八教科のミックスサンド その2
次の日。昨日と同じく、散歩に出かけるといって、わたしは早朝に家を抜け出した。
日曜日ってこともあって、早朝の町に人の姿はほとんどなかった。それなのに、太陽は人間に自分の力を知ってもらいたくて、力いっぱい輝いている。悲しくならないのかしら?
シャンボールにつくと、教科書でずっしり重くなったリュックを背負って、店に入った。
店内に続くドアを開けたとき、わたしは悲鳴をあげてしまった。なぜならフランス人形が安楽イスに座って、わたしを待っていたからよ。
太陽よりも輝く金色の髪。見ているだけで涼しくなりそうな雪のように白い肌、そして青い瞳。まるで生きている人間みたい。これもジョーイのフィギュアコレクションのひとつかしら?
「きれい……」
わたしはフランス人形に近寄ると、指の先で髪をそっと撫でた。
「その子はエリーです」
ジョーイの声が聞こえた。ジョーイは二階から、わたしを見下ろしていた。
「おはようございます。それでは約束どおり、八教科を使った料理をつくりましょう」
ジョーイは早足で階段を降りると、エリーの手にラジコンのコントローラーを握らせて、わたしを店の奥に案内した。
わたしが案内されたのは窓際の席だった。純白のテーブルクロスがかけられたテーブルの中央には花瓶が置かれている。おかしなレストランの、たったひとつだけ気の利いたおしゃれね。
「ほんとうにつくれるんでしょうね?」
七冊の教科書と鉄棒のハウツー本(体育の代わり)を、楽しそうにながめるジョーイにたずねた。
「もちろんですとも。いやあ、それにしても、どの教科書もきれいだなぁ。落書きがひとつもない」
「あたり前じゃない。教科書は勉強するための本なのよ。マンガを描く紙じゃないの」
「でも、落書きがスパイスになることもあるんですよ。毎回、歴史の本を持って、ここにくるお客さまがいるのですが、彼の本の徳川家康は、いつも目からビームを出しているんです。でも、彼は、その天ぷらを最高の味だと褒めてくれます。ビームを出さない家康では彼の舌を満足させることはできません」
「そうなんだ……」
わたしは自分の教科者の徳川家康を思いだした。目からビームなんて出てないし、耳からお花も生えていない。おいしくするには猫の耳でもつけたほうがいいのかしら?
でも、やっぱり教科書は勉強のための本よ。マンガの練習用紙じゃない。結局、わたしはきれいなままの教科書で料理をつくってもらうことにした。
「教科書は〝きれい〟なまま、お帰りの際に返させていただきます。調理に時間がかかりますので、壁に飾ってある絵でも見て、時間を潰してください」
そういい残して、ジョーイは鼻歌を歌いながら厨房に向かった。
時間を潰してください、ですって? あんなおかしな絵を五秒以上も見つめられるはずないじゃない!
ビキニ姿のマグロ人間が縄跳びする絵! 兵隊が花壇のチューリップに塩をふりかける絵! テントウムシとサイダーのビンが相撲をとる絵! 脚の生えたボーリング球が橋の下でフィギュアスケートをする絵! 飾ってあるのは、どれもこれも芸術とは無縁の気持ち悪いゲテモノ絵画ばっかりよ。
「図工の教科書をわたすんじゃなかったわ……」
厨房の入り口に目を向けながら、わたしはひとりごとをつぶやいた。
* * * *
十分ぐらい待ったとき(持ってきた本を見て時間を潰したわ)ジョーイが銀のワゴンを押して厨房から出てきた。
「大変、お待たせしました。こちら、八教科の教科書を使ったミックスサンドウィッチです」
お皿に乗っていたのはサンドウィッチだった。
丸い形の玉子サンド。正方形の野菜サンドにボリュームたっぷりの長方形のカツサンド。そして、オーソドックスな三角形のハムサンド。筒状のロールサンドにはツナマヨがたっぷり詰まっているし、別のお皿には、生クリーム入りのフルーツサンドも乗っていた。
わたしは思わず生唾を飲みこんだ。こんなにおいしそうなサンドウィッチを見たのは生まれてはじめて。高級ホテルの朝食に匹敵する――ううん、もしかしたら、それ以上かも。
「ページの切れ端は見当たらないけど?」
興奮を押しつぶして、わたしは平静を装いながら、ジョーイにたずねた。
「算数のページはパンに混ぜているんです」
なるほど……。だから、四角とか三角とか、いろんな図形のパンがあるのね。
わたしは最初に玉子サンドを食べることにした。
パンが歯にあたり、玉子ソースが舌に垂れた瞬間、頭の中に何かが流れこんできた。
それは円の面積の公式だった。<半径×半径×3.14>――これが頭の中心に向かって、風を切るみたいにスーッと流れこんできたの。
「うわあ!」
わたしは驚いて、イスから立ちあがった。
「何よ、あれ……」
「大丈夫、体に害はありません。すぐ慣れますよ」
ジョーイはわたしの肩を抱いて、イスに座らせてくれた。
「の……脳が溶けたりしないわよね?」
「大丈夫です。もし、そうなら、ぼくの頭には何も入ってませんよ」
ジョーイが笑いながら、自分のこめかみを指で叩いた。
――頭に何も入ってないから、こんな変なレストランで働いているんじゃないかしら……。
わたしは急に不安になった。でも、空腹に負けて、もう一口、玉子サンドを食べることにした。
やっぱり、頭の中に公式が流れこんでくる。でも、それも慣れてくると気にならなくなった。だから、わたしはサンドウィッチのおいしさを口の中で堪能することに努めた。
固くはない。けど、柔らかすぎることもない。黄身とマヨネーズの絶妙な食感と、それを引き立てる弾力あるプリプリの白身。
ソフトでフワフワ。でも味はしっかりとしている。マヨネーズとコショウが、ちゃんと料理としてのおいしさを確立しているの。
玉子サンドを食べていると、映画を見るみたいに頭の中に映像が浮かんだ。
何人もの屈強な男が集まって、必死に玉子を机の上に立たせようとしている。でも、どんなに筋肉を駆使しても、玉子を立たせることはできない。
「こんなこと、できるはずないだろう!」
だれかが叫んだ。それを皮切りに次々と男たちが叫びはじめた。
「こいつはウソつき野郎だ!」
「玉子を立たすことなんて、できるはずないぜ!」
男たちは、ひとりの人物に向かって罵詈雑言を浴びせた。でも、その人は顔色ひとつ変えない。
「失礼」
その人は玉子をとると、玉子のお尻の殻を割り、机の上に立たせた。その瞬間、男たちが言葉を失った。
言葉を失った男たちを見て、玉子を立たせた人物はにこりと笑った。
「コロンブス……」
「はい。これはコロンブスの玉子サンドです」
いまさらだけど、ジョーイが料理の説明をしてくれた。
「すごい……。シャンボールの噂って、ほんとうだったんだ」
「はい。幽霊に関する噂以外はほんとうのことですよ」
ジョーイは笑いをこらえながら、空になったグラスに水を注いでくれた。
* * * *
鉄棒の本でつくった〝マグロ人間の鉄棒オリンピック・ツナサンド〟
図工の教科書でつくった〝幸運の子ブタ像(子どものイノシシ像)のカツサンド〟
植物の生長に関するページと漢字ドレッシングでつくった〝理科と国語の野菜サンド〟
果物の切り方のページとト音記号の生クリームでつくった〝家庭科と音楽のフルーツサンド〟
サンドウィッチは、どれも最高の味だった。でも、なんといっても、一番はハムサンドよ。サンドウィッチ伯爵と各教科を代表する人物がトランプ勝負するの。
社会の織田信長、図工のピカソ、音楽のヴェートーヴェン……みんな強敵だったけど、最後は主役のサンドウィッチ伯爵が勝ったわ。
サンドウィッチを食べおえたとき、頭がとても冴えていた。この状態で勉強すれば、どんな難問でも解けるような気がした。
帰るとき、ジョーイが教科書を返してくれた。料理のために破られたページはないし、落書きもされていない。本郷弓香の〝きれい〟な教科書だった。
「……ジョーイ」
「なんでしょうか?」
ジョーイがわたしの顔をのぞきこんだ。
「……ごめんなさい」
わたしはジョーイに頭を下げた。シャンボールの噂はほんとうだった。わたしは真相を確認する前から、それはウソだと決めつけて、ジョーイにひどいことをいってしまった。
教科書でつくったサンドウィッチはおいしくて、楽しくて、頭がよくなることなんか関係なしに、もう一度食べたいと思うものだった。
「ごめんなさい。わたし、何も確認しないでシャンボールの噂を全部、ウソだと決めつけてた」
「そんなことで、ぼくなんかに頭を下げないでください」
ジョーイはわたしの肩に手を添えた。ピアニストみたいに長くて細い指が肩をやさしく叩いた。
「頭をあげてください。弓香さまにプレゼントがあるんです」
「プレゼント?」
「はい。シャンボールで食事をしたお客さまにわたす特別プレゼントです。少々お待ちを」
ジョーイは三段飛ばしで階段を駆けあがって二階にあがると、ピンクの箱を持って戻ってきた。
「この場で開けてみてください。驚く顔が見たいのです」
いわれたとおり、わたしはその場で包装紙を破り、箱のふたを開けた。箱の中に入っていたのは、黄色い宝石のついたネックレスだった。
「すごい……」
「ぼくが昨日のうちにつくったんです。宝石は『二次方程式』を使って、つくりました」
「宝石をつくったの?」
「ええ。おかしいですか?」
おかしい。二次方程式なんて知らないけど、数字と符号で宝石をつくれるはずないじゃない。そんなのおかしいに決まってるわ。でも、教科書でつくった料理を食べたあとじゃ、とても反論する気にはなれなかった。
「算数や数学のおもしろいところは、公式ひとつひとつに〝式言葉〟があることです。二次方程式の式言葉は――」
ジョーイは箱からネックレスをとると、それをわたしの首にかけてくれた。
「『友を想うやさしさ』です。弓香さまにピッタリな言葉ですね」
「わたしはやさしくなんてないわよ」
「何をおっしゃるのです。クラスの仲間を危険から守るために、ここへやってきた。学級委員長の鏡です。
いまはまだ理解されないかもしれません。ですが、あなたのやさしさは、いつか、クラスメイトみんなに届くはずです。ですから、自分に誇りを持ってください。ただ――」
ジョーイが宝石を握りしめた。次にジョーイが手を開いたとき、宝石は黄色じゃなくて七色に輝いていた。
「やさしく注意してあげれば、もう少し早く、あなたのやさしさがみんなに届くはずですよ」
* * * *
家に戻ると、わたしは自主勉強をはじめた。
サンドウィッチを食べたせいか、算数も社会も勉強すればするほど、頭の中に知識が詰まってゆく感じがした。
「あれ?」
わたしが〝あれ〟を見つけたのは、漢字を勉強しているときだった。
ふと教科書をめくると、ページとページの間に細長い紙がはさまっていた。最初はジョーイのイタズラだと思っていた。でも、それはイタズラじゃなかった。紙はシャンボール第二のプレゼントだった。
わたしは紙を引き抜いて、そこに書かれている文字を読んだ。
「……シャンボール料理体験教室」
(つづく)