乱暴微調整①
太陽が充分上がって午前九時。鋭利たちはチンピラたちに囲まれていた。
旧首都の上に造られた〈廃都〉は、深度によって同心円状の三つに分けられる。
浅部と中層部と深淵部だ。
あらゆることに言えることだが、浅瀬に行くほど安全で、異常に巻き込まれる可能性が低くなるものだ。自ずと〈廃都〉の人口は浅部に集中する。
浅部は五十の地区に分けられ、それぞれが自治体として統治されている。
鋭利たちが踏み入れた浅部第八地区は、中層部との境にある地区だが、ある巨大なチームの支配区であるため、ここ数年は抗争は起きていない平和な地区だ。
人通りも多く、狭い道路間を車やバイクが行き交いしているのも見られる。街に並ぶ店舗も飲食や薬・武器の売人ばかりではなく、風俗や金融が多い。人の熱気が洗練された欲望と悪意の混じる、サイケデリックな雰囲気を作り出していた。
……でーも、そういう地区って、こんなのが増えるんだよなぁ。
騒がしい表通りから逃げるような裏道で、鋭利は不良たちに囲まれていた。
知らない街を余所者が歩いていれば住人から不審がられるのは当然のことであり、おまけに他チームの奴らにからまれるのも考えられる話だ。
しっかし、こんな時に自分らがカモになっちゃうとは。
大人数に囲まれ敵意を向けられながら、鋭利は追想する。
《金族》ビルのある中層部第五地区からこの地区に入って銀架が通行人とぶつかり、言いがかりを付けられ口争いしていく内に、あれよあれよと相手側の仲間が増えていき、路地裏に連れてこられてしまった。嵌められたともいう。
とにかく大人数で恐喝する手法がお好きなようで、集まってくるほとんどが人数合わせの、人間だ。つまり敵にもならないザコ。好都合なことに。
いやこの場合は困ったことに、だろうか。
鋭利は他者とのバトルが嫌いではないことを自覚している。しかし、だからといって常に戦っているわけではないし、殺しが好きなわけでもない。避けられるなら争いは避けるべきだし、殺さないならそれに越したことは無い。
チンピラ側の代表とメンチを切っている銀架をハラハラした思いで見守りながら、鋭利は戦いの虚しさや悲しさを語るが、両者とも聞く耳を持ってくれない。
「いや、あのさー。別に危害とか加えないし。見逃してくれると、個人的に嬉しいというか、やめた方が双方に得だと思うんだけどー」
「鋭利さんは黙っててください。これは私の問題です。こんなチンピラども一発で片付けてやる!」
制止を聞かず、銀架が啖呵を切る。口調が荒っぽくなって来ているということは頭に血が昇ってる証拠。暴走へのカウントダウン。殺戮タイムまであとちょっと。
ガキの女に生意気なことを言われて条件反射のように強気の発言を返す、二十歳前後の金髪ピアス君。全身からザコのオーラを醸す彼は、中学生以下にしか見えない銀架の殺意に気づかぬまま、虎の衣を被ってくる。
「あァァん、てめぇ、おれらがどこのチームのもんだか知らねぇのかァ? ここが誰の縄張りか教えてやろうかァ? ここは〈廃都〉最強のチーム、おれたち〈彩〉の支配区だァ! 分かったらてめぇの有り金全部置いてここから去りな! ガキはさっさと帰って良い子で寝てろってな!」
鋭利は個人的に考える。こういう巨大なチームに属しているだけで自分さえも強くなったと調子に乗る愚か者たちは、そう悪気があるわけじゃないのだ、と。
だからここは抑えようと、短気の銀架を宥め、彼らが満足しそうなくらいの金を置いてさっさと去ろうとした。襲い掛からないよう襟を掴んだ銀架に、他人の地区に入ったら気を付けなくちゃね、と苦笑で窘めながら。指を一本立てる。
「あァァん、チッ、手応えのねぇ野郎だな。〈彩〉と聞いてビビッたんかぁ、ビビリがぁ! ザコなのは見た目通りってことかぁ? おチビィちゃんよぉ!」
「ッ! ぶっ殺っ……ッ!」
「あー、銀架ちゃん? やめなさい?」
「……あ。は、はい」
挑発に乗ってうっかり砲撃しそうになった銀架に注意を施し、足早に去る。
銀架はまだ言い足りなそうに俯いている。その気持ちも分からなくも無いが、自分たちは急いでいるのだ。ここで騒ぎを大きくして〈主人公〉たちに見つかったら、情けない。逃亡者という身分を忘れてはいけない。二本目を立てる。
元来た道を返そうとしたら、別のチンピラが道を塞いでいた。ここまであからさまな対応に流石に呆れて、その小柄なチンピラに忠告する。
「あのさー。功績挙げて株を上げたいのは分かるし、弱そうな奴をカモにして愉悦に浸りたいのは分かるけど、標的を選ばないと、この子に殺されちゃうぞ?」
「『殺される』? あひゃひゃひゃひゃひゃ! な~におかしなこと言ってんの? 俺たち〈彩〉に逆らう気? そんなチビにどうやって戦うつもりだ? それにこっちには三〇人いるんだぜ。死ぬのはそっちだぜ!」
あー、こいつらゲスだなぁ、と口に出さないまま、苦笑い。
「……やっぱ何も言わないで下さい。こんなクソ共は一度ゴミみたいに死ななきゃ分からないですよ。……相手を舐めきった、寄生虫のクソ野郎には、優しさとか、遠慮とか、手加減は、いらねーんだよぉぉぉぉっ!」
「やめんか」
なんか急にキレたカルシウムの足りない小娘に拳骨を食らわして意識を奪う。言葉が聞かないなら拳で、だ。気絶した少女を左肩に担ぎ上げ、〈彩〉の下っ端たちに笑顔を送り、ここから逃げる別の方法を模索する。三本目の指が立った。
あそこまで言われてすごすごと引き下がるのもどうか、と自分でも思うが、面倒は起こしたくないし、逃亡中の身なのだ。〈主人公〉に追われているという危機的状況をくれぐれも忘れてはいけない。忘れてはいけないのだ。うん。
それなのにこの馬鹿どもはその好意を踏みにじり、不幸を手にしてしまった。
「お、逃げんのか? 根性のねぇ野郎だなぁ、ヴァァァァァァカ!」
「ンだとォォォぶち殺すぞゴラァァァァァァァァァァァァァァァ!」
忘れた。
一番近い奴を鉄の義腕でぶん殴った。そいつは斜め上に吹っ飛び、そのまま近くのアパートの壁に突き刺さる。意識などあるはずが無い。
「わっ、きゅ、急にキレたぞこいつ! な、なんだ、凶暴になったぞ!」
「気をつけろ! 大丈夫だ! おれたちには三十人の仲間が………!」
「あぁん! ナメんじゃねぇーぞ、てめぇら全員皆殺しじゃあああぁぁぁぁぁぁ!」
「ぐわああああああああああああああああああああああ!」
「『狂牛人』の権三がやられた! う、うわあぁぁぁ! こっち来たぞ! 逃げろぉぉぉぉ!」
「逃がすかああああああああああああ!」
鋼鉄の脚と腕を惜しみなく振るい、ザコ共を膂力で叩き潰す。
いちいち力加減など考えない。標的のふところに入り込み、思い切り殴る。当たり所が悪ければ一発で死んでしまうだろうが、そんなこと鋭利の知ったこっちゃ無い。
浅部で良い気になっていた〈彩〉のルーキー共を鉄拳制裁の元に沈没させていく。少しは戦える者もいたが、彼らはナイフや拳銃が鋭利の口の中に飲み込まれていくのを直前で目撃してしまい、戦意喪失したまま鉄拳に巻き込まれていく。
鋭利の三度の許しを拒んでしまった彼らに、この制裁から逃れる術は無い。
平常時から大重量の金属義肢をその身に抱えている鋭利は単純な筋力だけでも、戦闘型の鬼形児を相手取れる。ましてや人間ではどうすることも出来ない。
「お、俺たちは、あ、〈彩〉の、メンバーだぞ。手を出したらどうなるか……」
浅部、中層部、深淵部に縄張りを持つ、〈廃都〉最大にして最強、巨大にして強大なチーム。それが《彩》だ。そのメンバーの総数一〇〇〇人と言われ、どの深度にも潜んでいることを考えれば、間違いなく〈廃都〉で一番敵に回してはいけないチームである。
「うっせぇ死ねぇぇぇ!」
まあそんなこと、鋭利の知ったことではないのだが。
「ま、待て。よし。分かった。お前らを見逃してやろう!」
「潰れろ!」
「お、俺はち、違う! お前に、この地区の一部をやる! 上に進言してやる!」
「消えろ!」
「金か! 金ならある! 全部くれてやるから、見逃してくれ!」
「殴る!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさおごめん……」
「ゆ・る・さ・ん!」
「ふふふふふ。あいつらを倒すとはやるじゃないか。だがあいつらはただの下っ端。喜ぶのはこの俺を倒してからにしな!」
「倒したぁぁぁぁ!」
「や。久しぶりだね。覚えてるかな、ボクのこと。ほら、ボクだよ。だからさ、今回のことはボクの顔に免じて見逃してく…………」
「騙されるか! 誰だてめぇ!」
「………………………」
「………………ッ!」
「…………」
「……ッ!」
四回連続で馬鹿にされただけでブチ切れた短気で暴力主義で喧嘩っ早い鋭利の手によって、こうして愚か者どもは片付けられた。銀架が起きた時には山のように積み上げられた彼らがいた。鋭利が道に置いとくと迷惑なのでまとめといたのだ。
鋭利はアパートの壁に刺さっている最後の一人を引っこ抜き、着地して、
「おはよー。遠慮なく殴ったのに、銀架もナイスな頭蓋骨してるね」
親指立て(サムズアップ)で爽やかに挨拶。
「これは……、私が寝ている間に何が起きたのですか」
「んん? えー、んーとー。はははは…………」
笑って誤魔化せることじゃないが、銀架も段々と鋭利の性格に慣れてきたようで深くは追求してこなかった。ともかく今一番の問題はこの山の処理だろう。
目覚めたらきっと仲間を呼ばれてしまう。下っ端の言葉など上層部は相手してくれないかもしれないが、何せ三〇人が全滅したのだ。少なくとも確認には来るだろう。すると、こいつらに目撃情報を話されて、自分がやったとばれてしまうかもしれない。
しかし、口封じにこいつらを殺してしまうのも野蛮だし、かといってここで逃げても新たな鬼ごっこの鬼を増やすだけだ。被害者の彼らが許してくれればいいのだが、ここまでボロボロにやっといて何を今更だろう。
「……やはり殺して、埋めてしまうのが手っ取り早いか……」
「鋭利さん? 私に注意したことと違いますよ? しかも殺してばれたら、もっと厄介なことになると思います」
「そーなんだよねー。めんどくさいなー、もー」
爪先で目に付いた後頭部を小突いて、頭を捻って色んな案を出してみるが、やはりどれも荒っぽい解決になっている。次第にこいつらのことで頭を疲れさせるのもアホらしくなり、結局出た結論が、押し付けだった。
「しょうがねー。鼎に後処理は任せてオレたちは逃げよう! 大丈夫。あいつなら何も言わなくても何とかしてくれるさ!」
「鼎って誰ですか? でも誰でもいいや! そうです、逃げましょう!」
「おっと、それには及ばないよ」
鋭利と銀架が逃げ出そうとするところに、人の山の中から、チンピラの一人が抜け出てきた。殴られる前に鋭利に挨拶してきた奴だ。
「もう気が付いたのか。意外と丈夫だな」
「そりゃ、ボクだからね。いきなり殴られた時にはどうしようかと思ったよ」
「あれ? 知り合いがいたんですか?」
「いや、オレは知らないと言ってるんだけど、あちらさんがどうも頭を強く打ちすぎて、混乱してるみたいで。どーしたもんだかねー」
「混乱って。鋭利も酷いな」
「ほら、名前呼んでるし、やっぱり知り合いなんでしょう。早く思い出してあげてくださいよ。説得が手っ取り早くいきますよ」
「おお、名案! え~と、〈シーサイズ〉の珊瑚くんだったっけ? 久しぶりぃ!」
「誰だいそいつは。あ、顔を変えたままだったか。ほら、ボクだよ」
しつこく知人ぶってきた彼はそう言い、顔に手を当てて顔面を隠すと、身体を変化させ始めた。骨格の蠢く低い音と、皮膚が移り変わる妙に高い、破れる音が鳴りやまった時、そこに立っていたのはチャらい男ではなく妙齢の女だった。
「これなら分かるでしょ。いつも見せてる姿だし」
「うんまあ、血の匂いでサヤコさんって分かってたんだけどね。つい勢いのまま殴っちゃった」
実のところを告げ、知り合いの彼女に、サヤコにショックを与える。
サヤコは見た相手に姿を変える能力の鬼形児だ。姿ごとに名があり、サヤコは鋭利が知るこの見た目の偽名だ。《彩》に所属し、この能力を使い密偵の仕事をこなしている。ちなみに知り合ったのは『金』の鼎経由。鼎の恋人だとか。けっ。
「アタイは殴られ損だったてこと? 大人しく殴られたのが馬鹿みたいじゃないか」
格好が変わると口調も動作も変わる器用な彼女に、自分らを見逃してくれるよう、話を持ちかける。サヤコは即答した。
「別に構わないよ。どうもこいつら《彩》に入れたせいか調子に乗ってて、素行が悪いって評判でね。ボスから観察命令が出されてたのよ。あんまり行き過ぎるようだったら、お灸を据えてやって、て。だから丁度良かったし。これでいくらか懲りたでしょ」
「そー。そら良かった。鼎に怒られずに済むし。サヤコさんからも言っといてな」
「良いわよ。でもこれで一つ貸しね?」
と言い、サヤコは指を丸める。相変わらずお茶目でがめつい人だ。彼女のチェシャ猫のような笑みを見ると、常々この人には敵わないと思う。
「はは、がめついこって」
「ま、邪魔して悪かったわね。そっちも立て込んでるみたいだし、無駄話もここら辺にしときましょ。に、しても、」
チラリと探りを入れるように少女を見て、そこから視線を流し、
「ふふ、巡り合わせの悪さは天下一品ね、鋭利ってば。よりにもよってこの娘を抱え込むなんて。いや? アタイも人のこと言えないか」
彼女の読み難い微笑みは、少女の腰にある仮面に向かっている。
「……あちゃー、気付いてた?」
「そりゃ、私が見逃すわけないわよ」
銀架が何やらウズウズして、こちらの裾を引っ張る。紹介して欲しいのだろうか。実に人懐っこい娘だ。好奇心旺盛で社交性が有るのは良いことだ。
「あー、こいつは銀架。ワケあって行動を共にしている。この人はサヤコさん。本名は知らないけど。《彩》の知り合い」
「あー、さっきはうちのがごめんね。銀架ちゃん」
サヤコは手を伸べて、握手を求める。銀架はその手をじっと凝視して、
「……お姉さんは、組織内でどのくらいの強さなんですか?」
「え? アタイかい? ぜぇんぜん全然、弱っちろいわよ。ただの密偵よ、アタイは」
「……ふーん。これで、そうなのですか。本当でしょうか……」
「本当よぉ。アタイを疑ってもしょうがないわよ? 《彩》ってチームは化け物がゴロゴロいるんだから。それにアタイが嘘つく理由なんて無いわよ」
「でも、その眼は嘘吐きの眼です。何か、大事な嘘を吐いている眼です」
「……へえ、アタイを嘘吐き呼ばわりするのかい? ……威勢が良いわねぇ」
今度はサヤコと睨み合いを始めてしまう銀架。両者全く譲ろうとせず緊張が生まれ、保たれる。殺気がばんばん周囲に撒き散らされる。
銀架がサヤコに何かを感じ取って、挑戦しようとしているのだ。このまま二人を放置すれば戦闘が起きてしまう。サヤコが避けようとしても銀架が襲い掛かれば戦わないわけにはいかないだろう。それは、折角収まった争いの火種をまた生むということで、
「あははははは! オレたち急いでるんでもう行くわ。そんじゃあ、またねー!」
動こうとしない銀架を肩に乗っけて、急いでその場を後にする。今度は邪魔立てされることなく無事成功し、他の地区に逃げて行けた。
あそこにもう少しいたらやばかった、と鋭利は冷や汗を拭う。
やばかった。
あそこにもう少しいたら二人の殺気を浴びすぎて、自分まで殺気立って、殺意が芽生えて。争いたく、戦いたく、死合いたくなっていた。鋭利は確かに暴れ足りない自分と、サヤコと戦いたい自分を自覚し、更に足の速さを上げる。
鋭利は強者との殺し合いが嫌いじゃない。嫌いじゃないのだ。困ったことに。
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