夢と現実の少女
「ん…」
目を薄っすらと開け、寝ぼけた頭で天井を見つめる。何かが耳元でうるさく騒いでいて、目が覚めた。
身体を動かすのが面倒なので、なるべく頭を動かさないで横目で見る。そしてけたたましく鳴り響く正体が瞳に映り込む。すると目覚まし時計が鳴っているのが分かる。
俺は恨めしく思いながら手を上げてスイッチを押す。すると音は沈黙を迎える。
安眠を妨害する邪魔物が無くなった俺は、また夢の世界に旅立とうともう一度布団の中に潜り込む………が。
『ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ』
「うるせええええええええええええええええ!」
だが目覚まし時計は二度寝妨害にもう一度鳴りだした。怒りに布団から飛び上がると、憤怒の勢いに全力で目覚ましのスイッチを押す。
「ん…」
おかげで目を覚ました。それでも半分寝ぼけていて頭が働かない。ぼおっとしながらも時計を見て時間を確認する。
「おおう」
思わずそんな声を上げてしまった。時計を見れば午前12時を回っている。気がつけば丁度昼頃になっていた。
道理でぼんやりとしているはずだ。寝すぎで体中がだるく感じる。
「ふぁ~…ぁ……なんでこんなに熟睡してんだ?」
大きくあくびをし、背伸びをするとポキポキと骨が鳴る。少しして寝ぼけていた頭は珍しく速く回転した。熟睡していた理由は兎も角、昨日何をしていたのかを思い出す。そして思い出すと同時に今まで全身を襲っていた眠気が嘘のように吹き飛んだ。
「ぁ…そうだ…俺、車に轢かれて!?」
一瞬口をポカンと開けて呆けると、自分の身に起こった現実を思い出して驚愕に身を固める。その場でしばらく硬直。ただ不振なことに、体を幾度となく動かしていたにも関わらず、痛覚が襲うような現象は今だに起こりそうもない。
わけがわからず、思わず飛び跳ねた時のポーズのまま固まってしまう。
「痛く…ない?」
恐る恐るどこかに怪我が無いかペタペタと体を触って確認する。
「あ、あれ…?」
痛くない…?
「そんなバカな」と急いで上着を脱いで確認する。そしてまた驚いた。まるで轢かれたのが夢だったかのように、怪我どころか掠り傷一つ付いていない。
……あ、あれ?
それに頭が真っ白になった。何も考えられず辺りを見回す。
目に映り込む光景。そこには男が立っていた。寝癖でボサボサの頭に、筋肉がついているわけでもない痩せた体の男が、上半身裸の姿で。
己の姿が窓ガラスにはくっきりと映し出されている。その、不恰好な姿を晒している自分が急に恥ずかしくなり急いで上着を着る。そして落ち着つためひとまずベットに腰を掛ける。
「何やってんだ俺…あんなん夢に決まってるだろ…じゃなきゃ……夢が本当だったなら今頃病院だってーの…」
何故だろうか。どうしてあそこまで取り乱したんだろう。
バグバグと高鳴る心音を聞いて、それに自分は確かに生きているとほっと息を付いて安心する。
「まあ…夢のわりには妙にリアルでハッキリと覚えてたからなあ…」
思い返そうと思えば、それはとても夢とは思えない程に刻銘に、そして生々しかった痛覚まで、出来事がさっき起こったことかのように思い出せた。
「まあ、なんにせよ夢だったんならそれでいいが……」
あれは本当に夢だったのだろうか?だが夢じゃなかったらなんだっていうんだ?俺は生きている、それがなにより夢だという証拠じゃないか。
なんとも言えないような、複雑な心境に駆られた。
「…ん?」
途中、癖で音楽プレーヤーを取り出そうと、自分のズボンのポケットに手を突っ込む。すると『カシャリ』という物音が聞こえた。
「…なんだ?」
記憶では自分のズボンのポケットには何も入れた記憶は無い、それに不可解に思い、中に入っていた物を取り出す。
「…音楽プレーヤー?なんで壊れて……」
入っていたのは音楽プレーヤー、ただそれに見覚えがある。
いや、見覚えがないはずがない。
砕け散った音楽プレーヤー。それはつい最近まで耳を癒してくれる相棒として、大切に所有し扱っていたのだ。
「……なんで?最近買ったばかりで…昨日…出かけたのが夢だったのなら机に置いたままだったはず…」
そしてそれと同時に、おかしな点が一つあった。その音楽プレーヤーは、まるでハンマーか何かで、強く打ちつけられたかのような壊れ方をしていたからだ。
「昨日の出来事は夢だったはず……だったらなんで音楽プレーヤーはボロボロになって壊れてるんだ?」
夢のはずの出来事を思い返す。
自分の手前にある音楽プレーヤーを見る、それは夢で見た音楽プレーヤーと似た壊れ方をしていた。
「……寝ぼけてポケットに入れちまって、それで寝ている間とかに壊れちまったんだろうか…」
驚きつつも、自分のアホさを呪う。とはいっても呪いを信じてはいないため、気分も兼ねてそう思っただけだ。
「おいおい…って言うことは買ったばかりの機械をもうぶっ壊しちまったってことじゃん…朝のといい…どんだけアホなんだよ…」
片手に持った音楽プレーヤーを見つめ、さっき見ていた夢を思い出す。
「でも偶然って凄いな…これって正夢ってやつか?」
試しに動くかどうかスイッチを押してみる。何度押しても動く気配がない。それに諦めて音楽プレーヤーの残骸を机の上に置く。
「いやある意味スゲーな、もったいないことしたが面白い体験をしたし…まあこれはこれでいいか、したくて体験できるようなものでもないしな!…だが惜しかったなー……夢の中で買ったはずの、深夜に100円引きになる店でレンタルしていたDVDが無いしな。それがあったらもっと実感性が湧くん……ん?」
少し興奮した状態で語っていると、机の端に置いてある袋に目がいった。
「あ…あれ?」
見れば夢で買った所の店舗名が袋に書いてある。
「…は、ははは~。ま、まあ前に買ったのを放置したまま忘れてたんだろ…」
袋の中を物色する、夢で選んで買った物と同じDVDが入っていた。
「いやまあ…前に買ったからそれが夢に出てきたんだろうん」
さらに中に入ってあるレシートを確認する。買ったときの日付が昨日になっていた。それも買った時間が深夜頃、記憶とまるで同じような時間帯を差している。
「いやいや……ないないない……」
何も見なかったことにし部屋を出る。とりあえずは階段を降り食卓に向かう。
「そういえばもう昼だしな……腹も減ってきてるし何か食べてからゆっくりと考えよう。色々と寝ぼけてるみたいだしな……」
そう言いながらドアを開けて部屋に入る。
「ふんふ~ん♪うん!いい出来上がりじゃないかな?」
---パタン。
「…………あれえ?」
即座に扉を静かに閉めると、壁に寄り掛かり、しばらく考える。
部屋に入ってまず一番最初に目にしたものは、台所で料理しているエプロン姿の少女だった。
無断で台所を使い、何かをコトコトと煮ているようだった。
目をぐしぐしと擦ると、もう一度扉を開けて覗き込む。
土台を使い、背伸びをして、お玉を使いくるくると鍋の中を回している。うまく出来上がったのか、ニッコリと笑うとお玉で中のスープを掬い、口につけてすすりだす。
「っ~~!」
と、熱かったのか苦い顔をして顔を横に向ける。その際、横に顔を向けたことによって、その様子を呆けたまま凝視していた俺と少女の目があった。
「あ、やっと起きたのね。もう!遅いじゃない!」
パァ!っと笑顔を振りまく少女。その問いに答えるように、俺は無言でドアを閉めた。
「え!ちょっと!なんで閉めるの?!」
おかしい、何かがおかしい。この世界は一体、何処から狂い初めてしまったのだろうか。
ドアの向こうから騒いでいる声が聞こえるが、無視して今の情況を整理する。
「……なにこれ?」
だが、ついさっき見た光景が衝撃すぎたあまり、思わず呟くほかなかった。
「ちょっと!」
扉に少女が手を掛けて、カチャリと開かれる音が鳴る。それに対応すべく、俺はドアノブを強く握り、開かないよう体重を掛けて踏ん張る。
「え、あ、この!あ、開けて…開けなさいって!」
ガタガタとドアを揺らし開けようとしてくる。しかし見た目通りなのだろうか、腕力は自分の方が勝っているようだ。
「あ、開けなさい!今すぐここを開けなさい!」
喚き散らすように少女の怒鳴り声が響く。ガタガタと開くことの無い扉を揺らす。
「その扉ぶっ壊して開けちゃうわよ!?いいの!?嫌だったら今すぐ開けて!ねぇ!お願いだから!」
強気になるも、少女は途中から著しく弱気な発言になっていった。
しばらくすると扉をガタガタと揺らすのを止めた。それからシクシクと泣き声が聞こえ始める。
……え~と。
別にSなんていう趣味は俺には生憎持ち合わせておらず、すぐに良心が耐え切れなくなり俺はドアを開けた。
「……やっと開けてくれた」
そういって少女は口元をニヤリとさせ、両手を顔から退かす。目じりには涙どころか泣いていた形跡さえない。
こいつ…嘘泣きしてやがったのか…
「全くもう、酷いんだから~、ご飯ならもうできてるけどどうする?ご飯にする?お風呂にする?それともわ・た」
それ以上言う前に、即座に頭をわしづかみにしぐりぐりと押す。
「わわわ!タタタタンマ!冗談が過ぎました!」
「…最近の子供は一体どういう教育を受けてんだよ…」
そういうと、少女は体を揺らしエプロンを揺ら揺らと揺らさせながら言う。
「こういう教育です!」
…こいつは俺をおちょくっているのだろうか
俺は少女の行動を無視し、今起きている問題についてを問いただすことにした。
「…で、だ。これは一体どういう状況なんだ?お前は誰で、昨日のは出来事は夢じゃないってことなのか?俺は車に轢かれて死んだんじゃなかったのか?」
「いっぺんに聞かれても答えようがないんだけど…」
「いいから教えろ!なんで夢のはずのお前がここに居る?!」
その問いに、少女は口元に笑みを作る。
「……そうね、取りあえずは自己紹介からさせてもらうわ」
後ろに下がると、少女はテーブルの上に座り、足を組みながら言う。その仕草は、ただの少女の仕草には見えなかった。
そして少女は喋り始める。だが、そこで異変は起きた。
「我が名はマナ。吸血鬼と呼ばれ、人の血を糧とする者。吸血鬼の一部では女王と私は呼ばれている」
口調が別物に変わり、一言一言の言葉に禍々しさを持っている。発せられる言葉に、突然体が硬直する。辺り一面の重力だけが重くなったかのように、少女によって発せられる威圧が体に重く圧し掛かった。
「吸血鬼……だっ……て…?」
少女が答えた一言の、吸血鬼というその少女の底知れなさを感じ俺は息を呑んだ。
全てを威圧するかのような目つきに、有無を言わせない重々しさに威厳が感じられ、恐怖で体が竦み、口が震えて何も言えなくなる。
だが少女は震えて動けない俺に、お構いなしに人差し指を向けた。
何かするつもりか!?
そう言おうとしたものの、それすら恐怖で口が開かない。頭の中には逃げるという選択しだけが思考を巡る。だが、そう頭で分かっていても体が言うことを聞かず、まるで動くことを忘れてしまったかのように、体は固まったまま一歩を踏み出せずにいた。
くそ!動け!動け!!早く!早く逃げっ!
そこで自らのことをマナと呼ぶ少女はもう一度口を開き言った。
「まあ簡単に言えば私は吸血鬼でお前のご主人様だ!」
………。
「………は?」
少女は俺に指差しを向けたまま、満面の笑みを浮かべた。