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カフェオレ・ダーリン  作者: 風犬 ごん
34/53

とっくに過去の話です。


 私の最初の恋人だった雪里ゆきさと 桃里とうりとは、会社の同期だった。






「よう。春乃」


 そう言って私の前に来た桃里が、私の空いたグラスにお酒を注いだ。


「おい。せめて『さん』か『ちゃん』だろ」


 お前の酌はひとまず受けてやるから、ちったぁこっちに気を遣えってんだよ。


「今さら、そう言うのってなんか違くねぇ? お前だってそうだろ?」


「確かに。今さらお前を『君』とか『さん』で呼ぶとか気持ち悪い……が、お前の嫁の前ではきちんとするぞ。私はな」


 その辺お前みたいになあなあには出来ねぇんだよ。こっちはよう。

 多少おっさん臭くはなったが、会社でもそこそこ人気があった、まあまあな顔は健在なようだ。背も高めで、どちらかというと体系は細マッチョだったおかげで、スタイルは今でもいいみたいだと、ぱっと見では思ったが、どうせ腹は出始めてるだろう。


「春乃? 同期の人かな?」


 と、察しは決して悪くない優吾が、笑顔を張り付けた美しい笑顔を桃里に向ける。おかげで、優吾の笑顔を直視してしまった皆さんの顔が、お酒とは別の意味で赤く染まっていくのがここからでもよくわかった。

 あーもう。なんだこの意味わからない修羅場(笑)は……。


「そう、ただの同期。雪里桃里。既婚者でもあるから気にしないでいいよ」


「そうなんだ。初めまして『既婚者』の雪里さん。春乃の『婚約者』の駒百合優吾です」


 優吾がそう言って笑顔を向ければ、桃里は優吾の言葉に顔を引きつらせながらも笑顔を返していた。お前は営業の鑑だよ。誇っていいぞ桃里。


「どうも。それにしても、駒百合さんは春乃より年下と聞いてますけど、こいつの相手は大変でしょ? わりと子供っぽいところがあるし」


 優吾の言葉への反撃なのか、桃里まで何やら張り合い始めやがった。なんなの?


「ふふっ。僕の両親や親戚まで春乃のことをみんな好きすぎて困ってるくらい、春乃は頑張り屋さんで可愛い人ですよね。おかげで彼女が年上だってことをよく忘れてしまいますよ。彼女のわがままなんてかわいいものですし、もっと言ってもらってもいいんですけど、彼女は謙虚でもあるみたいですから……ああ、僕に言われるまでもなく、雪里さんは知ってますよね?」


 と、優吾はいっそ優雅さえ見える余裕で桃里をあしらうように笑って見せた。

 私はそんな二人を横目でちょっとハラハラとしながら見ているのだが、私の横の美沙先輩は両肩を震わせて必死に笑いを耐えているし、他のみんなもワクワクと成り行きを見守っているようだった。

 いや、本当。当人にとっては笑えませんからね君ら。


「そうなんだ。猫かぶってんのかな? わがまま癖に、女らしさを捨ててるようなやつなんだけど――」


 なんて笑う桃里に、私が思わずおしぼりを投げてけていた。


「お前は私の恋人の前で私を扱き下ろして何が楽しいんだ。あ?」


「あ、いやっ。悪いっ」


 悪いじゃねぇんだよっ。むしろそんな私を知ったからと言って優吾の私に対する印象が変わるわけじゃないだろうが、ここには先輩をはじめ会社のみんなが居るのだ。そういう所の気が使えないから、私はこいつと付き合っている間イラつくことも多かったことを思い出してしまった。


「大体ね。あんたはいつも人前で私を貶すようなことばっかり言って――」


 なんて、昔のことを思い出したら当時の愚痴まで思い出してしまって、思わずヒートアップしそうな私に、優吾がそっと私の頭に手を乗せた。

 な、なんだ? と思って口を閉じて優吾に顔を向けると、優しく微笑みながら、優吾は私の頭を優しくなでつける。


「春乃、楽しい席では笑顔でね」


 そう言うと、私の頭を撫でていた手が私の頬まで滑り、私の鼻の頭をツンとつついて離れていく。

 何してくれてんだよ。ちょっと恥ずかしかったよ今っ。


「えっと、ごめん」


 だけど、おかげで苛立ちゲージをうまく優吾にへし折られ、私の気持ちはすっと凪いで落ち着いた。


「やだ、春が素直に謝ったっ!? ラブラブじゃないのよっ!!」


 なんて先輩の言葉に、私の羞恥心がさらに上がったのは言うまでもない。

 いや、まあ、狙えるときはラブラブアピールをする、努力するって約束はしてたから……結果オーライということで。






 一先ず、桃里もおめでとうを言ってくれたが、どこまで本心だかわかったもんじゃない。とはいえ、飲み会も半ばに差し掛かり、もうあいつのことは気にしない方向で、私はみんなや優吾と楽しいお酒の席を堪能していた。

 今後また、こういう機会はそうあるものじゃないんだし。

 ちなみに、みんなからのサプライズは、クマの小さなぬいぐるみの新郎新婦がマグカップを抱っこしている奴だった。もちろんマグカップも色違いのお揃い。

 お前らなぁ。なんでこれをチョイスしやがった。とまあ、いろいろ突っ込みどころ満載なものではあったけど、気持ちがうれしかったんだよ。気持ちがね。

 それから、特に問題もなく、優吾も比較的楽しそうに飲んでいて、集まったみんなとそれなりに話も弾んでいたようで、私も一安心だ。もともと優吾の社交性はたぶんこの中の誰よりも高いだろうけど。

 なんて楽しく飲んでいたのだけど、私でも生理現象には逆らえない。

 私は優吾と先輩に一声かけて席を立ち、二階にある化粧室へと向かう。用も済んで化粧も直し、化粧室から出ると、そこにはなぜか桃里が壁に背を預けて立っていた。

 化粧室から出てきた私を見ると、軽く片腕を上げて近づいてくる。


「なに? 男子トイレいっぱいだった?」


「ちげぇよ。お前を待ってたんだよ」


 なぜ待つ? しかも見たところ手持ちの荷物は何もなし。


「出待ちとかウザい。せめておしぼりもって待機しろよ。気の利かねぇやつだな」


 と、私が首を横に振ってため息を吐いて見せれば、桃里は私のすぐ目の前で足を止めて。


「俺は店のバイトじゃねぇんだよ。欲しけりゃ自分で取り行けって」


 と言って苦笑するように頭をかいた。

 うむ。まあ桃里の言う通りなんだけど、私は言えば持ってきてくれる生活をしてるもんでな。なんて、そんなことは言わないけど。


「階段が面倒くさいから行かないけどな。で? 私に用事?」


 私がそう言って首を横に倒して見せれば、桃里は一度だけ廊下を見てから私に顔を戻し、少しだけ顔の表情を引き締めてみせる。

 こういう顔をする時は、大体、冗談じゃない話をされることが多いこともわかってる。だからこそ、私は桃里が話し出す前に。


「忠告しておくけどな。下手なこと口走るなよ。私の拳が飛ぶからな?」


 そう牽制の意味も込めて桃里をみあげた。

 私の言葉になのか、それとも私に見つめられてるからなのか、桃里は一瞬口を閉じて何かを考えるようなしぐさを見せるが、すぐに私に視線を戻した。どうやら何かの決意があるらしい。


「お前さ。あの年下男と、マジで結婚する気なの?」


「そりゃアンタ、ここまで来て『うっそで~す!』なんて言えるわけないよね?」


「そう言う話じゃねぇよ。お前があいつを本気で好きなのか聞いてんだ」


 桃里はそう言うと、私の顔の横に手をついた。ああ、これっていわゆる壁ドンじゃん。付き合ってる最中にされたこと一度もねぇなぁ。なんて明後日な感想が思い浮かんだが。

 こいつとの付き合いだって短いものじゃなかったし、私の反応を見て何かを感じ取ったのかもしれない。でも、だからと言って、それがお前と何の関係があるってんだ。


「好きじゃなきゃ結婚はしないでしょ。普通」


 そう言ってあきれた視線を向ける私に、桃里は難しい表情を浮かべて口を閉じる。

 優吾と契約を結んだ当初なら、好きかと聞かれたら誤魔化す言葉を探していたかもしれないが、今はきちんと『好き』だと真剣に言えるのだ。

 彼が私を家族として大事にしてくれるから。真剣に私の幸せを願ってくれるから。そう、感じさせてくれるから……。これは『恋』じゃない。でも確かに、私の中で『愛』になり始めているんだと思う。

 だから迷わず言えるのだ。


「私は優吾のことが好きで結婚するんだよ」


 家族として、私も彼を愛していけそうな気がするのだ。今なら。


「正直に言うと、俺はお前と別れたのを後悔してる」


「そうなんだ。今さら何なの?」


 そんな話を今さらされても困っちゃうんですけどね。


「確かに今さらだよな。でも、俺だって好きで結婚したわけじゃ――」


「いや、好きで選んだんでしょ? 上司の娘っていう肩書に乗っかったんじゃん。どう取り繕っても覆らないでしょ?」


 お前のクズ加減はな。


「そりゃ、選ばなきゃ……お前に何かするかもしれないって脅されたら、仕方ねぇだろ……」


「うわっ。汚いやり口で来たな、お前」


 何その遠回しなようで、ダイレクトにお前を守るために的な言い方。


「そう言うやつだよ。お前はさ」


 なんて桃里はまた苦笑いを見せた。

 だが、そう言うやつもこういうやつもない。


「何? なんて言ってほしいわけ? 私を守るために辛い思いさせてごめんて? それとも、そんな事情じゃしょうがないよねって? どんな言い訳を並べようと、結果は変わらないんじゃない?」


 私がそう言うと、桃里は口を閉じた。

 どんな事情があるにせよ、そう言うのはその場で言わなきゃ意味がない。

 それを今さら言い訳よろしく私に伝えたところで何も変わりはしないのだ。第一、私は別に言い訳をしてほしいわけでも、当時の彼の選択を責めてるわけでもない。それこそ余計なことを今さら言うなよってことなのだ。

 まったく、野暮な男ってのはこういうやつを言うんだよ。


「わかってるよ。今さら言い訳しても意味ないことくらい……それでも、俺は……」


 再び口を開いた桃里は、そう言うと悔しそうに顔を歪めて見せる。

 いやな。さっきから思ってるんだけど、そもそもお前は何がしたいんだよ?


「まあ、余計なことは聞かなかったことにして流してあげるから、さっさとみんなのところに戻ろう?」


 結婚前の私と既婚者の桃里が二人きりで、こんなところで立ち話って、面白いネタを誰かに提供しかねない状況はいただけない。まして、こんなちょっと深刻な話をしてますみたいな雰囲気がさらにいただけないと思うのよね。

 だから私は桃里の胸を軽く拳で叩いて、この壁ドン状態を止めてくれるように促してみるのだが、彼の胸を叩いた私の手首をつかみ、桃里はぐっと私に顔を近づけてくる。


「おい。妙な噂されたら困るって言ってんだよっ」


「俺は困らない」


 はい? 困らないだと?


「お前がどうとかどうでもいいわっ! 私が困る!」


 何を言い出してんだこいつっ。


「聞けよっ」


「嫌だよっ!」


 私は今日、みんなに結婚のお祝いをしてもらいに来てんだよっ! 予想外の修羅場を体験しに来たんじゃないっ!


「春乃っ。俺は今でも好きだっ」


「あーーー。言いやがったこの馬鹿……」


 思わず私は自分の頭を抱えてしまいそうになる。

 お前が私をどう思っていようと、この際どうでもいいのだ。何しろ私にとってはもうとっくの昔に終わった相手なのだから。好きだと言われたところで、別に私の気持ちが動くことはない。

 だけど、お前の言葉を聞いた誰かが、どんなうわさを流すとか、お前の言葉が巡り巡ってお前の嫁にばれる可能性だってゼロじゃないだろうといいたいのだ。


「常々馬鹿だとは思ってたけど、大馬鹿野郎だな。本当に」


 私が『馬鹿』を連発したのが気に入らないのか、桃里は口先をとがらせて拗ねたような顔を見せる。


「馬鹿でもなんでもいい。とにかく、結婚なんてやめとけよ。少し時間はかかるかもしれないけど、俺、あいつとは離婚する。だから、やり直そう……」


「え。嫌ですけど」


「即決だなおいっ。考える余地もなしかよっ」


「ねぇよ。んなもん」


 本当に、こいつの空気の読めなさ加減にあきれるわ。


「そうは言っても、お前だって俺のこと忘れられないから、誰と付き合っても長続きしなかったんじゃないのかよ」


「あ? 何となくだよ。別に引きずってたとかいうんじゃないから。女ってその辺はかなりサッパリですから。だいたい、もう今さら結婚を止める気もないし、止められるわけもないでしょーが」


 契約書があるんだから無理なもんは無理だ。

 てかそれ以上に、こいつとよりを戻すなんて絶対に嫌だ。


「お前が好きだからか? 違いうだろっ。何を隠してるか知らねぇけどな、お前と伊達に付き合ってたわけじゃねぇんだよ。お前が相手を好きかどうかくらい見抜けるっ」


「はっ……見抜ける。ねぇ……」


 こいつが私の何を理解してるというのか。

 本当に私のことをわかってくれてたなら、あの時、私を選んでくれたんじゃないの?


「知り合いの子にね。好きなら相手の柵とか仕事とか、そう言う、相手を形作るいろいろなものを受け入れてあげるのも愛情じゃないのかって、言ったことがあったのよ。それも間違いではないと思うのよね。でもその子にね。愛しているなら、今持ってる全てのものを捨てることができるはずだ。って言われたとき、それも間違いじゃないと思ったよ」


 たぶん、当時の私が必要だったのが、西園君が言ったことなんだと思う。

 たとえお互いに会社を辞めることになったとしても、当時、私を選んで一緒にいてくれたなら……。

 でもそんなIfを考えたところで無意味だ。結果はもう出てるんだから……。

 それに、こいつは何もわかってない。


「だから、俺はこれから――」


「もう遅いって言ってんのっ。あんたが今まで私の何を見てきたかは知らないけど、私は優吾のことを愛してるよっ。だからこの結婚にも不安はないし、彼ほど私を大事に想ってくれる人に出会ったことだってないっ!」


 私がそう言い切って桃里を睨みあげると同時に、桃里はなぜか私の正面から左側の壁へと飛んで行ってしまった。

 何を言ってるのかわからないかもしれないが、いや、本当に私の目の前から突然、横に桃里が飛んで行ったのだ。な、なんだ? と思って桃里に顔を向けると、桃里はなぜか壁にぶつかって尻もちをつき、面食らったような顔で私の後ろへと視線を向けていた。


「まあ、こんなことだろうとは思ったけど、本気で僕から婚約者を奪おうなんて、いい度胸だ。雪里桃里」


 聞きなれた優しいいつもの声じゃない。

 今までに聞いたこともない冷たい声に私が顔を向ければ……。


「この僕を怒らせるのがどれほど愚かしいことかを、その身をもって教えてあげようか」


 無表情で両目を見開いた優吾が、桃里を絶対零度の視線で射抜きながら、持ち上げた足をゆっくりと廊下に下ろすところだった。

 しっかり体勢を直した優吾は、両腕を胸の前で組んで、まるで王様のように桃里を見下していた……。

 もしかして今、桃里のこと蹴りました?


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