真打抜刀①
グズグズに崩れた、深い腐葉土のようなまどろみの中だった。
鋭利の意識は闇の底に沈んでいた。
仄暗い闇、生温かい黒い湖水に包まれて、流れに全身を任せる。
子守唄が聞こえる。優しい声の旋律。鋭利を眠りに付かせようと。
モう、頑張ラナくテモ良いンダぜエ、と機械を通したようなガラガラな声。自分もしゃがれた声という自信があったが、これはまるで錆び付いたオルゴールが喋っている。
耳障りな声を耳元で囁かれて眠れるわけがない。しかし鋭利を無条件で受け入れ、飲み込んでいく黒い液体は鋭利を眠りの世界に誘う。それを妨害するうるさい声。眠らせたいのか起こしたいのか、はっきりしない声だ。
この液体が血であることも何となく気付いてきた。ここが意識の内側であることも。どうやら鋭利の自由意思でここから出ることは出来ないようだ。
「でも飽きたしなー。快楽よりスリルの方がドキドキするタチでね」
よ、と夥しい血のベッドから身を起こし、天に話しかける。
「なあ、そろそろ出ても良くない?」
ダぁメ、と返ってきた。意地悪な声だ。誰の声だか。あ、自分か。
「オレの身体今どうなってんのかなー。外を見れないのがきっついぜー」
『この儂が、教えてやろうかのお?』
「いやいい」
血の海の底から聞こえてきた老爺の声を一蹴する。
会話終了。
『…………いや、あの聞いてくれんかのお。儂寂しいのじゃが』
「喧しいわ。テメエみたいな変態生物に、いちいち驚いてられるか。で何?」
『……おおう。クールじゃのお』
咳払いを挟んで、気を取り直す爺。これも深層心理の一部なのか?
『儂は昔の御前さんの自我じゃ。上の声もその一つじゃな』
「へーえ」
へえそりゃすごい、と言おうと思ったが、まだ眠いので断念。
嘘。どうでも良かったから。
『……あの、驚かないのかのお、御前さん。あっちの方は驚いたんじゃが』
「薄々感付いてたところあるからなー。自分の中にもう一つ別の自分がいるの。まあ実は二つだったわけだけど」
『現在、ここに残っているのは、のお。名乗っておこうか?』
「いや、どうせこっから出たら忘れるんでしょ。それよか脱出法知らない?」
『淡白な奴じゃのお。だが、外でのことを聞けば、そんな御前さんでも血相を上げるじゃろうな。銀架という小娘やらが死にそうじゃし』
「は?」
爺からクソ爺に降格しようか考えていた鋭利は、その一言に腰下に振り返る。
腕に抱えられるサイズの獅子じみた石像が血の中に埋もれていた。
『死にそうな原因が自分であることは、もう気付いているのかのお?』
「おいクソ爺、それはどういう……ッ!?」
急に落ちてきた重圧に、全身を殴りつけられる。いいや、これは眠気だ。
強制的に眠らせようとする天の存在が嘲笑いを降り下ろす。
ソこかラ先ハ反則ダロ、人食い? と壊れた響き。もう一人の自分。
『敬意が足りんのお、どいつもこいつも。御前さん、あの少女を助けたかったら必死に抗うのじゃ。その歳で地獄逝きは、嫌じゃろう?』
血の池から、石像が巨大化して出てくる。狗にも、悪鬼にも見える像だ。
『儂は御前さんの生き方が好きじゃ。それにあんな輩に、この時代の人生くれてやるのは勿体無いからのお。手助けしちゃるよー』
狛犬の鬼は飛び上がっていき、闇に牙を向ける。その先にいたのは、
『のお? ベルゼブブ?』
羽の生えた一匹の悪魔。片腕片足がなく、片方だけの翼が鋼鉄の輝きを持っている。
似ているわけでもないのに無意識的に、蝿、という言葉が思い出された。
あれは蝿の悪魔だ、と。
正シくハ『ベルゼーブ』ダ。ワタしに反抗すルノか? と空が啼く。
『老害は静かに行儀よろしく、永眠しておるのが慣わしじゃぞ? 綺麗さっぱり消え去ってくれても良いのじゃがな』
きサマモ老害だロウ、と蝿の悪魔が嗤う。
『い~や。わしゃ「例外」じゃ。一音違い』
……やカマしィワ! 天が叫んだ。
天空で二匹の化け物がぶつかり合った。
「くっ……っ!」
天からの圧力が高まり、身が湖の底に引かれる。意識が遠ざかる。ううぉッ、と拒絶の叫びを放ち、右の拳で自分の腿を殴りつけた。
「…………ぁっ!」
力み過ぎて、骨にヒビが入ったかもしれない。でも今はそれより目前の敵だ。
足下の血液に手を伸ばす。血が渦巻いて右手に結集し、大剣が形造られる。
「流石はオレの意識内。闘う準備が万全じゃないか」
『感心も、良いがっ! 早く助けてくれんかのお!』
泣き声に見上げれば、鬼狗の右足が抉られていた。その足を持つのは悪魔だ。
「はいはい。これがラストバトルになってくれよ、っと……!」
片膝のバネを使って、鋭利はベルゼーブに跳びかかった。
飛び上がる過程で大剣を振り回し、身体ごと一回転。勢い付けて切りかかり、
こノ程度か! とその切っ先を指二本で受け止められ、そして刃部分が千切られる。
わわっ、と慌てて蠅と距離を取った。狗の爺も同じだ。
「何だアイツ。ちょっと強過ぎなーい?」
『同感じゃのお。儂、二人掛りなら楽勝かと思ってたわ』
舐メルナよ。肉体を制御すル精神に勝テるハズがナイダろ、とガラガラ声。
どうやら現在鋭利の体は、彼の悪魔に乗っ取られているようだ。銀架が危険と言っていたが、この悪魔が外で暴れて危害を加えようとしているのか。戦いの中において死ぬのは構わないが、戦った甲斐が残ってくれなければ死ぬに死ねない。
「やっぱちょっと教えてくんない? アイツのこと」
『素直じゃなあ。良いことじゃ。武器大丈夫かの、それ』
左右に首振って、投げ捨てる。今気付いたが自分たち浮いてる。少し感動。
隣の石鬼の獣が身を乗り出してきた。圧迫感が、何か凄い。
『じゃあ儂使え、儂。実は、少しは石も行けるんじゃのお?』
「乙女の秘密をよくご存知で。じゃあ遠慮なく、と」
石獣の胴体に顔を突っ込み、ミックスジュースのように飲み干す。
ぷは、と喉を潤し腹を擦る。食事も外以上に快調だ。胃もたれもない。
「それじゃあ、ファスト・チャレンジと行きましょうか」
右腕に集中。念を込めて、鬼犬の石像と武器が合体した姿をイメージする。
二の腕が裂けた、と思えたのも束の間、闇が身の内より溢れ出て、組み立ての過程はスキップされ右手に重みが来る。途中経過を省略されるのが、唯一不満点。
完成したのは、御影石をベースにした狗が牙を剥いた形状の杵型ハンマーだ。
「おっし良いデザイン」
『ほほう、これが儂か。中々じゃのお』
悪クナいナ、ソノせンす、と判定に混ざる悪魔の声。
満場一致の高評価が貰えるところ、やはり自分だ。
「アンタの名前を伺っても良いかい?」
『おぉう。何千かの昔に去んだ名じゃが、「饕餮」と申す。龍の子に嫉妬し、同属殺しと人食いの禁を犯した愚かしい獣の名じゃ。上のあやつは暴食の王じゃな。最近じゃ、〈七大罪〉の「大喰」と言えば分かるかのお』
「暴食に『大喰』? 食い意地も悪いんだな」
『……いや儂ら全員、人のこと言えんぞ』
まあまあ。取り成すように下から肩に振り上げ、
「じゃあ、オレって〈七大罪〉だったのかー。そんな覚え無いけど?」
そン時モワタしダッたカラネぇ、と楽しそうに天を揺るがす声。
「そー。じゃ、身体を返してくれよ、クソバエ。とっくにいっぱい遊んだだろ?」
ダぁメぇー、と子供のようでいて最悪のダミ声。
その声に段々と苛立ちが募り始めた。
「むう我が侭な奴め。やはりオレ、ということか」
自己評価は得意だ。我が侭で頑固で気紛れでひねくれ者だと自負しているえっへん。
『あんまし褒められた性格をしとらんのお。あやつ何でも食うから気ぃ付けてな』
「あんたは? 何食ってたの」
『肉じゃな。人肉獣肉魚肉。果肉に畑の肉に朱肉。御前さんは無機物じゃったな』
「……おお。重金属系全般と、ケイ素系の一部な」
最後に一つ、いや三つ変なの混じっていた気がするが、スルーして良かったのか。
『これで劣っているのは木樹だけじゃ。そこは気合補填するかの』
「そうだな。楽しい会話はこの辺にして、気合入れてくれよ『鬼食らい・オーガイーター』」
『おぅや、それが儂の呼び名かの、……っと!』
鋭利はハンマーを振り回し、余裕をかましているクソバエに特攻した。
この外側では銀架たちが必死に戦っているだろう。あいつには苦労を掛ける。さっさとこの悪魔をブッ飛ばし、この空間から脱出して銀架と再会しよう。
「だーかーらぁっ、死にさらせぇぇえええええええええ!」
酷イなコイつ、と苦笑する悪魔の声が空間を震わせ、両爪を揃え向ける。
重心の偏った岩のハンマーを、ガードを食らう勢いで叩きつける。
バグン、と蝿の悪魔の両腕が『鬼食らい』に咀嚼された。
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