花が咲くなら、悪くない。
ひらひら、桃色の花びらが舞い落ちる。くるくると遊ぶように、無邪気に。ぽかぽかとした陽気は心を浮かれさせ、思わず微睡んでしまいそうになるほどに心地よい。
季節は四月。出会いと別れと……そして、花見の季節だ。
レジャーシートを広げ、場所取りとしての任務を全うする僕は、その当然の権利として一足先の花見酒を敢行していた。今日は開発チーム一丸となって作り上げたサービスが開始して一週間であり、その祝杯も兼ねた息抜きとしてここに来ている。といっても来ているのは僕一人だけであって、チームのメンバーは全員後からくる。場所取り担当のくじ――まさに貧乏クジってやつだ――を引いてしまった不幸な僕は一人寂しくここで風に吹かれているというわけだ。
「……しかしまあ、ひとり酒も悪くはないなぁ」
こくり、と杯に注いだ酒を喉に流しこむ。こうしているとなんだか、自分が人であることを忘れて、自然の中に一体となっている気がしてくる。頭がふわふわして――アルコールのせいだろうが――『自分』が希薄になった気がするのだ。
しばしそのままぼうっと桜の舞い散る様を見ていると、ふと首筋に冷たいものを感じた。恐怖体験? いやいや、そうではない。恐らくだがこれは――
「――チーフ。おはようございます。どうでした」
同じく貧乏クジの一つである買い出し担当を引かされた、僕の上司、チーフの悪戯だろう。案の定、視界の隅にビールの缶が見える。それとその向こうに、不満気な美人の顔も。
「……なんだ、驚かないんだな。つまらん」
「いえ、少しは驚きましたけど。僕、感覚鈍いんですよ」
むすっとしたチーフにあはは、と笑いかけ、杯を差し出す。チーフはそれを無言で受け取り、一口飲んだ。相変わらず不機嫌そうな顔をしている。けれど、この数ヶ月慣れ親しんだ僕は、彼女はそういう顔なだけで、怒っているわけではないことを知っている。
その証拠に、チーフの声色には、からかうような楽しげな感情が込められている。
「まったく、乾杯もせずに一人酒を嗜むなんぞ、なってないな」
「そういうチーフも、無言で飲んでるじゃないですか」
「私はいいんだよ。上司なんだから」
くかか、と独特な笑い声。……この人の笑顔は初めて見た。口角を少し上げるだけの笑顔だけど、なかなかどうして、意外で、素敵だ。
「ま、細かいことはいいじゃないですか。これも無礼講ですし……
それに、貧乏クジ引いたんだから、ちょっとぐらい良いでしょう?」
「……まぁ、それもそうだな。しかし……」
そこで言葉を区切ると、チーフは空を見上げる。僕もつられて空を見ると、ざぁ、と吹いた風に煽られ、視界を染める桜の花びらたち。あたり一面を覆う芳しい匂い。
ひらりと手にした杯に、花弁がひとつ浮かぶ。アニメやドラマか何かで見たことがあるな。なんというか、風流だ。
ちらりと目を向けると、同じように杯を持ち、優しく微笑むチーフが居た。
「……コレが楽しめるなら、貧乏クジもそう悪くはないものだね」
「……ふふ、えぇ。そうですね」
珍しいものも見れましたし、という言葉は、口に出したら怒られそうなので、胸に仕舞っておくことにする。
久方ぶりに呑む春の酒は、陽気に包まれ、期待と始まりの味がした。
お題「春の酒」/15m+15m
こういう、何があるわけでもない二人の、何があるわけでもない場面を、情景と共に書くのが好きです。