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カフェオレ・ダーリン  作者: 風犬 ごん
13/53

今の僕の気持ち

優吾の思うところ、その一。


 最近、僕が圭介の家に泊まっていかないのを、圭介が不満に思っているのは知っていた。


「今日も帰るんですか?」


 夕飯を一緒に食べた後、片付けを済ませた圭介がテレビを見ていた僕の隣に座って、寂しそうにそう言う。


「ごめんね。今はとくに忙しいのもあるけど、一応、婚約者を一人で家に居させるのはまずいから」


 それでなくとも名前の知れた家と言うのは、ちょっとしたことでも大袈裟に噂されてしまう。醜聞が広がるのは僕としても好ましくない。

 そんな僕の言葉と苦笑いに、圭介があからさまに不機嫌そうな顔を見せる。


「優吾さんは、女性を知らないから……」


「そう?」


 僕は圭介の言葉にやっぱり曖昧に笑うしかない。

 こう見えて僕は、男性、女性ともに付き合った人数はわりと少なくはないが、どうにも圭介の中の僕ってのは、穏やかで、優しくて、おっとりしているように見えるらしい。

 おまけに、圭介の中では僕はどうやら純粋な人物のようだ。


「優吾さんは、あの女に優しすぎるんです。だから、あの女も調子に乗って優吾さんの機嫌を取ろうとして、絶対に優吾さんの顔とかお金が目当てなんです」


 圭介はそう言うと、僕に顔を向けた。


「僕たちが許されない関係だから、そこに付け込む気なんですっ」


「うーん」


 春乃が言った『面倒くさい』という言葉が頭をよぎる。

 僕はそう言う部分も可愛いと思っているけど。


「ねぇ、圭介。春乃は敵じゃなくて協力者なんだよ?」


 この説明は春乃と契約を交わした当初から、圭介に言い聞かせていることだ。

 春乃だって最初はしぶっていたけど、それでも今は快く――かは分からないけど、とりあえず協力してくれる気でいるのは確かだから、あまり彼女を悪く思ってほしくない。


「そんなの、優吾さんに好かれたいためにいい人のフリをしてるだけですっ! 優吾さんは騙されてるんですっ!」


 圭介はそう声を荒げると、むすっと頬を膨らませてそっぽを向いた。


「圭介、そう怒らないで」


 僕が彼の頭を撫でてあげれば、不機嫌そうに頬を膨らませては見せるけど避けようとはしない。

 こういうところも可愛いと思う。

 だけど、圭介が春乃を嫌がる理由はわかっているから、僕としても複雑だ。

 圭介は女性が嫌いなのだ。いじめられたり裏切られた経験があるらしいし、僕も別に無理に女性を好きになれとは言わないけど、全部が同じという考え方は寂しいと思ってしまう。

 人間性と言うのは、年齢や性別問わず様々にあるもので、見た目が綺麗だからと言って性格がいいかは分からないだろうし、無口で不愛想だからと言って、その人物が悪い人とも限らない。

 そこは性別ではなく中身の問題だから。

 僕から見た春乃は面白い人だ。ちょっとお人好しだ。

 僕は彼女を気に入っている。だからという訳じゃないけど、彼女のことを圭介に悪く言われるのは複雑な気分になる。


「僕は心配なんです。優吾さんは女性を美化しすぎてると思います」


 そうだろうか?


「そんなに酷い?」


「だって、あの女のことを庇うじゃないですかっ。女なんて最悪なんですっ。我がままで自分勝手で、男を道具かサイフくらいにしか思ってないんですっ!」


「それは極端だよ」


「優吾さんが言ってる契約結婚の話だって、普通なら受けませんよっ! だっておかしいじゃないですかっ! 何か狙いがあるから優吾さんに取り入ろうとしてるとしか思えませんっ!」


 圭介の言わんとしていることはわかるつもりだけど、春乃はそう言う類の人間じゃない。だからこそ、契約結婚の話を彼女に持っていった。

 僕は昔から人を見抜く力だけは自慢だった。それと言うのも、権力者の中で様々な思惑を持つ人間と接してきたから、人をある程度は見抜けなければこっちが食われてしまうような世界なんだから、嫌でも身につく。

 だけど、安易に僕を信じろというのは横暴すぎる。だからこそ、圭介にはちゃんとわかってもらいたいのだ。


「彼女なりのメリットはあるさ。そうじゃなきゃ一方的なこちらの言い分を聞き入れるのはおかしいし、僕だってそんな人と契約を結ぼうとは思わない。でもね圭介、春乃が協力者なんだってことは信じていいんだよ」


 そう言って彼の頭を優しくなでれば、圭介は僕の手を払いのけて僕を睨むように見つめてくる。


「なんで彼女だけは『特別』なんですかっ! 優吾さんのご両親が気に入っているからですかっ? 納得できませんっ!」


「ある意味では特別かもしれないけど、そうじゃなくて――」


「優吾さんはわかってませんっ! 僕はこんなに好きなのに、性悪女を囲って、おまけにご両親の言いなりじゃないですかっ! 同じように優吾さんが僕を好きなら家もご両親も全部捨てて僕と一緒に逃げられるはずなんですっ!」


「うーん、それは出来ないでしょ。普通に考えても」


 僕にも立場ってものがある。

 会社での僕の役目は決して軽いものではないし、家を継ぐこともそう。僕には今まで与えられた自由の責任を果たす義務があるのだ。

 子供のように、面倒だから嫌だと逃げられるようなものでもないし、僕は逃げるつもりもない。

 きちんと『狛百合家』の次期当主として誇りを持ってもいる。


「自由って、縛られないことじゃないんですかっ? 優吾さんは家に縛られてるじゃないですかっ!」


「圭介、一方的に感情を吐き出しちゃ駄目だよ。僕が家を継ぐのは仕方ないことなんだ」


 僕は自由を与えられた分、親が僕を信じてくれた分をきちんと返したいと思っているんだよ。それは柵とも言えるけど、絆でもある。

 確かに、僕しか家を継げる人間が居ないというのは事実だけど、僕は決して嫌ではないんだよ。それだけはわかってほしいんだけど。


「優吾さんは諦めてるだけですっ! 優吾さんには僕がついてますっ! 勇気を出して一歩を踏み出さないと、いつまでたっても変われないんですよっ!」


「うん。僕と圭介の会話が微妙にかみ合ってない気がしてならないんだけど……」


「どうしてですかっ! あの女に洗脳でもされてるんですかっ!」


 圭介、春乃はただの一般人だよ。

 最近ではこんな言い合いを頻繁にしている。




 結局、圭介の機嫌を取ってやっと機嫌を直してくれるころには、愛し合う時間すら無くなっていた。

 気づけば帰りは夜の十一時を過ぎてしまって、春乃の練習にも付き合えなかったし、明日は圭介のところに行かずに春乃に付き合ってあげないと、そう思うと彼女には申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 僕との契約を果たすために彼女は頑張っているんだから。

 家に帰り着くとリビングの明かりがついていて、中から要と春乃の声が聞こえた。


「筋肉痛ですね」


 と要の声。


「足いてぇ。あーー要さんって、本当に何でも出来るんですねぇ。足めっちゃ気持ちい~」


 春乃が深く息を吐き出している。

 もしかしてマッサージでもしているのだろうか。


「恐れ入ります」


 僕はそんな二人の声を聞きながら、リビングにいったん顔を出すと、うつぶせに寝ている春乃と、春乃のふくらはぎをマッサージ中の要が同時に僕のほうへと顔を向け目が合った。


「お帰りなさいませ」


「おかえり~」


「ただいま」


 要は春乃に「少々お待ちください」と一言添えて僕の側に来ると、僕の上着とネクタイを受け取りカバンを持って部屋を出て行った。

 フローリングにラグを敷いて、その上にうつ伏せで寝そべっている春乃は風呂上りなのか短パンにタンクトップと言う姿で、髪もまだ少し濡れている。

 僕はそんな春乃の横あたりに胡坐をかいて、腰を下ろすと彼女の顔をのぞき込んだ。


「今日は練習に付き合えなくてごめんね」


 僕がそう謝れば、春乃は僕に顔を向けてへらりと気の抜けたような笑みを見せた。


「別にいいよ。どうせまだまともにダンスなんてできないんだからさ」


「練習はどう?」


「うーん。まだ転ぶ。美影さんの足を踏んでないのが奇跡かと思った」


 春乃はそう言うと、ラグに頬を付けて僕を見上げる。自分がうまくできないことへの不満なのか、春乃の顔は少し落ち込んでいるように見えた。

 この顔、かわいいかも。

 思わず、僕は圭介にやるように春乃の頭に手を置いて、優しくなでつける。

 大丈夫、春乃は凄く頑張ってるよ。


「親子そろって人の頭をホイホイ撫でやがって」


「ん? ああ、ごめん」


「別にいいけどさぁ。気持ちいいから」


 そう言って、春乃は両目を言葉通りに細めると、ふんわりと笑みを見せる。

 女性が持つ愛らしさや柔らかさがにじみ出る、まさに文句なしの微笑みで、僕は自分の心臓が跳ねたのを感じた。

 こうしてみると、春乃は確かに魅力的な女性だ。

 どちらかと言えば、僕も両親も好むタイプの人と言える。

 だからなのかわからないけど、僕はもっと彼女に触れたいと思って、慌てて首を横に振った。僕は何を考えているんだろうか。

 圭介とは言いあいばかりで、最近めっきり愛し合うことがなくなってしまったから、もしかして、溜まってるんだろうか?


「マッサージなら僕もわりと得意だから、やってあげるよ」


 僕はなんか諸々を誤魔化すためにそう笑顔を向けて、春乃の足に回り込むと、彼女の細いふくらはぎに手を付けて、優しく揉み解してあげた。

 本当に彼女の足がパンパンに張っている。きっと毎日無理しているに違いない。


「どう?」


「あ~~。気持ちぃ、お前天才かっ!」


「じゃあ、もっと気持ちよくしてあげるね」


「言葉のチョイスがアウト臭いがまあいいや、任せる」


 春乃の許可が出たところで、僕は彼女の足首から、ふくらはぎ、太ももや足の付け根、そして腰から背中までじっくりとマッサージしていく。

 彼女の体は本当に柔らかい。くびれた腰や美しい曲線に、僕はちょっと変な気分になってくる。こうして女性に触れるのって何年ぶりだろうか?

 僕に身を任せたまま、春乃が気持ちよさそうにため息を吐き出し、時折、甘い声を漏らす。


「ワザとではないんだろうけど、そう言う声を出されるとちょっと複雑な気分だね」


「頭の中で羊でも数えれば」


 それは眠れないときに数えるあれでしょ? 僕に寝ろとでも言いたいのかな?

 春乃は決して動揺しているわけではないだろうが、途切れる言葉と吐息が艶めかしい。そうすると、なんだか調子に乗ってマッサージをし始めた自分に苦笑いが出る。

 失敗だったかもしれない。だって、春乃の反応が可愛いから、ついもっと聞きたくなる。


「ベッドの中だと、どんな声で鳴くのか興味が出ちゃったんだけど」


 僕がそう言いきると同時に、春乃は匍匐前進ほふくぜんしんで素早く僕の下から逃げ出すと、跳ねるように体を起こし僕をじっとりと冷めた目で見てくる。


「なにそれ怖い。そばに寄らないでくれる」


「冗談なのに」


 とは口で言ってみるけど、実際のところ、可愛い春乃がいけないんだよ。僕だって男なんだから、女性に触れればそう言う気分にだってなる。

 しかも、君は僕の妻になる人だ。夫が妻に触れることは罪じゃない。


「人の警戒心をあおる言葉はやめろくださいっ。西園君にチクるからなっ」


「それは勘弁して」


 僕は降参する意味でも両手を上げて見せるしかなかった。

 そんなやり取りがひと段落すると、出来た世話役の要もリビングに戻ってきて、僕たちは就寝の体を取る。




 自分のベッドに横になって、僕は少し考えごとをしていた。

 眠れないわけじゃない。ただ、なんとなく。

 自分でも、自分の中の変化に気が付かないわけではない。

 僕は、春乃に惹かれている。

 彼女とのくらしは楽しいし、あの理解力と包容力は、さすが年上と言うところなのか。

 契約成立後は、これで圭介と別れなくて済むと思ったけど、今の状況を考えると、圭介といるのは正直辛い。

 僕自身が作ってしまった環境ではあるのだけど、僕が圭介に必要以上の期待をしてしまったのだろうか?

 僕はただ、愛する人と一緒に居たいだけなのに。

 結婚の準備も含め、諸々の流れはもう出来ている。この契約結婚計画も順調に進んでいるし、家族も納得してくれている。春乃にだって今後、死ぬまで不自由させるつもりもない。

 その中に圭介だけが、居ないのだ。

 それほどまでに信じられないものだろうか?

 春乃のことも、僕のことも。

 僕は、決断を迫られているのかもしれない。

 大きなため息が暗い部屋に溶けて消える。カーテンの閉じられた窓からは何も見えはしないけど、僕は迷っている自分に『あまり迷っている時間はないだろ?』と、問いかけて両目を閉じた。

 明日も仕事だ。春乃の練習にも付き合ってあげないといけない。

 ゆっくりと落ちる意識の中で、僕は誰もいない隣に腕を伸ばした。

 僕が求めているぬくもりはない。

 僕は、何を望んでいるんだろう。


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