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鉄処女のリゾンデートル  作者: 林原めがね
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真打昇華①


 バガなァ! という悪魔の擦り切れた叫びと同時に、闇の世界に亀裂が入った。

 ガクン、と蝿の魔王が失墜し、力を失い落下していく。

 両腕を食って、腹部を食って、片足に噛り付いて、それでも余裕綽々然とした態度と嘲笑を崩さなかった『ベルゼーブ』が、天上から地面に叩き付けられた。

 それを追って落ちる鋭利と、その手に持たれた人食いのハンマー。

 どうしてだ? と鬼狗型の得物に聞いて、

「有効打が知らない間に決まっていたとか?」

『どうかのお。あやつの魂は喉さえ残っていれば、超速再生するからのお……』

 蝿は全身を血の池に浸していた。

 こちらが着地すると悪魔は身をもたげた。削ったはずの腕と腹が再生していた。

 しかし揮発油が切れた重機のような、動きの鈍さは直っていない。

 異形の左腕と左足はビクビクと震え、眼光は精彩を欠き、背中の羽根も上手く羽ばたけていない。これではもう飛べなそうだ。いや元から片翼では飛べないのだが。

 対して鋭利と饕餮とうてつは二人とも満身創痍で無事とは程遠い姿だ。

 片足片腕の鋭利は、そこに右足を膝まで噛み千切られ、背中には突き立てられた爪の切傷。全身のあちこちに抉られた裂傷が色濃く残っている。『鬼食らい』のクソ爺も大部分を食われ、最初に比べると随分と軽くなった。食われる度に調整して造り直していたので、今ではトンカチサイズにまで縮んでしまった。威力や効能は変わらないので扱う分には困らないのだが、心許ないとはこのことだ。

 それに比べ蝿の悪魔は全身を復元し、五体満足の頼れるフォルムだ。しかし眼光の鋭さは鋭利と鬼狗たちに圧倒されてしまっている。覇気が宿っていない。

 と言うより自分たちが爛々とし過ぎているのだ。テンションキープどころか常にウナギ登りする一方。我ながら逆境好きなものだ、と再認識。

 敵はなぜか分からないが弱っている。動く気力も消失している。

 いつもならここで、末期の一句でも詠ます猶予を与えてからトドメを刺すのだが、

『今じゃぁー! 行けぇー! 殺せぇー! ぶっ殺すのじゃぁー!』

 血圧上がった爺さんが手の中で騒いでくる。口振り的にこいつが最古の自我だろうに、歳を考えた発言をして欲しいものだ。落ち着きと余裕が無さすぎる。これも自分か、とショックと残念さで溜め息が出てくる。

「とは言え一理あるのは確かで。じゃあ死んでくれ、ベルゼーブ」

 魂魄空間の亀裂から黒い血液が零れていく。その隙間から外の光が吹き漏れる。

 鋭利は石杵のヘッドを血の池に浸けて始めの大きさを再現し、動けないでいる悪魔の頭を殴りつけた。

 グシャ、と湿った音が鳴り、悪魔の身体は割れた水風船のように形を失い、ビシャと周囲に飛び散った。血の池の一部になり、空間のヒビに向かって流れていく。

 悪魔のいた場所に一匹の虫が飛んでいた。蝿、ではない。なぜだっ。

 虫は鋭利の目の前に飛んできた。話しかけてきた声は虫の羽音のように小さく、しかし妙にこちらを苛立たせる甲高い音だった。あ、これ蚊だ。

 あトチョっトだっタノニねェ。オシい、オシい、と。

 ぱっ、とうるさい羽虫を指で捕まえ、挟みながら、

「不愉快だ、ボケ」

 プチ、と握り潰した。

 全ての亀裂が一挙に大きくなり、外界の膨大な光が空間を満たした。


         Fe


 ドクン、と衝撃が街を下から突き上げた。

 世界の転換が始まった。

 天空を暗雲のように埋め尽くしていた、無限に思える黒の泡が落ちてくる。真下にではなく放物線を描いて、漆黒の海の中心に佇む悪魔を目指してだ。

 何千何万もの『暴君の泡』が、収縮しながら落下していく。黒の大海も、大きく渦巻いて中心に集結し、『大喰』の周りで間欠泉のように高く高く舞い上がる。

『大喰』の顔を覆っていた西洋兜の口が開き、悪魔は大口を開けて空を向いた。その口に大量の泡と浮かび上がった血液の海が、螺旋を描いて飛び込んでいく。

 決して入り切る量ではないはずだが、そんな物理法則を軽々と無視して、全ての泡と海をその痩身に収めていく。最後の一濁を飲み込んで、宇宙の覗く喉の奥から一つの大きなゲップが吐き出された。

 後に残ったのは三十メートル級のボール型に抉り掘られた穴と、外縁から中心に向かって立ち並ぶ、幾つもの石の塔。そして中心に立つ黒色と銀色の影。

 銀色の髪を持つ少女が、漆黒の甲冑に走り寄る。

 黒い鎧姿はポロリポロリ、と外殻を剥がしながら、落ちていく。

 その足が穴に踏み入りそうになった所に、土が生えてきて地面を形成する。

 黒の女が地上に降り立った。傍らには走って息が荒くなった銀の少女。

 鎧の胸に刺さっていた槍が抜け落ち、それを銀の少女がキャッチする。

 女の顔から、最後に残った兜の面が剥がれ落ちた。

 不壊城鋭利の両眼が開かれる。銀架はそれを見守る。

 左には黒い穴があった。眼球は無い。右眼は、青い十字の光を湛えていた。


 視界が開けていく感覚は、覚醒時には誰しもが必ず体験するものだから特段珍しい物ではないが、その時のその感覚は、まるで一ヶ月ぶりに肉体を動かしたような、変な関節の痛みと妙な快感が伴っていた。

 網膜への刺激が少なかったのは、時刻がもう夜に差し掛かっていたからだ。

 鉛のような目蓋を持ち上げ、目に飛び込んでくるものを一つ一つ確認する。

 抉られた大地を見た。胸元に衝撃。銀色の髪が飛び込んできた。

「……鋭利さんっ!」

 銀架。銀架だ。そう思うと、何とか右腕を動かして、抱きしめ返した。

 銀架は満面の笑みと目尻に少しの涙を溜めて、こちらを見上げてきた。

 その顔が絶望に一転する。

「……え、えっ、そ、の眼は……ッッ!」

 言われた通り、右眼を押さえてみる。そこに何かあるのだろうか。

「……? ワたしの眼ガどウ……、――ッ!」

 右の拳を振りかぶって自分の頬を殴りつけた。力が顎と脳を揺さぶった。

 頭をクラクラさせながら、己の内側にいるビチグソ野郎に向かって、中指を立てる。

「さっさとオレの中から消えやがれ、クソ蝿」

 今日ハマあ良いヤ、と愉悦に富んだ声が心に響き、どこかに消え去った。

 成仏したわけではあるまい。鋭利の魂の奥底に引っ込んだだけだ。

 今はそれで許してやろう。向こうに残してきた『饕餮』の爺には悪いが。

 こっちの眼を見ていた銀架の表情がホッとして、安心したものになる。

 鋭利は右しかない腕を開いて、銀架の名前を呼んだ。

 銀架がぱっと笑顔を咲かせ、再びこっちの胸に飛び込んできた。

 そして、抱き締めた腕の中で銀架に囁く。

「ただいま、銀架」

「……お帰りなさいです! 鋭利さん!」

 遠くの沿岸から歓声が上がった。

 抱擁を解いて、黒と銀の少女たちは岸の方に歩き出した。


           Fe

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