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俺と吸血鬼と偽りの歌姫  作者: 吸血鬼くん
18/23

ナノという少女②





「なあ、おめーが噂の吸血鬼か?」





 それが、唐突に声を掛けてきた者の第一声だった。



 挨拶も会釈も無し、ましてや知り合いでもない相手にだ。



 その対応をどう受け答えしろというのか、一言だけでも笑顔で返せるとしたら『知らん』。心境はそんな感じ。



 だというのに、上にあげた手をひらひらと揺らし、何故か笑みを浮かべる女が尚も瞳に映り込んでいる。



「………」



 だからといって、そんな女は私の視界に映るくらい、遮るのではなく、映り込む、勝手に映り込んだが正しい言い方かも知れない。ともなればその程度。意識しなければ空気も同然だ。



 気にも留めず、声を掛けてきた人物の横を素通りしようと歩く。



「おいおい、無視するなって」



 だが、女は少し横に移動して私の前へと立ち塞がってきた。



 いきなりお前とか言ってくるし…物凄く馴れ馴れしいの…。



「……邪魔…今すぐ消えて欲しいの」

「まーまーまー、そんなつめて―こというなって!いーじゃねーか少し話すくらいよ」



 その言葉に、私は『またか』とうんざりしながら深い溜息を漏らした。



 こんなことになったのは何時からだろう、切っ掛けは知らない。けれども恐らくは今まで出会ってきた吸血鬼の…誰か。



 もしくはその場に居て目撃した者かもしれない。



 甘えが…弱みの数を重ねた…重ね過ぎた結果故の問題。



 いつの間にか広がってしまった噂、それが原因でちょっかいを出してくる輩が増えてしまったのだ。



 所謂、女を見ての通りな内心は興味本位、といったものだ。



「もう一度言うの…さっさとこの場から消えて」



 はっきり言って鬱陶しい。構うだけ時間の無駄。



 率直に、速急に、至急どっかにいってほしい。



 睨みつけ、ありったけの威圧を掛ける。



「え、やだ」



 しかし、女は平然とした面持で受け流してしまった。



 中には睨みつけるだけで怯み退く輩もいたが、どうも彼女には効果が無いらしい。



 …………。



 むっとなって無理に押しとおろうとするも、邪魔するように女は立ち塞がる。



「……死にたいの?」

「んー?まだ死にたくはねーな」

「じゃあ、今すぐ退いて」

「それはできないんだよなー」



 そういって、女はからかうように笑う。



 第一印象はこの上なく図々しいの一言。



 今まで出会ってきた吸血鬼には無かったタイプ。



 何なのこの人…。



 これ程までいっているのに、まるで言葉が通じないなんて。



「クハハ、そのムスっとした表情いいな」



 さっきまでは気にも留めなかったというのに、次第に意識するくらいイライラしてきた。



「…ふざけないでほしいの」

「いやいや、別にふざけちゃいねーけど」

「…噂を耳にしたというのが本当なら、今まで私に挑んできた奴らがどうなったかくらい知っているはずなの」



 数多くの吸血鬼が、この言葉を耳にして目の色を変えなかったものはいなかった。



 その言葉を待っていたとばかりの笑みを作り、そして切り出す。



「あー…そうそう、おめーすっげぇ強いらしいなー」



 大体はここから、じゃあ物は試しといいだしては勝負へと発展する。



 腕に自信があるから近づいてきているのだから、当然といえば当然。



 何度も見てきた、何度もしてきたやり取り。



 …いちいち構うのも面倒だし、悪いけど少しの間気絶しててもらうの。



 女の少し上の位置、丁度頭上に冷気を集中させる。すると急激に冷えた影響で空中に漂う水分が集まり、握りこぶし二個分ほどの氷へと形成されていく。



「…そう…なの…だから、自分も同じ目に合いたくないのなら…」



 ――退いて。



 最後の忠告としての意を込めて。



 素直に退くのであればそれでよし。しかしもしも退かないと言い張るのであれば、矛を振り下ろすまで。



 高さも十分とっている、あとは落下させるだけ。直撃したのであればまず昏倒は免れられない。



 無防備な相手に使うにしては、些か卑怯な不意打ちになるが、しかしこの程度で倒されるようなら最初から相手にすらならない。



「同じ…同じ目ねぇ…? マジカヨー、アタシも噂のようなひどい事されようとしているのカー」



 なんとも、凄い棒読みだった。覇気がないというか、やる気が無いというか。聞いて流している感じ。



 少しも退く気はないという意思表示なのだろう。



 …情けとして待った甲斐が無かった。



「でもよー、噂ってのは大体何処かしら飛躍してるっていうか、大袈裟になるよな。話に聞いてた割には、ひょろっちい餓鬼じゃねーか」

「んな!?」



 ひょろっちい餓鬼。不意打ちともいえる言動に開いていた口が塞がらなくなる。



 まさか今まさに気絶させようとしたこのタイミングで、ましてや噂を耳にして来たと述べる相手からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。



「ひょ…ひょろ…って…ひょろ!?」

「おまけに男か女か分かりずれー体形してるよな。女っ気がないっつーか、平面並みにペッタンコっつーか」

「ぺ、ぺた…ん…こ?」



 あ、違う。やっぱりただ喧嘩だけ売りに来たっぽい。



 挙句にスタイルにまで文句をつけてくる始末。何処に噂との関連性があるのだろう。



 ましてや会って数分、それも初対面の相手に言う言葉か。もう少しマシな言い方は無かったのかと小一時間くらい問いただしてやりたいの。



「だってよ、アタシと見比べてみろよ?」



 自分の頬が吊り上がっていくのが分かる。のだが、思わず目の前に居る女の胸元に視線が向かう。



 確かに、何というかユラユラと、私には無い固まりが揺れている。喋る度に、動くたびに。



 ニヤニヤと殴り倒したいような顔で腰を動かしているところ、わざと胸を動かして強調しているのは分かる。けど……だから何なの。



 …………。



 何となく、本当に気まぐれで細やか程度に、一瞬だけチラ見する気持ちで自分の胸と女の胸を見比べる。



 その差は歴然。いつも通りまったいら。



 だが相手は違った。そう、山。山だ。平原に突如として現れた山。



 ック…でかい、一体あの女の胸には何が詰まっているの。



 いや、考えても見るの。所詮はただの脂肪。あっても意味がないし、むしろあんなもの戦闘の役にたたずで邪魔なだけ…。



 …………。



 ……下らない…。



 何を熱くなっているのだろう。競ったところで無意味。



 第一私は胸になんて一切の興味も抱いていない。



「…………別に……あったところで邪魔なだけなの」

「いやでも見た目のスタイルって大事じゃん?」



 いや、じゃん? って言われても…。



 というか話の方向がずれている気がする。



「別に…求めても求められてもいないから…どうでもいいの…」

「ふぅん…近くで見ると中々どうしてって顔してっから、あと胸がでかけりゃさいこーなんだけどな、持ったいねー」

「…うるさい…余計なお世話なの」

「クハハ、そう睨むなって」



 見知らぬ人からいきなりこんなわいせつな話を振られれば、誰だって睨みたくなる。



「…下らない…そんな話をしに来ただけなら、もう用は済んだでしょ? とっとと退いて欲しいの」

「まーまー、別に急ぎの用なんてないんだろ? だったらもうちょっとくらい付き合ってくれよー」



 そういいながら近づいてきた女が首の後ろに手を掛けて来る。



「別に…私はこれ以上話す事なんて……」



 その時の私は、完全に呆れという現れが生じていたことで、無意識に敵意を無くしていた。



 敵意を無くしている無防備な自分に、何の疑問符も浮かばなかったのだ。



「…なん…て……ッ!?」



 少しして、身体よりも思考が巡り、女が触れている事を認識する。



 もし、この瞬間に襲われたとしたら。



 油断しきっていた身体に、鋭い緊張が走った。



「…ッふ、ふざけないで!!」



 瞬間、私は瞼を見開き、手を掛けてきたその腕を振り払う。



 急激な緊張による作用で鼓動が跳ね上がり、まるで全力疾走で辺りを十分に駆け回った後のように呼吸は荒くなり、自然としての振る舞い、それすらもできない程に平静を保てなくなっていた。



「…さ、さっきから馴れ馴れしい…! 馴れ馴れしいの!! 一体何が目的なの!? 噂を聞きつけてきたんでしょ!? だったら回りくどいことなんてしないでさっさと襲ってくればいいの! もしそうじゃないと言うのなら今すぐこの場から消えて!!」



 触れられた瞬間に膨れ上がったそれは、恐怖、そして押し寄せる怒り。



「ああ…もしかしてそうやって油断させて後から襲おうって根端? だったら残念ね、私には通じないの。だってもう貴方には少しの気も許さないから」



 そうだ…いつもそうだ。少しでも気を許せば油断という隙に付け込まれた。



 誰だって…最終的には裏切る。今回だって、きっと。



「だからもう、気安く近寄らないで!!」



 周囲の気温が著しく低下する。冷気が帯び、凍結現象が起き始める。



 これ以上の馴れ合いなんて要らない。まだちょっかいを出してくるというのなら…遠慮はしない。



「……あー、機嫌を損ねたんなら謝る」

「…ッ! なら、さっさとどっかに行って…ッ!」

「ああ…分かった分かった…っちぇ、つれねーなぁ」



 そういうと、女は口元を尖らせて無防備にも私から背を向ける。



「…………え?」



 その女のとった行動に驚かずにはいられなかった。



 だって、敵意を抱いているのならば背を向けるなんてありえない話。



 何もかもが空回りしていたかのようで、虚位を突かれてしまう。



 背後から襲われたら…そういう心配はないの?



 …本当に…話がしたい。それだけだったの?



「あ、ちょ…ちょっと待っ…」



 そこまで出かかって、ハッとして口を紡ぐ。



 ……どうして…私は呼び止めようと…。



「…お? どっかいっての次は待ってってか?」

「あ、い、いや…そういう…訳じゃ…」



 …無い。とは口に出すことができなかった。



「…クハハ、まあいいさ、どうせ近いうちにまた会いに来るつもりだったし。アタシはお前に個人的に興味があるからよー」

「…え…っと?」



 一体何の話をしているの、個人的な…興味って。



 つまりはどういうことなの。



 というよりも本当にただ話をしてくるだけで、襲ってくる気配なんて少しも無い。



「…つ、つまり…結局何が目的だったの?」」



 何時もなら既に血走った眼で襲ってきている、それが当たり前だったのに。



「何って、だから胸だよ胸。お前の胸がバインボインだったら良かったなーて事をだな」

「そ、そういう事じゃなくて……どういうつもりなの? 何しに私の前に現れたの? 私を襲いに来たんじゃ」

「ックハハハ、襲う? そりゃいいねぇ~、こんくらい可愛けりゃ、確かに襲って食べちゃいたいわな」

「か、かわ…って…だからちがッ……それに貴方の言っている言葉…な、何か別の意味に聞こえるんだけど…」



 ワシャワシャと両手の指先を奇妙に動かしながら、ニマニマとヨダレを垂らして近づいてくる為、気味が悪く近づいてきた分だけ後ずさる。



「……クハハ!冗談冗談!だからそんなに引くなって!」

「本当に…何なの…」



 不思議な事に彼女は決して身構えたりしない。無防備で、今までの連中と違って異臭がしない……腐った果実をすり潰す、濁った血の匂いがしなかった。



「っとまあ、冗談は置いとくとしてだ、まあ結論から言わせてもらえばだな、アタシはお前の身体に興味があるのは確かってことだ」

「……もう、ただの変態ってことで認識すればいいの?」

「…おっとわりぃな、言い方が悪かった。身体も、だ」

「そんなに知りたいのなら…見た目だけで判断するとロクな目に合わないということを教えてやってもいいの」



 とはいえ、何時まで経っても本題に入らない女に少々苛立ち始める。



 やっぱり…少し痛い目見せておいた方がいいかも知れない…。



「…おめーの噂は度々耳にしていた、何でも襲い掛かってきた相手全てを氷漬けにしてたとかよ」

「やっと本題に移った…あと一歩遅かったら頭上に一発お見舞いしてやろうと思ってたの」

「クハハ、可愛い子からのゲンコツならむしろ喜んで受けてやるさ。ただ、流石にあの大きさを受けるのは堪えると思うけどな」



 女は一度でも頭上を見上げてはいない。だというのに平然と顔色一つ変えずに話したということは。



「……何時から気がついていたの」

「クハハ! 何時からって? んなもん結構前…ってか、最初から気づいていたっての! おめーあんな単純なもんでこのアタシを倒せるはずねーだろ!」

「な、初めから気がついていたのに…何でなにもしてこなかったの」

「はぁ? だっておめー、まるで殺気がまるでねーじゃねーか。殺す為じゃなく、気絶。生かす為の手加減じゃねーかよ? わざと分かるようにやってたんだろ?」



 殺気が…無い? 生かす為に…手加減をしている?



「ば、馬鹿げたことは言わないで欲しいの!! 殺気が無い? そんなはずはないの! だって今まで幾度なく命の危険に晒され、殆ど、毎日といってもいいほどの頻度で一時期は襲われた! 当然その度に殺意を覚え、瀕死にまで追いやった相手は沢山いるの。だというのに手加減? 生かす為? だったら初めから勝負なんてしないの!!」

「……だから、アタシはおめーに興味があるんだよ」

「どうして!?」

「それをアタシに尋ねるか。自分で言ってて、何かおかしいとは一つも思わねーのか?」

「おかしい…? 私の一体何処がおかしいというの!」



 襲われなければ、自分からは何もしてこなかった。何もしなくても、相手は勝手に現れてくるから。



 命の危険を感じたから、この身を守ろうと反撃する。この行動の何処に間違いがあるというの。



「…おめーはな、考えが甘いんだよ。まるで頭の中がお花畑っつうか、この世界で生きるにはふさわしくない程に…優しすぎる」

「な、何を根拠に…一体貴方に私の何が分かるっていうの!?」

「何を根拠に…ねぇ? じゃあ聞くけどよ、何で殺さない?」

「…? そんなの…特に意味なんか…」

「へぇ…?自分が殺されるかも知れない立場にありながら、相手の命だけは助けるのにか? じゃあもし相手がおめーよりも強い相手だったら? 今まで数多くの吸血鬼を見逃してきたから、きっと私の事も命だけは助けてくれるってか?」

「そ、そんな事…ただ、無駄な殺生は嫌い…だから…」



 すると、女は堪え切れないとばかりに頬を膨らませ、少しばかり肩を震わせた後、頬に溜まった空気を吐き出すと大きな高笑いを上げた。



「ク、クフ、クハハハハハハハハハハハハ!!」

「な…な…な…何がおかしいの!?」

「ハー、ハー、ッフゥ…。いやだっておめー、殺意は覚えるとかいっといて、後から無駄な殺生は嫌いだから、なんて真顔で言われたらなぁ!? だからそういうところが優しすぎるっていってんだよ!っつー話なわけよ!」

「…どちらにせよ、貴方にとよかく言われる筋合いはないの…」

「ックハ! まあそれを言われたら元も子もねーんだけどよ、アタシにしたら筋合いはあるんだよね…………だって言ったろ? 興味があるってよ」



 『興味がある』と再び発した女の声は、しかし先ほどまで話していた人物とはまるで違う声音だった。



 一度ため息を漏らすと、女は肩を竦ませた。雰囲気というものだろう、周囲の何かがガラリと切り替わったのを肌で感じ取る。



 女は何度も笑って緩みきっていた頬は引き締まり、凛とした立ち振る舞いで真正面から鋭い眼差しを此方に向けている。



「……この世の流れに惑わされない、強くも優しすぎる吸血鬼。相手を氷漬けにすることから、噂での呼び名は【氷終の女帝】。だがおめーはな、優しすぎるんだよ。悲しい程にな」



 ハッキリと伝わってくる、彼女の意思。



「強さによって与えた慈悲は、新たな噂、その二つの名を生み出した。それが…【無殺の吸血鬼】だ」



 彼女の物言いからすれば、死にかける程の手傷を負うことはあっても、決して殺めないその姿勢が二つ名を生んだそうだ。



「殺戮を一番に好み、血に飢える事が望まれた世界でそれを否定する少女が一人居たとする。それを他の連中はそれを耳にした時、よからぬと思う者が大勢いた時、殺戮を否定する少女はどうなるのか」



 それ以上を女の口から語る必要は無かった。何故なら、周囲にはおびただしい数の吸血鬼が姿を現したからだ。



「…ッ!? い、一体…いつからこんなに…ッ!」



 遠くで姿を隠していたのなら気づけなかったのは仕方がない。しかし、私の視力でハッキリと認識できる立ち位置まで、気配も感じさせずに僅かな間でこれ程の人数が集まるだなんて。



 大雑把に数えても三十は容易に超えている。これだけの数の吸血鬼が、私だけを狙って集まったということなの…。



 ……はめられた。



 初めから…この女から敵意が感じられなかったのは、ただ時間稼ぎをする事だけが目的だったから…。



 …分かり切っていた事…もう…何もかも遅い。



「…ところでよー、おめー名前なんていうんだ?」

「……ハァ…。よもやこんな状況でそんな下らない事を聞いてくるとは、怒りを通り越してむしろ尊敬に値するの…」

「クハハ、そう褒めるなって。因みにアタシの名はノアっつーんだ、よろしくな」

「……私は…ナノ…と言うの…って、その手は何なの」



 私に向けて突き出している右手を見つめて首を傾げる。



「何って…握手だよ握手。フレンドリー、いわゆるダチの証としてだ」

「…手に触れた瞬間、今ここでノアを凍死させる事が出来ると言っても…。それでも握手を求めてくるの?」

「はぁー? 何で握手するだけでアタシが凍死しなきゃいけねーのよ、いーからほら、握手!」

「……あ」



 無理やり腕を掴まれての握手。数秒ばかりがっちりと固定され、ノアは満足気な顔を浮かべると手を放した。



 腰に手を当てながらノアは周囲をぐるりと見回すと、周りに響き渡る程の大きな声を上げ始める。



「…つーわけで、すっかりおめーらを蚊帳の外に置いちまった訳だが…」



 ノアの声に反応した吸血鬼等は、待っていたとばかりの唸りを上げる。



 地鳴りのように響くうめき声に、私の全身に緊張が走る。いつ、何処から襲いに来るのか、神経を張り巡らせて身構える。



 …のだが、その後に続けて発したノアの言葉に戦闘隊形に入るはずの身体は、むしろ脱力した。



「さっきのを見てのとーり、ナノは今日からアタシのダチになった訳で、もしナノに手を出すっつーなら……先にアタシが相手になるぜ」

「……え?」



 瞬間、周囲の吸血鬼はみる見る蒼白な面持になっていった。ある者は首を振り、ある者はよそ見をし、またある者は異議があるようで怒り狂った様子でノアに向けて駆け出した。



「っざっけてんのかてめぇええ!?」



 図太い怒声を上げ、二メートルはありそうな巨体の男は容赦なく岩石のような拳をノアに向けて打ち放つ。



「クハハ、ふざけちゃいねーよ」



 一方ノアは、涼しな顔のまま受け答えをした。



 瞳の動きからしても、しっかりと相手の拳の動きを捉えている。ギリギリのところで身体を反らし、男の動きに合わせて繰り出す拳の嵐を避けていく。



「ぬぅうううう! 舐めるなぉあ!!」



 男は痺れを切らしたのか、突然大きく身体を振りかぶり、ノアに向けて回し蹴りを放つ。



 見た目とは裏腹な俊敏な動き、それでいて迫りくる脚は岩石の如く。



 恐らくはこの群れの中でも一番に大柄な男、腕っぷしも自身のある方に違いない。



 だが、ノアは自分よりも3倍はあろう図太い足を、その細い手のひらを添えるだけで軽々しく受け止めてしまう。


 

「クッハ、てめーじゃ役不足だよ」



 そういって、ノアは男の溝に目掛けて殴り込む。



 たった一撃でうめき声すら上げることなく沈む巨体、微動だにしないその姿に周囲は唖然として息を飲んだ。



「んだおめーら! 腰抜けばかりかおい!? 突っ立ったまま来ないっつーんなら…アタシがそっちに行ってやるよ!!」



 そういって、ノアは高笑いを上げながら逃げ惑う吸血鬼の後を追う。たった一人で、武器は拳のみ。



 大分遠くまで離れてしまった為、視界がぼやけてハッキリとはしない。しかしそれでも彼女が次々と拳だけを使って殴り倒していく姿が認識でき、だからこそ私は不思議で仕方がなかった。



「……クハハ、まあこんなところか」



 そういって、ノアは地面に倒れ伏す吸血鬼等を見据え満足気に頷く。



 一体、彼女は何に満足したというのだろう。



「……ねぇ、何で貴方は……ノアは…殺さないの?」



 吸血鬼が本当に満足する時、それは相手を仕留める狩りを行った時のはず。



 なのに、どうしてだろう。彼女は誰一人として仕留めようなんて素振りが無かった。



「…何でって…ナノ、おめーと同じだからに決まってるだろーがよ?」

「え?」

「アタシもな、無駄に相手を殺すっつーことはしねーんだよ。絶対とは言わねーけどよ、何かしらの理由が無い限り…はな」

「…ッ!? じゃ、じゃあ…私を罠にはめようとしていたのも…何かしらの理由が…」

「……何か勘違いしてるよーだから言っとくけどよ、アタシは別はあいつらとはまるっきり無関係だからな?」

「…それを…信じろっていうの?」

「…あいつ等はあいつ等でアタシに個人的な恨みを持ってる奴が多くてな、恐らくはアタシの後を付けてきたってだけだ。んでナノと立ち話をしている内に、偶然囲まれたってこった」

「でも、あいつ等は私を狙っていた、殺気はノア、貴方ではなくナノに向けられていたものだったの」

「そりゃーそーだろ、アタシよりナノ、おめーの方がよっぽどの有名人、人気者なんだからよ。標的がそっくり移ったってんだろ」



 ……ただの言い訳にも聞こえるが、多分彼女は嘘は言っていない。いや、嘘はいっていないんだろーけど……。



 言いたい事は色々あったが、この際どうでもよくなった。



「…それで、結局ノアは何がしたいの」



 その問いにノアは握手した方の右手を指さすと、笑みを浮かべて言った。




「何って、もうしたじゃねーか」










 …・…・…










 そう、これは私がノアと出会ったばかりの記憶。この頃のノアは純粋な笑顔を浮かべて笑っていた。



 優しくて、度胸があって、強く可憐で美しい……。



「だからこそ…この記憶を…これ以上汚したくないから…ッ!!」



 彼女の暴走を止める。



 それが、何を意味するかは分かっている。分かっていたはずなのに……。



 もう、繰り返さないと決めたのに、決意は揺らぎ、唇が震える。



 彼を助けようと歯向かって、終わらせようとして。



 どうしても…本気で立ち向かえなくて。



「……逃げて」



 なのに振り絞って出せた言葉が、頼りない、聞こえるかどうかな程に小さくか細い逃げての一言。



 情けなくて仕方がない。



 逃げたところで、私がどうにかしなくては何も意味なんてないのに。



 結局、私は選べない。



 嫌な事ばかりから目を反らし続け、悲しすぎる程に臆病で……私は…………優しすぎる……。



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