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カフェオレ・ダーリン  作者: 風犬 ごん
23/53

休日の過ごし方4


 突然のことに驚いた私だったが、車から引きずり出されてこけそうになった私をしっかり誰かが抱き留めてくれて、無様にこけることはなかったので一安心。とはいうものの、いったい誰がこんな無茶してくれやがったのかと顔を上げれば、そこには予想通りの顔があり、私は和んだ気持ちがまたいらだつのが分かった。


「ちょっと、あんたねっ」


 声もかけずに人を車から引きずり出すとはどういうことだっ。怪我でもしたらどうしてくれる! と、文句の一つでも言ってやろうとする私の言葉を遮り、私の腕を掴んだまま離そうとしない優吾は。


「じゃあ要、向こうで先に待ってて」


 そういうと、有無を言わせず私の腕を引っ張りながら歩きだした。


「おいっ! 聞けよっ! 本当さっきから何なのよっ!」


 振り返れば要さんが軽く会釈をして見せ、私たちを見送っていた。いや、だから止めてよつ。






 来たときとは逆に緩い下り坂を、私は無理やり腕を引かれながら下っている。

 優吾の腕を振りほどこうともがいてみるが、それも無駄に終わる。仕方ないので腕を引かれるまま私はおとなしく歩くことにした。まあ、歩く速度はさほど早くもない。

 ふと周りに視線を向ければ車の中で見た景色とは違い、無機質な境界のない自然が広がっていた。

 穏やかな空には小鳥が遊ぶように遠保に見える山へと向かっていく。薄い雲が緩やかに空を白く染め、遠くでセミの声がこだましていた。ああ夏だなぁ、とさすがに季節を感じる。

 レストランの在った場所から見えた青い稲穂がすぐそばにあり、時折吹く風に揺られながら小気味よいさわさわとした音を囁かせていて、少しだけ私の気持ちも落ち着いてきたように思う。

 だがしかしだ。

 歩く速さはさほどではないものの、結局、歩き始めて変わる景色を眺めるほどの時間があったにもかかわらず、優吾は私の腕を引きながらただ前を向いて歩くばかりで口を開こうとはしない。いったい何がしたいんだろうかこいつ。

 でもこっちから話しけるのもなんかイヤなんだよなぁ、と思ってため息を吐く私に。


「駅前にね、おいしいケーキ屋さんがあるんだって」


 優吾は脈略もなくそう言った。

 おいおい、さっきのレストランでデザートにアップルパイ――バニラアイス添え――を食べたばっかりなんですけど? この上まだ何か食べようというのか。さすがに私の体重に大打撃なんですけど。

 そう思ったところで。


「ケーキが嫌なら、ここから一駅先のところに大きな本屋があるそうだよ。行ってみてもいいね」


 またそんなことを言う。

 今は特にほしいものも読みたいものもないけど。


「また都心部の方に戻ってライブハウスに行ってみてもいいかもね。僕あんまりそういう所に入ったことないし」


 私が返事をしないでいれば、優吾はまたそうやって話を変えてくる。

 このままアミューズメントパークやら、どこかのイベントに足を延ばしてみようかとか、夜間営業をしている水族館に行ってみるのも悪くないとか、明確にどこに行こうとは言わずに、あれはどうか、これはどうか、とただ無意味に言葉を羅列するばかりで、私の頭の中ははてなマークでいっぱいだ。


「ゲームセンターとかもいいかもね。僕そういう場所はほとんど行かないし、それに――」


 まだまだ続きそうな優吾の提案に、無視してやろうかと思っていたけど、さすがに私は待ったをかけた。


「ちょっと待って、さっきからいったい何だっていうのよっ」


 わけわからなすぎだろ。

 私がそう声をかければ、優吾はやっとその歩みを止めて私に振り返った。そして薄く笑うと体ごと私へと向き直ると。


「ご機嫌取り」


 と言って、笑みを深めた。

 私は思わず自分のこぶしをぐっと握りしめると、勢いをつけて優吾の腹を殴りつけてやろうと繰り出すが、優吾は笑顔のまま私のこぶしを軽く受け止めてしまった。チっ!!

 無駄に反射神経もいいから余計にむかつくっ。


「ご機嫌取りなんて頼んでねぇんだよ! てか、それは思ってても言わない方がいい言葉だからっ!」


「僕のことを置いて帰ろうとしたくせに」


 それが私のご機嫌取りとどんな関係があるんですかねぇ!


「お前らが人の機嫌を損ねたのが原因でしょうがっ!」


「僕じゃなくて由紀子ちゃんがでしょ?」


「じゃれあってたんだから『お前ら』だよ。別に邪魔はしないんで戻って続きでもしててください」


 むかむかしてたのが少し収まったと思えばこれだ。さっきから人の怒りをあおりやがって。

 今日はもう本当に、これ以上こいつと居ても機嫌が悪くなるばかりで戻りそうもない。


「邪魔って、むしろ邪魔してきたのは向こうなのに、なんで春乃が不機嫌になっちゃうの?」


「レストランでの出来事をもう一回思い出してから家に帰ってきてください」


 だんだん面倒くさくなってきた。


「だから僕を置いて帰ろうとしないでよ」


 優吾はそう言うと眉をハの字に下げて私の両手をそっと握りる。


「不機嫌な人は放っておくに限る。どうせ次の日にはケロッとしてるんだから」


 とりあえずは予定どおり、映画と食事散歩はしたんだし、もういいだろと思う私に、優吾はゆっくりと手を伸ばして私の左頬にそっと触れた。


「でも放っておいたら、僕と春乃の距離が遠くなるでしょ?」


 そんなふうに言われて、私は一瞬、また頭の中にはてなが浮かんだ。

 私たちの距離ってのが心の距離のことだというのはわかる。だけどお前が思うほど私たちって近くはないはずだ。だって、私の役目がそもそもカムフラージュでしかないのに。

 そう、ただのお飾りだ。だというのに、どうして勝手に不機嫌になった私の機嫌を取る必要があるんだか。

私の機嫌なんて取るよりも、さっさと西園君と仲直りすればいいんだよ。


「距離を近づけたからって何? そもそも近くもないじゃない」


 だからこのことがきっかけで、私たちの関係が特別に変化するはずもない。無意味でしょ。


「でも遠くはないだろ?」


「どうなのかしらね……」


 近づくことに何の意味があるんだろう?

 優吾と居て私が得るものは安定した生活。それだけだ。でも、私はそれ以上を望んでいない。それ以上を望む相手でもないのはわかっているから。

 優吾を見ていると、なんだか胸の奥がざわつく気がする。私はそれが嫌で、優吾から視線を外した。

 出かけることは嫌じゃない。気に入らないことを笑顔で受け入れることはできないけど、妥協できるところは全部していくつもりだし、今日のことだってまあ気に入らないことはあったものの、放っておけばそのうち機嫌もよくなる。だから放っておくのが一番楽なんだから、そうしろって言ってるだけなのに。

 なんで私に構おうとするんだろうか? 今は私のことよりもっと考えるべきことがあるんじゃないだろうか? それとも、こいつも現実逃避したいのか?


「ねぇ春乃。僕はもっと春乃のことを知りたいと思ってる。さっきのレストランでのことは、ごめん。正直に言うと、ちょっとおかしかったよ。やきもち焼かれたみたいでさ」


「うん。やきもちと全然違うよね?」


 何言ってんだこいつ。


「わかってる。でも、そう思ったら、急に春乃がかわいく思えちゃってね」


「気持ち悪いこと言うな」


 私がそういって眉を寄せれば優吾はおかしそうに笑ったあと。


「でも、僕は君を愛してるよ。大事な家族になる人だから」


 そういってから、満足そうに両目を細めて見せた。

 その優吾の顔は初めて見るもので、私は何かを、何か皮肉とか嫌味とか、そういうものを言わなきゃいけないと思ったけど、何も言葉か見つけられなくて。


「やっぱり美味しいケーキを買って家に帰ろうか? 夕飯まで一緒にゲームやろうね」


「イチゴのケーキ……」


「時期じゃないけどまあ、イチゴはあるかな。美味しそうなのは全部買っちゃうのもいいかも」


「夕飯食べられなくなるかもよ」


「どれだけ買うつもりで、どれだけ食べる気なの?」


「そんな夕飯もアリ?」


「悪くはないね」


 優吾に手を引かれたまま、私は結局むかむかや不機嫌をあいまいに散らされてしまって、少しだけ悔しいと思った。だって、まるで私のほうが子供っぽいんだもの。






 家に帰りつき、ケーキという名の夕飯を食べ終わってから、私と優吾は結局、寝る頃になるまでずっとゲームをしていた。

 変わらない日常の一コマ。

 他愛話をして、寝る準備をして、それからお休みを言って、お互いに自分の部屋でベッドに入ったのは十一時を過ぎたころで、私はどうにも眠れなくてベッドから起きだすと時計を確認し、十二時前であることを確認するとリビングへと向かった。

 キッチンに向かい冷蔵庫からお茶を出して飲むと、コップをシンクに入れてリビングの大きなめどの前に腰を下ろして空を見上げる。

 すっかり濃い闇色に変わった空には小さな星がいくつか見えるが、あいにく月は見当たらないなと息をそっと吐き出したとき、リビングのドアが開き。


「寝れないの?」


 とひそめた優吾の声が私の耳に入り、私はそちらへと振り返った。


「眠れないというか、ちょっと気になってね」


 そんな私の答えを聞くと優吾は室内に入ってきて。


「気になること?」


 不思議そうに首を横に倒す優吾を見て、私はまた窓へと顔を戻した。


「西園君のこと」


「ああ、そのことね」


 私も別に、優吾と一緒に出掛けるのは嫌じゃない。休日を一緒に過ごすことも別に苦じゃないし、優吾のことも嫌いじゃない。

 でも、今のままでは何の解決にもならない。もちろん優吾だって西園君のことを考えていないわけではないと思うけど。

 優吾は息を吐くそうにぽつりと返事をすると、私の背中に寄り掛かるように座ると、少しだけ私の背中に重みを預けた。


「考えてはいるけど、圭介の気持ちがわからなくてさ……僕も、今はどうしたいのかわからないんだ」


「そっかぁ」


「婚約パーティーの前には何とかしたいとは思ってるんだけど……」


「うん」


「僕はさ。圭介との未来をずっと考えてたんだ」


 優吾の顔は見えないが、彼が大きく息を吐きだし天井を見上げたのはわかった。


「でも、不思議なものでさ。今の生活になって、僕は一つ気が付いたことがあったんだよね」


「気が付いたこと?」


「必死に圭介のとのことを何とかしようとしてたけど、僕自身見えてなかったものが多すぎたんだなって」


 優吾はそういって自嘲するようにふっと笑う。


「それは、何も優吾だけの話じゃないんじゃない? みんなそうだと思うよ」


 西園君だって、私だってそう。

 私は自分の中にざわつく何かを、今、必死で見ないようにしてる。


「かもしれないね。でも僕は圭介とのことを真剣に考えていはずなんだ。だけど結局、今はこうなってる」


「すれ違いはあるよ。西園君だって、きっと優吾と同じくらい悩んでると思うし、少し時間を置けば、次に話し合うときには、もっといろんなことも見えるはずだよ。たぶんね」


「うん。そうだね……そういう所なんだろうな」


「ん? 何が?」


 私がそう振り返ろうとすると、それを止めるかのように布すれの音が聞こえたと思えば、私は突然、背中から抱きしめられ、思わず体が固まった。

 な、なにが起きたのっ?


「ちょ、え? 優吾?」


「ねぇ春乃。好きだってちゃんとわかってるし、そう思ってるのも本当なのに、どうして愛してるって言えないんだろう?」


 優吾の静かな声が私の左耳に触れる。

 迷うような声に頼りない響きが混ざり、私にも彼の持つ不安を伝染させそうな気がした。


「西園君のこと?」


「僕は春乃のことを愛してるって言えるのにね」


「それは……」


 私にもわからない。

 だって、たぶん恋をすることと愛を育てることは違うから。


「僕は、本当は圭介を好きじゃないのかな? だから、あの子に言えないのかな?」


 そういうと優吾は私を抱きしめる腕に力が入るけど、少しの息苦しさよりも優吾のかすかに震える両腕に、私の胸の奥がつきんと痛んだ気がした。

 もしかして、泣いてる?


「あの子の言う通り、今の生活を捨てられない僕はその程度の人間なのかな? 僕が初めからあの子の言う通りに家も名前も捨てていれば、こんなふうに迷うこともなかったのかな?」


 優吾の言葉は、私に対しての質問じゃない。それは自問だ。

 いくら考えたところで結果が出てしまえば何が正しかったのかなどわかるわけもない。むしろ、その場で下した選択が最良なんだろうと思う。

だた私にも一つ言えることがある。


「たぶんだけど、優吾は間違ってないし、もしもの話は無意味だよ。それでもあえて『もしも』を考えるなら、家族や今の生活を捨てれば、優吾は今と同じくらい悩んで、今のようにもしも今の生活を捨てなければって、きっと同じように苦しんだだろうね」


 結局どっちに転んでも、悩むことは変わらないだろうと思う。だって、その二つの間で挟まれて今の状態なんだから当然といえば当然だ。


「ふふっ。今が最善か。本当……春乃はこんな情けない僕にも優しいね」


 そんなふうに言いながら優吾が私の肩口にすり寄る。

 普段なら突き飛ばしてやりたいところだが、こんなにメンタルだた下がりな優吾にはさすがに鞭は打てん。


「いいじゃん。情けなくても。家族に見栄を張ってもしょうーがないじゃない?」


 家族として愛を育てるなら、弱音も、情けなさも、汚ささえも、全部受け止めてこそ、だろ? そう考えたら、なんだか少しおかしかった。


「そうだね……春乃の言う通りだ」


「家族だからね」


「僕と一緒にいてくれてありがとう……本当に」


「改まって言うな。恥ずかしい」


 私はあまり家族運がない。愛情の深かった両親は早くにいなくなり、親族も兄弟もなく、結局私は自分の子供も夫も作れなかった。でも……。


「明日も仕事でしょ? いい加減に寝たら? 遅刻すんぞ」


「要がいるから大丈夫」


「おい」


 今は、新たに芽生え始めたこの気持ちに、自分の心が温かくなっていることに、小さな幸せを感じ始めてる。


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