空想の未来図
「――小さい時の優吾さんは、よく庭を走り回る元気な子でしたねぇ」
そう言って、懐かし気に奏さんが両目を細めた。
昨日連絡を入れた通り、私は今日、本家に来ている。連絡を入れたのは美影さんだけど。
「奏様、お写真をお持ちいたしました」
そう言って、使用人である広江さんと、他三人くらいが大量のアルバムを部屋のテーブルに置いて部屋を出ていくのを見送りつつ、おいて行かれた写真の多さに軽いめまいを覚えた。これでまだ半分とか言ってたしな。
「そう言えば、春乃さんのお写真はないの?」
なんて奏さんに首を傾げられてしまうが、そこまでは想定してないですからね私。
優吾のアルバムほどではないが、私の写真も大きなアルバム三冊分ほどがクローゼットの奥にしまってある。が、持ってこようなんて微塵も思わなかったわ。
そもそもの話、優吾の話を聞きたかったってだけなんだから。
「えっと、私のは家に――」
と、奏さんに言おうと口を開きかけた私だが。
「こちらにお持ちしております」
と、要さんに言葉を遮られてしまった。おまけに、要さんの言葉通り、クローゼットの奥の段ボールにしまっていたはずの私のアルバム三冊が要さんの手元にある。
「情報伝達の速さにも驚くけど、休みのはずの要さんがここにいて、おまけにあんな奥底にしまってある私のアルバムを持ってきてることに非常に驚いてるよっ。優秀すぎんだろっ!」
「お褒めに預かり光栄至極でございます」
「微妙に褒めてないっ! すっごく複雑な気分! 休みはどうしたんですかっ!」
「休暇など、一日あれば十分でございますよ」
「だれかこの仕事人間を無理やり縛り付けて休ませてあげてっ!!」
私は両手で頭をかきむしりたい衝動にかられながらも、ぐっと我慢して美影さんを睨んだが。
「休みだからと、報告しないで居るとそれはそれでうるさいので」
そう言って、美影さんに綺麗な顔で微笑まれた。
ああ、まぁ。確かにその辺の報告とか無視すると要さんはうるさそうだわ。
「わぁ! この涎掛け可愛いねっ! 市販のやつじゃないよね?」
と、雅臣さんが突然、私のアルバムを開きながら、にこにことそう言った。いつの間に見てるんだよ。
あーもう、はいはい。いいですよ。もういい加減にツッコミばっかしてたら日が暮れるから、もう諦めますよ。私が、いろいろ。
そういうわけで、雅臣さんの言葉に反応した奏さんも私のアルバムを見始めて、私も仕方なく自分のアルバムをのぞき込む。雅臣さんが見ていたのは、まだ私が一歳になる前のやつで、母に抱っこされて母の髪を食べてる私の写真だった。
「そうですね。その涎掛けは母が作ってくれたものらしいです。祖母が綺麗な布とかを集めるのが好きな人で、その中からいろいろ選んで作ったって聞いてます」
私がそう答えれば、まるで孫の写真でも見ているかの如く、雅臣さんと奏さんの眉尻が垂れ下がっていく。この人たちは絶対に子供好きだな。
「やっぱり女の子もいいよねぇ」
と雅臣さん。
「かわいいお洋服とかいっぱい着せられますからね」
と奏さん。
二人はほんわかとした空気で私のアルバムをゆっくりと眺めていた。
なんか、家族以外にアルバムを見られるのは少しだけ恥ずかしいが、なんだかんだと雅臣さんや奏さんの質問に答えながら、結局は私のアルバムを全部見てしまった。
「七五三の時の写真はポスターにして飾っておいてもいいレベルで可愛かったねぇ」
なんて、見終わった後の感想に、雅臣さんがそう言うと。
「お作りいたしましょうか?」
真面目腐った顔で要さんがそんなこと言い出すものだから、思わず手の甲で要さんの肩をバシンと叩いてしまった。
「止めなさいっ」
これが止めずにいられようか。本人が許可を出しませんからね。絶対。
雅臣さんも奏さんも、若干、残念そうな顔をしないでください。
「あの、それより、せっかくなので優吾の写真も見ませんか?」
まだ私のアルバムに未練がありそうなご両親の意識を無理やりにでも引っぺがすために、私は優悟のアルバムを手に取って二人に笑いかける。
とにかく私のアルバムから離れましょう。はい。
「そうでしたね。せっかく春乃さんが優吾さんに興味を持ってくれたのだもの、しっかり優吾さんのかわいいところをアピールしなくてはいけませんわよ、あなた」
なんて、意気込んでいう奏さんに、その瞳に使命感をともらせた雅臣さんも頷いた。
「そうだね。頑張んないと!」
いやぁ。気合が入ってますね。義父様、義母様。
そしてアルバムが開かれると、最初に目に飛び込んできたのは、若い頃の奏さんに抱かれて眠っている赤ん坊の写真だった。背景に白いベッドやカーテンが写りこんでいるところを見ればこれは病院で撮ったものかもしれない。
今の優吾の面影もある赤ん坊は、まだ少し肌も赤く、まるで小猿さんを思わせる赤ん坊の姿にちょっとなごんでしまった。
「赤ちゃん、かわいいですね」
まだ、何色にも染まってない純粋な白。それが赤ん坊というものだ。
「これは出産の翌日に撮った写真ですね。生まれたばかりの我が子を抱いたあの瞬間、なんとも言えない幸福感と感動を覚えたものです。春乃さんにも、きっと分かると思うわ」
そう言って、母親の顔で微笑む奏さんに、私は少しだけ気恥ずかしさを感じた。
「ははっ。今はまだ想像もできませんけどね」
親の気持ちは親になってみないことには分かりようもないだろうな。
それからいくつも写真を見ながら、奏さんや雅臣さんの説明を聞き、時折、黄龍家の使用人さんたちや要さんや美影さんの言葉に驚いたり笑ったりしながら過ごし、気付けばあっという間に昼になっていて、昼を食べた後も私は本家で、私の知らない優吾の話をご両親から聞いて過ごしていた。
「私がこういうのも変だけど、春乃と優吾って、きっと出会う運命だったんじゃないかって思うときがあるんだよね」
いきなりそう言いだしたのは雅臣さんで、私と奏さんは互いに目を合わせてから雅臣さんに顔を向ける。
「いきなりどうしたのです? あなたは日ごろからロマンチストだとは思っていますけど、今日は一段と思考がゆるふわですね」
「奏さんが割と辛辣」
「本来女性の方がリアリストでございますよ、春乃様」
確かに、要さんの言う通り、私もそう思うけど。
「駒百合家の嫁は代々温和に見えて気が強い人ばっかりだからねぇ。でも男なんて、そういう奥さんの尻に敷かれてるのが幸せだよ」
なんて笑う雅臣さんに。
「ふふっ。主導権を握っている、と思わせてくださる賢い旦那様が常に守ってくださるからこそ、妻は自由に動けるのですよ。あなたの大きな愛に包まれて私は幸せですわ、あなた」
奏さんが嬉しそうに笑って雅臣さんを見つめた。
そんな二人の甘やかな空気に、私がいたたまれなくなってくる。
「惚気ですかね?」
「慣れていただくほか、対処法がございません」
真顔でそういう要さんに、私は素直に頷いておくしかない。要さんたちのほうが、この何とも言えないラブラブ夫婦の空気に耐えているんだろうしな。
「でもあなた、運命とはどういう意味ですの?」
話を戻すように奏さんが改めてそう聞くと、雅臣さんは一つうなづいて見せる。
「だって、不思議だと思わないかい? 春乃は駒百合とのかかわりなんて一切なかったのに、衝撃的な出会いから始まって今だよ? 奇跡的確率だと思うんだよね」
雅臣さんがそう言って奏さんを見れば、奏さんも一瞬考えるそぶりを見せた後、納得するように頷いた。
運命的って言えばそうかもしれないけど、カフェオレぶちまけただけだぜ? むしろ、この家の人間はだれ一人としてその責任を追及してこないもんだから、最初は私の方が焦っていたくらいだ。
今考えると、服の一ダースくらいでどうこう言う家柄でも無ねぇよなぁ、と思う。
「確かに、それを奇跡というならば、まだ運命だったという方がしっくりくるかもしれませんね」
と、奏さんが雅臣さんの言葉に同意するが、運命も奇跡も、私にはどうもよくわからない。
「でも、きっと子供の時に優吾と出会っていたら、今の私と優吾はなかったんじゃないですかね?」
と、私は思うからだ。
運命というなら、どのタイミングで出会っていたとしても、私と優吾はきっとこうなっていただろう。すでに決まった未来をさすのが『運命』という言葉なのだから。
それに、奇跡というものは存在せず、あるのはただ必然のみ、という言葉も聞いたことがあるくらいだから、そういう神がかり的なものでもないと思うのだ。
「うん。実はね、私もちょっと想像しただけなんだけど、もし子供の時から優吾と春乃が知り合いだったなら、たぶん、優吾は回り道もせずに春乃とすでに結婚してると思うんだよね」
なんて、苦笑い気味に雅臣さんが言うものだから、私の方が驚いて目を見開いてしまった。
どういう想像をしたらそうなったんですかねぇ?
なんて訝る私に、要さんも雅臣さんの言葉に同意するように頷いて見せた。
「確かに、雅臣様の言う通りかもしれません。我々の知る優吾様と、先ほどお聞かせいただきました春乃様の幼少時代の話を聞いた限りでは、結婚も婚約ももっと早まった可能性が高そうです」
「だからなんで?」
そう首を傾げ続ける私に、一つうなってから雅臣さんが口を開いた。
「これはあくまで空想の遊びだけど、何についても悩んでいた幼少期の優吾に、ただ真っ直ぐあるがままを受け止めていた春乃がそばに居たとしたら……例えば、もし優吾が泣くほど悩んでいた時に、春乃ならどう声をかけるだろうね?」
そう聞かれて、空想のお遊びというものを私もやってみることにした。
小さいときに優吾と出会って、悩んで泣いている年下の男の子が居たら、まあ声をかけるよな。『どうしたの?』って感じで。
それから、優吾が人の外見と内面の違いに悩んで泣いていたとして、それを相談されたら。
「みんながそうじゃないってことは教えるかもしれませんね。嫌な人も悪い人もたくさんいるけど、世界の半分は優しくて正しい人がいるって、ちゃんと。まあ、当たり前なことしか言えないと思いますよ」
何しろ私自身が特別に賢い人ではないし、当たり前な言葉しか多分はけないだろう。そう思う私に、雅臣さんも奏さんも満足そうに笑う。
「よい答えだよ、春乃。機嫌を取るために耳障りのいい言葉を選ぶわけでもなく、自分に依存させようと、ありもしない幻想で惑わせるでもなく、正しく、当たり前のことを当たり前のように教えてくれる。そういう真っ直ぐさが、当時の優吾には必要だっただろうからね。まあ今もだけど」
雅臣さんのその言葉に、私は少しだけ優吾がかわいそうに思った。この駒百合に生まれた人たちもだ。
だって信頼できる人間をそばに置く理由も、そういうことなんだとしたら、新しい人間関係を作ることが怖くなったりしないのだろうか。とも思えたし、この家が続く限り、憂いも不安も決してなくならないのだろうから。
「私たちもできる限りはそう教えてきたつもりですけど、家族からの言葉とそうではない誰かの言葉はまた伝わり方も違うものです。そういう意味では『当たり前』を何の見返りもなく与えてくれる春乃さんは、優吾さんにとっての特別になることでしょうね」
雅臣さんの言葉の続きを奏さんも少しだけ困ったような顔で言った。
当たり前を当たり前に与えてくれる誰かが居ないことは、本当に寂しいことだ。だからこそ、人の悪意を見抜ける力を持つ必要があるのだから、なんとも切ない話じゃないか。
そんな不安に苛まれて過ごしたら、友達だって作れやしない。
「だから、私も優吾も家族に恵まれたことがなによりも幸運で、幸福なんだと思いますよ」
不安や恐怖に震える自分を抱きしめてくれる両腕の温かさに、どれだけ救われることか。
笑顔でそう返した私に、雅臣さんも奏さんも、嬉しそうに笑ってくれた。で、そのあとは、優吾の可愛さとか写真を交えて延々と夜まで語りつくされた……。
正直、しんどかった。
自宅に帰ってリビングのソファーに倒れるように横になると、一緒に帰ってきた美影さんが飲み物を持ってきてくれた。本当に気の利くボディーがーが居てくれて助かるわぁ。
「なんか今日は、いろんな意味でお腹いっぱいになりました」
「優吾様のお話がたくさん聞けて良かったですわね」
なんて、笑顔の美影さんをちょっとだけ睨んでみる。
話を聞けたのは面白かったけど、限度ってものがあるんですよ。みんな優吾大好きかよ。
「皆さんの優吾愛にお腹いっぱいなんですよー」
何歳の時までおねしょしたとか、何歳までお気に入りのぬいぐるみがないと寝なかったとか、初めて動物園に行った時の話とか、もう本当に、いいです。しばらく優吾の顔さえ見たくなくなりそうだったよ。
「でも、お孫様が出来れば、きっと優吾様の比ではないほどの溺愛ぶりでしょうね」
「ぐはっ! 言わないでっ! それは言われるまでもなくかなり心配してるんだからっ!」
もう、想像したくもない未来が頭をもたげて、私は頭を抱え込む。
きっと、私と優吾が結婚して、子供ができたら一族総出で大騒ぎだろう。優吾自身も女の子が生まれたら溺愛しまくりそうだし。きっとわがままにならないように私が修正する羽目になるのだ。
たっぷりと愛情を注いで、たくさんの家族に囲まれて、幸せな家族ができるのだろう。
「本当、怖いわぁ」
そんな幸福な未来を想像するのは、少しだけ怖いと思った。




