夢への一歩
その日、珍しい人物から電話が来た。随分と久しぶりじゃない?
「元気してた? 西園君」
そんなわけで、久々に西園君から電話が来たのだ。
『元気ですよ。優吾さんは、お元気ですか?』
「元気だよ」
『それならいいんですけど、実は――』
「ちょっと待って、私の調子も聞いてよっ。社交辞令でもいいからさっ!」
それぐらい聞いてくれてもいいじゃないかっ! お姉さんは寂しいぞっ!
『興味ないんですもん。声の調子から元気そうだなとも思いましたし。それより聞いてくださいよっ』
くっそう。興味ないとか言われた。相変わらずの女嫌いだよなぁ。
「なによ」
と、私が返せば、西園君は勢いよく話し出した。
どんな話なのかと思えば、何のことはない。会社での出来事や、最近の驚いたことや頭に来たこと、うれしかったことや楽しかったことなどを、いろいろ報告されてしまった。いや、ちょっと待とうか。
「話って近況報告?」
『それもありますけど』
「なぜに私? 優吾に電話すればいいのに」
そもそも君は私が嫌いじゃないのかね? なんでこんな雑談を私に振ってくるんだよ。
『なにいってるんですか? 七夕状態ナウの僕が優吾さんに連絡できるわけないじゃないですか』
「ああ、織姫と彦星って、一年に一回しか会えないものね。って、座布団くれてやろうか、おぅ?」
君らの場合まだ一年と経ってないけどな。しかも、織姫と彦星の方は天の川っていう障害物が邪魔をしてるので物理的に会えないけど、君らの場合は距離的にはそこまで離れてないんだし、会おうと思えば会えるじゃん。
『僕、椅子派だから座布団はいらないです』
「そうじゃねぇからっ」
『知ってますよ。国民的長寿番組を知らないわけないですからね。まあ――電話したのは、何も本当に雑談したかったってわけじゃないんですけど』
西園君はそう言うと、少しだけ落ち込んだような声色に、小さくため息のおまけまでつけた。
「何か悩み事? てか、西園君ってボッチなの?」
悩みを聞いてくれそうな友人の一人もいないのかしら? なんて。
『う、うるさいですよっ。僕が知ってる中では、宮島さんが一番信頼できそうだなって思っただけですっ。で、でも、別に、あなたが特別だとか、そういうことを言ってるんじゃないですからねっ。他の人よりちょっとはマシってだけですからっ』
「うん。西園君のツンデレ具合は理解した」
『違いますっ!』
照れなくてもいいのだぞ。青年よ。
実際に西園君と話すのは本当に久しぶりだ。声を聞く限り彼が元気そうでよかったと思う。
彼と優吾が距離を置くようになってから今まで、彼がどう過ごしていたのかは私も優吾も分からない。従者連中は知ってそうだけど。
とにかく、わざわざ優吾が仕事でいない平日の昼間に電話してくるということは、私に話があるということだろうけど、さすがにどんな話なのかは予想できないので、彼の話を一先ず聞くことにした。
結論から言うと、かなり悩んでいるらしい。
それというのも、彼はファッションデザイナーを目指しているらしく、今すぐというわけじゃなくとも、どっかの外国に勉強のために行こうとは思ってるらしいのだ。で、今回の悩みがそれについてなんだとか。
今現在は、西園君はどっかの有名なお店で働いているらしいのだが、そこの専属デザイナーの偉い人から、外国に居る知人の店で働く気はないかと言われたらしいのだ。
当然そのデザイナーさんの知り合って言うのはやはり有名なデザイナーさんで、働かないかという店も、そのデザイナーさんが立ち上げている有名なお店なのだそうだ。アパレル関係は全くよくわからない私だが、西園君の話は聞いている限り悪い話ではないと思えた。
「つまり、知り合いの店で勉強してくる? って聞かれてるってことなんだよね?」
『そういうことです』
「スゴイじゃんっ。西園君の目指してる仕事に一歩前進できるチャンスじゃない? なんで悩むの?」
そういう業界に関しては全くのド素人な上に知らないことばかりでなんだが、でも有名な人のところ働けるって、チャンスじゃないんだろうか? 少なくとも、西園君の才能を伸ばしたい誰かが居るということだろうし、彼ならその期待に応えてくれると思うからこその提案だと私も思う。
西園君って才能ある人なんだなぁ。
『チャンスだって、思いますよね』
「うん。西園君の才能を見込んでくれた人がいるってことでもあるじゃい。目指してるものがあるならチャンスは逃すべきじゃないとも思えるけど……」
あくまでそれは私の勝手な考えでしかないけども。
『優吾さんと一緒にいるときだったら、僕、断ってたかもしれないんです』
「え? それはもったいなくない?」
せっかくのチャンスなのに。
『でも、前の僕にとっては優悟さんがすべてだった気がするんです。だから、たぶん前の僕のままならきっと後悔しないと思うんです』
西園君はそう言うと言葉を止めた。そのおかげで、少しだけ見えた彼の悩みに、私も少し苦笑いが顔に浮かんだ。きっと彼の悩みっていうのは、優吾のことも含めたものなんだろう。
「優吾とちょっと距離を置いたことで、心境の変化があった?」
『はい……宮島さんが言う通り、距離をあけることで今まで見えなかったものが見えてきたっていうか……あなたの言う通りってのが気に入らないんですけど』
「君は大体一言多いっ。お姉さんのおかげですって言ってあげてっ。嘘でもいいから持ち上げてくれれば大体年上のお姉さんはチョロいからっ」
特に君のようなかわいい男の子に頼られたり懐かれるのは、大体のお姉さん方は大好きなはずだっ。
『まあとにかく、色々考えさせられました。僕もこれがチャンスだって思うんです。今すぐではないにしろ、相手には早めに僕の考えを聞きたいとも言われてて、焦っているわけじゃないんですけど。でも、そこで思い出したのが優吾さんのことだったんです。優吾さんなら、どう、言ってくるだろうって……』
西園君の声色は、少し不安そうに小さくなった。
自分の夢を追いかけることに後ろめたさでも感じるんだろうか? そうだとしたら、それは間違いだと断言してやる。
「優吾なら、絶対に自分のことのように喜んでくれると思うよ。だって、大好きな恋人の夢へのチャンスが巡ってきたんだもん。応援しないわけない」
『そのせいで、長い間、離れることになっても、ですか?』
確かに、西園君お考えでは行きつく答えはそこになるだろうけど、でももう君は分かってるはずだ。
「それこそ、離れるのは悪いことじゃないでしょ? それに、西園君だって恋人の夢を応援してあげたいっておもうよね?」
遠距離になるだけで、電話や手紙が送れないわけでもない。今は携帯電話という素晴らしい機会が存在しているのだ。
おまけに、優吾が相手なら世界の裏側に居ようと、会いたいの一言で会いに来てくれるだけの財力も時間も速攻で用意できる人なんだから、遠距離ってことさえ忘れてしまえるかもしれない。
『まあ、思わなくないですね。でも本当に……宮島さんってお人好しですよね』
「それは誉め言葉じゃねぇだろ」
私はそこまでお人好しになった覚えはないぞ、コラ。
『もちろん褒めてませんよ。だって、わざわざ人のことにまで自分の気持ちを割いて、損をしてるんですから。褒められるわけないじゃないですか』
「いや、別に人のことばかり考えてないけど? むしろ自分のことだけでいっぱいなんで、人のことまで面倒みられないんですけど?」
『僕の悩みを聞いて、優吾さんの相談に乗って、優吾さんの家や家族のことにまで気をまわしてるが人よく言いますよ』
「いや、それは契約上のアレであってだな」
『だからなんだと思うんです。今なら、優吾さんの言葉を素直に聞けるって思えるんですよね』
「そうなの?」
『はい。僕って余裕なかったって思うんです。いろんなことにいっぱいになって、何にも見てなかった。自分の気持ちさへきちんと見てなかったんだなって……そう、思うんです』
決して長くはない優吾と西園君の空白期間に、彼はいろいろ、本当にいろんなことを考えたんだろう。
一途と言えば聞こえはいいが、ただ盲目に優吾をひたすら縛ろうとした彼と、今の彼には明確に違いがきっとあるに違いない。さすがに、通算三回しか話したことのない私には、西園君の全てを把握することなど不可能だが。
彼は今、自分自身の気持ちに何らかの形をつけようとしている。すくなくとも、私にはそう感じられた。
「納得のいく答えは得られそう?」
『ええ、あなたのおかげで。だから、女性は嫌いですけど……。宮島さんはちょっとだけ、嫌いじゃないです』
なんて、西園君はやけに優しい穏やかな声でそう言ってくれた。
夕飯時に要さんがご飯作りに来て、出来上がるころには優吾も帰ってきた。
いつものように優吾と一緒に夕飯を食べながら他愛ない話を私たちは繰り返す。が、今日の昼間に西園君から電話がったことは優悟には内緒である。
まあ電話を切る直前に『優吾さんには今日のこと内緒ですからね』と言われてしまったので得仕方ない。要さんたちにはバレてそうだけど。
ちなみに今日の夕食はチーズハンバーグだ。ソースがトマトベースなのでわりとサッパリいただけていつもながらに美味しい。
それにしても、変化というのは自分で思うよりも目まぐるしく動き回っているものだと思う。
優吾にしろ、西園君にしろ、私の知らないところで日々何かを悩み、そしてその答えを出していく。その答えが影響して今の彼らを形作るのだ。
ある意味で、それは少しうらやましいと思える現象であるとも思う。
何しろ自分自身、変化があるのかどうなのか。自覚できないでいるからだ。いや、自分の中の変化はある程度、自覚しているところもあるが……それは大きな変化というには少々お粗末な気もする。
結果として私は今、自分では何もしていないのではないかと思うのだ。ただまわりに流されているだけで、自分で行動しているとは思えない。
変化を望むなら、自分で動かなければいけないのに。
「なんか今日の春乃は静かだね? いつもは僕が黙っててもしゃべるのに」
「いや待てよ、お前。私がいつもうるさいみたいな言い方するなよ。ちょっとショックだろうが」
おしゃべりは嫌いじゃないですけどね。うるさいって人様から言われるほどうるさくしているつもりはないんだけど。
「華やかでいいよねって話だよ。どうしたの? なにかあった?」
優吾にそう首を傾げられたが、何かってことがあったわけじゃない。
「そうじゃないけど、ちょっとね。なんか色々考えてたら、私だけが周りから取り残されていくような感覚がしてさ」
そう答えた私に、優吾は少し不思議そうに目を丸くして見せる。まあそりゃそういう反応にもなるだろうよ。私だって特に思い悩んでいたってことではなく、ただ急に、漠然と思ってしまったのだ。
「そんなことはないでしょ? 自覚がないだけで、僕から見れば確実に変化してると思うけど、特に春乃の内面的な意味でね」
「それは……まあ」
優吾の言う通り、確かに目に見える変化は彼との婚約以降目立つものがないけど、気持ちの変化なら随分と目まぐるしい。そういう自覚はあるけど。
「焦るのはよくないよ。何かしらの変化を望むにしても、まずは気持ちが付いてこないと結局は逃げる羽目になる。と、僕は思うよ」
「まあその辺はね」
何かしらの答えを見つけようとしている西園君。何かしらの答えにたどり着いただろう優吾。そんな二人を見ていたら、私は本当にこのままでいいのかと思ってしまう。
変化を望むとかそういうことではなく、現状に甘んじていていいのかと、思ってしまうのだ。契約がどうのということを抜きにしても。
今の現状を作ったのは私の意思だ。優吾は提案しただけで、それを受け入れたのは自分。それはだれの責任でもない自分の責任だ。
今の現状に慣れようと必死になっていた時には考える暇さえなかったが、今やっと考え始めたと思うと、今の生活にも随分なれたものだと自覚する。
人に偉そうなことを言っておいて、私が今、自分の望む答えを見つけられてないのではないかと思うのだ。
このまま結婚して、優吾の子供を産んで、年を取っていくことが悪いとは思わなし、わりと幸福な生活であるようにも思えるのに、このままでいいのかと考えてしまうのは、不安だからなのか。それなら何が不安なのかと考えても、それが思いつかない。
マリッジブルーには早すぎる。そもそもブルーになる理由もないだろう。
「ねぇ春乃」
「ん?」
「もしかして、生理?」
「デリカシーを奏さんのお腹の中にでも忘れてきたのっ!? そういうデリケートな話題を事も無げに振らないでくれっ! 答えずらいっ!! それにせめて『女の子の日』くらいのオブラートに優しくくるんであげてくれるっ!?」
「ああ、よかったツッコミがいつもの春乃だ」
「そういう確認方法もやめーやっ!」
時には、私だってシリアスに考え事をすることもあるんだぞ、このヤロウ。
「でも春乃、悩みがあるなら僕にいつでも相談してくれていいんだよ」
なんて、優吾が優しげに笑って見せるが。
「悩みをお前に相談することの不安は誰に相談すればいいですかねぇ」
と、思わずにはいられなかった。




