誕生パーティー
「で、どうしてこうなっちゃったんですか?」
翌週の土曜日。
横浜に格式を誇る老舗ホテルの二階、きらびやかなシャンデリアが照らす中ホールで、本日の主役を囲む数人の男女を眺めた僕は、立食のテーブルに小皿を戻しながら隣の祐さんを見上げた。
パーティーはまだ序盤で、周囲の人だかりは立食のテーブルに盛り付けられた様々な料理を堪能している最中だ。
グラスを傾ける祐さんは、きちんとなでつけた黒髪が、鋭角的な顔立ちにいつもよりノーブルな印象を与え、黒いタキシードがこの上なく似合っている。
彼はチラッとフロア中央に目線を投げると、すぐにまたグラスに目を戻して口元に笑みを浮かべた。
「まあ、防犯と牽制、あとは伯父たちのリクエストに対するサービスだな」
「サービス……」
アレは果たしてサービスになるのだろうか。
首を傾げていると、祐さんが僕の肩を軽く叩いた。
「お呼びだ。戻るぞ」
「はあ……」
促された先には、客と談笑する本日の主役と、隣でこちらを手招く総司さんの姿がある。僕は足を踏み出しながら、彼の左右に立つ美女二人を見やった。
左に立つ、紫の和服を着た美女はまだわかる。着物姿は非常に珍しいが、女流画家、小倉蒼雅の名でも知られる人なのだから、この姿に否やはないし、僕もパートナーとして嬉しかったりする。
モンダイは右隣の美女だ。
襟足に後れ毛を残してふんわりとアップされた金茶色の髪(これはカラースプレーだ)。
ワインレッドのレースが首まで覆うハイネックドレス。
ハリウッド女優も顔負けのゴージャスな姿は、あの日の夜、有坂ビルのカジノ会場で人々の視線を釘付けにした美女――僕の『お母さん』に扮した拓巳くんである。
これをリクエストしたという総司さんがイマイチわからない。
とはいえ、そこにはあの日の話を漏れ聞いた玲さんが『総司兄さんばっかりズルい』と詰め寄り、困った彼が祐さんに相談してきたという経緯があるそうなので、ソコはさっ引かねばならない。そしてこちら側にも『報道に名の上がった財閥当主のそばにメンバーが揃った姿を晒すのは危険では』という警戒心があったため、祐さんに提案された真嶋さんが許可を出したというわけだ。しかし。
「祐さん。かえって注目を浴びてませんか」
周囲には『上玉の美女とお近づきになりたいけれど、主役や当主に遠慮があるので近づけない』といった顔をした男性客が、ジリジリと距離を詰めるようにして取り巻いている。しかしゆったりとした歩調で進む祐さんは、周囲をチラッと見やると口の端で笑った。
「いい。想定内だ」
祐さんに許可を出した真嶋さんに言わせると、『株や相続についてしつこく聞いてくる輩の牽制になるので恩返しにちょうどいい』のだそうな。
確かに、超絶かつ無表情の美女を従えているせいか、その手の質問で総司さんを煩わす相手はまだいないようだ。
彼らのそばに戻ると、こちらに気がついた玲さんが客の男性との会話を手で止めた。
「ようやく来たわね。もう、祐くんたら。和巳くんを誘ってお食事のテーブルに行ったきり、ちっとも戻ってきてくれないんだもの」
華やかな巻き髪に縁取られた顔が、どこか少女めいた表情で紅い唇を尖らせる。
「どうせつかまるとやっかいだから、食事を名目にして逃げたんでしょ」
祐さんは悪びれずに答えた。
「そんなところです」
ま、正直ねと玲さんは笑った。
「あなたは和巳くんと一緒で気楽なんでしょうけど、この人たちがヘソを曲げちゃうのよ」
美女二人を示され、僕は恐縮して頭を下げた。
「申し訳ありません」
「あら、和巳くんのせいじゃないわ。さ、こちらにいらっしゃいな。せっかくのバラが今にも花弁を閉じそうなの」
言いながら玲さんは僕の背中を総司さんの右側に向けて軽く押し出した。見ればなるほど、左側の和装美女のほうはまだ凛とした佇まいを保っているが、こちらのアイスビューティーはまったくの無表情――つまり仏頂面だ。
「ごめんなさい。たっ……えっとあの、お母さん?」
表現がなんとも苦しい。が、設定が『昔、お父さんと離婚して、海外で仕事するスーパーモデル』なので仕方ない。
そんな矛盾だらけの小学校保護者用設定使って、あとでバレたらどうするんだと思いきや、『上流階級の人間は、祐司の音楽活動には詳しくないから大丈夫』なのだという。
僕が声をかけると、目の前の美女が鋭くなっていた切れ長の目尻を和らげ、ふわりと口元をほころばせた。途端、辺りに光の花びらのようなものが飛び散り、周囲から感嘆の気配が立ちのぼった。
素性よりも表情のほうが大事らしい。
薄めに整った紅い唇が動いた。
「食事は?」
「はい、美味しかったです。あとでた…、お母さんも行きましょう」
美女が頷き、寄り添うようにして立つ。言葉が少ないのはボロを出さないための俊くんの指導だ。
「まあぁ……ホントに仲がよろしいのねぇ。親子だなんて信じられないわ。お姉様の間違いじゃないかしら」
周囲から賛同の気配が吹き上がる。
このヒトも、わかっていてこの演技。ある意味スゴいな。
「これほど綺麗な方が親では、あなたに恋する人は大変ね」
付け足された言葉に苦笑いで応えると、総司さんが玲さんを遮った。
「玲。煽ってくれるな。た、…ティナの機嫌が直っても、今度は蒼雅さんが気を悪くするよ」
ティナってダレ。
とは聞かずともわかる。どうやら拓巳くんは総司さんによって今夜一晩、スーパーモデル『ティナ』にされたらしい。
総司さんが苦笑する隣では、俊くんもとい女流画家、小倉蒼雅が、華やかなメイクの目尻をピクリと引きつらせながら微笑んでいる。僕は内心で冷や汗をかきつつ祐さんに助けを求めた。
「母をエスコートしてはいただけませんか」
「承知した」
祐さんがスッと回り込み、眉根を寄せて見上げる拓巳くんの背後に立つ。すると一見、ゴージャスな長身の美男美女カップルのようになった。
――拓巳くんと俊くんがぶつかりそうになったときは、祐さんが拓巳くんを担当する。
今日の出席コンセプトを説明された際、僕が祐さんに出した要望だ。
彼は心得たように拓巳くんの手を僕の背中からすくい取り、腰に手を添えて引き離した。
「向こうのテーブルにおまえの好物があるぞ」
柔らかい口調で誘われた拓巳くんが、しばし考えたのちに小さく頷く。
祐さんが相手だと、拓巳くんもあんまり抵抗しないんだよなぁ……。
僕は祐さんに会釈し、俊くんの隣に移動した。横顔を覗くと、こちらを横目で見るアーモンド型の目が、溜飲を下げたように目尻を和らげている。
やれやれと胸を撫で下ろしていると、一連のやり取りに目を奪われていた様子の男性客が、玲さんに向かって質問した。
「玲さん。そちらの方々をそろそろ紹介してはくださいませんか。どうもその、右側の方は総司会長のお連れ様というより、祐司さん意中の女性のように見受けられるのですが。息子さんともかなり親しいご様子ですし。もしかして……」
語尾を濁しながらも目が語っている。もしかして祐司さんと深い仲の人なのかと。
周囲の意識もこちらに集中している感じがして、にわかに落ち着かない気分でいると、玲さんが入念に化粧を施した顔に笑顔を作って言った。
「ティナと息子の和巳さんはね。祐司さんにとって特別な存在なの」
言った途端、今度はざわめきが起きる。どうやらフロアの客たちはみな気にしていたようだ。
あの。あんまり盛られても困るんですが……。
僕の焦りなどどこ吹く風で玲さんが続けた。
「そしてこちらの蒼雅さんは和巳さんのフィアンセよ」
目を見張った男性客が声を上ずらせた。
「で、ではその、そちらの皆さんはいずれ井ノ上家に関わる可能性があると」
玲さんは謎めいた笑みを浮かべた。
「さあ? 祐司さんは大人ですもの。叔母とはいえこちらからは聞けないわ。ただ、長く付き合ってきたからわかるの。彼ら、特にこの和巳さんを祐司さんが特別に思っていることはね」
あれ? ティナじゃないの?
話がだんだん見えなくなってきたぞと首を傾げていると、ふいに後ろから声がかかった。
「総司さん。あなたもそう認識していると受け取ってよろしいのですね?」
少し掠れた、でもどこか力のある女性の声だ。
「あらまあ」
玲さんが目を見張ってくるりと体を返す。つられて振り返ると、いつの間にそばまで来ていたのか、三歩先には着物姿の老婦人が数人の男女を従えるようにして立っていた。
玲さんは彼らに目線を向けたあと、中心に立つやや小柄な老婦人に会釈した。
「ようこそお母様。鎌倉からお出ましになられるなんて珍しいこと」
途端、周囲の貴顕淑女からどよめきが上がった。
お母様ということは前会長夫人、祐さんのお祖母さんか。
そう思って見ればなるほど、皺の刻まれた面には、玲さんと共通する華やかさが覗える。
しかし青鈍色の地に小花模様をあしらった着物に半白の髪を乱れなく結い上げた姿は、ゴージャスな濃緑のサテンドレスを着こなした玲さんとはずいぶん雰囲気が違う。その印象が間違ってないことは次の一言で証明された。
「こうも身辺が騒がしくては仕方ありません。本来ならこんなハデな催しはごめん被りたいですからね」
眉をひそめて言い切られ、玲さんは若干、鼻白んだ。
つ、強そうな奥さまだな……。
内心で怯んでいると、彼女はつかつかと総司さんの前に歩み寄った。
「まったく。あなたがいつまでもしゃっきりしないから、皆がわたくしなどを引き出すのですよ」
「申し訳ありません」
総司さんが苦笑ぎみに頭を下げる。どうやら彼女の説教口調には慣れているらしい。
夫人はついと一歩横にずれると、四十センチは差がありそうな祐さんを見上げた。
「祐司。元気そうでなによりです。鎌倉にももう少し頻繁に顔を出しなさい。お祖父様が化けて出ますよ」
祐さんは少し頭を屈めると、総司さん同様に苦笑しながら挨拶した。
「豊子さんもお元気そうだ。近々寄らせてもらいます」
その柔らかい声を聞き、意外にも祐さんがこのキツそうな祖母を大切にしているのだと悟った。
ただ気の強い人じゃないのかな。
ちょっと興味を引かれて二人を横から眺めていると、夫人が祐さんの隣に立つ拓巳くんを見た。
「―――」
その目が一瞬、見開かれる。
しかしさすがは鎌倉に名を轟かす一族の重鎮、老いたりといえども肝の据わり方が違うようで、しばし目を瞬かせると、クッと背筋を伸ばして祐さんに顔を戻した。
「祐司。……こちらはあなたが同伴した方ですか」
「そうです」
祐さんが答えると、夫人の後ろから男性の声が割り込んだ。
「祐司君。その女性はどうやら既婚者のようだが、まさか妻に迎えるつもりだなどとは言わないだろうな?」
七十歳は越えているだろうか。やや前のめりに立つのはどこか不健康そうな初老の男性だ。そのくせ拓巳くんをチラ見する目つきには品がない。
「あら、武文叔父様」
玲さんが大袈裟な笑みを浮かべて夫人の傍らに立った男性に向き直った。
「お相手が離婚経験者だと、祐司さんは結婚してはいけませんの?」
まるでどこかの王族のようねと微笑まれ、男性は顎を引いた。
「そこはだな。井ノ上本家の体裁として」
「本家の体裁まで叔父様に気遣っていただかなくても結構よ。それに彼女の素性をお疑いなら安心してくださいな。私が保証しますから。財産目当てに擦り寄ってくる輩とは違って、祐司さんとの信頼関係は深いの。昔、彼女が遠出していた間、息子の和巳さんは祐司さんと母親の陽子さんが育てていたんですのよ」
言った途端、どよめきが上がり、今度はなかなか収まらない。僕は内心で頭を抱えたくなった。
た、確かにウソじゃないけど、盛りすぎでしょ!
見れば今の一言で武文なる老人は顔色を変え、横に顔を向けている。そこには老人に似た面立ちの青年と若い女性が二人いて、みな一様に驚き、或いは顔を強張らせていた。
《和巳くんへ――今日はちょっとした手を使って、一族のうるさいヒトたちを黙らせたいの。申し訳ないけれど祐くんのためだから我慢して合わせてね☆》
招待状に添えられていた玲さんのメッセージだ。
真嶋さんが許可を出したと聞き、てっきり先日の報道に関することで、祐さんがこれ以上、煩わされないために何か手を打つのだと思っていたのだが。
これじゃ祐さんのお相手披露大会になってない? ホントにこのまま合わせてて大丈夫なの?
さすがに不安を覚えて横を見ると、俊くんも眉根を寄せて(どうも様子がおかしいな)とこちらを見ている。しかし今更『そのヒト、母じゃありません。父です』などと明かすわけにもいかない。
しかも今、みんなが僕に注目しているのはソコじゃなくて、『祐さんが育てた』ってところみたいだぞ……。
その予想は当り、武文氏に似た青年が僕を指差して言った。
「で、では、彼は後々には祐司さんの義理の息子さんということになるんですか?」
ならないから。
しかしどう伝えたものかあぐねているうちに、息を飲む音とともに女性の声が上がった。
「あ、じゃあ今日、お父様が私たちに紹介したいというのは……」
淡いブルーのレースを重ねたドレスの女性が口元に手を当て、ライトイエローのドレスの女性が勢い込む。
「祐司兄さまのお相手とそのご家族のことだったの?」
そうして二人は祐さんの隣に寄り添う(ように見えている)拓巳くんに目線を移し、すぐにサッと逸らして瞬きした。
さすが上流。瞬きのみで己を律したようだ。
いや感心している場合じゃない。このままじゃなんだか話がヘンな方向に行きそうだ。
総司さんに疑問の眼差しを向けると、彼は「おお、そうだ」と僕をスルーして女性たちに向き直った。
「澪奈、沙羅。こちらに来なさい」
口を挟む暇もなく総司さんが二人を手招き、彼女たちが前に進み出る。すると総司さんは二人を自分の脇に止め、先に豊子夫人を僕の前に導いた。
「お母さん。改めてご紹介しましょう。こちらは高橋和巳君。玲の話にあった通り、陽子さんが一度は引き取ろうとした子です」
「陽子さんが」
こちらを見上げる眼差しに意外そうな色が浮かぶ。
仕方がない。もう少し様子を窺おう。
「初めまして」
腹をくくって会釈し、目を合わせると、夫人はじっと見つめ返してから目を細めた。
「なかなか良い目をしていますね。気に入りました」
軽いざわめきが起き、再び視線が集中する。
まさかこの奥さまも共演者。
でなかったら何かの罰ゲームかと疑い始めていると、総司さんが淡いブルーのドレスの女性を僕に示した。
「こちらが私の長女の澪奈」
艶やかな黒髪を片側でまとめ、ドレスに合わせたブルーのコサージュで飾った女性が「初めまして」と会釈する。上品かつ清楚な雰囲気は玉枝夫人によく似ている。
「そしてこちらが次女の沙羅。おまえたち、彼は祐司が懇意にしている息子さんだ。仲良くしてやってくれ」
「はい、お父様」
「よろしくね、和巳君」
上品に受け答える澪奈に対し、玲さんに似た華やかな容姿の沙羅は、栗色の巻き髪を揺らして明るく答えた。
「こちらこそよろしくお願いします」
営業スマイルで挨拶を返すと、横に並び立つ男が何か言いたそうな素振りで僕を見た。それに気づいた総司さんが彼を手で示した。
「そちらは井ノ上史昭君。こちらにおられる私の叔父、武文さんの次男で私の従弟にあたる」
従弟といいながらも祐さんと同世代と見えるのは、亡き前会長、寛文氏と武文氏の年が離れているからだろう。
僕が会釈すると、父親の武文氏が再び割り込んできた。
「総司君。忘れちゃ困る。史昭は澪奈の婚約者じゃないか」
あ、そうなんだと目を見張ると、史昭は笑みを浮かべた。どうやら先ほどはそれを言いたかったらしい。
武文氏は次に拓巳くんを横目で見た。
「それにさっきから息子ばかり紹介しているのはどうしたことかね。まずは母親を紹介したまえ」
やや小太りの面にギラつくような欲望が透けて見える。
うわ。このおじさん、上流のくせに品がない。これじゃ拓巳くんが。
案の定、ジリッと近寄られた拓巳くんは、彼に氷のような目線を投げると、無言で祐さんを振り仰ぎ、次いでクルッと身を翻して歩き出した。
その心は『これ以上はやってらんねー』だ。
「おい、君!」
慌てる武文氏の声を無視した拓巳くんは、立食テーブルの並ぶフロアを突っ切り、出入り口に立つ係の青年にドアを開けさせて出ていった。優雅な後ろ姿がドア係に見送られて向こう側に消えるまで僅か一分余り。口を挟む余地もない見事なモデルウォークであった。
「な、なんだね。あの態度は!」
一瞬、見とれてしまったらしい武文氏がハッとして声を荒らげると、ため息混じりの玲さんの声が被った。
「あーあ。絶世の美女を間近に堪能するまたとない機会だったのに。叔父様ったらバカね」
心底呆れたように言われ、武文氏は玲さんに噛みついた。
「言葉を慎まんか。無礼なのは向こうだろう! なんなのだ、あの女は!」
「彼女はね。自由人なの。誰の支配も受け付けないの。だから聞いても仕方ないのよ」
なるほど、ウソではない。
内心で頷いていると、玲さんが僕の脇に立って肩に手を添えた。
「祐司さんから頼まれて、和巳さんのためだけに今日、姿を見せてくれたのよ。そんなこと、少しでも聡い人ならすぐに見抜くわ。だから誰も、兄さんですらこちらから話しかけるのは控えていたのに。叔父様が物欲しそうな顔で余計なことを言うから帰っちゃったじゃないの」
残念だわとため息をつかれ、武文氏は茹でタコになった。
「だ、誰が物欲しそうだと」
「あら、見え見えでしたわよ」
「……っ」
玲さんにやり込められた武文氏は、誤魔化すように祐さんを向いた。
「祐司君。不愉快だな。君はあんな女を妻に迎えるつもりかね。私は反対だぞ」
すると今度は祐さんの正面やや低い位置から富子夫人の叱責が飛んだ。
「お黙りなさい、武文さん。それはあなたの口出しするところではありませんよ」
「いや、しかし……っ」
武文氏はなおも食い下がろうとしたが、富子夫人からキッと睨まれると不満げながらも口を閉じた。
「祐司。外野を気にする必要はありません。あなたはあの女性を迎えたいのですか?」
改めて正面から問われ、座が一瞬にして静まる。祐さんは富子夫人に目線を合わせると、苦笑して言った。
「あれを妻に迎えるつもりはありません。人の妻に納まるような者ではありませんから」
っていうか、そもそも実在しませんから。
はっきりとした否定に周囲がざわめきながらチラチラとこちらを見る。内心でやれやれと息を吐いていると、富子夫人が再度祐さんに確認した。
「では結婚の予定はないと」
「ええ」
祐さんが頷き、夫人が少し曇った顔になる。すると横から玲さんが夫人にこう言った。
「けれど和巳さんを養子にもらいたくて、前に父親とは話をつけてるのよ」
――は?
驚いて祐さんを見ると、彼は虚を突かれた顔で玲さんを見ていた。即ち『なぜそれを知っているのか』と。
ええーっ! それ、ホントの話なの!
慌てて隣を見ると、俊くんは「聞いてない」とばかりに首を横に振っている。
再び周囲が騒然となる中、武文氏が声を上げた。
「養子だと?」
「そうなのですか、玲」
富子夫人も訝しげに訊ねる。玲さんはどこか誇らしげに説明した。
「言いましたでしょ、さっき。和巳さんは祐司さんが育てたと。祐司さんは和巳さんを手放したくなくて父親と交渉したの。それで父親共々ならいいって返事をもらったのよ。つまり祐司さんはもうとっくに子持ちっていうわけ」
瞬間、周囲から再びどよめきが上がり、富子夫人の目が輝いた。
その異様な興奮を浴びながら、僕は俊くんと顔を見合わせた……。