冷水硬化④
急に現れた女が、目隠しの男を担ぎ上げるのに合わせて、影は後ろに控えさせていた狂気に満ちた鬼どもを襲わせた。その逃亡を阻止せよと。
人造の鬼たちが知性を無くした猿のように叫び、女に向かう。暴走した猛牛の群れのように迫る脅威に対して、その女は少し息を止めると、「はっ」と鼻で嘲笑い、片方の眉を、唇の端を吊り上げた。見下げ果てるように。
「その程度でアタイを殺すつもりかい?」
女の形が変化する。肉が渦巻き、骨が歪み、皮膚が捩れる。変容する。
一瞬で別の何かに変化を遂げたその存在は、堕ちた鬼を見下げ、
「だとしたらワタシは興醒めだぞ…………!」
狂った鬼たちは気付いたら平伏していた。皆一様に困惑を浮かべている。だが誰も頭を上げられない。鬼が拝する先で、女はただ静かに、凶悪に笑っていた。
彼らの本能が正面の女と対峙することを避けたのだ。ただ純粋に圧倒され、生物としての本質に従った。相手の命に従え、自分の命を守れ、と。
「不可解!」
闇色の人間モドキがたじろぐ。一人が虚勢を張り、上空の暴竜を解放させる。
「〈絶身之衣〉解除! 抹殺!」
竜のヒーローが現世の肉体を取り戻す。姿を変えた女の後ろに落ちてきた黄色の男はイカレた嬌声を挙げ、必殺の炎弾を両の掌に生み、振りかぶり、
「ギィィィィィッィヤァァァアッハァァァアアァ! 死ぃぃいいねぇぇえぇぇええええっハッァァァッ、ッハァァハァっァァァァァァァァァァァ!」
二つの超高温体を両手に持ったまま、竜の力で女の頭を左右から挟み砕く。
コンクリートも融かす竜の炎と、ビルをも倒壊させる竜の膂力。どんなに圧倒的な生物であろうとも、その二つを同時に受けて無事であれるはずがない。
当然のように、竜の手の中で女の頭は砕かれ、一瞬で炭化していく。
「ああっはっははは、ぁあ~~~~、………っなぁぁぁぁあ!」
歓喜の声が一転、驚愕のそれに変わり、さらに恐怖へと移り変わる。悪意によって理性を奪われ、操られていた哀れなヒーローは、恐怖に歪んだ顔で必死に喘ぎ、
「なぁ、ん、だよ、それは………!」
黄色のヒーローは確かに相手の頭を完全に壊した。確かにだ。
下顎より上の頭は落ちた果実のように破裂し、焼かれている。竜の手が触れているのは炭化した肉と骨と脳みその混合体だ。女の頭は歪な造形を晒している。
だが、ヒーローは見てしまった。女の不完全な顔を。わずかに残った唇を。
暴竜の焼けた拳が脳髄と血液を沸騰させていく音と、肉の焼け爛れる音をBGМに、
女は、口だけしかない頭で、口元だけで、妖艶に微笑んだ。
その少し残った下の唇を、女の赤く艶めかしい舌がチロリ、と濡らす。
そして、ケタケタと、平然と堂々と笑う。肉の焼ける異臭を花の香りのように楽しみ、破壊されきった頭部を、まるで初めから無かったことのように。
「良い、良い一撃だ。それだけに、その『依存』状態が勿体無いな」
そして、闘志を失った竜がだらりと腕を下ろすと、当たり前のように、そういう生態の生物のように頭部が修復されていく。黒ずんだ断面が瘡蓋のように 剥がれ落ち、下から沸き上がる新たな肉が風船のように膨らみ、首の上に球体を創造する。
同じ顔が再生されていく。
「……そ、その顔は……! ど、どうじで、お前が、ごこに…………!」
男の声が一層苦しげなものになり、その場に跪く。黄色の男が砕いたこの姿は、彼にとってそれ程なまでに衝撃だったのだ。
だから、女はそれをせせら笑う。
「何だ、ワタシの本当の顔を知っていたのか? うん、ではその傲慢さと運の悪さとワタシの知識を考慮して、貴様を見逃さないでやる。ワタシ自らが殺してやろう」
「……ぁぇぇああぁ、ぁぁああ…………!」
絶句。そして男の首に女の細腕が絡まり、高々と持ち上げられる。
「さて、貴様よ。ゆっくりと眠るがいい」
やがて、喉に食い込んだ女の細い指は、粘土細工のように男の首を、落とした。
「ま、こんなものか」
女は鼻歌でも歌うように〈主人公〉の物言わぬ肉体をひょい、と道端に投げ捨て、踊るような陽気さで振り向けば、影と這いつくばっていた鬼どもは消えていた。匂いも足跡も消されている、周到なことだ。
「………………」
女は追いかけるべきか悩んだ。どんな敵がどう逃げようと、捕まえる自信はあった。あの影だけだと難しそうだが、狂った鬼どもを引き連れているのなら楽勝だ。
それなら、どうしてそうしないのかと自問し、何か忘れていることがあったからだと答えを出す。それは何だったか、と再び自問自答に没頭し、ふと、放り投げた死体の傍に転がっていたボロ布の塊にしか見えない瀕死の人物を見て、「あっ」と声を上げて、
「おいおーい、死ぬんじゃないわよー?」
姿を彼と既知の『サヤコ』に戻してから、慌てて虚呂に駆け寄った。
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