超上激戦②
縣は倒れている晴久を見た。
「……………」
春久はこっちの警戒心など露知らず、のん気に寝ている。
ひとしきり感心するように喉を唸らせては、中々起き上がろうとしない。
どうして動かないのか。まさかあれでダウンではあるまい。
試しに『チップス』を剣の形に揃え、それを五本作り、飛ばしてみる。
剣は五本とも、春久の強靭な筋肉にあっさり弾かれて終わった。自らやっておいてなんだが、こっちのプライドの方がよっぽど傷付いた。
春久がムフムフと、気味の悪い笑みで復活する。
「なる。投げ技か。自由自在のその糸で、体勢も腕力も必要としない、と。ははは、つぇーなあ。おれの乱撃も凌いでたし、バカ正直に闘ったら長期戦になっちまうな。でもそれはお互いの望むとこじゃない。だよな、鼎」
春久の頑丈さは先ほど確かめたばかりだ。さっきの巴投げは成功したが、実際ダメージが通っているか甚だ怪しいものだ。
鼎が出来るのは防御することと、その際のカウンターで春久を投げること。隙を見計らい〈金糸〉で縛り付けることも出来るかもしれない。しかしそれは春久の意識が無防備になってないと難しい。対して春久は自分で告発していたように『直接殴って』戦うしかない。決着をつけようとすれば、時間が掛かってしまうだろう。
「そこで提案だ。というか自己申告か。今からおれは本気を出す。もしこれでも倒せねぇようだったら、しょうがない。降参しよう。小垣渡の居場所を教えてやんよ。ってわけで覚悟決めてくれや」
向こうの事情は知らないが、一刻を争う今、戦いの短縮は願っても無いことだ。まあ本音を言わせてもらえば、今からでも逃げたい。こいつ怖すぎる。
「……だけど、そうも言ってられないのが現実って奴で。良いぜ、来いさ全力で。あんたの大事な大事なプライド、ボロボロに引き裂いてやんよ」
「ははは。元気だなぁ、てめぇ」
彼は笑い、両腕を腰で構えて、ボンと両腕と両足を膨らませた。そこに獣のような剛毛と猫類の爪を生やしていく。あれでは丸っきりライオンの脚部だ。
「じゃあ、死ぬなよってことで」
言うなり、彼は四つん這いになり、肉食獣の俊敏さで飛び掛ってきた。
烈風を生み、その風さえも切り裂いて、爪の薙ぎが振り下ろされる。
またもや本能が警鐘を鳴らす。絶対に避けろ、と。
鼎はその本能の知らせを、無視した。
逃げようとする恐怖の意思を押さえ込み、腕を広げ、爪の前に我が身を晒す。
「……ッィ………!」
鼎の脳のどこかで悲鳴が上がり、目の前が白くなる。
何かが爆発し、金色の奔流が生まれた。
命の危機を察知した〈金糸〉が自動的に防御を発動させる。
足や腕、『チップス』に憑いていた糸が全て回収され、普段使うことのない脊椎の奥にあった〈金糸〉をも引っ張り出し、本能は鼎の身を守ろうと防御する。
「……むっ!」
鼎の全身から噴き出した金色の糸が、獅子の腕を丸ごと包み込む。
突進の衝撃は鼎に貫通する。意識が何度も飛び、背骨や首から嫌な音が響く。
しかし収穫はあった。春久の右腕が肩まで〈金糸〉に飲み込まれていた。倒壊したビルをも持ち上げる糸だ。引き抜くどころか、指一本動かせない状態だろう。
日頃無意識に抑えている全活力を、わざと危機に陥ることで無理やり引き出す。
成功する保証はどこにもなく、自動防御が一瞬でも遅れれば死んでしまうという、まさに体を張った命懸けの荒業は、無事成功したようだ。
黄金に輝く糸はじわじわと浸食していく。糸が脳にまで達すれば支配は完了する。
「悪いな、俺も決めさせてもらう」
〈金糸〉を再び宿した『チップス』の脚で、鼎は立ち上がる。
顔には表出させていないが鼎の精神は先の一撃で憔悴し切り、いつ絶ち切れてもおかしくない状態だ。気を張り続けなければ気絶してしまうだろう。
「さあ、小垣の場所を吐いてもらうぞ」
もう頭以外ほとんどが飲まれてしまった『ハンター』に最終通告を言い渡す。
ぼんやりとした風な春久の声が、糸の隙間から聞こえてきた。
「……悪いなぁ、か。いや、そのセリフはこっちのもんだぜ、鼎」
春久が言うと同時、繊維を裁つような悲鳴が近くで響いた。
「…………!」
「本気出すとか言っといて、やっぱ遠慮してた。舐めてたわ、お前さんを。こんぐらいでもぶちのめせるだろうって。悪いな鼎、今からちゃんと本物出すからよ」
裁たれて悲鳴を上げているのは彼の右腕を覆う、金の糸。
裁っているのは瞳を青い灰色の肉食獣のものに変えた、『巨狩人』。
切れた〈金糸〉の痛みがフィードバックし、口から苦悶が漏れる。
「あー、なんかコレ出すの久しぶりじゃねぇか。闘いに誠意が足りてねぇな。常に本気で闘うのが相手への礼儀のはずなのにな。強いってのも難儀だよな、おい」
春久が語る最中にも、金色の戒めは内側から破かれていく。バリバリと。ミシミシと。それは、蛹を割って本来の姿を現す蝶のように。
「反省の念も篭めて、じゃあ行くか。遥か古代の英雄の力、思い知ってくれ」
一気に〈金糸〉が破り捨てられ、そして、
「…………………!」
神代の英雄が再臨した。
Fe
金の繭から出現したのは、三メートルを越す大男だった。
元の顔より彫りが少し深い。浅黒い肌が全身を包み、鋼の筋肉はより機能美と造形美を体現した、ギリシャ彫像のような完璧な黄金率を保っている。
そしてそれらを全てぶち壊すような、圧倒の意を発する眼光。
この眼光を見れば、なるほど『ハンター』の由来が分かるというものだ。
今の春久からしてみれば、あらゆる生き物は獲物でしかないのだろう。
「第三段階『神の光輝・ヘラクレス』。これがおれの全力だ」
言葉を発する。それだけで鼎の全身に震えが走った。歴然とした、埋め尽くせない生物としての差を、脳で感じるより先に皮膚で、魂で気付かされてしまう。
さっきまで感じていた勝てるかも、という甘い思いは完全に消滅していた。
何だよ、これは、と。身体が震え、無駄だと悟り、膝を着こうとする。
しかし、燃え上がりと凍り付くような思いが、心の片隅ずつに生まれた。
脊髄に差し込まれた凍てつく氷河と、脳に埋め込まれた焼き焦げるマグマ。
熱の両端。どちらも自分の精神に引き起こすのは、麻痺の感覚。
熱い心は感覚と思考を鈍らせ、代わりに高揚と暴走を作り出し、冷たい心は動作と信念を鈍らせ、代わりに判断力と覚悟を生み出す。
その結果、鼎の崩れ落ちる動きは、少しの間止まることになった。
「ああ? どうした動かなくなって。降参して良いんだぞ? おい」
姿を改めたことで気分が舞い上がっているのか、それとも冷静になったのか、春久は始めのように問答無用で殴り掛かってくることはなかった。
麻痺する精神の中で鼎は、感情も表情も変えぬまま、何となく息を吐いた。
「ははっ」
空笑い。現実味の無い絶望のリアルに、鼎の肉体は笑ったのだ。
それをスパークに鼎の心が再起動し出す。熱い心と冷たい心が奪った鋭さを取り戻し、しかし与えてくれたものを送り返さず。
炎と氷に身を貫かれたことで、鬼は己を自覚する。
抜けた息を吸い、鼎は最後にもう一度自分の眼で春久を見る。
「……………」
やはり強そうだ。悪夢かと思えてくる。冗談なのではないかと疑いたくなる。
自分のプライドとかどうでも良くなってくる。自分が何で闘っているのか見失いそうになる。自分を捨てて逃げ出したくなる。自分であることを止めたくなる。
そして、そういう所から、鼎は鬼に戻ることが出来たのだ。
闘いとは最高のコンディションで、最良の方法を持って、最善を尽くすことだ。
「っははっ、らしくなかったぜ……」
のろい動きで持ち上げた鼎の拳は親指を伸ばし、逆さになり、親指で地を指し、
「地獄に戻りな、英雄。ここはあんたの場所じゃない」
そう言い切った鼎の体は突然、糸が切れたように崩れ落ちていった。




