小さな熱は風に吹かれて。
素敵な夜会を抜けだして、バルコニーで息を吐く。あぁ。きっと不幸じゃないけれど――なんだかとても、憂鬱だ。
私の家は、自慢ではないけれど金持ちだ。父はとある財閥の家に生まれた長男。母は社長令嬢。当然その間に生まれた長女の私は、何不自由なく生活してきた。
欲しい物があればいくらでも手に入る。嫌なものはいつの間にか私の周りから消えている。とても恵まれた暮らしだとは思うけれど――いつだっただろうか。その暮らしの中で、ただ『家族のふれあい』というものだけが、欠如していると気づいたのは。
なんでも買ってくれる父。けれど、いつも家には居なくて、世界各地を飛び回っている。
美しく優しい母。でも、いつもきらびやかなドレスを着ていて、抱きしめられたことはなかった。
愛がほしい。ただひとつ、私を求めてくれる愛が。
今夜のパーティーは、私の婚約者候補を決めるパーティーでもあると聞いている。
このまま、家を大きくするためだけの結婚をして、いいものだろうか。きっととても贅沢な悩みなのだろうと、理解はしている。けれど、完全な納得は、出来るとは思えなかった。
グラスからノンアルコールカクテルを一口飲んで、またため息をつく。いい子な私に出来る精一杯の抵抗といったら、こうして夜会をぬけ出すことだけ。私はまだいい子でいたいから、通り抜ける夜風に、少しだけこの熱を冷ましてほしいと願った。
「お嬢さん」
夜景を眺めていると、後ろから声が掛けられる。低く落ち着いた声だ。
振り返ると、三十代ほどだろうか、一人の男性が立っていた。
「こんなところに居ると、風邪を引きますよ」
掛けられた上着から少しだけタバコの匂いがして、一服しにでも来たのかな、と思う。穏やかな笑みを浮かべるその人は、『紳士』という言葉がよく似合う大人の男性で、胸元が少しだけ、熱くなった。
『貴女のような美しい人が会場にいないのでは、パーティーも興ざめでしょう』と嘯きながら、私を優しくエスコートしてくれる彼と目を見合わせて、私は少しだけ笑った。
――このとき、まだ私は知らない。
この夜風にも冷ませられない、『恋心』という名の炎が、胸の中で湧き始めたことを。
どうやら、この夜の風は、少し意地悪だったらしい。
お題「高貴な夜風」/15+20m
小さな火種に風をそそげば、大きな炎になるでしょう。燃料さえあれば。