お義母様と一緒
「おはようございます。春乃様」
朝、本家に行くと要さんが門の前で待ち伏せていた。いや、言い方が悪いか。いつもなら美影さんが待っているのに、要さんが居たからちょっとびっくりしただけなんだけど、この前の美影さんや聖君と遊びに行ったことか? お説教でもされるんだろうか?
「おはようございます、要さん……えっと、ごめんなさい?」
「は? ああ、先日の件ですか? あれは美影と聖に責任がございます」
「いや、あれは私も行きたいって嬉々として連れ出しちゃったから」
「息抜きは必要でございますよ。春乃様には一切の責任はございません。連絡義務を怠ったあれらが悪いのです。どうぞ、春乃様はお気になさいませんよう」
そう言って口の端をかすかに持ち上げた要さんの凶悪な笑みに、私は黙って頷くだけにしておいた。すまん美影さん、聖君。だって、要さんの顔が凶悪で怖いんだものっ。
でも要さんがここに居る理由はこの間の件ではないみたいだけど。
「じゃあ要さんはここで何やってたんですか?」
「もちろん、春乃様をお待ちしておりました」
「ん? 私に用事ですか?」
「はい。奏奥様がお待ちです」
「奏さん? なんで?」
本日のダンスレッスンはお休みだ。
というか、私は今、奏さんと一緒に車で移動中。リムジンなんて初めて乗ったよ。
広い後部座席は向かい合う形でふかふかのシートがあり、ふわふわの白い絨毯が足を優しく包み込む。小型の冷蔵庫が完備され、要さんが冷たい飲み物を出してくれた。スパークリングウォーター、てか炭酸水な。さわやかなグリーンの香りのそれに口をつけながら、私は向かいに座っている奏さんと、その横に座る黒服の男をチラ見する。
相変わらず奏さんはお美しいし、今日の淡い緑色のスーツもよく似合っていらっしゃる。でだ、奏さんの隣にいる人は初めて見るが……縁のない銀フレームの眼鏡をかけた気難しそうな男という第一印象だった。
要さんも無表情でパッと見怖いが、目の前の男も結構怖い。無表情ってところは要さんと似たり寄ったりだが、黒髪オールバックの眼鏡って、インテリヤクザかなんかか。切れ長の釣り目も怖さをかもす要因だが、その能面っぷりは要さん以上だ。おまけにこの人もめちゃくちゃ美形。
身長は要さんと同じくらいで、体格もわりと細くは見えるが、多分要さんと変わらん。全体的にさっぱりした感じのクールなイケメンなんだけど、多分、凄まれたら私は泣く。絶対に泣く。
「春乃さん、そんなに緊張しなくてもいいのよ」
優し気な奏さんの声に私は慌てて顔を向けて姿勢を正した。そんな私の態度に、奏さんは上品にコロコロと笑うが、これは緊張しますって、普通に。
「春乃さんには気軽にお母さんって呼んでほしいから、慣れてもらわないと困るわ」
と奏さんがくすくすとまた優雅に笑う。ああ、うん。無理。なんか、無理。
「ところで、レッスンはどうですか? 順調?」
奏さんにそう話を振られて、日々の練習を思い出し私は苦笑いが浮かんだ。
「優雅さからはかけ離れたモノにはなってます。一応、足を踏んだりこけることはなくなったんですが、完全に優吾任せな状態で、この調子だと優吾に恥をかかせるんじゃないかと心配です」
私がそう答えれば、奏さんはおかしそうにまた笑う。
「あの子には恥をかかせればよいのです。女性をうまくリードできない男性は、まだまだ未熟と言うことなのですから」
さすが奏さん、余裕な感じが貫録まで生んでる気がする。
「でも、教えてもらったことが全部覚えきれない私にも問題があるんだとは思います」
なんて、ため息が漏れてしまう。だって美影さんも優吾も、すごく優しく丁寧に教えてくれてるし。
「それは時間が足りないせいでしょう。要や美影からも春乃さんが頑張っていると報告を受けていますよ。ですが、何事もほどほどでよいのです。無理をして体を壊したり、怪我をしては大変ですからね」
奏さんはそう言って、ふんわりと柔らかな微笑みを見せる。
「はい」
雅臣さんもそうだが、奏さんもやはり私にたいしてとても優しいと思う。優吾のわがままに付き合っているせいなのか、もともと優しい人あのかはわからないけど。
「無理はしようとも思ってませんけど、でも、できる努力はしていけるように頑張りたいです」
雅臣さんもお奏さんも優しいから、なんか私も頑張らなきゃって気分にさせられるのだ。そのすべてが計算だというなら、もう私は素直に全面降伏を宣言するよ。
「ふふっ。春乃さんは頑張り屋さんですものね。ところで、聖とも会ったそうですね?」
「あ、はい」
「一緒にお出かけしたんですって? 自慢気に聖が言うものですから、今日は私もかまってもらおうと思ってレッスンをキャンセルさせてしまいました」
え? そんな理由?
「はははっ。またまた」
「ふふっ。春乃さんに似合いそうなドレスをたくさん用意させているのよ。衣装合わせのついでに息抜きと春乃さんとの親睦を深めるのが目的なの。私を本当の母親だと思って、今日はたくさん甘えてちょうだいね」
マジで? 嘘だろ。甘えるとかできるわけないっ! と、内心パニくる私の耳に。
「春乃様、奏奥様は有言実行が座右の銘でございます」
要さんがぼそりとそう言った。嘘だろ要さんっ。
「あ、それとーー」
まだなんかあるんですか奏さんっ!?
「蛟と会うのは初めてよね?」
奏さんはそう言うと、奏さんの隣に座っていた男に顔を向け。
「彼が錦玄武家の当主、錦玄武 蛟です。主な役目は当主の補佐ですね。基本的に蛟は雅臣さんや優吾の仕事をサポートしていますのであまり会う機会はないかもしれませんが、狛百合の経営する会社など、私や雅臣さんが回れない分を全面的に任せています」
そう紹介してくれた。
「よろしくお願いいたします」
奏さんの紹介が終わると眼鏡の気難しそうな男、改め蛟さんが私に恭しく頭を下げた。
まあ、想像してた。絶対に側近四家の当主ってアホみたいに美形だろうとは思ってたけどさ。
蛟さんも例にもれずアホほど美形だが、要さん以上の能面っぷりに私はマジでビクビクとしてしまう。最近では要さんのほうは馴れたが、蛟さんのほうはしばらく馴れないと思う、てか、会う機会がないんだから要さんより馴れるまでに時間がかかりそうだよこの人。
とは言え、私も一応よろしくお願いしますと、蛟さんに笑顔で挨拶を返すのだが、彼は軽く頭を下げるとそのまま無言になった。
そして静まり返る車内に、私だけが焦りと緊張で冷汗が背中を伝う。って、誰かなんかしゃべってっ!
それともこれ、私がなんか話を振らなきゃいけない場面ですかっ!?
「それにしても、側近四家の当主の皆さんって、私とあまり年齢が変わらない感じなのに一族をまとめる立場になっているってすごいですね」
先日、聖君に会ってなおそう思ったので、会話のとっかかりにならないかと笑顔で言葉を発してみた私だが、なぜが蛟さんにじっと見られたかと思うと両目を細められた上に、彼の眉間にしわまで寄っている。あれ? これって睨まれてるんだろうか、私。そしてまた静かになる車内。お願いやめてっ。だれかなんか言ってっ。と、さらに冷や汗が頬を伝う私に耳が、奏さんと要さんが小さく噴き出した音を拾った。
「ふっ。申し訳ございません。蛟が困っている姿が久々におかしかったもので」
要さんが笑うのもかなりレアだが、要さんの言葉にこっちの方がちょっと驚いた。困ってるって、睨んでるんじゃなくて?
「蛟は極度のあがり症なだけで、あの顔も眉間のしわも怒っているわけではありませんので、ご安心ください春乃様」
「あがり症?」
あのインテリヤクザ風の蛟さんが? なんて失礼なことを思ったが、それ以上にあがり症なんて似合わない言葉に驚いて、あらためて蛟さんを見つめ返すと、彼は私の視線から逃げるように斜め下に視線を逃がし、さらに眉間にしわを寄せていた。
紛らわしいっ! なに、あがり症ってっ! ギャップ萌でも狙ってるのっ!?
「ふふっ。個性豊かでしょう? これから長い付き合いになりますからね。仲良くしてちょうだいね」
確かに個性豊かだわぁ、と私は妙に奏さんの言葉に納得してしまった。
今日の目的の一つである衣装合わせとは、今度のパーティーで着る衣装のことだ。最初に着るドレスは私と優吾で選ぶことになっているらしいので、これは早速逃げるわけにもいかない。
車内で色々と話に花を咲かせながら、やっとこさ辿り着いたのは有名ブランド店の日本支店前。
私の逃亡癖を把握している要さんに、既に背後に立たれては早速逃げ場もない。右には奏さんと、その奏さんの後ろに蛟さんが控え、私には前進するしかほかに道はなし。本当に優秀なボディーガードが憎い。
ここまで来て、しかもお義母さまの前で逃げるということも出来ないんだけど。
説明するのも面倒くさいが、店の中に入れば店の店長やらマネージャーやらに仰々しくお出迎えされて、VIPルームなる場所に通されたと思えば、やけに広い場所に店員が四人も控えていて、豪華なインテリアにソファーと、私はタジタジである。
広めの室内には壁沿いにずらりと衣装が並び、ソファーの正面には大きな水槽が一つあった。
縦が一メートル半で、横が三メートル半くらいの大きな水槽で、壁の中に埋め込まれているような作りだった。水槽の中身は綺麗なサンゴや海藻類、それに色とりどりの魚が泳いでいる。
敷き詰められた砂利を歩く小さなエビとか、サンゴにできた大きな穴に潜む可愛い魚に顔がちょっと緩む。なんか、こういうのも癒されるな。
よく見れば綺麗なヒトデもいるし、水槽の内側に生えた藻を食べるドジョウみたいなやつとか、カラフルな巻貝も見えて、ぼうっと眺めてるだけでもわりと楽しい。
本家の大きな鯉たちもきれいだが、こういう水槽の熱帯魚ってのもかわいいと思う。まあ、自分で世話しようとは思わないが。
「春乃さん、優吾さんはまだ仕事が終わらないそうですから、いくつか一緒に選んでしまいましょうね」
私が水槽に気を取られている間に奏さんが優吾と連絡を取っていたようで、スマホを蛟さんに手渡しながら奏さんがソファーに腰を下ろしてたのを見て、私も急いで奏さんの側へと移動した。
私の衣装選びだから、私も奏さんと一緒になって座るわけにはいかないんだけど。
「それでは宮島様、まずはどちらかお持ちいたしましょうか?」
私が奏さんのそばに立つと、店長らしい壮年の男性が軽く私に頭を下げる。
「うーん。一先ず色が被らないものがいいかなぁ?」
そもそも、奏さんたちの選んだものがどれかわからないし。
「承りました。少々お待ちください」
店長はそう言うと、控えていた従業員の女の子とたちに何やら指示を出し、女の子たちが数ある衣装の中から様々な色のドレスを引っ張り出して私の前にずらりと並べる。
それからドレス選びが始まったわけだが、どれもこれも窮屈そうという印象しかない。
なんでどれもこれもウエストがきゅっとしまってる様なものばかりなんだよっ!
確かに年齢的に言えば、どれもこれも私の年齢にあった派手すぎず、落ち着きずぎないデザインだったし、奏さんと雅臣さんのセンスがきらりと光っているけどもっ!
「白系はやはり本番まで取っておきたいわね。それ赤いドレスも素敵だわ」
目の前に並ぶトレスをあーでもないこーでもないと奏さんが指示しつつ。
「よくお似合いです。こちらもダークオレンジもおススメでございますよ」
そう言って、店長が次々に私にドレスを着ろと押し付けてくる。
「ああ、はい。着てきます……」
結局、着せ替え人形よろしく何着ものドレスを着せ替えられた。
いや、こんなにドレスを着れる機会はそうそうないから楽しめばいいのだろうが……無理だって。
どうやらパーティーでのお色直しで着るのは、桜色のドレスと黄色のドレス、それから空色のドレスと決まっているらしいから、それ以外ならまあ大丈夫だろう。一先ず色さえ被らなければいいと山ほどあるドレスに悩んでいると。
「春乃さんは何色がお好きなのかしら?」
ふと奏さんにそう聞かれて。
「青とか、水色とか、桜色とか桃色もきれいですよね」
頭に浮かんだ色をそのまま口にすれば。
「ではその色物もをいくつか出してくれるかしら」
奏さんはそう言って、また店長へと指示を出した。
しまった。聞かれたからうっかり素直に答えてしまった。これ以上出されても選びきれないんですけどっ。そう内心慌てる私だったけど……。
「やっぱり娘と買い物に来れるのは楽しいものですね」
なんて、奏さんが本当に嬉しそうに言うものだから、結局、奏さんが薦めるまま着せ替え人形を続けるしかなくなった。まあ、悪くない……かな。
とはいえ、選び終わるころにはすっかり私は疲労困憊だ。もう今日はこれ以上の買い物はの~さんきゅうです。これでアクセサリーも自分で選ぶってことになったら、是非、続きは明日にしてもらいたい。今日はもう本当無理。
そうは思っても結局、数時間かけてアクセサリーや靴まで選んで、やっと帰れることになった。
ちなみに、やっと決まったのはシックでありつつゴージャスな感じの濃紺のドレスで、ところどころにある銀の刺繍がアクセントとなったものだった。まあほかにも数種類選んだが、私が一番気に入ったのは濃紺のものだった。
だけど、一つだけ不安が残る。
選んだ靴だが、高くはないが、決して低くもないヒールで、ダンスをするときになってもこのままの靴ってことになると、私、転ぶんじゃないだろうか?
ちょっと短め。




