休日の過ごし方1
すでに日課になりつつあるダンスレッスンが終わり、夕飯も済ませた後でいつものようにダンスホールのバルコニーで私と優吾は食後のお茶を飲んでいた。
優吾が西園君と距離を置いてからすでに十日以上経つが、どちらからもまだ連絡を取っていないようだった。うーむ。二人にはまだ時間が必要なようだ。だけど、おかげで私は優吾と過ごす時間が増えてしまっている。嫌ということではないのだが、なんとも。早く二人が元通りにならないもんかとちょっと背中のあたりがむずむずしている。
結局のところは、二人がどうするかは当人同士の問題で、私が口出すことじゃないから何も言えないのだけど。
「――で、どこか行こうと思うんだけど。聞いてる?」
ぼうっとカップの中身をのぞき込んでいた私の顔を、優吾は訝し気に下からのぞき込み首をかしげてそう言った。
「うおっ。ごめんっ。ぼうっとしてた。で、なに? どっかでかけるの?」
いきなりキラキラフェイスがどアップで私の視界に飛び込んできたものだからびっくりしたが、私は慌てて優吾に顔を向けるとごまかすように笑って見せる。
「疲れちゃった? ここのところまた練習ばっかりだもんね」
優吾はそう言うと、自分も椅子に座りなおして苦笑いを返してきた。
「いや、多少はね。最初のころに比べればそこまで疲れてはいないよ」
慣れってすごい。
「それならいいけど。さっきの話だけど、明日は日曜日でしょ? よかったら遊びに行かない? って誘ったんだけど、どう?」
「ああ、そう言えば日曜か……え? 誘われてんの私?」
「他にはいないでしょ」
なんて優吾は笑うが、休日を過ごす友人やら知り合いなら私よりたくさんいるだろに。
「そりゃかまわないけど、出かけるって言ってもどこ行くのよ?」
なんだかんだと優吾も暇なんだろう。何しろ西園君と会う時間が急に無くなってしまったのだ。その分空き時間は増えてしまう。だからこそのお誘いなんだろうが、こういう時こそ気の合う友人同士で遊べばいいのにね。
「どこか……。正直、遊びに行きたいとは思ってたんだけど、どこにって言うのは考えてないんだよね。春乃は行きたいところとかない? 買い物とか」
「聞かれましてもねぇ。買い物は美影さんや聖君と行っちゃったし、ドレス選びで奏さんとも行ってるから、ぶっちゃけもうしばらくは欲しいものないよねぇ」
「本当に、どうして僕が仕事の時にばっかり、みんな春乃を連れ出したがるのかなぁ」
すねた顔でそう言いながら、猫足の白い丸テーブルに頬杖をつく優吾があまりにも子供っぽくて、私は思わず笑ってしまった。ちょっとかわいい。
「デートといえば定番の遊園地、水族館、動物園、プラネタリウム、イベントやライブもありですわね」
私たちとは少し離れた場所で立っていた美影さんが、紅茶のおかわりを注ぎにそばまで来ると、そう言ってにこりと優吾に笑みを見せた。そんな美影さんの言葉に、休憩室の入り口に立っていた要さんも私たちのそばまで近づいてきて。
「日帰りで観光という手もありますよ」
と、さらにデートコースの範囲を拡大してきた。
「ゲーセンやらカラオケはそこに入らないですかね?」
軽いお出かけなら、それくらいでもちょうどいいと思うの私。
「カラオケとかゲーセンって、話できなくなるよね。映画もそうだけど」
まあ、優吾の言う通りだけど。
「毎日顔つき合わせて暮らしてるんだし、そこは気にしなくてもねぇ?」
一緒にゲームやらDVDを見てるときなんて、会話が少なくても別に気にしたことないじゃないか。
「家にいるときってちょっと違うでしょ?」
「まあ、そうだけど」
「あーもう、なんか面倒くさくなってきたなぁ。何日か休みを取って海外行く? カリブかベガス行ってもいいよ? グレートバリアリーフとか。あ、マチュピチュ行く? 世界遺産巡ってもいいよね」
「いや、その発想はおかしいっ!」
ちょっと出かけようぜって話から、なぜいきなり世界遺産の話まで飛んだんだよっ。面倒くさいの意味が分からないっ!?
「あれもいいなぁ。ホラ、宇宙旅行」
「お願いだから地球から出ようとしないでっ!!」
確かに大気圏の外だか内だかを、数秒かあるいは数分だか体験できるツアーがあるのは知ってるけど、それ、ちょっと出かけようかで行くようなものじゃないからなっ!?
「でもさ。よく考えたら僕って、普通のデートってしたことないんだよね」
「嘘だろ……今まで付き合った子たちとはどこ行ってたのアンタ」
「相手が行きたい場所がほとんどだよ。僕が連れて行くのって、大半がホテル」
「きっとそこらのラブホテルじゃないですよね」
「夜景の綺麗ないいホテルね。雰囲気で流すとわりとチョロいよ」
「おい。発言がゲスいぞ」
「高校男子は八割方そっちのことばっかりだよ。ねえ? 二人もそうだったでしょ?」
といって美影さんや要さんに顔を向け、優吾がさわやかな笑みを見せれば。
「そうですね。若いうちはそういうものでしょう」
と要さんがこともなげに答え。
「私は初体験から今までそんなに変わりませんわね」
さらに、美影さんが現在進行形で元気であることを楽しそうに答えていた。
「下ネタはもうお腹いっぱいなんで、話を本題に戻してどうぞ」
これ以上続けると聞きたくもないコアな話になりそうだったったから、私はさっさと話を戻したい。
「そういうわけで、僕としては春乃が行きたいところを言ってくれた方が助かるかな」
「どういうわけだ……とにかく、普通のデートコースでいいんでしょ? じゃあ、映画に行って、ご飯食べて公園とか散歩して、ちょっとドライブして帰ってくればいいじゃん……って、え? いつからデートになったの?」
表現としてはデートで間違ってないんだけど、休みだからちょっと遊びに行きたいって感覚は、デートというより、ただのお出かけって感覚がしてたんだけど私。
「映画かぁ。春乃は何か見たい映画あるの?」
「いや別に。でも、映画館に行って今上映してるものを適当に選んでみるのもわりと楽しいよ。当たりハズレはあるだろうけど、どちらにしろ同じ時間を共有することに意味があるんだし」
私がそう言って笑えば、優吾は少し目を丸くして見せた後、甘やかな笑みを顔に浮かべて見せた。その顔があまりにも濃厚で、胸の中にじんわりと何かが入り込む感覚に、私の胸が少しだけきゅっと苦しくなるような錯覚がした。
これだから、顔のいいやつは信用ならないのだ。
「同じ時間を共有するって、やっぱり大事だよね」
と、優吾が笑うので。
「そりゃそうでしょ」
と、私は何でもないふうを装いばがら、紅茶のカップに視線を落としてやり過ごした。
翌日、朝の仕度を済ませて、要さんの美味しい朝食を優吾と食べながら。
「時計を投げることはないと思うんだよね」
と、ぶつくさ文句を言っている優吾に。
「あ?」
と地を這うような声で、私は答えてやった。
今日の朝食は、ふっくらパンケーキと野菜のコンソメスープにグリーンサラダとタラのフライだ。ああ、洋食な朝ごはんもたまには悪くない。パンケーキに添えられた目玉焼きとベーコンがよい塩気をプラスしている。
「起こしてあげただけなのに」
「るっせぇよ。目覚ましあるから起こされなくても起きたんだよっ。お前のせいでぶっ壊れたから買い替えないとダメだけどなっ!」
見事に時計が大破したんだよ。おまけにドアには大きな穴が開いたし。
「寝起き悪すぎるんじゃない?」
「寝起きはすこぶるいい方だよっ!! 普通に起こせばいいのに朝っぱらからキスしてくるから悪いんでしょっ!?」
「初めてでもないくせに」
「マジでぶっ飛ばすぞテメェっ!!」
はい。今の会話でご察しいただけたであろう。
夕べは普通に自分の部屋で寝たのだ。優吾もそう。そこまでは問題なし。問題は今朝だ。
程よい疲れで熟睡し、気持ちよく朝の時間を迎えた私はまどろみの中で目覚ましのコールを待っていた。今日は日曜日で、優吾と出かける約束もあるし、起きようという意識はあったけど、せめて目覚ましが鳴るまではと、朝のひと時をまったりとむさぼっていたのだ。
夢と現実の狭間をたゆたっていた私の意識の外から、何かの音が聞こえた。まどろんでいたからよくわからないのだが、ベッドがかすかに沈む感じは覚えている。
しばらくすると、優しい声が私の名前を呼ぶのが聞こえた。
あたたかな何かが私の頭や頬を撫でて、その心地よさで私はまた眠りの縁に落ちていきそうになる。するとまた声が聞こえて、なにを言ってるのか理解できていなかったが、私は「うん」だか「わかった」だか返事をしたと思う。
そして、額や頬に感じる懐かしい感触。
昔、母や父が小さい私にしてくれたような……そして、昔の恋人たちがしてくれたような、あの感触。それがふわりと唇に触れ、慣れたさわやかな香りが鼻孔を通り抜けた瞬間。
私はカッと両目を見開き、現状を把握。
ぼやける視界に確かに見える慣れた男の顔と、私の唇に触れる柔らかい感触は間違いなく男の唇で、私は男を突き飛ばすように飛び起きると、手を伸ばした先にある何かをつかんで男に向かって投げつけていた。
それが私の目覚まし時計であるとわかったのは、ドアに穴が開き、時計が大破した後だった……私は全然悪くないっ。
「あれは浮気だからなっ! 浮気は絶対許さんっ!」
西園君というものがありながら、この野郎っ。
「浮気じゃないですぅ。でも春乃は僕とキスしないで過ごすって無理だと思うよ?」
「はぁっっ!?」
「まず、結婚式での誓いのキスは逃げられないでしょ?」
「それは……」
さすがに仕方ないだろうけど。いや、でも和風の式ならキス要らなくない? え、式って洋風なの? 教会とかで挙げる感じなの?
「人前で仲良し夫婦を演じるんだったら、キスくらいは挨拶として流してもらえないと困るよ」
「それ、なんか、違う気がするんだけどなぁ……」
日本の文化でキスのあいさつって定着してませんよね?
「ですが、寝起きの女性に迫るのはマナー違反でございます。まだお二人は婚約中であって夫婦ではございませんので、同意なき行為はお控えください。優吾様」
熱いコーヒーカップを持って私と優吾の前に置いた要さんがそう言って、優吾を少し咎めるように見つめるが。
「確かにね。それは僕が悪かった。でも、一応キスしてもいいか聞いたら『うん』ていってたんだけどね」
悪びれもせず優吾はそう言うと、悪い顔でにやりと笑って見せた。
「それこそ寝ぼけてる人の返事なんざ鵜呑みにすんなっ」
最悪だよこいつ。
「でもさ。これから出かけるのは『デート』だよ? 契約通り、しっかり僕の恋人をやってもらわないと」
「そうなる……の?」
デートというくくりで考えるならば、確かに優吾の言う通りなんだけどさっ。なんか違う気がするのっ。なんて助けを求めるように要さんに顔を向ければ。
「そう、なりますかね」
と、要さんも複雑そうな顔で返事をくれた。
そんな私と要さんの姿が面白かったのか、楽しそうに笑う優吾の声が聞こえた。
こっちが複雑な気持ちに悩んでいればこいつ。と、イラっとさせられたのは言うまでもない。
今回はわりと短めです。




