プロローグ
暗がりの道を俺は一人で通っていた。
歩道の信号が赤のため、青信号になるのをただじっと待つ。
裾のポケットからイヤホンを取り出しすと、それを耳に付ける。
片手に音楽プレーヤーを持ち、電源を稼動させ音楽を流す。最近気になって入れてみた音楽の中に一つが、新たに再生された。
気になったのは題名に書かれていたタイトル。気になって入れただけでまだ曲を聴いてはなかった。
直接鼓膜に向かって流れ出す音楽に、意外に聞き心地が良くふんふんと鼻歌を鳴らす。
中々に出来が良く、お気に入りとして登録して置こうと曲名を思い出す。
曲名は…たしか鎮魂歌といったはず。たまには違う曲でも聴いてみるかと、興味本位で入れたんだっけか。……だがなるほど。これは当たりだな。
ネット上に動画投稿されている数々の曲の中、密かにある話題として注目を浴びていた噂の曲。
噂になれば当然、それを嗅ぎつけた連中が噂を掻きたて、噂は蜘蛛の子のように散らばっていく。
裏では儲けになると踏んだ輩が探し回っている。だが一向に見当たらず、すべてが謎のベールに包まれていた。
いつ、どこで、どこから投稿されたのか、それすらも分からない。
そして名づけられた別名が、噂として使われた『呪いの曲』。
だがまるで別名とは限りなく程遠く、聴いた瞬間に俺は驚くほどその唄に深く酔いしれた。声が透き通っていて、まるで意識が飲み込まれる錯覚を覚える。
その素人とは思えないほどに良く出来た曲は、嫉妬した奴が呪いだなんだとヤジを投げた。そう思わせる代物だった。
恐らくは『呪いの曲』という噂に釣られ、多くの人がこの曲に聞き入ったに違いない。何故なら俺も題名と噂に釣られ、興味本位で入れたその一人だからだ。
所詮は釣り。そんなことは初めから分かっていた。
結局呪いなんてものは存在はしない。呪いとは言い換えればオカルトだ。
宗教、私欲、金運が上がるブレスレット、恋愛運が高まる石など。
そういう類を信じている人と、呪いを信じる者の何が違うだろうか。何かを信じて何かに願う、そこに違いはない。
呪いも一言で纏めているだけであって、分野は多種多様に存在している。
一般的には呪いは藁人形に嫌いな相手の髪を入れたり、写真を貼り付け、藁と一緒に釘で打ちつけて呪う方法だ。
他にも呪詛、呪縛、呪術、死霊、怨念、金縛りなど様々な呪いがある。
自分の幸せを願うのではなく、他人の不幸を願う。呪いとは純粋な願いとは裏腹な、とても歪んだ願いを信じる逆オカルトといったところだろうか。
だが、もしも。この世界の何処かに呪いが存在するのなら。俺はもう呪われてしまっているだろう。なぜなら呪われている曲を聴いてしまったのだから。
しかし、一瞬そんなことを考えると、すぐさま俺は鼻で笑い飛ばした。
馬鹿馬鹿しい…呪いなんてあるわけ__
__と、突然さっきまで流れていた曲が急に止まる。壊れたビデオテープのように「ザ、ザザ…ザ」と雑音が聞こえ始めた。
あれ、故障か?
それにしても早すぎる。まだ買ってから1ヶ月も経たっていないんだぞ?
故障の原因が分からず首を捻る。
もしや不良品でもつかまされたか?
そんなことを考えている最中、隣を通りすぎる人影が見える。
……信号が変わったのか。
なんとも収まりようのないもやもやとした気持ちを抑えつけ、前に足を踏み出そうと足を上げる。
だが俺は一歩を踏み出す前に止まった。
顔を上げて見れば信号はまだ赤。律儀に自分が守っていたにも関わらず、その隣を構わず無視して通る者がいればこれほど不愉快に思うことはない。
信号を無視した人影の人物に文句を言おうと顔を上げる。ただ、目の前の人物に思わず動きを止め、頭の中に疑問が浮上した。
そこにいたのは見た目からすれば12、13歳くらいの少女だった。
少女は自分と同じように動きをピタリと止めると、なぜか道路の真ん中で立ち止まり、上を見上げたまま動かなくなる。
なぜこんな時間こんな場所にいるのだろうか。そもそもなんで立ち止まって上を向いているのか分からない。
上に何かあるんだろうか
見上げたまま固まっている少女に釣られて、思わず一緒に上を向いてみてみる。だがいつものように無数の星が輝くだけで、流れ星が流れているなどという現象は見られず、特に変わったような様子がない。
……ただ星を見たくてここに来たのか?
見上げて見て、一応新しい発見はあった。ここから見上げた景色は、瞳に映り込むもの全てが星で綺麗ではある。
……なんて馬鹿バカしい…。
今頃星なんて見ても高揚なんてしない。逆に気分が下がる。
嫌な事を思い出したと顔を渋った。
っぐと奥歯を噛むと、無理やり気持ちを抑える。そしていつまでも車道で立ち止まる少女を見据えると、危ないからと注意を促そうとした---
---その時だった。俺の目にチカリと眩い光が差し込んだ。
光の来る方向を見れば、猛スピードで一台の車が此方に向かってきていた。顔を上げて信号を見る。信号の色が点滅して赤になろうとしている。
切り変わる前に突き抜けようという考えだろうか。薄暗くて道路で突っ立っている少女に気づかない様子で、全く速度を落とす気配がない。
おいおい……冗談だろ!
その間にも猛スピードで迫り来ている。運転手に危険を伝えようとした頃には、車は一瞬で距離を詰めてきていた。
少女は車のライトに当てられ、振り向いたところでようやく気づいたように目を見開くが、もう間に合わない。
数秒後には訪れるであろう光景が脳裏に浮かぶ。
その瞬間、考えるよりも早く体が動いていた。
黒板を引っかいたような甲高いブレーキが辺りに響き渡る。少し遅れて鈍い音が鳴り、気がつけば俺は道路に寝そべっていた。
少しして車に轢かれたと理解する。続けて遅れた痛覚が、理解した瞬間全身に強い痛みとなって駆け抜け始めた。
痛みに顔を顰める。体が麻痺し、悶絶して身をよじろうにも四肢を動かそうとしてもうまく言うことを利かず、それどころか傷から血が溢れていき、体が急激に冷たくなっていく。
……さっきの子は…少女は無事なのか…?
朦朧とした意識で、目だけを動かして周囲を見回す。
瞳に映りこんだ少女は、驚いた表情で俺の顔を覗き込んでいる姿があった。咄嗟に思い切り突き飛ばしてしまい、怪我をしてないか心配していたが、見たところ怪我のない様子にほっと安心する。
っぐ…これ…死ぬ…よな…。
全身に伝わってくる激痛。安堵すると同時に、すぐに自分の死を悟った。
車は一度降りた様子だったが、乗り主が助けに救急車を呼んでくれる、かと思えば、すぐさま乗り直し、急発進して何処かに走り去っていってしまった。
野郎…逃げやがったな…
地獄へ堕ちろ。そう吐き捨てるも、俺はどの道今からでは間に合わないと諦めていた。
どんどん身体が冷めていき、ボーっと薄れていく。そんな意識の中、俺は思った。
俺は結局、何の為に生まれたのだろうか。俺はこの子を助ける為に生まれたのだろうか。
それならいい。こんな俺が誰かの役に立てたのなら、それでいい。
もしかしたら…俺は死にたかっただけなのかもしれないから。
生きているのが辛かった
小さい頃に両親を失い、周りから孤立していった俺には友達が一人も居なかった。
現実が嫌いだった
ずっと一人ぼっちで、仲良く話し合う家族が羨ましくてしょうがなかった。それが妬ましくて、現実から逃げるように音楽にのめり込んだ。
誰よりも音楽を深く愛し、誰よりも音という世界に没頭し、音楽に一人酔いしれているだけしか脳が無かった。そんな生きていてもしょうがないような俺が人の役に立った、それだけでよかった。
意識が薄れていく中、さっきまで聴いていた曲を思い出す。それが皮肉にもそれが鎮魂歌で苦笑した。
すると、今までジッと顔を覗かせていた少女が口を開いた。
このまま死ぬのはつまらないでしょ?
幻聴か、それとも悪魔の囁きか。
混濁した意識は、少女の異様さに気にもせずに耳を傾ける。
『助けてくれたお礼に何でも願いを一つ叶えて上げる』
その代わりに、願い事を頼んだ瞬間。何かの契約を交わさなくてはいけないらしい。
そんな誰もが信じないような幻想に、何でも願いを叶えてくれると聞いた瞬間、俺は一瞬の迷いもせずに言った。
「じゃあ…、君のお気に入りの唄があったら……それを歌ってくれるかな……」
少女は目をパチクリとさせ何度も瞬きをした。驚きを隠せない様子でまじまじと見つめてくる。
それに無理も無いかもしれないと、内心で苦笑する。そんな願い事をいうのは自分でも驚く程、本当に理由は単純だった。
どうせ死ぬなら、だったら最後に聞くのが機械からただただ延々と流れる曲より、誰かに歌ってもらえるならその方がいいなと、ただ単にそう思っていた。
「……ふぅん…そんな願いでいいの?だったら唄って上げる、貴方、今にも死にそうだし……レクエムでも唄って上げる」
それに俺はまた苦笑する。さっきまで流れていた鎮魂歌も、少女が歌おうとしているレクイエムも、言葉が違えども同じ意味だから。
少女は本当に歌なんかでいいのか契約も含めて再確認してくる。それでも俺は歌でいいという。すると少女は面白いものを見つけたというような顔をし、ニンマリと笑みを作ると唄い出す。
それはとても透き通った、誘惑される声だった。
その少女の唄に俺は酔いしれていく。しかし、何処かで聞いたことがあるような、何かが頭の中で引っかかりがあった。
少女の唄を聴いている中、尚も少しづつ意識が遠のいていく。
それなのに少女の歌ははっきりと聞こえ、頭の中で反響して響いてくる。
見た目とは裏腹に、とても素晴らしい。だが、それだけじゃなくて、どうしても何かが引っかかった。
何故こんなにも違和感があるんだろう。不思議と死ぬ直前に違和感を覚えると、死ぬに死にえない気持ちになった。
すると、すぐ傍でカチリという鳴る音がした。音のした方に目を止めてみれば、少し前まで止まってしまっていた音楽プレーヤーが、動きだしている。
ただそれだけのことで、謎の引っかかりはあっさりと解けた。
…ああ、なるほど、そういうことか
呪いなんてものは存在しない、それはオカルトだ。
……だけど、ひょっとしたらあるのかも知れない。今まさに、俺は呪われてしまっているのかも知れないのだから。
音楽プレーヤーは少女の歌に、まるでタイミングを図っていたかのように、ピッタリと重なって再生された。
少女の唄を聴きながら、ぼんやりとした意識で俺は何度目かの苦笑をした。いや、もしかしたら笑っているのかもしれない。
呪いだなんてよく言ったものだなあ…
目の前の少女は金色の髪をなびかせながら、今も俺に向けて鎮魂歌を唄っている。ただ、その少女の声は、イヤホンから流れている曲とまるで瓜二つの声をしていて。
俺は呪われていたのだろうか、いや、もう呪われていたんだろう、きっと。だから、もう苦笑を通り越して笑うしかなかった。
カチリという音とともに、音楽プレーヤーの電池が切れる、銅線を伝ってイヤホンから流れていた曲が止まり、少女の歌も終わりを迎える。
すると少女は最後に俺に向けて言った。
「これは契約、これは契り、これは呪い。今宵を境に、貴方は私の眷属だ」
その少女の言葉の意味を知る前に、俺は深い闇へと誘われていった。