振った。

「あ、別に咎めるとかじゃないんだ。ちょっと聞いてみただけだから」

 そこで彼はためらうように一旦、言葉を切り、やがて思い切った様子で続けた。

「タクシーじゃ、あの裏道は抜けられないでしょ。僕が送るよ」

「えっ?」

「今日の僕の車、奥さんのなんだ。だからゲートが通れるんだよ。それに抜け道も幾つか知ってるから、早く送ってあげられるし。……あの人にこっそり会うのはもう不可能みたいだけど、ここで君に会ったのも何かの縁だからさ」

「ですがお時間は大丈夫ですか?」

 予定外に遅くなってもいいのかと伝えると、彼は「全然」と首を振った。

「今の僕は財閥のことに口を挟める立場じゃないし、その気もないけど、せめて送るぐらいしてあげないと。あとで奥さんに知れたら怒られちゃうよ」

 おどけたように肩を竦めて言われ、僕は心遣いに感謝した。

「わかりました。ではお言葉に甘えます」

 あらためて頭を下げ、慌ただしく荷物を纏めると、彼と連れ立って病院の地下へと急ぐ。示された車はアウトドア系のRV車で、鎌倉で黒塗りの外車ばかり見ていた僕はなんとなくホッとした。

 待機中のタクシーを見つけて断りを入れたあと、病院を出て街中を抜け、バイパスに入って高速で飛ばす。守秘義務への気遣いなのか、車中の会話はもっぱら彼が今住むという田舎の話に終始した。

「……てなわけで、最初は単身だったんだけど、あんまり自然が綺麗だから勝手に家を構えちゃったんだ。今は奥さんが時々来てくれるよ」

「じゃ、奥様は一緒には住まずに、ここから行き来なさってるんですか?」

「子どもがここを離れるのを嫌がったからね。彼女も横浜で活動してたし。でも僕は我が儘だから」

 笑って走りながらも鎌倉を目指すバンドルさばきには淀みがなく、彼が間違いなく本家の隣に自宅を構える武文一家の出であることが読み取れた。

 市街地を抜け、くねくねした道を進むと、やがて周囲が杉の密生する冬の山の風景に変わってきた。

 セキュリティゲートを通り抜け、本家の裏口の駐車場に差しかかったとき、ふいに彼が真面目な口調で訊ねてきた。

「ね、君は守護神さんとすごく親しいんだよね?」

 うん?

 横目に見る表情が先ほどより強張って見え、僕はシートベルトに手をかけながら慎重に答えた。

「ええまあ。それが何か」

「じゃあさ。さっきの電話、彼は祐司くんのことをだいぶ心配してたように感じたんだけど、どうかな」

 どうやら気になるのは祐さんのことらしい。それだけ親しかったのだろう。

「はい。それはもう」

 気を緩めて答えると、エンジンを止めた彼はモジモジしながら訊いてきた。

「あの。守護神さんって、〈T-ショック〉のボーカルやってる人のことだと思うんだけど、違う?」

 あ、さすがに知ってるのか。

 僕は嬉しくなって頷いた。

「はい。そうです」

 そりゃ外に出て普通に暮らしてたら、親しい人が所属するバンドの名前くらい知ってるよね。

 やっぱりこの一族のいる世界が特殊なんだと常識をリセットしていると、ふいに彼が縋るような眼差しになって訊いてきた。

「君から見てどう? 祐司くんと彼の仲ってうまくいってるの?」

「えっっ!」

 いきなりの直球に思考がフリーズする。

 まさか。祐さんのゲイ疑惑。それを含めた意味で言ってるのか。

 固まったままの僕をどう捉えたか、彼は「あっ」と一声上げてから慌てたように手を振った。

「いやあの、ヘンな意味じゃないよ!」

「………」

 答えられずにいると、大きな目が若干、吊り上がった。

「君も独身の祐司くんを疑ってるの? だったらハッキリ言っておくけど、あの二人に恋愛感情なんてあり得ないからね! 僕が訊きたいのはソレじゃないから!」

 なんだって?

 その言葉で僕は息を吹き返した。

「違うんですか? 二人は恋仲じゃない?」

「違うよ! だって祐司くんはずっと……っ」

 ずっとっ! やっぱり誰かいるんだ!

 しかしそこで彼は言葉を止めると、「もう、ずいぶん経つけど」と自信なさげにこぼした。

 それでも僕は身を乗り出した。

「じゃ、さっきの質問は? どんな意味なんですか?」

 途端、彼の口調が曖昧になった。

「いやだから、えーっと、喧嘩してないかとか、うまくやってるのかってことだよ」

 うまくって、どうして。

「なぜあなたがそんなことを? もしかしてバンドのことを言ってるんですか?」

「いや僕、ロックとかは苦手……」

 しどろもどろに言われ、警戒心がよぎる。

 なんか胡散臭い。一瞬、信じちゃったけど、あんまり鵜呑みにしないほうがいいかも。

「……今日はありがとうございました」

 ちょっとガッカリしつつ頭を下げてドアノブに手をかけると、彼はどこかもどかしそうな表情で付け足した。

「べ、別に喧嘩してないならいいんだ。ちょっと心配だっただけだから」

 喧嘩? 

 僕はドアを開けながら銀メッシュの男を見た。

「喧嘩って、あの二人がですか?」

 彼は僕を見て困ったように苦笑した。

「うん。でもいいや。ごめんね、仕事中に」

 さ、行ってと手を振られ、僕は少し引っかかりながらもドアを閉め、裏口の扉へと急いだ。



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