ライバル宣言、なのか?
「ああ、優吾の恋人君か。初めましてじゃん。まず挨拶からして欲しかったわ」
私のこの言葉もなんか違う気がするが、まあそれはどうでもいいか。
『ぼ、僕から優吾さんを奪おうとしている女なんかと、仲良く談笑するつもりなんてないっ。僕は、あなたたちの婚約は認めてないんだからっ』
「認めるも何も、第三者である西園さんには、私と狛百合との契約や婚約にも介入できる立場にないでしょ?」
これは正しく書類上の契約であって、私に邪な気持ちは梅干し程度にしか持っていない。
『そ、そんなの。あなただって僕と優吾さんの関係にとやかく口出しできる立場じゃないくせにっ』
「うん。そうね。そもそも、優吾と君の関係に口出すつもりは、アリの眉間ほども持ち合わせてないよ? むしろ、好きにすればいいよ。よかったら、優吾をそっちの家に引き取ってもらってもかまわないよ? 私は籍を貸すだけだし」
それが事実だ。優吾とその恋人に関して一切干渉しないと言う契約がある。契約がなくても興味ないんだがな。
『ば、バカにしてるんですかっ! 誰が、そんな都合のいいことに納得するんですかっ! どうせ、条件を飲んだふりして、僕から優吾さんを奪うつもりなんでしょっ! 分かってるんだっ!』
「君も分からんやつだな。てか、君は優吾から契約内容について説明してもらってないのかい?」
『全部聞いてますっ! だから余計に信じられないんじゃないですかっ!』
「あーーだよねぇ。それが普通の反応だよねぇ」
私もたいがい自分の物差しで物事を見ていたが、そうだよ。普通に考えれば、私と優吾の契約自体がおかしな内容なんだということを、私はうっかり失念していたわ。
私本人だって、聞かされた当初は優吾をぶん殴ってやろうとしてたはずなのに。
「あのねぇ西園さん。確かにおかしな内容の契約だけど、私と優吾、それに狛百合の当主がOK出してるのね。その時点で契約成立しちゃってるわけ。契約内容はいろいろ伏せられてはいるけど、どうにかしちゃったらしいのね。当主様が」
これに関しては、奏さんの助言のもと、狛百合のご当主、雅臣さんが早急に手を打ったらしい。私を逃がさないための処置だとか。まあとにかく会社の契約みたいなものだ。
むしろ捕まったのは私のほうじゃないかと問いたいくらいだし。
「結婚や婚約に関しては、私じゃもうどうこうできるレベルじゃない感じで処理されてるから、それに関しては諦めてもらうよりない。だけど、だからこそ契約内容は信じていいってことだよ。私は優吾と君のことには一切干渉しない。好きにしていい」
逆に言えばだ。狛百合家からしてみれば、これは寛大過ぎる処置と言える。
本来なら、優吾の恋人に関しては完璧なまでの隠蔽処理をするだろう。なにしろ、本家の次期当主がホモですなんて、スキャンダルなんてもんじゃないはずだ。
優吾と西園君を別れさせるだけじゃすまない。多分だが、優吾が前にチラッと言った通り、ゴシップネタになりそうな情報はすべて隠されるか、あるいは消されるだろうね。西園君のご家族、血縁関係全てに手が回され、犯罪ギリギリの手でもって抑え込みにかかるだろう。完璧なまでの隠蔽工作と言うのは、そう言う意味でだ。
要さんが射撃が得意。と言うのも、私の中ではいい判断材料である。
犯罪ギリギリとは言っても、相手は政界にさえ顔の知れ渡る名家だ。犯罪に少しかすった程度では、多分警察さえ目をつぶってしまうんじゃなかろうか。
そんなちょっと現実離れした考えさえ私の頭をよぎる。
いや、実際どこまでやるのかは、怖いのであえて聞かないが。
「そもそも、君だって狛百合が名家ってことを知ってるなら、優吾との関係を本家の人間がどう思うかは分かってるはずでしょ?」
私がそう問えば、西園君は黙った。だが――。
『分かってます。僕たちが許されない関係だって、分かってるけど、でもそれは僕たちが乗り越えなければいけない壁なんですっ! それなのに、本家の言いなりになってる優吾さんに腹が立ちました! だってそうでしょっ!? 家を捨てる覚悟があれば、何も怖くなんてないはずなんです! 僕だって側にいるっ!』
「あーうん。君の言ってることは理解できる。出来るんだけどもね――」
『あなたに理解できるとは思えませんっ。自分の利益しか考えてないようなあなたに、僕のことなんて分かるはずないっ!』
そうですか。そりゃすみませんね。自分の欲に忠実で。
『どうせ、優吾さんが結婚を決めたのだって、彼の母親やあなたのような人が彼を責めたからに決まってるっ! 優吾さんは責任感のある人だから、それに付け込んだのはあなたたちだっ!』
どんどんヒートアップしてくる西園君に、私は一先ず最後まで付き合う義理はあるだろうかと悩んでしまうが、まあ聞くだけ聞いておいたほうがいいのかと、彼の言葉をだまって耳に入れることにする。
今後一切役に立ちそうにもないんだが。
『今の優吾さんは、責任と家族を切り捨てられない優しさの狭間で傷ついているんだっ。あなたなんかと結婚したら、優吾さんはますます苦しむことになるっ! 僕は愛する彼にそんな辛い思いはさせたくない!』
あれだ。確かに西園君が言ってることは間違いでもないだろ。優吾が悩んでいたのは本当だろうし、西園君と一緒になれないことを非常に苦悩していたと思う。
だけど、一つ言わせてもらえるならば、西園君に言いたいことがある。
『一族の責任だとか、当主になる運命とか、そんなの昔の人が決めたことで、今の優吾さんには関係ないし、彼は当主になることなんて望んでないのに、継げる人が優吾さんしかいないからって、彼に全部押し付けるなんて、そんなの最低ですっ! 彼が逃げ出したって誰も責められないはずだっ!』
西園君は言いたいことを言ったらしく、受話器の向こうで息を吐き出している音が私の耳に届く。
そして、一拍置くと。
『僕が間違っていたら言ってみてくださいっ』
自信ありげに聞こえる西園君の声に、私は少し呆れてしまう。自分の言葉に間違いがないことを確信しているからこその自信だろう。
きっと私が何も言わないのは、反論ができないからだと思っているのかもしれない。
まあ、反論する気はないのだけどもね。
ただ一つ言わせてもらうなら――。
「君いくつだっけ?」
『は? 二十一ですけど……』
「わけぇなぁ。うらやましい」
私も二十代に戻りたいわぁ。
「だけど、無知で盲目的だね」
『は?』
「答えが一つしかないと思ってる」
『なにがですか?』
「いや、君と分かり合える日は来ないだろうなぁって話。私が言いたいのは、優吾は決して他人に流されるような奴じゃないってことだよ。君のほうが知ってるんじゃないの? 彼は自分で考えて決める人だ。その彼が、人に理解されなくとも、もっともよいと思う方法を思いつき、それを両親に納得させ、私に協力させることができたのは、彼の努力によるところが大きいと、私は思うよ」
私が見た限り、優吾は自分の不自由さを嘆き悲しんでいる風ではない。
少なくとも、自分の生活や自由の意味を、自分でしっかり受け止めているように思えるのだ。
だからこそ、彼は次期当主になることを望み、血を絶やさない努力をしようとしている。
子供っぽいわがままで恋人と別れたくないとは言っても、それが可能になる環境を作れるなら、優吾は大したもんだろう。
優吾に協力してくれる周囲の理解にも、優吾は助けられているはずだ。
だからこそ、優吾は私に『家族として愛する』と言ったと思う。
決して、西園君が言う、優しいから流されたとか、言いくるめられたとか、家のしきたりに嫌々従うとか、そう言うことではないと、私は感じた。
「君の言うことが間違っているとは言わない。ただ、それが全てでもないと言うことだよ。生まれた環境や育った環境で、人の考え方なんて変わるものなんだよ。君のようにまるで正しいことは一つしかないように考えていたら、正直疲れちゃわないかい?」
と言う私の言葉に、西園君は『疲れませんっ』と語尾を強めた。
『正しいことは常に一つですっ。正しいことを貫けないなら、それは逃げとか妥協ですっ。僕は、絶対に逃げたりしないっ』
さいですか。面倒くせぇなこいつ。
てかそれを言ったら、正しいことの基準をどこに置くかで、その答えさえズレるもんじゃないのかね?
最たるものは戦争だ。人を殺すことは罪になる。つまり間違ったことだ。だと言うのに、戦争になれば、大義名分を掲げて人を簡単に殺す。
それは正しいことと言えるのか? もちろん答えは否だ。
どれだけ偉そうなことをほざいたところで、人殺しはただの人殺しにしか過ぎない。
だが戦争中は、敵を殺せない兵士こそ悪人なのだ。
その状況において、正しいことは変わってしまうことが多い。この世に絶対的に正しいことは極めて少ないと言えるんじゃないのか?
なんてことを彼に言い聞かせても仕方ないので、私は一先ず自分の考えは丸っと脳内だけで終わらせて、言葉の変わりにため息を一つ吐き出した。
「そうかい。まあ頑張って戦ってくれたまえ」
なにと戦うのかは知らないが。もうなんか西園君って面倒くさい。
『て、適当にあしらおうとしないでくださいっ! 』
えー。だって面倒くさい。
「はいはい。きいてますよー。ちゃんと」
『本当に、あなたって人は最低ですっ! 僕、決めましたっ。必ず優吾さんの目を覚まさせて見せますっ! あなたのような酷い人に、優吾さんは絶対に渡さないっ!!』
「うん。がんばれ」
『もっ、うっ、バカっ!』
と言う捨て台詞とともに、ぶつんと通話が切れた。
受話器からは『ツー・ツー・ツー』と言う無機質な電子音が流れる。
「拗ねちゃったかな?」
なんて、私はふっと息を吐き出して電話に受話器を戻していれば、リビングのドアが開き要さんと優吾が入って来るところが見えた。
「要さんお帰りなさい」
「はい。ただいま戻りました」
要さんは両手に大きな買い物袋をぶら下げて、軽く私に頭を下げて見せると「夕食の支度をはじめます」と言って、キッチンへと消えていく。
「のど乾いちゃったから飲み物取りに来たんだけど、春乃の部屋に小さい冷蔵庫入れようよ。飲み物をいちいち取りに来るの面倒くさい」
要さんを見送ったあと、次いで優吾が側まで来てそう言ったから、私は顔を優吾に向けて「冷蔵庫かぁ」と一瞬は悩んでみるも。
「確かにあったら便利かもねぇ」
個人的にも需要があるし置くべきだなと、すぐに結論が出る。
「でしょ? 明日見に行こうよ。ところで電話は誰だったの?」
そう言うと、優吾は柔らかい顔で笑って見せるが。
「んー? ああ、西園圭介って人から」
「西園……はあっ!? 圭介からっ!? えっ!? なんで電話切っちゃったのっ!?」
私がその名前を口にした途端、面白いくらいに優吾は動揺して慌てふためいていた。今のはちょっと写メりたかったレベルだったわ。
「向こうが勝手に切った。私バカって言われたし」
私が煽ったんじゃないかと言う突っ込みは聞こえません。
「圭介に何言ったの?」
優吾は私の物言いに、呆れたような溜息を吐き出して仕方なさそうに聞いて来るが、別に私は彼を馬鹿にするようなことは言ってないつもりだ。
それどころか、契約内容は正しいですよと念押ししてやったくらいだと言うのに。
「知らん。西園君に聞けばいいじゃないか。私なんて、彼に野心と欲望に忠実な最低女と思われてるっぽいから、優吾には西園君と話した内容は教えてあげません」
「えぇ? なんでそんなことになってるの?」
そう言っていぶかる優吾だが、そんなの私が聞きたいんじゃボケ。
「要さーん。冷蔵庫に何か飲み物は入ってましたっけぇ?」
もう話はここまでと、私は切るように優吾に背を向けると、キッチンに居る要さんへと声をかける。お茶とスポーツドリンクは入れてあった気がするんだが。
すると、要さんはキッチンからさっと移動して私の側まで来て足を止めた。
「はい、春乃様。緑茶とスポーツドリンク、あとはウーロン茶とコーラ、リンゴジュースとグレープジュースを買い足しておきましたが、どちらをお持ちいたしましょうか?」
さすが大型冷蔵庫、予想以上になんかいっぱい入ってるし。
「私は緑茶がいいわ。優吾は?」
「ん? ああ、僕はグレープジュース」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」
要さんはそう言って軽く頭を下げて見せると、すぐさまキッチンへと踵を返した。ここで自分で取りますと言えないのは、要さんがキッチンに居る時に中に入ろうものなら、有無を言わさずに追い出させてしまうからだ。
彼がいないときなら問題はないが、まず居ない時がほぼ無いので、私はここ一週間ほどキッチンに立ったことがない。
まあいいんだけどさ。
私が自分の個人ルームへと戻るためにリビングを後にすれば、私のすぐ後に優吾もついてきて、結局彼は私の個人ルームに一緒に戻ってくる感じになった。
テレビ画面に目を向ければ、一時停止状態のゲーム画面が映っている。まだやられずに続けていたようだ。みたところによると、ステージ五の難所手前に差し掛かっている。
うーむ。やはりやりおるな。
「あのさ。春乃」
ひとまずクッションに腰を下ろした私に、ゲーム画面の前に座った優吾がぽつりと私を呼んだ。
「なによ?」
「いや、かまうなと言ったこっちが君に迷惑かけてしまったみたいだからさ」
「ああ、そのことはいいよ。あくまで納得してるのはこっち側であって、向こうが納得していない状況なんだってことはよくわかったから。ただね――」
私がそう言って優吾をじと目で見つめれば、優吾は私に顔を向けて目を丸くする。
「申し訳ないけど、彼って面倒くさい」
彼にかまうと私が疲れる。できれば次は勘弁願いたい。
本当にちょっとだけ疲れてため息を吐き出す私に、優吾は苦笑いを見せて静かに頷いていた。
「そう言う真っ直ぐなところが好きなんだ。ただちょっと面倒くさいのも事実だけど」
なんて、優吾はにやりと含みのある笑みを見せる。
私もそんな優吾にちょっと面喰ってしまったが、長所も短所も含めて好きなのだと、優吾が匂わせてくれたおかげで、私はちょっとだけ気分が浮上した。
「そりゃようございました。まあ、がんばれー」
誰かのいいところも悪いところも全部好きになれれば、そんなに素晴らしいこともないだろうと思う。
そう言う意味では、優吾は本当に西園君のことを思っているし、西園君も、面倒くさいやつだが、きっと彼なりに優吾のことを思っているのだろう。
確かに世間一般的に見れば、同性愛はあまりよくは思われないかもしれないが、私はそんな二人を密かに応援していきたいとは思うのだ。
相手の性別がどっちであれ、本当に心から大切にしていきたいと思う気持ちに、きっと間違いはないのだから。
「あーでも、あれは事実上ライバル宣言とも取れるんだろうか?」
先ほどの電話の内容を思い出し、思わず出た私の独り言に。
「なにそれ?」
と、優吾が不思議そうに目を丸くした。
いや、だからそれは私のほうが聞きたいんだよ。