帰ってはいけないそうです。
私の名前は宮島 春乃。祖母の小春から一文字貰ってつけられたのがこの名前だ。私は気に入っている。
年齢三十二歳、職業はとある小さい会社で事務をしている。一般家庭で育った普通の女だ。身長百六十センチ。体重は聞くな。血液型O型。趣味は乙女がキュンキュンするよなものを集めること。マンガ・ゲーム・小説・人形・スイーツ・イケメンそのほか諸々。キュンキュンすれば何でもいい。
もちろん小動物も大好き。一番好きな動物は犬。従順だから。
兄弟はいない。てか親戚も両親もすでに居ないので天涯孤独ともいう。
「と言う感じでどう?」
私がそう自己紹介をすれば、彼。狛百合 優吾は笑顔で頷いて見せた。
「では、春乃さんと呼びますね。僕のことも名前でお願いします」
「はあ。それで、言われた通り着替えまでさせられてついてきたわけですが、私はいったい何を協力すればいいんでしょうか?」
今現在、私は狛百合優吾に言われるまま、なんだか高そうなドレス――淡い水色のマーメイドタイプの物だ――を着せられて、髪とメイクも整えられて、藍色のスーツに着替えた狛百合優吾に押し込まれるように車に乗せられ、彼の運転で移動中。
車は彼の持ち物らしいが、高そうと言う以外でわかるのは白い車ってだけだ。
しかも私のこのドレスやらなんやらも全部、狛百合優吾が準備してくれたものだけに、彼が金持ちだと言うことだけはよくわかった。
これから彼のお母様に会いに行くらしい。で、なんで私まで付き合わされているのかはまだわからないが、秘書的な仕事でもさせたいんだろうか?
「そうでしたね。実は、春乃さんには僕の婚約者になってほしいんです」
「婚約者ですか……はぁっ!? 藪から棒になんですかそれはっ!?」
出会ってまだ二時間も経ってない男と、いきなり婚約者になれとは横暴にもほどがあるっ! 予想外もいいところだよっ!
「協力してほしいことと言うのがそれなんです。とにかく聞いてください――」
彼はそう言うと、赤信号に捕まったところで口を開き始めた。
「実は、僕には恋人がいるのですが――」
「じゃあ、その恋人連れてくればいいじゃないっ」
「それが出来ないからあなたに頼んでいるのですよ、春乃さん。何しろ僕の恋人は『男』なので、両親も一族も絶対に許してくれません。それどころか、僕がこのまま結婚もせず恋人と逃げようものなら、確実に彼の家族を巻き込んで大変なことになってしまいます」
「ホモってことにも驚くが、一族って、優吾君のところってどんだけヤバイ家系なのよっ」
マフィアとか『ヤ』の付くご職業かなにかか!? 私だってそんなのとはかかわりたくないんですけどっ! 今すぐに帰りたくなってきたんですけどっ!!
「僕の家は旧家なんです。その歴史は千年以上とも言われ、とにかく歴史だけはあるので、色々大変なのです。もう本当に色々」
怪しい職業のご家庭ってわけではないらしいのでそれはいいのだが、千年以上も続く旧家って、ものすごい歴史だな。
「ってことは、飛鳥時代とか鎌倉時代からあるってこと?」
「詳しくは文献が紛失してしまっていて不明ですが、家系図が鎌倉時代辺りから見つかっているので、その時代には確実にあったと言うことにはなりますね」
うわぁ。どちらにしても、ものすごくかかわりたくないっ。と、私の顔が引きつる。
だが、私の心境など一切気づきもしない優吾君は、淡々と話を続けた。
「そういうわけでして、僕も残念ながら一人っ子で、家を継げる人間が他に居ません。跡取りとして僕には義務や責任もありますし、僕の代で本家筋を絶やすわけにはいきませんから、どうしても子供は作らないといけない」
「そう言う意味では、旧家って面倒だよね」
好きな人と一緒に居ることさえできないなんて、それはわりと不幸だ。
そう思って彼に顔を向ければ、彼も少しだけ困ったように笑みを浮かべて見せた。
「そうですね。でも僕はまだいいほうです。僕の両親は親の決めた相手との結婚以外認められていませんでしたから、僕はだいぶ両親にわがままを通してもらっているほうです」
「なるほど。あ、だから私に協力を頼めるってことなわけね」
「はい」
彼の返事に私も大いに納得できた。
普通旧家の跡取りと言えば、結婚相手は親が決めるのが当たり前のようにも思う。なんと言っても旧家だ。そう言った歴史ある家に嫁ぐとなれば、それに相応しい相手でなくてはいけない。そう言う意味では、優吾君は私に協力を求めることができるくらいには、結婚相手を自由に選べる立場にあるんだろう。
それならよかったと言えるが……だがしかしだ。
「それなら、今さっき知り合ったばかりのどこぞの馬の骨な私なんかより、もっと人間的に信用できそうな知り合いに頼めばいいんじゃないの?」
つまりはそう言うことなのだ。なんで協力要請を赤の他人である私なんかに頼むんだあんたは、と言いたいのだ。
「いえ、春乃さんでなければ、まずこの状況が成り立たないと確信を持っています」
彼がそう自信ありげに頷いて見せた時、赤信号が青に変わり、車はゆっくりと走りだした。
私でなければ成り立たないとは、どういうことだ? そう首をかしげる私に。
「まず、春乃さんは僕の家が旧家であると知って面倒だと思いましたよね? それに僕の名字を聞いてもピンとは来なかったでしょ? 僕の恋人が男だと聞いてもあなたは特に動揺もしなかったし、恋人もいないし結婚もしていない。結婚に夢を持ってもいないし、恋に落ちやすいタイプでもない。違いますか?」
「えーーと、あれ? 私ってそんなにわかりやすいの? てか、ディスってんの?」
「いいえ、僕は人を見抜く力があるといったでしょ? 僕にとっては春乃さんの性格が都合いいんです」
「そりゃどういう――」
と、口を開きかけた私だが、優吾君に「もうつきますよ」と声をかけられて、口を閉じてしまった。
辿り着いたのは、都内でも有名な某高級ホテル。国内にとどまらず、海外の有名人さえも泊まりに来るという最高級ホテルの真ん前だ。
「帰っていいですかねぇ?」
「駄目です」
ホテルのボーイっぽい人へ車のキーを預けた優吾君に、笑顔で帰宅を拒否られてしまい、私はしょぼんと項垂れて見せるが、そんな小さな時間稼ぎが彼に通用するはずもなく、豪華すぎるホテルの正面入り口へと、彼に手首をつかまれ引きずられるようにホテルへ足を踏み入れた。
磨き上げられたガラス扉をぬけると、一面に広がる白磁の床。正面の入口からフロントまでの道には赤い絨毯が敷かれ、見るからに躾けの行き届いているホテルの従業員たちが、流れるように私たちに綺麗な会釈をして見せる。
天井を見上げれば、このロビーフロアは三階まで吹き抜けになっているようで、豪華すぎるシャンデリアがぶら下がっていた。
あれ、落っこちてきたら大変なことになるだろうなぁ。なんて、明後日な感想を抱きつつ、右側に顔を向ければ、奥には何やらバーのようなものが見えて、左側にはこれまた高そうな革張りソファーが並んでいる。あれも休憩所と言うんだろうか。
辺りを見回せば宿泊客だろうか、高そうな衣服をまとった人々が、それぞれにどこかお上品な雰囲気で気ままに過ごしていて、はっきり言おう。
「場違いっ」
「そんなことはないから」
すっかり場所の雰囲気にのまれ腰の引けている私に、優吾君は苦笑いで振り返ると掴んでいた私の手を、自分の腕に掴まるように促し、私も緊張と不安のせいで彼の腕に自分の腕をからめると、これでもかと言うほどに彼の腕にしがみついてしまった。
手のひらからイヤーな汗がにじむ。
「これは悪夢だ。そうに違いない。今、私は家で寝ているんだ……」
ぶつぶつと独り言のようにつぶやく私に。
「うん。現実逃避してるとこ悪いけど、頑張って。今日だけ婚約者を演じてくれればそれでいいから。ちょっとの我慢だからね?」
と言って、優吾君は彼の腕に絡めた私の手の甲を優しくなでた。
「本当に、これで、スーツのこととか全部許してくれるのよね? 嘘じゃないよね?」
「嘘じゃないよ。約束する」
「今日だけよね?」
「うん。今日だけ」
にこやかに頷く優吾君に、どこか胡散臭いものを感じなくもないが、これでうん十万もするスーツを弁償したり、取れない責任を押し付けられることもないって言うなら、頑張るしかない。
「よしっ。腹は決まった。行こうっ」
「頼むね」
私は背筋を伸ばし、優吾君のリードに合わせて歩みを進め、フロントの前で私たちは足を止めた。
すると、壮年の男性がこちらに近寄ってきて、フロントのテーブル越しに深々と頭を下げて見せる。
「お待ちしておりました。優吾様」
(あー。なんか……やっぱり帰りたい)
一先ず、次回は明日の投稿の予定です。
明日以降は、出来ている分を週一投稿できればいいなと思っています。