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八教科のミックスサンド その1

 房部三吉ふさべさんきちです。以前、投稿した『おいしい教科書の食べ方」の続編です。

 わたしの住むS町にはおかしなうわさがあるの。それがレストラン〝シャンボール〟の噂よ。

 シャンボールは太りすぎた白猫みたいな建物で、造形もおかしいけど、それ以上におかしいのは料理よ。だって、シャンボールは学問――学校で習う教科を調理して食べさせてくれるレストランなのよ。

 百分率の問題でつくったパスタを食べると百分率が得意になる。江戸時代の問題でつくった天ぷらを食べると日本史が強くなる。どこのだれがいい出したのかは知らないけど、ナンセンスでくだらない噂だわ。幼稚園児のほうが、もっとマシなジョークを考えられるわ。

 でも……わたしはここで料理を食べたの。頭のおかしな外国人がつくった料理を食べたの。

 あ! いま、わたしのこと笑ったでしょ! わたしはウソなんてついてないわ。あれは夢じゃなくて、ほんとうの出来事よ。現実の世界で、わたしは小学校で習うすべての教科――八教科をふんだんに使ったミックスサンドウィッチを食べたんだもん!


 * * * *


「やっぱり、シャンボールにしようぜ」

 ホームルーム前の教室はわたしにとって、息のまるような場所だった。男子も女子もみんなシャンボールの噂ばっかり。男子は学習机に乗っかってガヤガヤ! 女子は教室のすみに集まってヒソヒソ……。とても勉学にいそしむ場所とは思えないわ。

「幽霊レストランで肝試きもだめしなんて最高じゃないか!」

 野々村大悟ののむらだいごの下品な声が教室中に響きわたった。小学生が夜に出歩くなんて、ただでさえ危ないのに、得体の知れないレストランにいくなんてとんでもない。

 シャンボールには学問を調理して食べさせてくれる噂以外にも、いろいろな噂があった。死者のために夜中の二時に三十分だけ開店するとか、死期しきせまった人間だけしか入れないとか、カマキリとニワトリが働いているとか、有名な野球選手が子ども時代にそこで天ぷら定食を食べたとか、とにかく非科学的で出所でどころ不明のいいかげんな噂ばかりよ。それにシャンボールは〝馬淵丘まぶちおか〟っていう、丘の頂上に建っているの。ここからじゃ自転車でも一時間ぐらいかかるし、人気ひとけも少ないから、夜に事故でもしたら大変。

そんな危険な場所で子どもだけの肝試しをさせるわけにはいかない。学級委員長として、なんとしても止めなくちゃ!

「野々村くん!」

 わたしは読んでいた『世界の人形』を閉じると、イスから立ちあがった。

本を閉じる音。イスを引く音。黒板をひっかく音以上にきらわれている、わたしの金切り声。三つの音は教室中に飛びかうハエのような雑談ざつだんを一瞬で叩き落とした。

「そんな危ないこと、学級委員長として許すわけにはいきません!」

 野々村大悟が露骨ろこつに顔をしかめた。ロッカー付近に集まる女子グループがわたしの悪口をいった。でも、そんなこと気にしない。だって、クラスメイトの安全を考えることが学級委員長の役目だもん。真正面でイヤな顔をされるのも、背後で悪口をいわれるのも関係ない。四方八方、どこからきらわれても、同じクラスの仲間である以上、この子たちを絶対に守らなくちゃいけない。

「ケッ!」

 野々村は机から飛び降りて、わたしのもとにやってきた。

「これだから友だちのいないやつは――」

 そのとき、野々村は自分の言葉に気づいたみたいだった。つまり……わたしに友だちがいないことに気づいたってことよ。

 ただでさえ、あいつの鼻の穴は人さし指が奥まで入るほど大きいのに、それをさらに広げて、あいつは大声で笑った。

 そのとき、わたしは覚悟した。これから、わたしはこいつに友だちがいないことでバカにされる。でも、絶対に泣いちゃダメ。怒って平手打ちをくらわすのもダメ。六年二組の看板を背負う者がそんなことしちゃいけない。

「わかった! こいつ、友だちいないからペアがつくれないだろ!? 肝試しに参加できないから、反対するんだ!」

 ――落ち着くのよ、わたし!

 マグマみたいに熱い血液が心臓の奥からいてくるのがわかった。プロミネンスの熱さにだって負けない怒りが、こぶしを固く握らせる。でも、それを爆発させちゃダメ。教室に漂う七月の蒸し暑い空気を吸って、わたしは心を落ち着かせた。

「なんとでもいいなさい。でも、肝試しは絶対にダメ。家族の人が心配するようなことをしちゃ、絶対にダメ」

「委員長さんよ、自分のためにクラスメイトの楽しみを奪うほうが、よっぽどダメなことじゃないのか? みんなもそう思うだろ?」

「そうだ、そうだ!」

「権利の乱用だ!」

 みんなが野々村の味方をした。体中を熱くさせた怒りは、いつの間にか冷たい悲しみに変わって、目の奥にたまっていた。

 孤立したときに味わう悲しみって、ほんとうに冷たいの。正義や信念といった自分を突き動かすエネルギーを悲しみがうばっていくの。だから、冷たく感じるのね。

冷たい悲しみは目の奥にたまると、熱い涙に変わった。

「とにかく、このことは先生に報告します!」

 だれにも顔を見られないようにして、わたしは教室を出た。でも、向かったのは職員室じゃなくて、女子トイレだった。

だって、だれにも見られずに涙をける場所はここしかないから……。


 * * * *


 その夜、わたしは宿題をおえると、画用紙に白猫しろねこの絵を描いた。でも、バカにしないで。絵の猫を友だちにするほど、わたしだって落ちぶれてない。わたしが白猫を描いたのには、ちゃんとした理由があるの。

 どんな理由かって? シャンボールの招待状を手にするための理由よ。シャンボールで食事するには招待状をもらわないといけないの。これを持たずにいったって「closedクローズド」の看板に追い返されるだけよ。 

 白猫を描くと、画用紙をテープで窓にはりつけた。こうしておくと、次の日には招待状が届いてるっていうの。レストラン同様、これも非科学的なバカげた噂よ。そんなことで招待状がくるなら、とっくの昔に、この町の小学生は全員シャンボールにいってるわ。

「バカげてるわ」

 バカげてる。でも、もし、招待状が届いたら、わたしは、このバカげたレストランにいかなくちゃいけない。料理を食べるためじゃない。ドアを派手に「バーン!」と開けて、目を丸くする従業員とオーナーにいってやるのよ。

 ――子どもたちがおもしろがって肝試しをするから、おかしな噂を立てないで!

 ――シャンボールの噂を信じて、みんなが勉強しなくなったら、どうするの!

 ――百分率でパスタなんて、つくれるはずないでしょう! 詐欺師さぎし

ほかにもいいたいことは山ほどあったけど、とりあえず、この三つだけは絶対にいうことを決めて、わたしは眠りについた。

 次の日――。わたしは生まれてはじめて、起きているときに悪夢を見た。だって、画用紙の代わりに、真っ白な封筒ふうとうが窓にはられていたんだもの。

 ベッドから抜け出すと、わたしは封筒を破って、中身をとり出した。あんじょう、中に入っていたのはシャンボールの招待状だった。

「ウソでしょう……」

 ウソだと思いたかった。非科学的でバカげたシャンボールの噂。それは真実だった。白猫を描いているとき、たしかに少し期待はしたけど、まさか、ほんとうのことだったなんて……。わたしは招待状を読みはじめた。



 本郷弓香ほんごうゆみかさまへ


 最近、太陽が調子に乗ってきましたね。扇風機せんぷうきを八時間以上使い続けたら、ストライキを起こされました。

 弓香さまの描く猫のなんと姿勢しせいのよいこと! この猫ちゃんならフォークとナイフでキャットフードを食べそうですね!

 そんな上品な猫を見せてくれたお礼に、弓香さまにシャンボールの招待状をさしあげたいと思います。

 シャンボールには、食べたい教科の教科書、問題集、テキストなどを持参してお越しください。料理の代金はいりません。また、いついかなる時間にきてくれてもかまいません。弓香さまの都合のよい時間にお越しください。従業員一同、弓香さまのご来店をお持ちしております。



 追伸 たいの体が赤いのは、エビを食べているからだそうですよ。



「何これ……」

 招待状にはおかしな文章が書かれていて、左下に猫のスタンプが押されていた。

 わたしは時計に目を向けた。時刻は午前七時。いまから馬淵丘にいったんじゃ、とてもじゃないけど学校に間に合わない。だから、わたしは明日の朝、シャンボールにいくことにした。

 どうして、学校がおわったあとにいかないのかって? だって、学校がおわって、シャンボールにいったんじゃ、パパとママが心配するじゃない。何もいわずに外食するのは、せっかく夕食をつくってくれたママに失礼だし、きっとパパだって心配するわ。だから、わたしは明日の朝――土曜日で学校は休みだもの――にいくことにしたの。

 さあ、待ってなさい、シャンボール! わたしが招待状を手にしたからには、もう二度、おかしな噂なんか立てられないからね!


 * * * *


 次の日、わたしは午前六時に目を覚ました。昨日のうちに準備していたリュックサックを背負うと、わたしは散歩にいくといって、家を飛び出した。

 自転車をこいでいるとき、招待状の文章に、ひとつだけ真実があることに気がついた。太陽が調子に乗っているっていうのは紛れもない事実ね。まだ、七時にもなっていないのに、太陽は自分の力を誇示するみたいにギラギラと輝いて、町じゅうを熱気でつつむの。馬淵丘をのぼりきるまでに三度も休憩をとったから、シャンボールに到着したとき、時刻は七時四十分だった。

 シャンボールをこんなに近くで見たのは、はじめてだった。

 真っ白な壁。真っ白な屋根。屋根から飛び出す猫の耳の形をしたふたつの小部屋。目の前に大きな白猫がいるみたいだった。

 でも、それだけじゃないわ。この建物を白猫に見せているのは外観だけじゃないの。二階の壁に、ふたつの大きな丸い窓が並んでついているの。黄色のガラスをはめこんだ丸窓はまるで大きな目玉よ。シャンボールは黄色い目をした、お化けデブ猫そのものなの。こんなおかしな建物だから、変な噂も立つのね。

 木製の扉に「closedクローズド」の札はかけられていない。わたしが風除室ふうじょしつのドアを開けると、カウベルが派手な音を立てた。

 風除室には金色の小さな机があった。机の上には、使い古されたサイン入りのグローブ、小さなフランス人形、あと、島本菜奈しまもとななっていう人が書いた児童小説が置かれていた。統一感はないけど、金色の机に置かれているせいか、それがシャンボールの宝物のように見えた。

「宝物なら金庫に入れなさいよ」

 ひとりごとをつぶやくと、わたしは金色のドアノブをまわして店に入った。

 店の中にはだれもいなかった。だれもいないのにカウンターの前に安楽あんらくイスが置かれていて、気味が悪かったわ。

「だれかいませんか!」

 店の奥に向かって叫んだけど、返事はない。でも、シャンボールに頭のおかしい人がいるのは、すぐにわかった。

 無音だった店内に音楽が流れはじめた。だれもが一度は耳にしたことのある、あの有名なスパイ映画のテーマソングよ。

 闇の中をけるような爽快感そうかいかんと銃弾に追われる緊張感きんちょうかんぜたテーマソングにあわせて、店の奥から一台のラジコンカーが飛び出してきた。それは銀色のアストンマーチン(イギリスの超有名高級車)のラジコンカーだった。

 アストンマーチンの運転席にはフィギュアが乗っていた。車体と同じ銀色の髪をした外国人のアクション・フィギュアよ。

 もし、ラジコンカーが映画顔負けのドライビングテクニックを披露ひろうしたら、わたしだって拍手はくしゅを送ったかもしれない。

 でも……。ラジコンの操縦そうじゅうはひどかったわ。あれなら、わたしのほうが上手に操縦できたはずよ。

 テーマソングがはじまって五秒とたたないうちに、アストンマーチンは壁にドン! 続いてテーブルのあしにドン! バックしたついでにイスの脚にもドン! 一分四十三秒の間にアストンマーチンは二十五回も事故を起こした。

 わたしのもとにやってきたとき、アストンマーチンのバンパーはつぶれて、プラスチックのフロントガラスにヒビが入っていた。ラジコンカーがこうなんだもん。中のフィギュアが無事なはずないわ。案の定、フィギュアの首は根元から折れて、手足の関節もおかしな方向に曲がっていた。

「ようこそ、シャンボールへ」

 声は二階から聞こえてきた。見れば、アクション・フィギュアそっくりな顔の外国人がコントローラーを持って、階段を降りてきていた。

 幻想的げんそうてきな銀髪と神秘的しんぴてきな青い瞳。ファッション雑誌のモデルみたいに長い四肢。見る者の目を釘づけにする端正たんせいな顔立ち。

 歳は十七か十八ってとこかしら。でも、落ち着いた声のせいか年齢以上に大人びた印象を受けた。まるで映画に登場する魔法使いみたい。

 わたしは彼の美しさに息を飲んだ。何よ! 学級委員長だって、男の人に見とれてもいいじゃない! それだけ、彼は異性として魅力的みりょくてきだったのよ!

 でも、魅力的に思えたのは最初の数分だけよ。それがどういう意味かはじきにわかるわ。

「あれ?」

 外国人は怪訝けげんな顔をしながら、コントローラーのレバーをガチャガチャと動かした。彼が何をしてもアストンマーチンは動かなかった。その代り、映画のスパイカー同様、お尻から煙を吐き出したの。

「おかしいな。煙を出す機能なんてないのに……」

 外国人はさらにレバーをガチャガチャと動かした。でもアストンマーチンは動かない。

「何がしたいの?」

 わたしは階段をのぼって、外国人のもとへいった。

「弓香さまに披露するために特別な機能をつけ加えたのに、何をしてもそれが発動しないんです」

「貸して」

 わたしはコントローラーを受けとると、左右のレバーを同時に押して、ついでに赤と緑のボタンを力いっぱい押した。その瞬間、運転席のシートがアストンマーチンの天井を突き破って、フィギュアを乗せたまま、車の外に飛び出した。

「やった! これぞジョーイカーのスペシャル秘密機能!」

 外国人は大げさに手を叩きながら、階段の上で飛びねた。でも、彼が手を叩いた瞬間、ラジコンカーは小さな爆発を起こしてバラバラに吹き飛んだわ。

「ああ……」

 外国人が眉をひそめて、階段の上であえいだ。

 それから、わたしは外国人と一緒にラジコンカーの残骸ざんがいを片づけた。その間に外国人は自分のことを教えてくれた。

 外国人の名前はジョーイ。シャンボールのコックけんウェイター兼オーナーで、ほかの従業員は、みんな、食材調達のために町に出かけているんだって。

 残骸を片づけおえると、ジョーイはわたしに向かって頭を下げた。

「申しわけございません。お客さまに掃除の手伝いをさせるなんて……」

「そんなことであやまらないで。わたしは別のことで、あなたに謝ってもらいたいの」

「といいますと?」

 わたしはわざとらしくせきをすると、眉をつり上げてジョーイの顔をにらみつけた。相手が年上だってかまうもんですか。事故が起きてからじゃ遅いの。だれかがケガをする前におかしな噂を断って、肝試しをやめさせなくちゃ。

 わたしは三つの忠告を、もう一度、頭の中で確認した。

 ――子どもたちがおもしろがって肝試しをするから、おかしな噂を立てないで!

 ――シャンボールの噂を信じて、みんなが勉強しなくなったら、どうするの!

 ――百分率でパスタなんて、つくれるはずないでしょう! 詐欺師!

 でも、そのときのわたしはすごく興奮していたから、忠告は、おかしな形となって口から飛び出した。

「子どもたちがシャンボールの噂を信じて、百分率でパスタをつくったら、どうするの! 詐欺師!」

「はい?」

 ジョーイは眉をひそめて、目をしばたかせた。

「……いい直すわ。子どもたちがおもしろがって肝試しをするから、おかしな噂を立てないで」

「はあ……。申しわけありません」

「もうひとつ。シャンボールの噂を信じて、みんなが勉強しなくなったら、どうするつもりなの?」

「誠に申しわけありません」

「これが最後。百分率でパスタなんて、つくれるはずないでしょう! 詐欺師!」

「つくれますよ」

 ジョーイは別に怒っているわけじゃなかった。顔はにこやかな笑顔だし、語気も荒くない。むしろ、わたしとの会話を楽しんでいるみたいだった。

「百分率でパスタならつくれますよ。そうだ! 掃除のお礼にパスタを――」

「そんなものいらない!」

 わたしはホウキを床に叩きつけた。ジョーイがおかしそうに「ヒャア!」と冗談めいた悲鳴をあげた。

「わたしはここに料理を食べにきたわけじゃないの! おかしな噂を立てないよう、あなたに忠告しにきたの!」

「そうでしたか。でも、せっかく、きてくださったのですから、せめてモーニングを――」

 ジョーイの視線がわたしの顔から背中のリュックに移った。

「残念だけど、この中に教科書はないわよ」

 わたしはリュックをろすと、それをジョーイの目の前で叩いてみせた。

「入ってるのは、おサイフと招待状だけよ」

 ジョーイが急に悲しそうな顔をした。それがほんとうに悲しそうな顔だったから、わたしも得意げに勝ち誇ることができなかった。

「おしまいだ……」

 ジョーイはバケツの中に片づけられたラジコンカーの残骸を見て、小さな声でつぶやいた。

「お客さまに掃除の手伝いをさせたばかりか、料理まで否定された……。シャンボールはおしまいだ」

 ジョーイはバケツを持って、店の奥にトボトボと歩き出した。

「ちょっと……」

 さびしげなジョーイの背中を見ていると、わたしは、いてもたってもいられなくなった。

 学級委員長はクラスの仲間を助けてあげなくちゃいけない。ジョーイは小学生でもクラスメイトでもなけど、バケツの重さに負けてよろめく情けないうしろ姿を見ていると、なんだか助けてあげなくちゃいけないような気がした。

「わかったわよ。せっかくここまできたんだもん。算数でも国語でもなんでも食べるわよ」

「ありがとうございます!」

ジョーイがすごい勢いで体を反転させた。さっきまでの寂しさはどこに消えたのかしら? サファイアのような青い目がよろこびの色で輝いていた。

「でも、これだけは約束して。二度と変な噂を立てないで。あと、子どもが肝試しにきたら、家に帰るよう注意して。これを守らないと、わたしは何も食べないからね」

「わかりました。よーし! 腕によりをかけて、おいしい料理をつくるぞ!」

 ジョーイはバケツを床に置くと、ブンブンと細い腕をふるった。でも、ジョーイの子どもじみた行為を注意する余裕なんてなかった。

 そのとき、わたしは得体の知れない料理のことを考えていたの。算数……国語……ほんとうに教科で料理なんてつくれるのかしら?

 頭の中にいろんな教科書が浮かびあがった。算数、国語、理解に社会――それぞれの教科書がちょうのように頭の中をひらひらと舞った。だからこそ、わたしは〝あれ〟を思いつくことができたの。

「ねえ、料理って、ひとつの教科じゃないとつくれないの?」

 質問の半分は冗談じょうだんのつもりだった。でも、もう半分には、わたしの意地悪いじわるな期待がこめられていた。

「そんなこと、ありませんよ。英語と一緒に『ミルクを注ぐ女』を調理したこともありますし」

「ふたつの教科でつくった料理を食べると、二教科とも得意になるの?」

「それは食べたあとの弓香さまの努力次第ですね。食事のあとに勉強しなければ、シャンボールの料理はなんの意味もありません」

「どういうこと?」

「シャンボールの料理は学問を理解しやすくするためのものです。料理を食べたあと、弓香さまが自分で勉強しないと、知識は頭の中に残りません。何もしないと、お腹に残って脂肪になるだけです」

「いくら料理を食べても、そのあとに勉強しないと意味がないってことね?」

「はい。そのとおりです」

 OK。それなら、なんの問題もないわ。だから、わたしはジョーイに無理難題むりなんだいを押しつけた。

「八教科でつくってよ」

「え?」

 ジョーイが、その場で硬直こうちょくした。

「小学校で習う全部の教科――算数、国語、理科、社会、音楽、図工、家庭科、体育、この八教科で料理をつくってよ」

 わたしは腰に手を当てて、挑戦的ちょうせんてきな態度をとった。でも、ジョーイはわたしの挑戦を危機とはとらなかった。むしろ、機会チャンスだととらえたみたいだった。

「おもしろい!」

 ジョーイが指を鳴らした。

「八教科の料理……おもしろい! おもしろいぞ!」

 ジョーイは指を鳴らしながら、その場でタップダンスをおどりはじめた。

「こんなおもしろい注文をしたのは、弓香さまがはじめてです」

「教科書は明日、持ってくるわ。料理はそのときにつくってよ。いついかなる時間にきても大丈夫なんでしょ?」

「もちろんです」

 ジョーイはダンスをやめると、わたしに手を差しのべた。

「今日はすばらしい日です。一緒に踊りましょう」

 断ろうとしたけど、ジョーイは強引にわたしの手をとった。

 わたしは狭いロビーでジョーイと一緒に踊った。ダンスなんて運動会でしかしたことなかったけど、わたしの動きが止まりそうになるたびに、ジョーイがエスコートしてくれた。ジョーイを魅力的な男性だと思える気持ちが、ほんの少しだけ胸の中によみがえった。


                         (つづく)



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