※これは一種の無理心中だ。
※ → カニバリズム
「ぅっ……ぇ……」
胃袋が収縮し、食道を液体が逆流する。糸を引いて口から出た濁った色のソレは、思わず眉を顰めてしまうほど醜かった。ただひとつ。胃液と食物とやりきれない感情が混ざり合ったその吐瀉物の中に、ごろりと、こちらを見ている目玉以外は。
その瞳はブルーサファイアのように光を映し、けれど、それ以外の何も映さない。相も変わらず私に『愛している』と囁いた時と同じ形をしているけれど、声の響きと共に感じられた、目の奥の優しさは、すでに形骸化していた。
あぁ、そういえば。これだけは、丸呑みしようとがんばったのだったか。ちらほらと、吐瀉物の中に散らばる『彼』の面影を見て、ぼう、と思考を飛ばす。いっそ狂ってしまえたらよかったのだけど、どうやら私は現実逃避がひどく上手だ。
「……いや、こんなになっても正常であろうとするほうが、狂ってるのかもしれないな」
彼と私はとてもじゃないが、釣り合わなかった。彼は名家の出身でいわゆるいいとこのお坊ちゃん。地位も名誉も富だって全部持っていて、綺麗な婚約者だって居た。それに比べて私はただの庶民……いや、それ以下の貧乏人だ。靴下は履き古しであるし、服だって古着屋で買った安物。顔もよくなければ性格もよくない。ないない尽くしの人間だ。
けれど彼にとって、『自分が持っているものを持っていない』というのは強烈な個性として映ったらしく、何の遊びか知らないが、私に声をかけてくるようになった。私は迷惑千万で、いつもいつも袖にしていたけれど、結局のところ、彼の優しさに絆されて、先に惚れたのは私の方だ。
……きっと間違いだったのだろうな。彼と私が出会ったことも、今のこの結論も。
彼は名家の出身で、綺麗な婚約者だって居た。それは家が決めたことであって、彼に逆らうことはできない。私なんて以ての外だ。ただの貧乏人が抗えるわけがない。
彼と婚約者との婚約発表の場は来週で、もうお別れだと諦める私。昨日、彼は私に声を掛けてきて、こう言った。
『どうせ生きてちゃ一つになれないなら、僕は君の中で生きていきたい。』
きっと私達は冷静ではなかったし、この悲劇に酔っていた。学生の身分であるからして、私達は自分たち以外の世界というものを知らなくて、二人きりが世界の全てだと確信していた。
だから一粒雫を落としながら笑いかける彼に、私は指で取った雫を舐めて、『頂きます』と言ったのだ。
「……あぁ。彼を、戻さなきゃ」
彼のことを、残さず食べて――生きなければ。 それが彼の望みだし……そうすれば死ぬときは、一緒になれるはずだから。
夢うつつな現実の端に捉えた丸い宝石を手にとって、私は口へと放り込む。こくりと無理やり嚥下して、催す吐き気を食い止める。
昨日食べた目を今日飲み込んで、私は明日から生きてゆく。
お題「昨日食べた目」/15+15m
あなたを消化すること。きっとそれを、身体が嫌がっている。