ちょっかいなんて出すもんじゃない。
「何も知らないと思ったら大間違いだよ。君がどんな人間かくらい、駒百合家が調べてないとでも思ったの?」
優吾はそう言うと懐から一枚の写真を取り出して、桃里のほうへと投げた。
ひらりと廊下に落ちた写真の方も気になるのだが、桃里を調べたという言う語の言葉の方が私には気になった。
「調べるって……私の方か」
さすがに何も調べないはずはないだろうとは思っていたけど、まさか、すでに別れて何年もたってる昔の恋人のことまで調べてるとは思わなかったわ。
「ごめんね、春乃。調べないわけにはいかないからさ」
困ったようにそう言いながら、あくまでも私には優しい顔を向ける優吾に、私も両肩を寄せて苦笑いを返すしかない。
「いや、知ってた……というか、分かってた」
私の答えに優吾は満足そうに笑い、視線を桃里へと戻すと。
「話を戻すけど、その写真に見覚えはあるよね?」
廊下に落ちた写真を指さしそう問う優吾に、桃里は複雑な気持ちを見せる表情のまま、優吾を警戒しつつも立ちあがって写真を拾い上げた。そして、写真を見つめた瞬間、桃里は一気に顔色を青く染める。
ほう。どんな面白いものが写っているんですかね?
「何が写ってるの?」
と、私が聞けば、桃里は慌てて写真を自分の上着のポケットにしまい込む。
「いや、まあ、ちょっと……」
言いたくないようだ。ふーん。でも――と、私が優吾に顔を向けると、優吾はにこやかに笑みを返してきて。
「浮気現場の証拠写真」
なんて、事も無げに言った。
マジかっ。うわー。
「君が春乃と別れて今の奥さんと結婚した後、すでに五人の女性との関係をつくってきたよね? 奥さんと別れたいだけって理由にしても多すぎる。まあ、僕の友人と比べれば大した数じゃないけど、一般的に見れば多いんじゃないかな?」
僕の友人か。それ皐月さんだろ? 十三回も刺されたってのは伊達じゃないな。浮気相手五人が大した数じゃないとか。どんだけ女好きなんだよ。皐月さん。って、今はその話じゃない。
「そ、そんなの他人のあんたに関係ないだろっ! 大体、こんな、人のプライベートを調べるって非常識だって思わないのかよっ!」
優吾の言葉に桃里がそう言って怒りだすと、優吾は桃里を馬鹿にするように鼻で笑って見せた。
「常識を君に問われたくないね。婚約者のいる女性を誘うなんて、それこそ非常識じゃないのかな?」
優吾がそう言って冷たく笑えば、桃里はぐっと口をつぐんだ。
「まあ、君がどこの誰と何をしようと正直、僕にはどうでもいいことだ。君の浮気を君の奥さんが知っていることも、今のままだと法外な慰謝料を請求されて離婚されるだろうことも、僕には無関係だからね。とはいえ、忠告はしてあげる。自分の妻をあまり舐めない方がいい。でも僕が一番許せないのは、人の恋人に手を出そうとしたことだ」
優吾はそう言って一歩だけ足を前にすすめた。
それにしても、優吾はいったいどこまで桃里のことを調べ上げたんだか。
どちらにしても、優吾の言う通り、奥さんを甘く見てはいかんな。
「君程度の男に春乃が付いていくはずはないし、過去に君がどれだけ春乃を傷つけたかも、追及する気はない。ダメ男に引っかかった春乃にも問題があっただろうし、経験という授業料を支払ったと思えば安いものだ」
「私にも火の粉が降りかかってる気がするんですけどっ!」
ひどい言われようなんですけどっ。
確かにダメ男に引っかかった私にも問題はあるでしょうけどもっ。
「事実でしょ?」
なんて、優吾はけろっとそう話し続けながらも、また一歩と桃里に近づいていく。
「それに、春乃が全部把握してたかはわからないけど、春乃との交際中にも君が何人かの女性と付き合っていたこともあるんだよ。こいつ。でも僕はそれを不誠実だと責めたりはしない」
「あー、やっぱり浮気されてたのか……」
そんな気はしてたんだよなぁ。
「いや、あれはそう言うんじゃなくてっ! 向こうが勝手にっ!」
「今さら言い訳されても困るんですけどね」
どうせ過去のことだし、むしろ昔の疑問や腑に落ちなかったことが知れてちょっと満足はした。
「そう、全部『過去』だからね。今さら取り繕うこともないよ――でもね」
優吾は桃里の目の前まで来て足を止めると、桃里の胸に突き刺すように人差し指を向けてぐっと顔を近づけ。
「お前のような男に、軽々しく『愛』を語ってほしくないんだよ」
低く重く響き、優吾の声が一瞬、廊下の音をすべて消し去ったような感覚がした。
先ほどは怒って顔を赤らめていた桃里さえも、その声なのか、私からでは見えなくなってしまった優吾の表情でなのかはわからないが、血の気の引いた青いをさせて優吾を見ているばかりだった。
それにしても、今日ほどころころと桃里の表情が変わったのを見たのは初めてである。
「ありもしない『愛』を餌に、女を引っ掛けて遊ぶのは自由だ。でも、それは僕と関係のない他人と楽しめばいい」
「お、俺は、春乃のことを本気で……」
「本気? 恋人と苦労を分かち合う覚悟もないやつが? 自分の汚い部分を隠そうと必死になって綺麗なものしか見せないやつが? 自分の快楽しか求めないようなやつが? 仕事もうまくいかず、家では奥さんともぎくしゃくしてうまくいかない。そこから逃げるために、春乃を利用しようとしてるやつがか? 笑わせるなっ」
そう語尾を強めた優吾の声に、桃里だけではなく、私まで両肩がはねた。
こんなふうに怒る優吾を見たことがない……。
「春乃の言う通り、全てがもう遅いんだよ。あんまり僕の恋人を馬鹿にするな。お前のようなやつが春乃のそばにいるだけでも腹立たしい。いっそ消してしまいたいくらいだ」
私のために、優吾が怒ってくれてる。
そのことが、私には衝撃でもあり――嬉しくもあり。
「お前の人生を握りつぶすなんて虫けらを踏み潰すより簡単なんだ。やろうと思えば、僕は文字道理『なんでも』できるんだよ。手始めに、お前にかかわる企業すべてを倒産させようか? それとも、不幸な事故が家族に降りかかる方が、お前の好みかな?」
いや、待てよ。私のために怒ってくれるのはうれしいのだけど、何を言い出してんだこのボンボン。
「そ、そんなこと――」
桃里が困惑気味にそう言うが、冗談だ。嘘だ。と笑い飛ばせないだけの迫力が優吾にあるのだろう。
「出来ないと思うなら、明日を楽しみにしておくといいよ」
そう言った優吾の声に、私の全身から嫌な汗が吹き出す。今の声の感じはちょっとやばい。いや、冗談ではなく、やろうと思えば何でもできるだろう。それが『駒百合家』の力だ。
そして、優吾はその次期当主なんだから……。
「ゆ、優吾っ。ちょ、ちょっと落ち着いてっ」
私は慌てて優吾の肩をつかみ、こちらに振り向かせようと引っ張る。
優吾は本気でやると言ったらやる男だ。それはこの短い付き合いの中でも十分にわかる位には私自身がしっかりそれの被害も受けてるし。
だからこそ、いくら何でも私にちょっかいかけたからと言って、無関係の会社だの、桃里の家族だのに何かされては困るのだ。第一に私はそこまで桃里を恨んでないし、そもそもこいつの言葉なんて端から眼中にないんだから、ここまで優吾が怒ることでもないでしょうか。嬉しかったけども……。
「ん?」
振り返った優吾はいつも通りの笑顔で私を見つめ、不思議そうに首をかしげて見せた。
優吾
今のは冗談か? 駒百合式ブラックジョークってか? やかましいわっ!
今までにないくらい真面目なトーンで怖いこと言うから驚いたじゃないかっ!
「ふふっ。嫌だなぁ春乃、証拠なんて残らないよ?」
「そっちの心配は一切してないっ! 違うっ! 無関係な人まで巻き込んで本気でやろうとしてないでしょうねっ! って話なんですけどねっ!」
「えー? やめてほしいの?」
「当たり前だよなっ!?」
何を不満そうな顔してらっしゃるのっ!? びっくりするわっ!!
「仕方ないなぁ。春乃がそこまで言うなら、今回だけは見逃してあげるよ。次はない」
優吾はそう言うと桃里に視線を戻してじっと睨んで見せる。
「よかったね、雪里桃里。僕の恋人が本当に優しい人で。僕は春乃に骨抜きだから、彼女に頼まれたら嫌とは言えないんだ。この意味、分かるよね?」
それの意味するところは私でもわかります。
つまり、私が桃里をどうにかしてくださいと泣きつけば、優吾はそれをやってくれるということだ。頼まないけどなっ!
「それでも保険はかけておこうかな? もし今後、春乃にちょっかいをかけるようなことがあれば、浮気の証拠を君の家に送り付けることになるから覚悟しておいて」
優吾がそう言ってにこりと笑うと、桃里は体を震わせてうつむいた。
次の瞬間、桃里が顔を上げてそばにいた優吾の胸倉につかみかかる。
「お前に、何が分かるってんだっ! おまけに、俺の人生をめちゃくちゃにするなんて脅されて、このままで済ませるわけ――」
そう言って桃里がこぶしを振り上げるのだが、気が付けば、廊下に倒れているのは桃里の方だった。投げ飛ばされた? よくわからなかったけど、桃里が振り上げた腕の手首をつかんで、優吾が何かしたのだけはわかる。
桃里の手首を持ったまま、桃里は仰向けで廊下に寝ている状態で、投げ飛ばされた本人も驚いた顔をしているから、今、自分に何が起きたのかもわかってないかもしれない。
すると優吾は、おもむろにこぶしを握り締めたと思えば、桃里の顔のすれすれにこぶしを叩き落とし、廊下にこぶし大ほどの穴をあけた。
いや、あのほそっこい腕のどこにそんな力があったっ!?
「短絡的なやつ。自分の身を守る方法もわからないやつが、護身術を身に着けてるやつに喧嘩を売るもんじゃないよ」
ああ、そりゃ護身術くらい習ってますよね。だって、駒百合家の当主になる人だもんね優吾。
「ほら。見逃してあげるから、消えなよ」
優悟はそう言うと、すっと廊下に立って無様に倒れている桃里を見下ろして、うっすらと口元に笑みを浮かべると、右腕を腰に当て左手を廊下の先の階段へ促すように払って見せる。
その尊大ともいえる態度に、呆気にとられるのもあるが、これほどまでに、こんな態度が似合うやつを見るのも私は初めてだった。
今まで気が付かなかったけど、そう言えば優悟はお坊ちゃんな上に、どれだけのわがままを言っても許される立場を持ち、そして、欲しいものはすべて手に入れてきたような人間だ。
本来の彼は、こういう態度を誰にとっても咎められることなんてない。
そう考えると、私は本当に『特別』な立ち位置にいるんだと改めて思う。
そんな優吾の態度に桃里は顔を真っ赤にして怒っているような表情を見せるものの、それ以上に恥ずかしさで顔を赤らめているのは、ある程度付き合いの長い私にはすぐにわかった。
桃里はいそいそとその場に立ち上がり、優吾の言われた通りに、そそくさと逃げるようにして階段を下りて行った。
「もっと突っかかってくるものだと思ったよ」
桃里を見送った後、優吾はおかしそうにそう言ってふっと鼻で笑うと私の方へと近づいてきて、私の手を取り引っ張ってきた。
突然のことでたたらを踏む私を、優吾はしっかりその胸で受け止めると、ぎゅーっと私を強めに抱きしめてくる。
おいおい。人が避けられない場所にいると思ってこいつ……。
「僕、あいつ嫌いだよ」
私の肩口に顔を寄せて優吾がそう言った。
「まあ、好きになる必要はないしな」
ただ、昔のことをちょっと思い出して腹は立った。それと同時に、少し悔しくて、悲しくもなった。
「春乃のことは調べてる。だから、あいつのことも知ってた。春乃の恋人だった男でしょ? 僕の知らない春乃を知ってるやつだ。すごい消したい」
「酔ってます?」
「酔ってるよ。君に……もう、わりと前から」
「突っ込むべきかスルーするべきか迷うな」
本当に少し酔いが回ってるだろ、こいつ。
「僕は、あんな中途半端な男とは違う」
「知ってるよ」
馬鹿だな。
私は優吾の背中にそっと手をまわして優しく抱き返した。
桃里は確かに恋人だった。昔は彼の明るさや優しさにひかれて好きになった。だから私の感情を一時的に動かすことができるのも確かだ。でもそれは当時の様々な思いを思い出させるからってだけで、それ以上の効果なんてない。
「嬉しかったよ。優吾が私のために怒ってくれたこと」
本当にうれしかった。
私を信じてくれることも、私を守ろうとしてくれたことも、とても。
「僕もうれしかったよ」
「何が?」
「僕を愛してるから結婚するって言ってくれたこと」
「あれは……」
「知ってる。でも、うれしかった」
優吾はそう言って私の頭をしっかりと抱きしめる。
あたたかい彼の胸の中はここちよすぎて困るのだ。優しい声も、その瞳も、その手さえも。全部が私を大事だと言ってくれるから、本当に困る。
「そろそろ戻らないと、春乃の先輩に余計な詮索されそうだよね」
「あの人にうわさ話をプレゼントすると、立派な魚が一匹釣れるかもしれないわ」
「尾びれ背びれの話じゃないね、それ」
優吾はそう言うと小さく笑い声を漏らす。
「でも、今ならキスしても殴られないかな?」
「調子に乗ってると帰ってからひどいですよ?」
「酔っぱらいのすることくらい大目に見てよ」
まあ確かに。私も酔ってるからなぁ。仕方ないね。




