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鉄処女のリゾンデートル  作者: 林原めがね
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間章  原料発送トラブル

 間章  原料発送トラブル



 ビルが啼いていた。

 二〇〇四年七月一日、十八時。

 古びた中型ビルの看板には『東京第二遺伝子工学専門学校』の字が掲げられている。国道一号線が走る表通りから外れた、湿った裏路地に建てられた十階建てのビルの窓は、どれも堅く閉まっている。まるで今から来る嵐に備えるように。

 夕刻の帰宅ラッシュだというのに人影は見られない。そこには無音だけがあった。

 大きな震動がビルを縦に揺らす。だが音は防音性の壁に吸収され、外には届かない。

 そして、白い壁面に一階から十階まで巨大な亀裂が走った。


 地獄が広がっていた。中に響くは破壊と悲鳴の連鎖。

 音は二方向から来た。一つは上階からの怒号と途切れない銃声音。もう一つは地下から聞こえてくる、幼い子供のかん高い雄叫びと激しい破砕音。その二つは互いに交差し、次第に上方が劣勢となり、雄叫びは登ってくる。

「くそっ! 何だよこれ! 全然止めらんねえじゃねえかよおぉぉっ!」

 地下二階。地上に続く階段の一つ。その防火シャッターの陰で、白衣を着た若い男が叫んだ。泣きそうな声で支給された小銃を廊下の向こうに無茶苦茶に振り回す。

「黙って撃て! あと少しで主任に繋がる! 絶対に、こいつらを表に出すな!」

 若い男の後ろでは、やはり白衣を着た壮年の男が拳銃を連射しながら、胸元の無線機を何度も口に当てて、上階と連絡を取ろうとする。

「こちら斧田、ただ今B2階段前! すぐにここも破られてしまう。火鳥かとり主任、強化シャッターの準備を! …………主任? 火鳥っ! 火鳥、返事しろ! ………くそ! すでに別ルートが突破されていたか……!」

「先輩、まさか上はもう……、そんなっ、僕たちどうなるんですか!」

 斧田は後輩の下村を横目で見る。弱音を吐くその口は奥歯が鳴っていた。銃を持つ両腕は極度の緊張と、慣れない連射の疲労で小刻みに震えている。そしてそれは自身も同じ。悩んでいる時間は無い。

 斧田は用済みとなった無線機を捨て、非常階段の上へと足を進める。

「こうなったら仕方がない。俺達も上に行き、一階を援護しよう。上に奴らがいるならここはむしろ危険だ。下村、ここを爆破して崩す用意をしろ。急げ!」

 は、はい、という震えた返事の後に、走って近くの倉庫に入っていく音がした。運ぶだけなら奴一人で十分だろう。斧田は防火シャッターのスイッチを押し、脇の扉の鍵を取り出し構えた。あの後輩が戻ってきたらすぐに鍵を掛けられるようにと。

 シャッターが除々に閉まり、外の音が遮られていくと、階段内の音が少ないことに気づいた。上下の階から何も聞こえて来ないのも不吉だが、何より外の廊下にあの怖がりな下村の銃声が響いていない。

 それだけ急いでいるのか、と考え、一旦落ち着こうと弾倉を取り出し、残弾を確認。装填する。斧田は今でこそ研究員をしているが、昔傭兵の時代があった。その時の伝手が元でこの職に就けたとも言える。斧田は少しずつ落ち着きを取り戻していった。

 しかし次第に、変だ、という感情を得た。

 下村が戻ってこない、と。

 あと十秒で来なかったら鍵を閉めようと心に決める。あの後輩もそういう判断が分からないほど幼稚ではない。と、外から聞き覚えのある声と扉を叩く音がした。

 斧田は安堵すると、疑いもせず素早く扉を開けた。

「おい、急ぐと言ったろ」

 扉の向こうにはやはりというか気弱な後輩が立っていて、

「? 何だ、なに突っ立ている。早く来い、……どうした?」

 下村の動きが何やら鈍い。斧田は彼の身体を見た。特に負傷等は見られない。両手には機関銃を構えられており、脇に抱えているバッグには恐らくリモコン式の爆弾が入っているのだろう。異変はない。

 だが、俯く下村の顔が持ち上がり、視線が合い、その表情を見た瞬間、

「…………ッ!」

 斧田は一気に扉を閉めた。とほぼ同時にシャッターに刻まれる無数の銃痕。

 烈火の着弾音が連続して階段内を貫く。

 こんなことしても三〇秒は持たないだろうな……!

 そんな確信を持ちながらも、鍵を閉める震える手を止めない。

 今のアレは、同じ空間にいてはいけないモノだ。ここから離れなければ。早く皆を脱出させなければ。早くアレを閉じ込めなければ、と。

 階段に足を掛けながら、この研究所に五年間勤めていた斧田は思い出す。さっきの下村の顔を。全てを語っていたあの十字の眼を。

 青く光っていた、あの妖しい眼光を。

 男は一度あの眼を見たことがあった。最下層の研究部所でだ。ある異能の実験用ラットがあの眼をしていた。ラットはその後、口を弛緩させてゆき、その代わり全身の筋肉が肥大化し、最後は破壊衝動の塊となっていた。肉体のリミッターを外したラットはそのまま暴れ続け、自分の筋細胞を崩壊させながら、衰弱して死んでいった。

 被検体がまるで薬物中毒者のような状態になること、そして脳が肉体のリミッターを外し破壊衝動に襲われることから、そのある異能の持ち主はこう呼ばれていた。

「『覚醒罪』………ッ!」

 走りながら、男は奥歯を軋ませる。口からは意味を持たない乱雑な呟きが零れる。斧田は自分の足がここまで衰えていたことに苛立つ。今はとにかく、足を速めるしかない。

「……あいつは、やばい。出したら東京が、いや、日本が……ッ! 全部が終わってしまう。あいつが、あい、つが出たんだ。――あいつがッ!」

 言葉は止まらない。それがいかに効率が悪いか、体力を無駄に削っているのか分かっていながら、恐怖に食われた本能が、それでも出せ、と命令する。

 一階に到着し、防火扉を開け、倒れ込みながら、斧田は叫んだ。

 あの悪魔の名を。

「『覚醒罪・ディペンド・デス』が……!」

 斧田が扉の向こうに見たのは、青い十字眼の白衣集団と大量の銃口だった。

「………ッ!」

 声を出す暇も与えられず、こちらを向いていた銃口が一斉に火を噴く。

 男の身体は粉々に消し飛ばされ、永遠の闇にと落ちていった。


 虚ろな眼をした研究服の集団は銃口を下ろし、そのままのったりと正面玄関に歩を進める。正気だった頃の記憶が出口を求めているのだ。この施設に封じ込まれていた青い眼をした異能児たちもその後に続く。ここにはもう用は無いからだ。

 破砕の音をもって玄関のシャッターとガラスが断ち割られる。

 おどろおどろしい歓喜の声が轟く。

 ふと、青い眼たちが首を捻り、さっき開いた階段の扉を見つめる。

 何十もの瞳の中、軽い足音と一緒に一人の少女が出てきた。魅惑の瘴気が濃くなる。

 青い輝きが増す。少女は真っ直ぐに入り口へと進む。外の世界に続く出口へと。

 一人の少女は、小さく誘うように謡う。狂いの宴を。

「うふふ、あは。あははは?」

 

 禁断の扉は開かれた。戦いが始まる。争いが始まる。全てが始まる。

 一つの終焉が始まり、そして、わる。

 その日東京は滅んだ。



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