お出かけしましょう。
引っ越してからすでに一週間。優吾が夜に出かけなくなってから四日目になる。
そう言えばここ三日ほど、青龍寺さんに名前でお呼びください。と、迫られてるんだが、いいかげんに私が折れるべきだろうか?
「朱雀院家、虎白楼家、錦玄武家、そして、我が青龍寺家は代々、尊き狛百合家に仕え、全てを捧げてきた一族にございます。遥か千年以上も昔、まだ我らが蛮族と蔑まれていたとき、当時の狛百合家当主、狛百合彦ノ清明千佳様が――」
「うん。何度も聞いた! そこまで名前で呼ばなきゃいけないって言うなら呼ぶ。呼ぶから、その長ったらしい説明を毎回言うのやめてっ」
「ご理解いただき真に恐縮でございます」
青龍寺――じゃなかった。要さんはそう言うと、毎回のことながら恭しく私に頭を下げて見せた。
「頑固さで言えば、四家の当主では要が一番だよ。母さんも春乃の性格を考慮して要を寄こしたんだろうね」
そう言って、私の右隣の一人掛けソファーに座ってテレビを見ていた優吾が、心底面白そうに笑った瞬間、奴への怒りがいっきにマックスを振り切ったので、私はさっきまで読んでいたゲーム雑誌を丸め、優吾に投げつけてみた。
だが、私の投げた雑誌は優吾に届く前に、要さんの目にも止まらなぬ俊敏な動きによって阻止され、ゲーム雑誌は要さんの手の中に納まっていた。本当に何者なんだよこの人。
「春乃様、淑女として物を投げるのはお控えくださいますようお願い申し上げます」
「優吾が人をイラつかせなきゃ、私だって物は投げないわよ」
「えぇ!? 僕が何したって言うのっ」
なんかここ四日間、お前の顔を見てるのがイラつくんだよ。
「自覚がないのは救えないよ優吾。あんたが家に居るおかげで、私は未だゲームを買いに出かけられないんだよっ! どういうことなのっ! 自由にしていいって言ったくせに、お前が家に居る間、私は要さんにお出かけは控えてくださいとか言われてんだよっ!」
やっと引っ越しの片付けも終わり、本屋でゲーム雑誌を買って、どんなゲームを買おうか色々悩みぬき、やっと決まったから買いに行こうと決めたのが、こいつが恋人とケンカした次の日のことだ。
最低でも引っ越しの荷解きはしなきゃいけなかったから、私の趣味はひと段落してからにしようと後回しにしたのがいけなかったのかっ!?
それとも、要さんの言うことを大人しく聞いている私が間抜けなのかっ!?
要さんのおかげで荷解きは思いのほか早く片付いたと言うのに、婚約者が家に居るせいで、誰かに怪しまれないとも限らないから、優吾が家に居る時は、大人しくしていたほうが賢明だとか言われたんだよっ!!
でもお出かけしたいんだよ私はっ!!
「しかも、何が一番腹が立つって――お前が恋人と過ごすために連休とったのにケンカしてることだよバーカっ!!」
本当に一日中こいつと顔を突き合わせてないといけないってことが、私のストレスマッハなんだよっ!
「それは僕だけのせいじゃないよ。ケンカしたのだって、向こうの我がままが原因だったんだから、僕だけ責められるのは面白くないんだけど?」
優吾はそう言って、言葉通りに面白くないと言いたげな顔を私に向けるが。
「はっ! お前の恋人とこれから先、一生会う機会のない私がどうやってあんたの恋人に文句を垂れろとっ? 自分の恋人の分まで私の愚痴に付き合ってしかるべきだろーが!」
そういうことなのだ。ケンカするのは勝手だが、こっちの自由をくだらないことで制限しないでほしいんだよ私はっ! だって私には全く関係ない話なんだからなっ!
「そんな責任は僕にないし、そもそも外出禁止を言い出したのは僕じゃなくて要でしょ?」
「はい。全ての責任は私にございます」
そう言って深々と頭を下げて見せる要さんだが、それは違くね?
「要さんは黙ってて、これは要さんのせいじゃないんだから。私が言いたいのは、お出かけしたい私の気持ちも分かってほしいってことよっ。だからさっさと恋人と仲直りして来いよっ」
「僕が悪くもないのに謝るのは絶対に嫌だ。というか……春乃は出かけたいの?」
優吾はそう言うと、首を横に倒して見せた。
さっきからそう言ってるじゃねぇか。何を聞いてやがったこいつ。
「だったらなによ」
優吾をじっとり睨む私に、優吾は一人で「なるほどね」と納得すると。
「要、僕の車を玄関に回しといて」
そう言って、要さんに自分の車のキーを投げ渡した。
「はい」
要さんは優吾の車のキーをしっかり受け取ると、軽く私たちに礼を取りリビングを足早に出て行く。
「日増しに不機嫌になっていくからなんでかと思ったら、出かけたいなら言ってくれればよかったのに、一人で出かけるのはさすがに要が止めたけど、僕と一緒なら好きなところに行けるんだよ?」
「はい?」
「つまり、僕も暇だからどこでも付き合うよってことだよ。どこに行きたい? ゲーム買に行きたいんだっけ? 僕そう言うお店は知らないから、要に言ってあっちこっち回ってもらおうね」
「え? あれ? 出かけてもいいの?」
私の怒りはへなへなと萎れていき、私はなんか置いてけぼり間半端なくて、ぼうっと優吾を見つめてしまった。今まで腹立たしかった感情は向ける場所を見失い、そもそも出かけられないことの不満自体がすべてなかったことにされたのだ。
そんな私に、優吾は面白そうに笑って見せた後、ソファーから立ち上がった。
「当たり前だろ? ほら、行くよ。今日は好きなだけショッピングに付き合ってあげるから、機嫌直してね」
「優吾愛してるっ!!」
「まったくもう。本当に調子いいんだから」
優吾は苦笑いでそう言うと、私を促して玄関へと向かった。
「お任せください。ゲームショップを梯子なさるならば、相応しい場所がございます」
運転席で要さんは自信満々にそう言うと、早速車を走らせばはじめた。私と優吾は後部座席で大人しく並んで座っているが、とにかく、私は出かけられることに大満足なのだ。
優吾が当たり前のように後部座席を選んだことさえ、疑問に思わないほど私は興奮していた。
「ゲームって言うと、僕はテーブルゲームくらいしか思いつかないよ」
私の嬉しそうな雰囲気に、優吾はそう言って微笑んで見せる。今日も美の女神からの愛は健在のようで、優吾の微笑みはキラキラ輝いているようだった。
だけど、いつも以上にキラキラして見えるのは、私の機嫌がすこぶるいいせいだろうなと思う。
「オセロとかチェスとか? それとも将棋とか囲碁? カードゲームとか?」
そう聞き返し優吾に顔を向ければ、彼は考えるそぶりを見せた後、私に顔を戻した。
「まあ、そう言う感じ。でもカードゲームは僕にとってゲームと言うより暇つぶしかなぁ。ギャンブルを楽しいと思ったことはないんだよね」
「そりゃいいことじゃん。のめり込んだら泥沼だっていうし、私もギャンブルには興味ない。そもそもカードゲームをギャンブルと言いきってしまうあんたの感覚に私は驚いてるわよ」
私が知ってるカードゲームなんて、ソリティアとか、スマホとかのオンラインゲームくらいしかない。
そりゃポーカーとか、ブラックジャックくらいは知ってるけど、それをギャンブルと結びつけるには、私にはカジノの経験と知識が致命的になさすぎる。
「海外に行くと、カジノはわりといい遊び場として紹介されることが多いよ。賭けポーカーとか呼ばれたりね。僕は呼ばれても行かないけど、僕の友人の一人にそう言った賭博の好きな奴がいるんだよ。しかも性質悪いことに、負けたことないんだ。おかげでやめる気配は一向にないよ」
優吾はそう言うと、呆れたような溜息を吐き出した。きっとその友人ってやつは、困ったさんなギャンブラーなのかもしれない。
「こっちに迷惑がかからない程度なら、好きにさせておくしかない類の人種でしょ。ギャンブルって、人によっては依存性もあるって聞くし、ドラッグのようなものだってのもよく聞く話じゃん」
「そうだね。本当は会わせたくないけど、婚約パーティーにくるから、要注意人物として紹介するね」
「そう言う紹介のされ方する友人も微妙だな、おい」
「女癖も悪いんだよ。人の恋人や奥さんを寝取る趣味もあったりね」
「そいつ見つけたら、世界中の既婚女性や恋人持ちの女性のために始末しておくべきじゃないかな?」
「そうなんだけど、そう言うやつほど悪運が強いというか、十三回ほど女性に刺されてるんだけど、いまだ致命傷は皆無なんだ。なんだろう。あの運の強さ」
十三回も女性に刺された経験あるってだけで、人間として最悪じゃないか。でも本気でそれでも生きてるってのが逆に驚異的だわ。
「それだけ聞くと、まるで人生の全てが幸運と悪運で出来てるような奴みたいね」
「ああ、そうかも。まあ、あいつのことはいいとして、春乃が買いたいゲームって言うのはどんなの? いろいろあるでしょ?」
そう聞かれて私は素直に言うか一瞬迷ったが、隠すことでもないかと、家を出るときに一緒に持ってきたゲーム雑誌を広げて見せた。
「一先ず買いたいのはこの三本。このRPGと、こっちのアクションと、こっちのシュミレーションかな」
私が雑誌を指差して説明すれば、優吾は私の指したものを覗き込み、説明文を流し読みしているようだった。
「王道ファンタジーのロールプレイングゲームと、シリーズ物のアクションゲームね。うん、まあこれは分かる。でも、この最後の乙女ゲームって、なに?」
「乙女のためのゲームだよ」
「うん。もっと詳しい説明してほしいんだけど……要、わかる?」
優吾の質問に、要さんは戸惑いなく「はい」と返事をした後。
「女性向けの恋愛シュミレーションゲームです。プレイヤーが女性主人公を操作し、男性登場人物と疑似恋愛を体験する物だと把握しております」
「うわ。要さんマジで何でも知ってるんだ」
ちょっとびっくり。
「恐れ入ります」
「そう言えば恋愛系ゲームって、好きな友達がいるよ。それの逆バージョンってことでしょ?」
「その通りでございます」
要さんの返事に優吾は納得したようだった。
てか、ゲーマーな友人もいるのか。その人はぜひ紹介してほしいかもしれない。そうチラッと思っていた私の耳に。
「本物の恋愛のほうが楽しいのに……」
そうつぶやく優吾の声が聞こえて、私がそちらに顔を向けるとほぼ同時に雑誌を私から取り上げ、じっくりと乙女ゲームの特集を読みだした。
(本物の恋愛ねぇ……)
優吾の言う『本物』ってのは、リアルな関係を指しているんだろうとはわかる。わかるが、考え方は人それぞれあるのだ。一概にリアル世界の恋愛のほうが楽しいとは言い切れないだろう。
「リアルで望めないから、こういうゲームが売れるんじゃない。女の子ってのは、好きな人にお姫様のように扱われたいと思うものなのよ。疑似的でも、愛をささやかれたら悶えちゃうね」
二次的には味わえないリアルってのは、確かに良いものだ。それは認める。
たとえば、相手の匂いや体温。これはゲームで体験しようもないし、下世話な話だが、二次元では肉体関係を持つことも出来ない。
そう言う意味でも、リアルと言う刺激は楽しいだろうと思うが、そもそも乙女ゲームをやるとき、そう言った三次元的何かってのを求めているわけじゃないんだよ。
もちろん年齢制限のかかるようなものも存在しているが、それはそれだ。そっちはそっちで別の楽しみってものがある。
年齢制限のあるものは、まあ一先ず置いておくが、乙女ゲームを好む人はつまりは、総じて「きゅんきゅんしたい」と言う『ときめき』を求めているのだよ、と私は解釈しているけどね。
「そう言うものなんだねぇ」
興味あるんだかないんだかよくわからないが、優吾は何度かゆっくり頷くと、乙女ゲームの特集記事をしっかりと読み込んでいるようだった。
そして、私は思う。
お前を見てると、リアルのイケメンが本気で残念に思えてくるんだよ――と。
だが、そのことに関してはあえて言葉は飲み込んで、優吾に取られた雑誌のかわりに、私はまた別の雑誌を開くことにした。
主人公はゲーム好き。