鋼殻剥離②
銀架の心は大いに荒れていた。感情が吹き出てきて止まらない。
人が増えた室内は少し狭く感じる。向かい合わせになっているソファには、車椅子である鼎を除いた五人が座っている。ソファの定員が三人×二なので、ほぼ満員だ。
銀架の右隣には鋭利がいて、その向こう隣に飯係りの『蒼鉛』が座る。対面のソファにさっき現れた『長老』という眼鏡の男と椰子原がいて、鼎だけはソファの傍らに車椅子を停めて、ふんぞり返っている。
銀架は、『長老』に言われた言葉が信じられなくて、声を荒げてしまう。
「姉さんが、私のせいで死んだって、どういうことですか……!」
立ち上がりかけた銀架の肩を、鋭利がそっと抑えてくる。そして『長老』、昔仲間だったらしい眼鏡男に目配せをして続きを促した。
つい舌打ちを打つ。落ち着きが必要なのは分かっているが、今はそんな鋭利の冷静さにまで苛立ちを覚えてしまう。この怒り、目の前のこいつにぶつけてやろうか……。
「おおっと、怖い怖い。すごい眼光ですなぁ。しかし、始めに言ったでしょう? 信じ難い話をすると。この程度で驚かれていたら、ここから先、精神がもたないですぞ」
車椅子がクルと回って、鼎が身体ごと『長老』に向く。
「『万能録』。他の異能をコピーする鬼形児。つまり、あらゆる鬼形児の頂点、か」
感慨深く言って、その目が細められる。
「最強と謳われる〈七大罪〉を越す鬼がいたとは、それこそ信じ難いな。でもそうなると『八』と言うべきじゃないか? そいつを入れて」
「いえ『金』、それは違います。〈七大罪〉の異常性はその絶対的なまでの、世界への干渉力。破壊力といってもいいでしょう。しかし『万能録』に、それが在るわけがない。彼女はただそこにいるだけの存在だったのですから」
「……引っかかる言い方ですね老け顔。姉さんが自殺した理由をさっさと言え」
ぶっきらぼうな言葉遣いは剥き出しの感情から。敬語など知ったことか。
「慌ててはいけない。ここから銀架、ちゃんで宜しいかね? 銀架ちゃんとも関わった話に繋がっていくのですぞ。君が鬼形児に変化した話にね」
「けっ! 聞き耳立ててやがったのか、性格が出るなぁ!」
敵意の篭った怒声が出された。『蒼鉛』のものだ。はて、さっきの言葉に怒れるポイントがあっただろうか? イチャモンでしかないような気が。
『長老』は柔和な表情を崩し、面倒くさそうに、しかし落ち着いて弁解する。
「登ってくる時にたまたま聞こえただけですよ。勿論、貴方の間抜けな声もね、『蒼鉛』の威風堂・いふうどう)屏風君。あなたは今日もお馬鹿そうですねぇ、哀れみますよ」
「裏切り者の馮河先・ひょうがさき)伽藍さんは言い訳もみみっちいな。つーか何でてめぇがここに来てんだ、失せろボケが!」
「あら、仲間割れ勃発? でもこのぐらいの喧嘩なら可愛いもんね」
「わー、モノホンのチンピラみたいだー。似合ってんなー二人とも」
と面白がって、観客に回る鋭利と椰子原。鼎が、またか、と零し、仲裁に入る。
「おい、二人とも。今はそんな場合じゃない。特に『蒼鉛』。変なイチャモンを付けるな。長引くようだったら鉄槌を食らわすぞ。鋭利が」
「そーそー。本気で落としちゃうぞー」
当事者の男二人が反射的に頭をガードする。つまりこの二人は、あの鋼の拳骨を経験したことがあるのか。なんと可哀想な。
ノリノリの鋭利を見てると、この人ただ暴れたいだけなんじゃ、とすら思える。
ゴホン、と空咳を一つ、『長老』が場の空気を厳粛なそれに整え直す。
「横道に逸れ過ぎましたね。どこか馬鹿のせいで。それでは、語るとしましょう。誰よりも悪魔的な鬼が人間の少女のために下した、壮絶な決断のことを」
「とっとと言えよ、能無し眼がエボぼシっ!」
鋼の腕が空気を裂き、打撃音と吹っ飛ぶ『蒼鉛』の悲鳴が重なる。ああ、哀れ。
「心底嫌われているなー、オマエ。ウザいから黙らしたけど」
「感謝します。彼も、どうしてああも私を嫌うのか。別にあんな愚か者とはちっとも仲良くしたくないがね」
「いや、オマエにも原因あると思うぞ? そういや、どうしてオマエ、そんな銀架自身も知らんこと知ってんの?」
「浅部では組織の長以外に情報屋もやってましてな。まあこれは言い訳ですが。
実は私が〈金族〉を抜け、浅部に行った理由の一つが、彼女の情報を追うためでして。まあ、残念なことに私が第六地区を入手した時には、彼女も、妹だったという少女もいなくなってましたが。その後、彼女の調査を続けていたのですよ。ですから、本日のお二人の来訪も私の耳に入ってきてました。一緒にいた銀髪の少女、これが消えた『妹』であることはすぐに確信しました。そして、彼女が中心となった、今のこの状況もね」
得心がいったかのように、ほうほう、と首肯する鋭利。
「ふーむ。……って、じゃあもしかして、お墓の花はオマエが?」
『長老』は鋭利の顔を不思議そうに伺ってから、首を横に振る。
「いえ。お参りはしたことはありますが、特に花とかは。献花されてたのですか?」
「今日、銀架と行った時にな。オマエじゃないとしたら、一体誰が……? ん、いや、ごめん、話ずらしたな。それで、壮絶な決断だっけ?」
「そう。順を追って話したいところですが、時間も限られております。ならばここからは勿体ぶらずに言いましょう」
と、『長老』は細く、そして長く吸われる深い一呼吸を入れる。
細く、笑みの弧を描いていた目が、輝くように丸く、大きく開かれる。
「今や亡くなってしまった『万能録』の障害とは、自己意識の完全喪失でした」
「自己意識の、完全喪失……」
ドクン、と強い鼓動が銀架を内側から揺らす。
耳の奥からザアザアという血の流れが、うるさいほどに聞こえてくる。
「自己の意識が極端に希薄化していく精神障害。無境界型自我消失症とでも言いましょうか。彼女は世界は認識していたが、自己を認識していなかったのですよ。自分の心や肉体をね。常に客観的にしか世界を捉えられなかった。ゆえに自分のためにも、誰かのためにも動くことはなかった。いわばゾンビ、植物状態です。食事も睡眠もしようとしませんでしたが、その身に巣食う数々の異能が、彼女を死に至らせませんでした」
「……じゃあ、どうして姉さんは死んだんだ」
銀架の零した問いに、応えることなく『長老』はすらすらと唇を動かす。
「そして、四年前のある日。住処を失ったある女の子が、入ったら生きて出てこれないという噂の森に入っていき、そこで『万能録』と出会った。どうしてただの少女が、誰も行けなかった彼女のところに辿り着くことが出来たのか分かりませんが、」
チラリ、と気絶している『蒼鉛』に目をやって、すぐ視線を戻してから、
「まあ、たまたま結界が開いていたからでしょうが。ともかく二人は出会い、共に暮らすようになった。共に、というのも変かもしれません。あくまで『万能録』からは何もしませんし、少女が一方的に世話をしてやるだけの関係だったのですから。しかしその結果、少女の心にあてられて、彼女の障害は治癒されていきました」
眼鏡男の口が一旦止まる。そこに待ってくれ、というように鋭利の掌が出される。鋭利は俯いて一度大量に吸い、大きく長く吐き出した。
「……他にも、聞きたいことは沢山あるけど、とりあえずこれだけ。障害が治ったって、そんなことが有り得るのか?」
「『万能録』だったがゆえですよ。通常、人間からは何も得ないはずなのですが、相性があまりに良すぎたせいだと思われます。だから、少女の『心』をコピー出来た」
はん、と声がすると、うつ伏せだった『蒼鉛』が引っ繰り返って、見上げてきた。
「相性たぁ、説明不十分だな。正直ここまででもチンプンカンプンだぜ。まだ説明出来ることあんじゃねぇのか?」
「おや、起きましたか。分からないくせに強気ですな。勿論、まだ続きがあります。むしろここからが本題。機転となる、最重要な事件が起きるのです」
「まだあんのかよ……」
鼎が辟易した声で伺い立てる。伽藍は非情に、そうです、と答えた。
「それは、『万能録』の噂を聞きつけた鬼形児たちが、森を訪れた日のことでした」
カチリ、と。銀架の中で小さく音がした。
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