考える
ウナギはうまかった。それはさておき、午後からの予定はどうしようかと思案中である。
美影さんや聖君とともに昼食をすませて、店を出ると私たちはひとまず案内図を見ながら次の目的地について話し合っていた。
明日はまたいつも通りのレッスンがあるわけだし、連チャンでサボるわけにもいかない。だから今日はとことん息抜きしまくってやるつもりだ。
「服でも見に行きますか? 私とひーちゃんはいろいろ買いあさってますが、春乃様はまだあまり買い物をしておられませんから、この際、素敵な服でも見繕って買ってしまいましょうよっ」
いい笑顔で美影さんが嬉しそうに言うと、聖君が案内図からいくつかの店の名前を挙げた。
「このブランドの服って生地がいいですよ。こっちの店は丁寧な作りでわりと人気ありますし、俺としてはこっちもいいとは思いますけど」
うん。買うのはいいんだけどね。聖君が勧める店の全部がお値段にビックリするほどゼロの多いところしかないんですけど。どうなの、それ。
「洋服なんて丈夫で長く着れればそこらのセール品でも十分なんだけど」
洋服なんて消耗品なんだから、そんなにお高いのはいらないんだよ君たち。
「春乃様、多少お値段が張るものって言うのは、丈夫さだって折り紙付きですのよ」
「そうそう、美影の言う通り。今俺らが着ているのも特注品ですし、それなりの値段はしますけど丈夫で長持ちですからね」
「うん。それは否定しないけど……シャツ一枚に万飛ぶのは私の感覚的にいろいろアウト」
所詮、私は庶民なんで。高いものを買っても使うより箪笥の肥やしにしそうだわ。
多少コートだとかスーツだとかがお値段張るのは仕方ないとしてもだ。数万から数十万とか桁が違いすぎるでしょう? なんて、ちょっと渋る私に、聖君が満面の笑みで。
「まあまあ、春乃様。どうせ優吾様のお金ですからっ」
なんて身もふたもないことを言いやがった。そうなんですけどねっ!
「いい笑顔で従者が主を売るってどうなのっ!?」
「わたくしたちにとっては、春乃様もその主のお一人ですけど」
「そうでしたっ」
「お金は使うものですし、春乃様は好きなだけお金を使ってもいいって言われてるんでしょう? じゃあ逆に使わないのはもったいないですよ」
え? ちょっと聖君、それどういう理屈?
「そうですわよ。春乃様はもっと散財するべきですわっ。春乃様は無欲すぎますものっ」
いや、美影さんの中の私ってどんなイメージ? 無欲って程、欲がないわけではないと思うけど? おかしいなぁ。これは私が妥協しないといけないのか? なんで妥協して高いの買うの? あれ、やっぱおかしくない?
そんな感じで私がお守りの二人に押されている時だ。ふいに聖君が口を閉じたと思えば、すっと私の横を通り、私の背後に素早く腕を伸ばすと同時に、私は美影さんの背中にかばわれる形で腕を引かれた。
なんだ? と私が疑問を浮かべてて聖君に顔を向ければ、聖君は見知らぬ青年の腕を掴んで、青年の背後から、背中と腕を拘束してその場に膝をつかせて抑え込んでいた。何が起きた?
「痛っ!! ちょっとっ! 痛いよっ!!」
どこか聞き覚えのある青年の少しだけ高めな声が、自分を拘束している聖君へと抗議するが、聖君は無表情のまま青年をただ黙って見下ろしている。
先ほどまでは無邪気な子供と思えるほどに笑顔でキャッキャしていたはずの聖君が、まるで機械のような冷たい表情と瞳をしていることに、私はおぼわず息を飲んでしまう。本当に同一人物なのかと疑いたくなるほどの豹変ぶりに戸惑うが、それよりもだ。
「いきなりなに?」
まず状況の説明をお願いしたいんだが、と美影さんや聖君に顔を向ければ、青年を冷たい目で見降ろしたままの聖君が静かに口を開いた。
「春乃様、こいつは西園圭介です。春乃様に無断で触れようとしたため止む無く拘束いたしました」
ああ、西園君か……って。
「ちょっ! 聖君っ、西園君って、あの西園君っ!? 離してあげてっ!!」
めっちゃ痛がってますからっ!?
「ですが、危険です」
「そんな不満そうな顔しないでくれるっ。危険じゃないからっ」
「えー?」
と聖君が不満そうな声を出すと同時に。
「いたたたっ!! 腕折れちゃうよっ!」
西園君の腕をさらにひねり上げたようで、西園君が涙目で声を上げた。
「いやいやいやっ!! かわいそうだからっ!!」
「はーい――」
と聖君は私に向かって可愛く返事をして見せたすぐ後に。
「命拾いしたな」
そう低い声でぼそりと西園君に向かって吐き捨てると、やっと彼の拘束を外して私のそばまで戻ってきた。てか、今の西園君に言った言葉は私にも聞こえたぞ。本当に怖いんですけど聖君っ。
私はとにかく急いで西園君に近づいて、彼の腕が無事か確認する。聖君に拘束されて掴まれた手首に、くっきりと手形が残っているのを見て、私は血の気が引いたが、どうやら腕が折れているということは無いようで一安心だ。
それにしても、聖君って美影さんよりも小さくて細身に見えるのに、なんつう馬鹿力してんだか。
「大丈夫?」
西園君に手を貸しながら、彼をその場に立たせて彼の顔を見つめると、西園君は口を開きかけるがすぐに口を閉じたかと思うと、静かにこくりとうなづいて見せた。とにかく怪我がないならよかった。
「宮島、春乃さん……ですよね?」
西園君に怪我もなく私が安心したところで、西園君が私に顔を向けてそう確認してきた。
「うん、そう。初めまして。西園圭介君。でも、よく私が分かったね」
「朱雀院の人は、一度だけ見たことがあったから……」
西園君の言葉に、なるほどと納得。美影さんの顔を覚えてたから、一緒に居る奏さんより若い女が私だとあたりを付けたんだろう。
それにしても。
「西園君も買い物? 奇遇だね」
なんて私が笑えば、西園君は少しだけ居心地悪そうに頷いて見せた。
「えーっと……」
さて困ったぞ。これ以上の会話が思いつかない。
やれることといえば、西園君を観察するくらいなんだが……まあかわいい子だわ。
大きなくりっとした目と長いまつげ。小さいけど形のいい唇と鼻。くるっとした毛先がふんわりとしていて、ベリーショートの髪は蜂蜜色。全体的に細くて、守ってあげたくなるような可愛さの男の子だ。
優吾の奴、こういう子がタイプなんだなぁ。いい趣味してる。
ってことは、優吾の友達の氷室さんや聖君も優吾のストライクゾーンに入ってるな。なんて明後日なことを考えていると。
「あの、宮島さん」
西園君に呼ばれて意識がそっちへ戻った。
「なに?」
「えっと、僕……宮島さんと、話がしたくて……」
「いいよ~」
「軽っ。って、いいんですか?」
西園君はそう言って両眼を大きく見開くときょとんとした顔を見せる。かわいい子はどんな顔をしてもかわいいなぁ。
「いいよ。どっかでお茶でもしながら話そうか」
そう言って笑って見せれば、西園君は少しだけほっとしたように頷いて見せた。
美影さんたちと入ったカフェとは違う場所に私たちは入って、またコーヒーを頼んで窓際の席に座った。一応、西園君の希望で美影さんや聖君には一つ離れた席に行ってもらっている。
ほどなくして頼んだ飲み物が来ると、私と西園君はひとまずカップに口をつけてふっと息をつく。窓から見える午後の街並みは相変わらず人の通りが多く、カップルや子供連れよりスーツ姿の人をよく見かけるおかげで今日が平日であるということを思い出させた。
そうしてまたカップに口をつける私に、西園君が自分の前に置かれているカップの中身を見つめたまま静かに。
「僕と優吾さんのこと、聞いてますか?」
そう話しかけてきた。
「詳細は聞いてないけどね。距離を置くことにしたんだって?」
「一方的にですけど」
そう言うと、西園君は自嘲気味に笑う。
「距離を置くことについて、西園君は不満がるってことかな?」
そう聞き返せば、西園君は複雑な顔で瞳を揺らした。
「不満というより、僕、もう捨てられるんじゃないかなって……だから、僕が宮島さんと少しでも仲良くなれれば、優吾さんも戻ってきてくれるかもって、思って……」
「多分ね。優吾が距離を置きたいっていう理由に、私はあまり関係ないと思うよ」
私がそう答えると、西園君は訝しむような顔で私を見た。
「恋人同士のもめごとって、大半が当人同士の問題だからね。第三者がかかわってることはあまり多くないよ。浮気だってそうだよ。どっちがどうしたってことは結果でしかないんだよ。そこに行くまでに自分で決断できることはあったでしょってこと。相手が誘ったからつい手を出したって、つまりは自分でそうしたいと思ったってことでしょ? それって、誘った相手が悪いというより、誘われてホイホイついてくほうが悪いと思うけどね」
だって、浮気だってわかってるんなら断ればいいのだ。それができないのは自分がそう望むからであって、誘った側からすればラッキーでしかない。相手が居るとわかっていて誘う方も神経を疑いたくはなるが。
今回の西園君と優吾のこともそう。
「優吾の味方をするつもりはないけど、少なくとも、優吾は西園君とのこれからを望んでいて、そうあろうとしてたはずでしょ? じゃあ、なんで優吾が距離を置こうとしたかってことだけど、西園君は自分に問題がなかったって、本当に言い切れる?」
もちろん優吾だって問題だらけだっただろうと思う。
ぶっちゃけ、私との婚約の話はあまりよろしい手段とは言えないし、この方法を選ぶなら、西園君の同意は絶対だったと思う。だというのに、優吾はそれを怠って自分の考えだけで実行してしまった。だからこそ西園君が不安に思ったり不満を抱くのも仕方ないといえるけど、では逆にだ。
「僕は、ただあなたに優吾さんを取られたくなくて……優吾さんはどっちも大丈夫な人だし、優吾さんはあなたを特別に思ってるし……僕、半ば本気で宮島さんが優吾さんを洗脳でもしてるのかと思ってました」
「私、催眠術系は習ったことないんですけど。まあ、特別って意味は間違ってないと思うよ。今の状況を受け入れてるって時点で特別アホだよね、私って」
自分に振り向かない男の釣り下げた餌に、分かっていて食いついて吊り上げられてるんだからさ。
「でも、宮島さんはお金が目当てなんでしょ? 優吾さんが利害の一致があったからって言ってましたし」
「近からず、遠からずってところだね。これは契約だから、その対価をいただいているにすぎないよ。正直、私は必要以上にお金を使う気もないし、第一、本家が馬鹿な嫁を放置してるはずない」
雅臣さんも奏さんもそんなに甘い人じゃない。
「僕、いろいろ考えていたんです。でも、分からなくて……僕は自由を手に入れるためなら、すべてを捨てる覚悟が必要だって思ったんです。愛する人がそばに居ればあとは何とかなるって……愛があるなら、僕を選んでくれるって。でも、優吾さんは違う。そうは思わないんですよね……僕に何が足りないんだろうって……」
「あー、あれだ。愛とか恋とか難しいよね。でも、これが『正しい答えだ』なんてモノはないんだよ。愛があれば耐えられる。すべてを捨てられる。って考え方も間違っちゃいないよ。でもさ、その人の持つしがらみとか、考え方とか、その人を構築する全てを受け入れるってのも、愛なんじゃないのかな?」
優吾が捨てられない家族との絆も、跡取りとしても責任も、会社での役割や地位も、その全てが駒百合優吾っていう人間を作る一部なんだから。
「全てを受け入れる……」
「ホラ、よく言うじゃない。愛は与えるものだって。自分の気持ちをただ押し付けてるだけじゃ、それはまだ愛になってないのかもしれないよ? 恋は落ちるものだけど、愛は育てるものだからね」
まあ愛を育てるのは恋に落ちるよりずっと大変なんだけどさ。でも、きちんと大事に育ててやれば、それは強い絆になるんだから頑張る価値は十分にあるんじゃないかね。
「優吾さんにも、言われました。自分の考えを押し付けちゃだめだよって……でも、僕たちは普通の恋人同士じゃないから……きっとまわりからよくは思われないけど、でも、宮島さんは女性だから、堂々といられるし……」
「ああ、たぶん優吾が距離を置こうって言った理由はそれだ」
「え?」
「西園君さ、優吾と自分は許されない関係だって電話でも言ってたけど、それって今、全く関係ないことだよ」
「え? でも……」
西園君は戸惑うように視線を泳がせて見せるが、そういうことかと私は納得していた。
西園君が大好きなはずの優吾が距離を置こうといった理由だ。どんな理由でそうしようという考えに至ったのか、やっと納得できた気がした。
「あのさ。西園君は優吾と付き合うことにしたのは、彼が男だったからなの? それとも、彼にきちんと思いがあったからなの?」
「そ、そんなの、好きだからに決まってるじゃないですかっ」
「だよね? だったら、自分たちが許されない関係だってセリフは、今の段階で吐く言葉じゃない。そんなのは付き合う前のセリフだよ。もう恋人同士なんだよ? 許されない関係だなんて、とっくの昔に割り切ってないとダメじゃん」
そういう苦悩を乗り越えて付き合ったんじゃないのかね君たち?
多分、気持ち的な意味では一生ついて回ることかもしれないけど、でも、そういうことは付き合う前にさんざん悩むことだし、そうでなくてはダメなことだ。
そして付き合うという決断をしたからには、そんな前段階の悩みをずるずる引っ張り続けていいはずがない。ほかに考えなくちゃいけないことはあるはずなんだから。
「君、優吾のことが好きならもっとほかに考えなきゃいけないことがあるんじゃないの? 許されない関係なのは大前提、そんなのはとっくにわかってる、いちいち口に出さなくて結構だよ。だったら、その後のことを一緒に悩むべきでしょ? どうすれば一緒に居られるのか。どうすれば相手と愛を育てていけるのか。結婚やその後のこと、ほかにもまだ考えることはたくさんあるよ」
愛だなんだと叫ぶなら、先を見ないでどうするの?
「なんで、君はいつまでもそこで立ち止まってるの?」
私の言葉に、西園君は驚いたように両眼を見開いた。
少なくとも、私はそう考える。立場は違えどそれぞれに悩みは持っていて、みんなそれをどうにかしようともがいてる。優吾もそう、私だって逃げた先で楽になるわけもなく別の問題に直面して、どうにかしようともがいてはいる。ダンスとか作法とか……とにかく、立ち止まっていたって何も始まらない。
動いて、あがいて、もがいて、そしてその先を目指すもんだろ?
「僕は……」
西園君はゆっくりと下を向き眉を寄せる。
てか、私としては頑張ってほしいと思っているのだ。
何しろ契約の内容が西園君と優吾の関係にも引っかかってくるんだから、簡単に別れてもらっても困る。
「西園君、よく考えてみて。距離を置くのは決して悪いことじゃないんだよ? お互いに冷静になるいい機会なんだから、今の自分に必要なものや足りないものを探さないと。それは優吾と西園君の両方にとっていいことのはずだから」
「宮島さん……。はい。僕、もう少し考えてみます。宮島さんって、女性のわりにはいい人ですね」
なんて西園君は小さく微笑んで見せた。
「一言余計なんですがそれは」
「仕方ないですよ。だって僕、女性は嫌いですもん」
話も終わり、西園君と別れた後、私たちは買い物の続きに戻った。
西園君と優吾が早く元通りになってくれることを願うよ。
恋をするのは簡単だが愛するのはとても大変なことだ。私も何度も失敗してきたし、おかげで次を探す気力が今はない。面倒くさいとは思うも、西園君のように真剣に悩んで恋をしているのはちょっとうらやましいとも思うけど、今のところ、私にはまだ要らないかな……。
この先、誰かを愛することがあるかも疑問だが。
「春乃様って、人がいいですね」
なんか諸々服を買い終わって車まで戻ってきたとき、聖君が後部座席のドアを開けて私が乗り込む間際にそういうと、自分も乗り込んで私の隣に座った。
「なに、突然」
少し驚いて聖君に顔を向ける私の視界に、美影さんが運転席に座ったのが見えた。ほどなくして車が走り出し、ゆっくりと家までの道を進み始める。
「西園圭介と優吾様が別れれば、名実ともに春乃様が優吾様の最愛になるかもしれないのに」
なんて、聖君はどこか不満そうな顔で窓の外を見つめていた。
「それこそ、別に私は望んでないよ」
私はそのうち外に恋人を作る気満々ですので。まあいつになるかは知らんがな。
「ですが、それも絶対ではありませんわね」
くすくすと小さく笑い声を漏らしながら、美影さんがに私の言葉に返してくる。まあそれも間違っちゃいないな。
「可能性の話をはじめたらキリがないけどね」
私と優吾が恋をしないとは言い切れないし、優吾と西園君が別れないとも言い切れない。そういう『もしも』は全部ゼロにはならないけど。
「限りなくゼロの可能性を引き当てるのはかなり難しいとは思うよ」
だって、私がそれを望まないんだから。




