最終章 真打奉納①
最終章 真打奉納―死食いあう鮮血―
各地の鬼形児たちは『それ』を感じていた。足元から来る揺れ以外に、遠く離れた震源地より伝わる、振動でも音でも光でもない見えない重圧。
バケモノの殺意の波動を受け取った鬼形児は誰もが一つのイメージを思い浮かべた。
この〈廃都〉に今まで申し訳程度にあった秩序や規律がまとめて崩れ落ち、砕け散り、分子レベルで分解されるイメージを。
そして、もう誰であろうと、破滅に向かう世界の流れを変えることは出来ない。
暴力的な風と威圧的なオーラが銀架の髪を舞い上がらせていた。銀架は向かい風に負けることなく両眼を見開いたまま、暴力の中核を見届けていた。
黒い人影。
それを鋭利、と呼ぶのには抵抗があった。鋭利だった名残は完璧に消えている。黒い血液がその身体から出されるのを見慣れていなければ、黒い液体に全身が包まれている姿を見ても、鋭利と判断することは出来なかっただろう。
体を覆う光沢のある漆黒は鋼鉄のようであった。
それは鋭利の顔面、そして身体のラインに沿って張り付くことで黒い甲冑と化している。本来腕と脚が生えているはずの箇所からは、昆虫と獣が混じったような妙に節くれ立った、歪んだ手足が生えていた。右の眼光は青く炯々と輝いてこちらを刺し、左の眼孔からは全てを飲み込む深淵の血が滲み出る。頭の後ろより鉄線の束が逆上がる。一本一本が針金のようなそれは髪だ。
そして、左の肩甲骨に生える、漆黒の鋼で造られた片翼。一枚の黒翼は羽ばたき、黒の鎧姿を重力など無いもののように浮かび上がらせる。
悪魔の左手足と闇の騎士甲冑と、蒼と暗黒のオッドアイを持つ影は、自らの血を流していくことで造った黒い海の真ん中に漂い、
そして、黒き悪魔は狂おしき悦びの絶叫を〈廃都〉の空に上げた。
「……何、ですか……あれは…………!」
呼吸さえ忘れていた銀架がようやく言葉を吐き出す。
「最早元の面影を残していませんね。主様、あの鬼形児をご存知でしょうか?」
「……ああ。ああそうさ畜生! 言った通りになるとか阿呆だろう! クソ! あの女がだと……っ? 見た目の年が違うから完全に油断していた。だが、俺は確かにアレを知っている。あれは、〈七大罪〉の一人、『大喰』だ」
聞いていた者たちが一斉に重たい息を呑む。
「……『大喰』、……あの黒いのが、それ……」
ゴクリ、とどこからともなく緊張の飲み下しが鳴る。
銀架は、何のリアクションもせず、すっかり臆している面々を見回し、
「……何であろうと、やることは最初から決まってます。鋭利さんを助け出す!」
鋭利は自分が〈七大罪〉であることは否定していたが、あれは嘘だったのだろうか、と頭の隅を掠めたりするがどうでも良いことだ。後で鋭利に直接聞けばいい。
血の海の動きを注視していた鵺也から叱咤が飛ぶ。
「気を付けろ! そろそろ奴の、『暴君の泡』が撃ち出されるぞ!」
徐々に広がる闇の海が綺麗な円形になって成長を止め、その湖面が泡立たった。
ドクン、と響いたのは地面か心臓か。それとも封じられた魂か。
ポコッ、と幾つもの泡が生まれ、結び、それぞれ黒いしゃぼん玉に発展していく。十センチ大の泡玉から一メートル近くの泡玉までと、その大きさは不揃いだ。
海面に張り付いた黒い玉は、四方から吹く風に煽られ飛び立っていく。真っ黒な見た目に反して軽い雰囲気の大量の玉は風の中に踊り、やがて、重力に引かれて落下する。
玉が一つ、銀架たちの方にも飛んできて『時計屋』の近くに落ちてきた。
「この泡が『大喰』の力っすか?」
スイカサイズの泡を突こうとした『時計屋』が鵺也に引き倒された。
「泡には絶対に当たるな! 姿勢を低くしろっ!」
言われるまま一同が中腰になる。銀架の頭上を泡玉が越えていった。泡はゆっくりと後ろのアスファルトに落ち、パチン、と軽い音で破裂して、
「……え…………っ!」
地面が丸く抉られた。
凹むようにアスファルトと土が消失していた。半球型に抉られた跡が、泡が割れた地点に生まれている。窪みの大きさは割れた泡と等しい。避けなければ、ボール型に消し飛ばされていたのは、銀架の頭だったということになる。
黒い泡は次々と地に落ち、割れていく。半球の穴はそのたびに増えていく。
空中でぶつかり合い、合体していく泡もある。二メートル越えのビックサイズだ。風の悪戯か、その巨大な黒い泡が向かってきたのは、こちらの方向だった。
「鵺兄ぃ! どうすればいいの!」
「春久と輪音は下がっていろ! 素手で触れては危険だ。物体の攻撃は溶かされ無効にされる。銀架! 貴様の砲撃は通る。中心を狙って丸ごと吹き飛ばせ」
「……私の名前を、気安く呼ぶな!」
銀架は後ろに回した右手に銀光を溜め、掌底に合わせて発射する。空気が捩れ、空に銀線が走り、巨大な泡が饅頭のように潰れて、耐え切れなくなって破裂。
したことで体積分の空気が一気に消え去り、真空状態が生まれ、それを埋める内側の風が一気に吹き、それにつられて大量の泡がこちらに目指して押し寄せる。
接近しながら泡は合成され、どんどんと膨らみ、止める手立ても無く見守るしかない目の前で、五メートルまでに成長する。迫る軌道は銀架への一直線。
「悪化してるぅうううう! この男を少しでも信じた私がバカだったぁああ!」
「凄い言われようっすね、旦那。これを俺っちが消すんですね」
「所詮、時間稼ぎにしかならないがな」
「旦那、それ俺っちへの禁句っす」
五メートルの新月が『時計屋』の翳された手によって消え去る。
これで近くの泡が一掃された。視界は良好。だが足元からは黒の海がじわじわと。
「この海に触れても、抉られますか?」
「ああ、跡形も無く綺麗さっぱりとな」
やっぱりか、と慄きながら足を引き戻す。
黒海は『大喰』を中心に半径二十メートルに広がっている。銀光の砲撃が届くか微妙な距離だ。電柱や街灯も消えていて、海の上に足場に出来そうな物はない。丁度今も、一階部分を溶かされ、一気に倒壊した雑居ビルが漆黒の海に沈んでいった。ああやって、何もかも根こそぎ食われていったのだろう。
鋭利の異能の前ではどんな金属でも関係なく食われていた。傍目に見ていた時から戦々恐々していたが、金属以外を『食せ』たらここまで恐ろしくなるのか。
「あれ?」と疑問符を上げたのは最後尾まで退いた輪音。
「鵺兄ぃ、あれが何でも溶かすんだったら底の方も溶けちゃって、かさ減っていくんじゃないの? でも減っていく感じしないんだけど」
足元はただのアスファルトだ。電柱を溶かすなら地面もまた簡単に溶かせるはずだ。
同時に銀架と鼎は『大喰』の本髄を悟る。ある事実を思い出したことで。
『……銀架。鋭利の異能って、溶かした金属は何になったっけ?』
「……血。血液になって鋭利さんの中を流れ続けます」
そしてこの海は、鋭利の血によって造られている。注視すれば海の領域が一秒ごとに一センチ大きくなっているのが分かる。地面を溶かし続け、広がり続けている。
「つまり、そういうことだ。消された物体は一欠けら、一滴残らず『大喰』の新たな血となり、あらゆる物を溶かす液体として黒の海に変わる。溜まった海は無数の泡となって飛び立ち、落下した先で物体を喰らい、新たな海を造りだす。こうして無限に続き、世界を喰らい尽くすまで止まらない。これこそが『暴君の泡』だ」
聞き終えた二人は呼吸を合わせて、せーので、
「やばっぁあああああああああああああああああああ!」
『やば過ぎだろおいいいいいいいいいいいいい!』
銀架と鉄板に乗り移っている鼎は心の底からシャウトした。
「……このノリがおれらと違うとこだな」
「うちには超ぉーノリ悪い奴が一人いるからね」
それが鵺也であることは部外者である銀架でも分かる。
「キザ男! 一回あの海五分間くらい飛ばせませんか!」
「無茶を倍掛けされた……! 対象がでか過ぎるしそんな長時間は無理っす!」
「ちっ、使えん!」
儚く『時計屋』が散り、膝を着く。そんな彼を輪音と結魅の二人が介抱する。そんなのに構ってる暇はない銀架は『大喰』を睨み、横の鵺也に訊ねる。
「何か、あれを止める手立ては無いのですか」
「……俺が知っているのは一つだけだ」
それは、と視線でその続きを催促。鵺也は唯一つの答えを言い渡した。
「放置、だ。暴走して意識の飛んでいる状態のまま、動かさないようにする」
「放置する? 大将、それのどこが対処法って言うんだ?」
「時間稼ぎだ。奴に移動されれば、被害範囲は無尽蔵に広がっていく。そして『大喰』はこうしている今も自滅している。あいつの障害は知っているな? 左半身の消失。『大喰』がああやって第三段階を使い続ける間、障害は大幅に進行し、その左の肉体は擦り減っていく。消えた部分はあのように悪魔の身体に変わり果てるのだが、肉体を半分失って生存し続けられる生き物などいない。あいつの本能は『全てを食らう』こと。奴は自分自身でさえも食らっているのだ」
さながらウロボロスだな、と鵺也は苦過ぎる顔で呟いた。
銀架は途中から彼の言葉など聞いてなかった。聞きたくないことを聞いてしまい、だが事実だけが銀架の頭を駆け巡り、
「あの人を、鋭利さんを見殺しにするんですか!?」
「勝手に自滅していく者に、手を出せばこちらが死ぬものに、この世にあってはいけないモノに。そんなモノに触れないことを、見殺しだと言うのか?」
鵺也の突きつける冷然とした声。その正論に、ぐうの声が出そうになる。
「言います! それは見殺しです!」
銀架は言い切った。
Fe




