最秘章 不要原料デリート
最秘章 不要原料デリート
這いずる。夜の帳りの落ち切った〈廃都〉をそうやって進む。
少しでも遠くに逃げようと動かぬ両足と肉体を引きずり、彼は這っていた。
赤い戦闘服は破れ、傷ついた両足と胴体は痛みの生産を止めない。自分を助けてくれる仲間も、組織も、父親も、どれももう、どこにもない。
ボロボロに朽ちた鮮血のヒーロー、戦利は惨めに逃亡していた。
口が開けば出てくるのは最早怒りではなく、痛みと絶望に対しての弱音。だから戦利は口を閉ざしたまま、どこを目指すでもなく、ゆっくりと芋虫の如く進軍する。
戦利は闇が嫌いだった。視界を閉ざされるのが拒絶反応を示すほど嫌なのだ。目の効かない状況は彼を恐怖の底に貶める。彼がこの闇の中を匍匐前進しているのも、暗闇の奥から来る『何か』から、身を守るためであった。
常に誇り高い戦利の心が、現在恐怖に捕らわれていたのは、『大喰』の禍々しい破滅の力を至近で目撃してしまったからという理由もあった。津波のように押し寄せる血の海に食われかけた記憶が、彼の脳裏から剥がれることは一生無いだろう。
危機一髪のところを救助してくれた『ホワイトソイル』は『泡』の届かない安全圏まで戦利を連れて逃げると、彼に幾つかの礼と謝罪、そして恒久の別れを告げて、どこかに去って行ってしまった。
何百もいたはずの部下は、自分の近くに一人もいない。不安や恐怖だけがその心を占め出し、ただどうしようも無くなって戦利は移動を始めた。
現在自分は、〈廃都〉のどの辺りにいるのだろうか。独りになったあの場所から、どれほど移動出来たのだろうか。知ったところでどうすることも出来ないのだが、ここまで来る間、誰とも会わなかった。
更に孤独に突き動かされ、当てもなく暗中の進行を再開する。
蝸牛のような進みの中、戦利は誰かの足を進行先に見つける。
足を辿って、首を持ち上げる。その先にいた顔は『獣王』鵺也だった。
目が合うなり、相手の男が右手のライトを付け、こちらの顔を照らしてきた。
「……くっ。どうした『獣王』。わざわざ俺を、嘲笑いに来たのか」
「……けじめは、付けさせて貰わないとな」
何? と唱える前にライトが消された。視界が奪われ、パニックになり掛ける。
「貴様! どういうことだ!」
闇に向かって怒声を放つ。急な闇への転化に網膜が付いていけず、近くにいるはずの鵺也が見つけられない。声を出された気配がするが、何て言ったかは分からない。
戦利は痛む身体に鞭を打ち、何とか立ち上がった。光が点される。今度は後ろだ。
「『No・1』なら当然知っているはずだ。俺の能力を」
「貴様の能力だと? ……『無効果』、だったか」
「そうだ。では、どういう力か知っているか?」
鵺也の能力を知ったのは、〈鵺〉の調査報告書を読んだ時だった。
そこに書かれていたのは能力名だけだったが、その字面から判断するに、
「……異能の無効化を、果たす能力……?」
声が震えてしまったのは、最悪のシナリオを想像してしまったからだ。
けじめ。鵺也は戦利をここで始末するつもりなのだ。こちらの能力を無効化し、抵抗できない状態にしてから。ここで逃げれば良かった。しかし『長姉』鋭利に与えられたダメージと『大喰』によるトラウマ、そして仲間に見捨てられた精神的ショックが彼の心を折り砕き、全身を小動物のように萎縮させて、咄嗟に動けなくしていた。
「正解は、こ――」
言葉の途中で電灯が消され、戦利は答えの続きを『読む』ことが出来なかった。
そして、上空から大気を伴う何かが降ってきて、
「…………っっっっっっっっっっ!」
戦利の肉体は、上から降ってきた大量のコンクリート材に押し潰された。回避出来なかった戦利は、明らかに手遅れなタイミングで加速してしまう。
身体は怯えて動かず、意識だけが音の世界に旅立つ。
大重量の石柱の牛歩然とした感覚の中で両膝を裏から潰され、断続的な痛みを送ってくるが背中や腰部分にもコンクリの角が当たっている感覚があり、命の危機を察知した本能は精神を加速の世界に追い立て、石材が掛ける重圧の進みが引き伸ばされ、千度の灼熱を持つ痛みの発射点が腰に増えて、背骨と腰の二点から内臓を圧迫され、内液を絞られながら皮膚が切れ、石の角が肉と血の管を破り、しかしその前に重みに耐え兼ねた背骨が、左脳と右脳の間に指を突っ込まれて抉じ開けられるような痛覚を沿えて破砕し、肉と筋と関節の邪魔を千切りながら外に飛び出していく大腿骨とその激痛は、まるで五寸釘とトンカチだけで足の切断手術をやられたような痛みで、ゆえに己の意識ははっきりと目覚め、悲鳴は音速の世界でまず吸い込むところから始まり、押し出される中途にあった呼気は一旦中断するが、石の角材が頬に当たったのを感じて、戦利はいよいよの終わりを悟ったが、生存本能はまだ死太くに己の感覚を更に俊敏に鋭敏に過敏にと働きかけ、圧迫感が五倍に増え痛みも比例して五倍化して、足を断たれた感触と共に靴の爪先が小石を蹴ったのと、うなじに触れた砂粒の数まで感じられるようになり、腹と内臓が無限に伸ばされた時間の中でのんびりと破裂し、内側に溜まっていた血と臓腑が大地にぶちまけられ、
ふと、目元に一枚の鴉の濡れ羽が落ちているのに気付いた。
暗闇で真っ黒だったから、さっきまで見えなかったのだと思い付くと、己の名の『フェザー』と漆黒の『長姉』を想い、最期もこの人かと思うと面白くなって、
「――っ!」
刹那、戦利の体感速度はゼロに戻り、弾け飛ぶように石材の底に沈んだ。
一人の青年が雪崩落ちてきた建築材のそばで佇んでいた。
それを背後から見ていた結魅は、寂しそうだという感想を得た。近くに行って抱きしめてやりたいが、そんなことを彼が望んでいないことは百も承知であった。
近くまで行き、そっと後ろに付く。
ここには結魅と鵺也の二人しかいない。他の仲間はすでに帰らした。
ここに結魅だけを残し、己の罪を見せ付けたのは、結魅には全てを見透かしてしまう魔眼があるからだろう。隠せるはずなく、隠す必要もないと判断したのだ。
やがて鵺也はポツリと、ああ、と頷きだか吐息だか分からない声を出した。
その声の続きは無かった。
「……主様、お体が冷えます」
「結魅」
ピクッ、とこちらを呼んだ声に身が竦む。彼の声は氷の温度を発していた。
常から冷たい発言をする彼だが、その内には温かい想いがあるのを知っている。
だが、その淡々とした声には何の感情も、何の熱も篭っていなかった。
「……『レッドフェザー』。戦利。『鎌鼬風』。その障害は聴力の低下だ。あの様子だと完全に聴こえなくなっていたようだな。だから奴は光の元でしか動けなく、相手の口を見なければ会話も間々ならない。視力と触覚はその分鋭かったようだ」
「……主様」
「奴を無力化するには闇に置けばいい。その上で発光しない不意打ちをすれば、奴は何も出来ずに死んでいく。このように、呆気ないものだ」
「主様っ!」
絹を裂いた大声に鵺也は声を止め、振り返った。
「……どうした? そんな叫ぶような声を上げて」
「主様。もう、もう帰りましょう。こんなところから。主様がそのような雑事に心を痛める必要はありません。主様は、ただ先のことをお考えくだされば……」
「そんなこと、許されるはずがない」
「……そんなことはございませんっ! 皆、主様の辛い思いを理解して……!」
心に定めた主君は、こちらの必死な言葉に、ふっと自嘲の笑みを浮かべた。
絶対に笑わない鵺也が、唯一頬を歪める、結魅の最も嫌う瞬間だ。
「いいや。結魅、貴様なら分かっているだろう。今日見たはずだ、俺の生涯を。ならば、俺が絶対に許しを得られない存在を、二人知っているはずだ」
「…………っ!」
結魅は何も言えなくなった。
鵺也は踵を返して歩き出した。方向は深淵部。自分たちの住まいだ。
だが、その先に広がっているのは一メートル先も見渡せない、完全なる闇だ。
早く後を追わなければ、彼の姿を見失ってしまいそうだ。
不安が鎌首をもたげる。鵺也がこのまま、暗黒に溶けてしまいそうで。
「始まったのは、人類の破滅か救済か。混沌か終焉か創世か。だが、誰がどうであろうと関係ない。俺のすることは変わらない。俺がこの短き生命で成すべきは、鬼の一般化。鬼が常識的に存在している世界の成立」
闇中を彷徨う素振りも見せず、足を迷わすこともせず、鵺也は進んでいく。
彼は己の進む道をすでに決め定めている。だが、その道がどこに続いているかは、まだ誰にも分からない。一番先頭を歩いている鵺也が、それを最も知り得る。
「俺の両親は、きっとそれを望んでいるのだから」
鵺也は深遠の闇に臆すことなく、力強い一歩を踏み出した。
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