砂上の白鷺
まとわりつくような熱気をむさぼるように、私は愛しいマーシャの汗ばんだ首筋に口づけをする。マーシャは喉のふたを閉めているような押し殺した笑い声をあげ、挑発するような調子でくすぐったいわとつぶやいた。私は彼女の腰へと手を伸ばし、なだらかなくびれに沿って指を這わせる。マーシャが甘い吐息を吐きながら体をくねらし、私たちを乗せたハンモックがかすかに揺れる。開け放たれた窓から白色の昼の日差しが、また湿気と磯の香りを含んだ海風が、仄暗い室内へと入ってきていた。
なあ、マーシャ、砂漠に住んでいる白鷺の話を知ってるかい。マーシャは私の右肩にうずめていた小さな顔を上げ、うるんだ瞳をうっすらと細めて見せた。バカねぇ。白鷺は水辺に棲んでいるのよ。砂漠に住んでるわけないじゃない。そうじゃないんだ。いるんだよ、砂漠にも。白鷺が。私は人差し指で、彼女の目にかかった井戸の底のように暗い色をした前髪をそっと払ってやる。汗からか湿気からか、その前髪はしっとりと濡れていた。
バトリアの港から東へ四、五日ほど歩いたところに、海と同じくらいに広い砂漠があるんだ。この町から出たことのないお前は知らないだろうが、俺たち商人でその砂漠を知らない者はいない。そこでは太陽が慈悲を忘れ、地面を覆いつくす砂はすべてを飲み込もうと外へ外へとその領域を押し広げている。旅人の喉はファギアナの炎獄のように燃え渇き、彼が試練に屈し、熱い砂の中に膝をうずめる瞬間を隻眼のハゲタカが高い空から待ち望んでいる。そこでは生命の息吹などない。それと比べれば、お前が憂鬱気に過ごす十月の大乾季なんて、うっそうと茂ったジャングルの腐葉土のみたいなものだ。
私、ここに住んでから十年たつけど、そんな砂漠のことなんて聞いたことないわ。マーシャは彼女の細い人差し指の背で私の顎をなぞった。ここ数日髭剃りをやっておらず、針のように固い顎髭が彼女のやわらかい肌を傷つけやしまいかと心配になる。しかし、マーシャは私を安心させるように微笑み、指をあごの先端まで這わせると、ふっと指を離し、そのまま羽のように軽い挙動でハンモックから降りた。
それで、白鷺の話は? マーシャは一糸まとわぬ姿のままキッチンでと歩いていく。太陽に愛された彼女の褐色の肌は薄暗い部屋でも明瞭にわかるほどに美しく、透き通っていた。私は一人分スペースの空いたハンモックの中で体をより動かし、網と網の間に残った彼女のプルメリアの香水の香りを吸い込んだ。
そんな地獄のような砂漠にだ、はるか昔から一匹の白鷺が住んでいるんだ。砂漠には似つかわしくない純白の羽毛を持ち、細い足で優雅に砂丘を闊歩しているらしい。私は見たことがないが、同業の仲間でそいつの姿を見たやつがいる。噂通りの姿かたちだったと興奮交じりに教えてくれたよ。ほら、お前も知っているやつだ。マルギリ? いや、そいつじゃない。あばた面のミルコだ。私その人知らないわ。そうだったか。お前にも話したような気がするんだが。
まあいい。それよりも白鷺の話だ。その白鷺はな、月光が姿を潜めた新月の夜に現れるらしい。やつを見ることができた人間は幸運だ。少なくとも数年はそのことを仲間に自慢できる。紫がかった闇夜の空と黄色みがかった灰色との間に、この世のものとは思えない白い光が浮かび上がるようなんだと。ミルコがそう言っていたよ。あの砂漠を通ることはあまりないが、いつか見てみたいと思っているよ。
それだけ? マーシャはキッチンに置いてあったピッチャーから自分のコップに水を注ぎ、おいしそうにそれを飲み干した。生ぬるい液体が彼女の細い首の中を通り過ぎる音が、外から聞こえてくる羽虫の羽音に混じって聞こえてきたような気がした。ただ珍しいだけなの? 例えば、それを見たものに災厄が訪れるとか、幸運な未来を告げるだとかっていう言い伝えはないの? 言い伝え? そんなものはない。あの白鷺は、言い伝えなんていう我々のくだらない論理とは別の世界に住んでいる存在なんだ。よくわからないわ。わからなくてもいい。これは命を賭して砂漠を渡ろうとする商人だけにしかわからない感覚だ。あの白鷺は人間の概念なんかで捉えることができない、そんな存在なんだ。
マーシャは適当な相槌を打ちながら、再びハンモックの中へと入り込んできた。彼女は甘え盛りの子猫のように自分の顔を私の顔に近づけ、鼻先と鼻先をこすり合わせる。それからじらすかのようにゆっくりと時間をかけ、柔らかく膨らんだ唇と唇を重ねせた。愛しい彼女の唇は、よく熟れたルクマの果肉ように潤沢な水分を含んでいた。私はマーシャの身体を抱き寄せ、そのまま昼下がりのまどろみに身を任せた。ここには見当たす限りの砂の海も、神秘的な白鷺も存在しなかった。私はそっと目を閉じる。孤独を忘れさせてくれる部屋の中に、湿気を含んだ一陣の風が吹き込んだ。