女顔の僕は異世界でがんばる

第四章 恨みを抱く少女

都市奪還 二

　動くことのできない重症患者を、防空壕内に呼び戻したアプサラス五人に集めさせ、範囲治癒魔法を発動する。

　治癒魔法の範囲はそれほど大きいわけではなく、押し込んだとして、一度に治癒できるのは、六人、いや、子供を入れれば何とか七、八人といったところだ。

　無理やり八人押し込む。

　周りが静かになり、注目されているのを感じた。

　けれどやりづらいとか、そんなこと考えている余裕はない。

　単なる治癒魔法でさえ、魔力消費は激しい。

　港町＜ミスナー＞での経験からして、これだけ重傷な患者を治すとなれば、魔力が多い人でも数人が限度だろう。

　加えて範囲治癒魔法は、治癒魔法と違ってロスも起きると、発動した瞬間感じた。

　一帯に魔力を照射するから、大気中に多少の魔力が放散されてしまうからか。

「くっ……」

　思わず、声を漏らしてしまう。

　最近はほとんど無尽蔵に魔力を使えるようになってきたけど、さすがに限界が近いらしい。

　って、弱音なんか吐いてられないな。

　この人たちの生死がかかっているんだ。

　集中、集中……。

　失われた部位を再生し、血液を増産させ、巨大な切り傷を塞ぐ。

　周囲がざわめいた。

「おい……うそだろ？」

「足が、生えて……？」

　完全に失われた部位を治癒することは、可能だ。

　けれど、それができるのは王国内でも数えるほどしかいないという。ましてや、複数人を同時に再生させたなんて、聞いたことが無い。

　だから不安だったけど……よかった。

　――治療、成功。　、

「ふぅ……アプサラス」

　一息つき、すぐにアプサラスへ指示を出す。

　けが人はまだまだ大勢いる。

　周りを見渡せば、小さな体育館ほどの広さを持つホールが人で溢れかえっていた。

　ここにいる人たちのほとんどが、怪我人……。

　思わず尻込みして、気を取り直す。

　とにかく、やらなくちゃ。

　治療再開。

　何組かのグループをさばいた。

　魔力不足を懸念して完治から応急処置へと切り替えたが、それでも、消費は半端じゃない。

　疲労で朦朧とする中、しかしそれ以上に深刻なことが起きていた。

「お願い！！　うちの子を先に！！」

「おい！！　割り込むんじゃねえ！！」

「お願いします！！　この子、もう息が！！」

「頼む……足が無きゃこの先、生きてけねえんだ」

「お願いだ！！　妻が……まだ結婚したばかりなんだ！！」

　一人が不満の声を上げた瞬間、それが波のように全体へ広がって、瞬く間に暴動となったのだ。

　懇願や怒声、泣き声や悲鳴のような金切り声が滝のように落ちてきて、鼓膜を通じ、疲労で靄がかかったような頭の中でガンガンと暴れる。

　かろうじて抑えてくれている人たちのおかげで手を出してくる人はいなかったが、集中力はどんどん削られていく。

　それでも何とか無視して治療を続けていると、やがて誰かに縋り付かれた。

　思わず、振り返る――

「お願い、この子を……」

　涙を流した若い女の人だった。

　両手に抱えられた女の子は、もとはかわいらしかったであろう顔に、大きなやけどを負っている。

　見れば彼女も、体中にやけどを負っているようだった。

　酷い怪我だ。

　早めに対処しないと、痕が残るかもしれない。

　それはこの子の人生に、大きく響くだろう。

　彼女はそのことを見越して、自分の方が酷いであろうに、苦しいだろうに、この子のために動いているのだ。

　一瞬、少女の顔が、ヨナの顔と被った。

　思わず治癒魔法を中断しそうになって――

　――ダメだ！！

　踏みとどまる。

　それ以上にひどい人はいくらでもいる。

　もしここで優遇したりすれば、暴動はいよいよ止められなくなるだろう。

　そうなれば、助けられる者も助けられなくなる。

　先に治しちゃ、いけない。

　今は、目の前の治癒魔法に専念しなくちゃ。

　――何も言わず、元に戻る――

「いっ！」

「お願いです！！」

　爪が首に食い込むのを感じた。

　どうやら、首を絞められているらしい。

「なにやってんだてめぇ！！」

「きゃあっいやぁっ離して！！」

　と、すぐに怒声が響き、手が離れる。

　誰かが引き離してくれたらしい。

「うちの子の方が重傷だ！！　早くしてくれ！！」

「――――――！！」

「――――――！！」

　けれどおさまらない。

　何人かが警護してくれているみたいだが、それでも寄ってくる人が増え、接触が増した。

　ただでさえ集中力が落ちてきているというのに、このままじゃどうしようもなくなる。

　――しょうがない。

　目の前の患者を治療を終え、アプサラスに指示を出す。

　アプサラスたちは犬歯を剥きだしにして、僕の周りを飛び交い始めた。

　一瞬、人々の目が釘付けとなる。

　飛び交うのを止めさせ、五人を僕の周りに呼び寄せた。

「静かにしてください！！　治癒魔法には集中力が必要なんです！！　このままじゃ、助けられる人も助からなくなる……もしこのままうるさいようなら、実力行使に移らせてもらいます！！」

　直後、アプサラスたちが巨大な水の槍を創りだし、地面へ思い切り突き刺した。

「「「きゃぁああっ！！」」」

　悲鳴がホールに木霊す。

　そしてすぐに静かになった。

「僕はなるべく多くの人を救いたい。そのためなら、何でもするつもりなので、よろしくお願いします。アプサラス！！」

　一声で、アプサラスは次の患者を運び始めた。

　あぁ、やっちゃったな。

　きっとこれで、また恨み買っちゃっただろうし……いや、とにかく今は、目の前のことに集中しよう。

　治療再開。

「はぁーっはっ……」

　くそ、視界がぼやける。

　体が、だるい。

　周りを見る。

　――あと、少し。

　今すぐに治癒しておきたいグループとそうでないグループに選別し、さらに数を減らしておいた。

　そうしておいて、とにかく消費を抑えるように一人に対する治療レベルも可能な限り引き下げて、ようやくここまで来た。

　ここからは個別に……いや、速度を考えると、やはり範囲魔法で……あと四、いや、三回だ……三回の、治癒で、なんとか――

「あ、れ……？」

　――膝が折れた。

　糸が切れたようにとかよく使われるが、まさしくそうだ。

　立ち上がろうとして手をつくと、今度は肘が折れてしまう。

　まるで支えを失った操り人形みたいだな。なんて言ってる場合じゃない！！

「く……そ……」

　まわりがざわざわとし出す。

　まだ残った人たちの中にも、重症と呼べる人はいる。

　意識的に子供は優先していたけど、それでもまだ残ってる。

　――あの、女の子も。

「お、おい……まさか限界とかじゃ……」

　誰かの、恐々とした声が、ざわめきの中なぜか大きく響いた。

　それが全体に、稲妻のような衝撃を与えたような気がした。

　信じたくはないが、それが真実であるとうすうす感じているからか。

　治療を！！

　体を無理やり起こし、アプサラスに患者を運ばせる。

　立ち上がるのはどうあっても無理そうだが、座っていても治癒魔法は使える。

　治癒魔法発動――

　――ドクンと、体内で何かが拍動した。

　瞬間、体が痛いくらい硬直する。

　まるで、内臓が、よじれてるようだ。

　何かが、競り上がってくる――

「うぐっ！？」

　――嘔吐していた。　　

　胸の奥に大きな石でも詰め込まれたような不快感と痛み。続けて割れたような頭痛がやってきた。

　吐くほどに苦痛は大きくなる。というのに、まるでおさまる気がしない。

　内臓ごと中身を吐きだそうとしてるみたいだ。

　魔力が尽きた。

　それは明らかだったが、ここまでの劇的な反応は初めてだ。

　吐き出すものが無くなると、より一層不快感と頭痛がひどくなった。

　座ってすらいられない。

　気づけばうずくまっている。

　寒い。

　体の先を、冷水にでも突っ込んでいるみたいだ。

　震えが、止まらない。

　でも、どうすることもできない。

　できるのはただ、こらえることだけ。

「ちょっと！！　冗談じゃないわよ！！」

「やめないか！！　この子は、みんなを――」

「あんたの子は治癒してもらったからそんな冷静でいられるのよ！！　ふざけないで！！」

「なんだと！？」　

　周りの喧騒が、どこか遠くに聞こえた。　

　大騒ぎになっているということだけは、なんとなく理解できる。

　背に触れるものがあった。

　ひんやりと冷たく、人のものではないとわかる。

　アプサラスか。

　荒れ狂うような脳内で、かすかに感じた。

　アプサラスが住人を威嚇して、一人が僕の背中を懸命にさすっている、か？

「立ちなさいよ！！　お願い立って！！　立って、この子を！！」

「頼む！！　腕が無いと俺はこの先生きてけねぇんだ！！」

　わかってる。

　立たなければ。立って、治療の続きを！！

「うっぐぅっ！！！？」

　力をこめようとして、激痛が走る。

　目の前が真っ赤になった。

　血を吐いた？　いや、吐いた感覚は無い。いや、吐いたけどもう感覚が無い？

　痛みと不快感の中、疑問が浮かんだ。

　そして頬を伝う感覚で、すぐわかった。

　目から、血が――

　――喧騒が、まるで潮が引いていくようかのように、止んだ。

　足音で、誰かが近づいてくるとわかる。

　温かい手が、背中に触れた。

「無理をさせて、本当にすまないねぇ……」

　しゃがれた、しかしこの上なく優しい声がして、手が、ゆっくりと上下する。

　不快感が、一気に和らいでいくのを感じた。

　力の限りを使って、顔を横に向ける。

　横で背中をさすってくれていたのは、しわくちゃのお婆さんだった。

　泣いてる？

　なんで？　

「許しておくれ。みな、悪気があるわけじゃないんだ……ただ、必至なだけなんだよ。正気を失っているんだ……」

　目が合った。

　声は出せなかったけれど、目で『わかっています』と伝える。

　おばあさんの手に力がこもった。

「優しい子だね。本当に、優しい。それに比べて、わしらは。（すまない、本当にすまない……でも、頼るものがないんだよ）……こんなわしらのために、もう少し、がんばれるかい？」

　小声になったところも、聞こえてしまった。

　頭の中は痛みやなんかでぐちゃぐちゃになっているというのに、この人の言葉ははっきりと理解できる。

　かすかに目で応じた。

　すると、お婆さんは一瞬硬直して、やがて覚悟を決めたように目を瞑る。そしてごそごそと古着のポケットを探って、中から小瓶を取り出した。

「これは、エリ・クシラという、秘薬でね、飲むだけで魔力を回復してくれるんだよ。御先祖様が残してくださった、古の薬なんだ。……何が起きるかはわしでもわからない。それでも、飲んでくれるかい」

　色は、美しい琥珀色だ。

　しかしその美しさが、逆に毒々しく思えた。

　間違っても、自然な飲み物の色じゃない。

　僕はアプサラスにそれを受け取らせた。

　そして、口へと運ばせる。

　あ、甘い。

　ガムシロップのようにどろりと甘いその液体は、ゆっくりと胃の方へ進んで行く。

　それにしたがって、温かいものが全身へ広がっていくのを感じた。じわじわと苦痛が引いていく。

　明らかに、魔力が回復している。

　薬には確かな効果があったのだ。

　怖くないわけじゃなかった。

　けど、確信があった。

　エリ・クシル。

　なんとなく聞き覚えがある響き。そう、エリクサーだ。

　飲んだだけで傷が治るとか魔力が回復するとか、普通の薬じゃまずありえない。辞典とかにも載ってなかった。

　きっと、勇者とかみたいにこの世界へ来た日本人が創ったんだろう。特別なスキルとかで。

　腕に力を籠めてみる。

　よし、動く。

　全回復には程遠いけど、これなら、残りの三グループを治癒するくらいは訳ないだろう。

　体を起こし、治癒魔法を再び発動させると、大歓声が上がる。

「がんばってくれ！！」

「あと少しよ！！」

　まったく、勝手なことだと思う。

「ありがとう……ありがとう……」

　そんな歓声の中、少し後ろで小さく繰り返すおばあさんの声だけは、はっきりと聞こえてきた。