食事会
食事会の会場にと用意されたのは、森に囲まれた海の見える大きな屋敷だった。昼れの近づくオレンジが空も海も染めてきれいでずっと眺めていたいが、そうもいかない。本家よりは狭いものの、古い味のある日本家屋で、広い座敷にはすでにたくさんの人で埋まっている。
これが全部親類とか、駒百合家ってデカすぎだろう。
上座に位置するであろう場所には、本家の家長、雅臣さんの席と左隣には妻である奏さんの席が用意され、その右隣には優吾と私の席が並べられている。
そして私たちの正面に向かい合うように並べられた二十もの席には、誰一人欠けることなく席が埋まっていた。私たちの後ろに控えるように座る要さんたちに、一応、集まった人たちの名前をは教えてもらったけど、残念ながらいっぺんに二十人以上の名前を覚えるなんて無茶ぶりもいいところだ。
それにしても、本当に歴史のある家って……めんどくせぇ、と思って私が大きく息を吐きだしたとき。
「まずはみんなの元気そうな顔が見れてよかったよ」
と、雅臣さんが笑顔を見せ。
「今回集まってもらったのはほかでもない。ようやく優吾が伴侶を決めてくれてね。すでに知っているだろうが――」
雅臣さんはそこでいったん言葉を切ると私の方に掌を向け。
「宮島春乃だ。優吾より少し年上ではあるが、しっかりした女性だ」
そう言って、口を閉じる。
それをぼうっと眺めていた私に、私のすぐ後ろに控えていた美影さんが小声で私を呼ぶ声に、私は『はっ』となり慌てて頭を下げた。やばいやばい、さっき聞いた段取りをうっかり忘れるところだったわ。
「宮島春乃と申します」
一先ずこの挨拶だけしておけば後はぼうっとしててもいいと言われてるので、これだけはしっかりやらねば。と、内心ドキドキだ。すると、私たちから正面向かって左側に座っていた雅臣さんより少し年上の男性が。
「めでたいことだ。本家の跡取りの婚約を今かと待ちわびていた。雅臣もこれで肩の荷が半分は降りただろう?」
そういっておかしそうに笑う。
「そうだな。まだ気がかりは山ほどあるが一先ずといったところだよ」
雅臣さんがそう返せば、今度は右側に座っていた雅臣さんより少し若そうな男性が同じように笑った。
「でも優吾君はしっかりしてますから、心配はありませんよ」
「そうかい? ありがとう透真」
雅臣さんも笑顔で返し――ん? 今『透真』って……。
それって今朝の話で出てきた……。雅臣さんが透真と呼んだ人に顔を向ければ、その彼の隣には日本人形のような長い黒髪の高校生くらい少女と、そのさらに隣に中学生くらいの少女がいて、間違っていなければ彼女たちが朝の話に出てた『園子』って子と『櫻子』って子なのかな? と女の子に目を向けた私に、黒髪の女の子の方がぎろりとにらんできた。
ああ、これは……覚えがあるぞ。またこれかよ。そうちょっとうんざりしてる中、雅臣さんがお酒の入ったグラスを掲げ。
「一先ず乾杯をしようか」
といえば、その場の全員が同じようにグラスを掲げた。
おいしいお酒と料理には満足だったし、本家から来てくれている顔見知りの黄龍家の皆さんが給仕してくれてるおかげで、私の緊張感も多少緩和されてはいるのだけど。
まったりと食事会が始まり十五分。集まった人たちの好奇の目がちらちらとこちらを見ていて非常に居心地が悪い。その中でも一番私の居心地を悪くしているのが――。
「すごい睨まれてる」
ぼそりとそうつぶやいた私に、優吾は私の視線の先を目で追い、納得したように私に顔を戻した。
「園子だよ」
知ってる。私たちの正面、向かって右側にいる右百合家の当主、右百合透真の隣にいる黒髪釣り目美少女が園子ちゃん。そしてそのさらに隣にいるかわいい少女が櫻子ちゃんというらしい。で、私は園子ちゃんにかなりすごい目で睨まれつ透けているのだ。
「由紀子ちゃん再来の予感だよ」
おいしいお酒を一口含み飲み込んでから大きくため息を吐き出す私に、隣の優吾がおかしそうに笑っていた。てか笑い事じゃぁねぇんだけど?
「僕は従妹に興味はないんだけどねぇ」
そういう問題でもないんじゃないか? とは思うが、私はひとまずお酒を飲む方を選んでグラスを傾ける。
優吾がどう思っているかなどさっそく興味はない。だいたい由紀子ちゃんのこともあるし、優吾はあまり信用できん。
「あっそう」
「それに、この間のことで懲りたしね」
優吾はそういうと、わざとらしく私の耳元に口を寄せて小さく笑った。その時の園子ちゃんの顔ときたら、うん、怖かったとだけ言っておく。
それにしても、駒百合家というのが話に聞いているより、私が想像するよりもはるかに大きな家なんだとあらためて思い知らされた。
くるりと見回した限りでも、集まっている顔ぶれの中に、テレビで見たことのある人が五人ほどいるし、どこを見てもみんな顔の作りがアホのように良い。ちなみに、テレビで見たことある顔というのは政治家さんだ。さすがにあの人たちの苗字はわかったわ。
だけど席の数からして分家筋の当主くらいしか集まらないのかと思いきや、集まっているのは本家に最も近い血筋の分家とその家族だけということだ。実際、遠縁も呼び出すとなると、今回集まっている場所では広さが足りないとのこと。
それと今回の集まりは、あくまで近い身内への顔見せという目的しかなく、本格的な一族を集めた食事会はまた別に予定されているとか。面倒くさいことこの上ない。とはいっても、今回は本当に近い親戚を集めた軽いものらしいので、私もあまり細かいことは気にしないでいいと言われているが、それでも面倒であることは変わらないんだよ。たくっ。
「お酒は口に合いましたか? 春乃さん」
私がグラスの中身を空にした直後、私の前に私と年の変わらなそうな男性が柔らかい笑顔を浮かべて座り、私の空いたグラスにお酒を注ぎ入れたものだから、私は慌ててグラスを手に持ち傾けた。
確かこの人、左側の中間あたりに座ってた人だ。
「はい。とても」
私も顔に笑みを作り、目の前の男性にしっかりとうなづいて見せる。
「静馬兄さんのリクエストだったんですね」
そんな私と男性のやり取りを見て、横から優吾も会話に加わってきたのでちょっとほっとした。この人、静馬さんというのか。ちなみに付け加えるなら、もちろん黒髪短髪さわやか系のイケメンである。涼やかな目元がかなり素敵だ。駒百合の血統は絶対美の女神に愛されてると思う。マジで。
「ああ、さすがに園子(お子様)の味覚で酒の良し悪しはまだわからんだろうし、何より、あれにホスト役はまだ務まらんさ」
静馬さんとはそういうと、やはりさわやかであり甘やかな笑みを顔に浮かべて優吾のグラスにもお酒を注いでいた。
「さすがに期待してなかったから、まずいお酒が出ても文句を言うつもりはなかったけどね。でもいい加減に、園子は会場を指定することがイコールでホスト役に回るということなのだと、覚えてもいいころだと思うんだけど」
優吾はそういうと、軽く呆れたような息を吐き出してからグラスに口をつけた。
でも優吾の言葉に、ああ、なるほど。と私は横で納得してしまった。親族の誰かが我がままで食事会の場所を決めるというのを、聞いた当初はずいぶん緩いなぁと思っていたけど、実際はそんな緩い話ではなく、自分のわがままを通すとなれば、集まる場所やもろもろの準備は言った本人がするのが望ましいということだろう。
だから集まる場所が国内だろうが国外だろうが、好きに選んで構わないということなんだろうな。
「そういう期待もするだけ無駄だろう。駒百合の相談役という役割があることすらきちんと教えているのかどうか。こういうのは申し訳ないが、透真さんは外婿だからな」
「あーでも、左百合家との溝ができるのはちょっと困るなぁ。押され気味だって聞いてるよ。発言力も弱いらしいね」
「透真さんはもともと穏やかな人だしな。だが園子が問題を起こすとますます透真さんの立場が弱くなる。この間、うちで園子をしばらく面倒見ると母が透真さんに掛け合ってみたんだが、断られてしまった」
「藤神崎家なら適任だと思うけど、また園子にわがまま通されたのかな? 櫻子は素直な子なのにねぇ」
と、優吾と静馬さんが話している内部事情に、私が口をはさんでよいものか非常に悩んでいた。そもそも、駒百合の分家や遠縁の名前をすべて覚えていない私が一族間の序列やら役割やらを把握しているはずもなく、その辺に関しては要さんどころか奏さんにも何も教えられていないのだ。
ここはやはり、気にせずお酒ををちびちび飲んでいた方がいいか。と、私が膳の小鉢に箸をおんばしかけたところで、急に優吾が「そうだ、春乃」と私に顔を向けるので、私は箸を持ったままびっくりして固まって待った。
びっくりするから急に呼ぶのやめてくれる。
「うっかりしてたよ。こちら、藤神崎 静馬さん、学生の時はよく僕の勉強も見てくれた人だよ」
「そうなんだ。改めまして、宮島春乃です」
紹介がお遅かったのはまあこの際流しておいて、私は改めて静馬さんへと頭を下げて挨拶をした。
「こちらこそ、先に名乗らなかった非礼をお詫びします、春乃さん。俺のことは静馬でも、優吾のように兄さんでも、好きなように呼んください。聞いたところによると、年齢は俺の二つ下くらいだとか、年も近いですし、わからないことや困ったことがあればいつでも相談してください」
そういって輝く笑顔を見せる静馬さんに、不覚にも私の胸がときめいてしまった。くっ! スーツの上からでもわかる広い肩幅と厚みのある胸板がもろ好みど真ん中なんだっ! 仕方ないだろう! よし、落ち着こう。
「ちなみに、兄さんはもう所帯持ちだからね春乃」
「は?」
「静馬兄さんはまじめな人だから、誘惑しても落ちないからね?」
「なっ! ば、馬鹿なこと言ってんじゃね――言わないでっ。私は優吾の婚約者であって、う、浮気とかそういうの嫌いよっ!」
「うん。信じてるよダーリン」
優吾はそういうと胡散臭い笑顔で私を見つめていた。おいっ、てめぇっ。なんだそのまったく信じてないような顔はっ!
額が付きそうなほど顔を近づけた私と優吾がじっとにらみ合っていると、不意に静馬さんが「ぷっ」と吹き出し。
「あははっ! いや、すまないっ。優吾が家族以外の人にそんな姿を見せることは滅多にないものだから、二人は本当に仲が良いのだなと思ってね」
なんて、おかしそうに笑われてしまった。
「兄さんもあんまり春乃を誘惑しないでよ」
だから、いい加減にそこから離れろよお前はっ。
「しないよ。俺は妻一筋だ」
「でも、僕より兄さんの顔の方が好みっていうのが気に入らないけどね」
優吾はそういうと、ちょっとだけすねたような目で私を横目で見るとグラスに口をつける。
「てか、私そんなこと一言も言ってないんですけどっ」
確かに好みだけどさっ。奥さんがいる婚約者の従兄って、浮気するにしても相手が悪すぎるだろうーがっ! そんな危ないものに手を出すわけないでしょーがっ!
「目を見ればわかるよ」
優吾はそういうと、私の左手をぎゅっと握ってきた。はぁ? 何なのよもう。まさかもう酔ったとかいうんじゃないでしょうね? まだお酒なんてグラスで三杯程度しか飲んでないでしょうがっ。
あれ、そういえば……私って優吾がお酒に強いのか弱いのか知らないわ。こうしてお酒を飲むのも今回が初めてじゃん。
「はははっ。珍しく酔いが回ってるんじゃないのか優吾?」
優し気に優吾を見下ろす静馬さんの顔は、まさしく兄らしい顔で、そんな静馬さんの言葉と顔に優吾は一つ息を吐き出すと。
「まさか。このくらいじゃ酔わないよ。でも、ちょっとアルコールでどっかゆるんじゃったのかもね」
優吾はそういうとグラスの中身を一気に空にして、その場に立ち上がった。
「少し夜風にあたってくるよ。大好きな兄さんに八つ当たりしちゃうなんてどうかしてるね」
そういって自嘲気味に笑って見せた後、優吾は私たちに背を向けて廊下を出て行ってしまった。おい、私を残していくなし。
私は「はぁっ」と大きく息を吐き出し。
「お話しの途中ですみません。私も少し席を外させていただきます」
そう静馬さんに伝えれば、彼は変わらず笑顔でうなづき返してくれた。それを確認してから、私は奏さんと要さんに、優吾が外に出たので自分も席をはずことを伝えて、すぐに優吾の後を追った。
外はすっかり夜に染まり、潮風が波の音を私の耳に届けた。
空には白い月が浮かび、余計な明かりのないこの場所からは、降り注がんばかりの星がそらを埋め尽くしていた。ああ、なんてきれいな世界だろうか――って、景色にを悠長に眺めている場合ではない。
すぐにあとを追いかけたおかげか、優吾の背中はすぐに見つかった。どうやら浜辺方面に向かっているようで、私は急いで追いかけて砂浜にたどり着く前に優吾の背中を捕まえることに成功した。
急に私に背中をつかまれた優吾は驚いたように振り返り、私だとわかると、苦笑い交じりに私を見下ろしていた。まったく、世話のかかるやつだよ。
「心配しなくてもすぐ戻るのに」
優吾はそういって、背中をつかんでいた私の手を取る。
「あーほら。なんていうか。こういう時ってさ、普通は一緒に行くでしょ」
まあ何が普通かなんてわかんないけど。
「そっか……ねぇ。ここまで来たんだし、少し砂浜を散歩しない?」
そういって、優吾は掴んだ私の手に自分の手を絡ませた。砕いて言うなら恋人繋ぎというのか。互いの指を絡ませてつなぐあれだ。
まあ、今は誰が見ているかもわからないし、この繋ぎ方に文句を言うわけにもいかず、てか文句を言うほどのことでもないけど。
「いいけど、サンダルに砂が入るぜ絶対」
何しろ夏用のかわいらしいサンダルだ。砂浜を歩くことなど想定されたデザインではない。
「じゃあおんぶする?」
「自分で歩くんでやめてください」
「ふふっ。じゃあ行こう」
優吾はいつものようにきれいに笑うと、私の手を引き歩き出した。
どうやら機嫌は直ったみたい、かな?
ぎり月曜日に間に合った……?




