灼熱融解①
ヒーローが〈主人公〉のセオリーをぶち破って浅部に現れた。ここまで誰とも会わなかったのは、もしかしたら彼らがいるのを見て、逃げたからなのかもしれない。
どうして、ここでルール違反を犯すのか。
普通の逃亡者相手では、あの狂った組織でも流石にこんなに派手なことはしない。なら銀架には、〈シルバーレイ〉には特別な、それ以上の価値があるのか?
だとしたら話は変わる。かなり変わってしまう。銀架を外に逃がすという案も、この様子なら外にだって追いかけていきそうだから、良案とはいえない。『正義』というルールを自らに律しているヒーローが、自らセオリーを無視してきたのだ。これは上層の命令、つまり〈主人公〉全体の方針だろう。一回、二回の襲撃を迎撃したところで諦めてくれそうにない。〈主人公〉のことだからさらに大軍で攻めてきそうだ。
何悪びれる様子をちっとも見せずに立っているヒーローたちを睨みつけ、真顔の銀架を見て、鋭利は息を大きく吐き出した。
「なぁー、自分がここまで追われる理由、心当たりある?」
「えーとですね、全く無い!」
拳を握り、高らかに銀架は答えた。
「あはははは、そっかー」
誰だって一つや二つは他人の恨みを買っているようなものだけど、というか実際さっき変態のおっさんを殴り倒したと話してたのに、迷わずそう言われると本当に無罪に思えてしまうから不思議だ。
ともあれ銀架自身には心当たりは無いようだ。では知ってる奴に聞こう。
知ってそうな奴らが丁度良いことに目の前にいるのだから。彼らが知ってなくてもそれを指示した上の奴に聞けば分かるだろう。
「おいオマエら。どうして銀架に執着する?」
ふふふ、とピンクコスチュームのヒーローが笑った。
「レッド様の思索など、貴様には関係ないことだ」
「ああ、今の『No・1』は、『レッドフェザー』の奴だっけ?」
「ほお、貴様でもそれくらいは知ってるか」
「ちょっとだけね。じゃ、オマエらも知らされてないってことか。やーい下っ端」
「……貴様ぁ!」
ピンクのヒーローが激昂して構える。他のヒーローも同様だ。ただタックルしてきた黄色のヒーローだけが不敵に笑い続けている。ショットガン弾の炸裂にも気付いたし、あの男は厄介な匂いがする。
「しかし、何をする気だ。レッドの馬鹿は」
それ見たことかと、ピンクのヒーローが知らされている情報を披露する。
「ふふふ、知りたいか。レッド様は、その娘を使い、最強の力を手に入れ、〈廃都〉をひっくり返すつもりなのだ!」
「何?〈廃都〉を? 最強の力って……。阿呆な名前だな」
「……貴様あぁ! レッド様を馬鹿にするな! 殺すぞ! 否、ここで殺せ!」
「正義を語る者の言うことじゃないね、それ。所詮ニセモノ、か」
ヒーローたちが怒りで吼え、四人の〈主人公〉との死合いが始まった。
まず、二人のヒーローと銀架が真上に飛んだ。
三人は組み手を重ねながら住宅の屋根に駆け上り、こちらの戦闘の邪魔にならないよう、飛び回りながらのバトルに移行していく。
地上の方は、ピンクのヒーローの攻撃から始まった。女のヒーローが両腕にまとわせた桃色の光を、低速の光線にして打ち出してきた。その光線に会わせるように、後ろの黄色の太ったヒーローが合掌し、両の掌に光を溜め始める。
さて、どうするか。鋭利は腕から無駄な力を省きながら、思考する。
低速の光線は避けるのに手間取らないが、後ろに控えるもう一人の彼がネックだ。低速の光線と溜めが必要な攻撃。きっと、どっちかが相手の動きを制限するもので、本命はもう片方だ。問題はどっちが敵の行動を阻害する方なのかということ。それが分からないまま動くのは得策ではない。
何もしなくてもピンクの光線は進んでくる。吐息を一つ。目の前に集中する。
大切なのは実践と観察。ヒーロー二人にピンクとイエローと仮名を付け、義腕に命令を加える。手首を変形させ、内側に仕込んであるショットガンの銃口を剥き出しにする。相手の動向を気にしつつ、牽制で三発撃つ。
鋭利はそれの結果を観察する。相手の情報を捉えるために。
飛んでいった散弾は桃色の光に当たり、そして弾き返された。デタラメに跳ね返ってきた兆弾を、右腕に当てて『食べる』。皮膚を貫き筋肉に食い込むが、そこで止まり、鋭利の血液によって鉛弾は消化されていく。
「ほぉー。堅さがある光、壁を為す光線か。沢山出されると不利にしかならないな。身動きの取れなくなった相手をイエローがゆっくりと倒す。ま、そんな感じか」
観察と経験と戦闘上のカンによる推測。それを口に出すことでそれ以上の考察を止め、上から目線で結論する。
「んー、……弱ぇなー」
たった一度のアクションで不本意な評価を下されたピンクは、憤りを覚えたのか次々と光線を放ってくる。桃色の壁が視界を狭めてくる。
一から十に増えた壁の光線は鋭利を押し潰そうとするが、チンタラした攻撃に鋭利が苦心するわけが無い。這うように低く走り、それぞれの壁の隙間を行く。ピンクの前まで走り抜けた鋭利は右の指を立て、喉元と水月を突く。
「……ガ、ハッ………!」
咄嗟に喉は防御したピンクだったが、腹への指突は直撃。悶絶も出来ずに気絶する。
ピンクが倒れると、桃色の壁は空気に溶けて消えていった。
残るは不動のイエロー。防御力は高そうだが、まさかそれが自慢ではあるまい。溜めの長い攻撃しかできないと言うなら、敵ではない。
「ぬふん? 俺様を倒そうとでも考えているのぉかぁ? 無理だよぉお」
無造作に近付いていく鋭利に、イエローが忠告してきた。
「この 光を光線と勘違いしているところでもう、くぃみは負けているんだあ」
粘っこく喋るイエローは、鋭利を恐れることなく光の拡大に意識を注ぐ。拳の当たる距離まで近接した鋭利は、手始めに左の拳を思いっきり振りかぶり、鋼鉄の重量を乗せて、相手の突き出た腹の真ん中をぶん殴った。
ぼよん、こんな感触だろうと予想していた。だが実際に拳から肩に返ってきたその感触はまるで岩のような、ガツン、と硬く弾いてくるものだった。
「ぬふふふふ。だから言ったじゃんかぁあ。〈詠唱〉中の俺様の身体には誰も触れられない。俺様がこれを出した時点で、お前の負けは確定ぃ!」
へぇ、と敵ながら感心する鋭利。〈詠唱〉だかというイエローの能力。ここから何が来るのか全く予想が付かない上、手出しできず待つしかないというのは初めてだ。
何が来る? 敵に触れられないという不条理性から推測するに、イエローは次門系か。ちょっと苦手な相手だが、上の銀架に任せるわけにもいかない。
そして何より、楽しみである。どんなものが出てくるのか。
期待に胸を躍らせ、『詠唱』の終了をその場でしゃがんで待つ。イエローは呆気に取られていたが、すぐに不敵な笑みで呟くような『詠唱』の速度を上げた。
「……さあ、早く早く」
上空の銀架は苦戦しているようだ。やはりと言うか、彼女は相手が一の時には強いが、相手が多になると急に実力を発揮できなくなるタイプらしい。あの程度の相手ならばビルで見せた砲撃一発で打ち倒せるはずだ。
一度に二つ以上のことを処理出来ないのだろう。幼い、というより生来の性格に思える。
危なくなったら華麗に助けてやろう、と心に決めた矢先、風が起きた。
イエローの足元に何本もの光る線が走り、異国風の紋様が書き出される。こんな幻想的なものは見たことが無い。レアな能力だ。紋様の光が強くなり、イエローの姿を覆い尽くし、背中が冷える感覚が鋭利を包む。『銅』虚呂や『錫』稔珠のそばにいると感じれる、異界の『門』が開く際の、ゾワッとした肌触りだ。
ボワン、と柔らかい大きな爆発音が響き、奇天烈な色合いの煙が立つ。
七色の煙が晴れ、中のイエローがその姿を現す。
「わくわく」
口にして待ち望む鋭利が見たのは、尖った白石が連なっている小さな洞。
巨大爬虫類の顎の内部だ。どこかで見たシルエット。これは図鑑で見た、
「……アリゲーター?」
『ドラゴンだぁあ!』
洞が吼える。言われてみれば、その輪郭は物語に登場する竜、そのものだ。
太い尻尾も、巨大な爪も、たぎる胴体も、そびえる角も、不自然に背中に張り付く蝙蝠の翼も。
上の銀架たちも戦闘を止めて、ドラゴンの出現に注目している。
イエローの姿がどこにも見えないが、吼え方の雰囲気で何となく察した。
『ぬふふふふふ。俺様は異界の魔獣を召喚し、同化出来るのだぁあ。このドラゴンを償還したのは五度目。これまでにこれを相手に生き残った者などいなぁあい。さあ、降参するなら今のうちだぞぉ、この姿は手加減がむず――、』
「そんな自慢はどうでもいいけどさー。聞きたいことがあるんだけど」
うだうだと講釈垂れるドラゴンに質問を被せる。鋭利は震える自分の体を押さえ込み、鳥肌が立っているのを意識しながら、目をキラキラと輝かせて、
「それってさー、ちょーぉぉぉぉっ、強いよねっ。試していい? ってか試す!」
「おっ? ま、待て、試すぅ? 俺様の竜に勝てると思ってるのかぁ? 鬼形児といえども、まともに戦ったら死ぬぞぉ。簡単に殺せるぞぉお?」
「いやいやいや、それもどうでもいいんだって」
うきうきした鋭利は、竜の見当違いを切り捨てる。
「どうでもいい。身の安全なんて。未知への恐怖とか、人の脆さとか、食われるーとか、死ぬかもーとか、そんな些細なことどうでもいい。今肝心なのは、それと戦うこと。他のことは余分でしかない、邪魔でしかないんだから」
相手にしてみれば狂気にさえ思えるだろうことを語りつけ、鋭利は楽しげに、実に楽しげに、右に拳銃を左に義腕に仕込んだショットガンをそれぞれ構え、笑う。
ドラゴンが、歪な生き物を見たかのようにたじろぎ、翼をはためかせる。それだけで暴風が生まれ、鋭利の身を叩く。まさに強さの象徴。まさに圧巻。鋭利はこれの強さを肌で感じ、心から認めた。こいつこそ『鉄』と全力で死合える敵だ、と。
こちらの戦意を読んだのだろう。赤き竜は軽口を止め、前傾姿勢を取る。
その肉体がたわみ、両翼が空気を孕み、少しの溜めの制止の後、
「――――――ッ!」
飛んだ。
重量が圧し掛かる。上からは牙が迫り、下からは前両足の爪の双撃。
三方から迫る刺突撃に合わせて、鋭利は前に飛び出した。
目算で計り、激突スレスレで跳躍。高く跳び、竜の背中を越える。その背を蹴りつけ半回転を得て、空中で逆さのまま双の銃での連射。
右のフルオートで十五発。左腕のショットガンで八発。背中と尻尾を狙い撃つ。だが、全弾、キンッと鱗に弾かれる。
空気を殴る尻尾が、銃弾をものともせず鋭利を追い、虫を払う動作で殴りつける。鋭利は左手を間に入れ、身体を丸めショック態勢を取り、
「……っふッ……!」
軽々と跳ね飛ばされる。鋭利は右手一本で、バク転。更に後ろに跳んで、右手の拳銃を廃装する。クッションとなった左腕は潰れ、指は駆動するが中の機構はほとんど壊れてしまった。マガジンを補填し、再び十五発の連射。十二発目が、ようやく表鱗を穿ち、肉を抉った。カチン、と弾が切れる。
ドラゴンは、急ぐこと無く胴体を反転させる。あの余裕は全身を覆う鱗の防御力を信じるがためか。試しに石を投げつけてみたが見向きもされなかった。
赤い竜が前身を鋭利に向け、四つの足を屈し、再度突進の構え。
「…………ッ!」
来る。一度目より速い。むちゃくちゃに横に跳ぶことで、激突から逃れる。
竜は停止せずビルに突っ込み、破壊を撒き散らしてその勢いを止める。生まれた穴から破壊の波が伝わり、ビル全体にヒビが走り切る。
七階建てのビルの倒壊が発生する。斜めに傾ぎ、ゆっくりと。
灰のような白いコンクリの粉塵が舞う。ビルは竜に被さるように倒れ、瓦礫と粉塵が互いの視界を遮る。欠陥構造だったようで鉄筋の通ってないコンクリートが鋭利の眼前に陳列する。ここから崩落が広がり、倒れた証拠だ。
「チッ、使えねぇ」
鉄が無いのならこんな粗大ゴミに用は無い。どける暇は無いので、登ることであの巨影を噴煙の中に探し求める。煙が消える前に相手の姿を見つけ、こちらから攻め入れたい。突進前を押さえれば、超近距離での打撃戦に持ち込める。
持ち主の望みを瞬時に汲み、赤外線感知用の『赤眼』を作動させるのは左眼だ。
煙の中の熱源を探り、すぐに竜の影を発見する。そこに更なる熱が発生した。
「うおっ!」
影の首部分にそれは生まれ、形を得て発射される。炎弾。それも三つ。
左眼がエラーを訴え、闇に落ちる。強い熱を受けすぎて感知することを放棄したのだ。チッ、と舌打ちで眼孔脇にある義眼のリセットボタンを押し、再起動。同時に身を伏せると、頭上を炎塊の一つが通り過ぎ、後ろに着弾する。
瓦礫が赤々と燃え上がる。一体どうしたらコンクリートに火が点くのだろうか。それもまた、竜という体形が織り為す一つの不条理ということか。
立ち込めていた噴煙が三発の炎によって吹き飛ばされていた。ドラゴンの細長い瞳が鋭利に突き刺さる。猛獣的な鋭い殺気が、鋭利の背筋をぞくぞくさせる。
追撃はまだ来ない。竜はどこか余裕そうに構え、鋭利のリアクションを待っていた。怖けりゃ逃げても良いんだぞ、とでも言われているようで癇に付く。
「……ふうー。うん、鉄分が足りないなぁー……」
とりあえず銃では勝てそうにないので、拳銃は口に収納。バリバリ噛み砕く。
次に近くの残骸を見渡し、目的の金属、鉄筋を探す。理想は長さ二メートル以上。片隅にそれを見つけ、コンクリに埋もれてるその鉄筋を素手で掘り出す。折らないように気を付けたのに途中で折れてしまい、しかし目標は越しているので良しとする。
赤竜とあと二人の〈主人公〉、それと銀架が見守る中、同じような鉄筋をそこらから発掘し続ける。五本集まったそれらを手で捻り、束ねる。重ねて、合わせる。
「ぬふぅ。きしゃまがなぁにをしようとも、この身体には勝てはしないぃ。貴様の能力がどんなものだろうと、俺様を倒せるはずが無いぃい。剣も槍も効かないぞぉ。銃もビームも炎も氷も雷も、俺様を傷つけることなど出来ないぃい!」
相変わらず、うだつの上がらない中ボスキャラを演じてくるうるさい野郎だ。そんなイエローのダミ声を聞き流しつつ、淡々と鉄筋を捻り続ける。
「ふん。オマエ、肉弾戦に絶対的な自信があるんだな」
例えばここに次門系や、『金』鼎のような超能系がいたならば、この漲る自信にも陰りが生まれていただろう。だが鋭利は、肉体を変幻させる能力の、獣化系に連なるものだ。得意科目は肉弾戦。克ち合ってしまっている。
そろそろ決めるか、と軽く宣し、出来上がった鉄筋の束に食らいついた。大口を開けてパクパクと。物理的に入り切らないはずの体積量の金属が次々と、軽々と腹内へ収められてゆく。イエローはこちらのそんな食事の様子を眺めていた。
ケプ、と急いで食べたせいで溜まった小さな空気を吐き出し、全身を伸ばす。
その間もイエローは何もせず、鋭利のすることを興味深そうに見ていた。
のん気だな、と呆れが生じるが、それもまた正義らしさというものか、と鋭利は頷き、苦笑する。自分もまた相手の変身を待ってやったことを思い出したのだ。
さて、と一声。体内に溜まる金属を意識し、自らの異能を発動させる。
鋭利は、鉄の指で右腕の傷を思いっきり抉り、全員の度肝を抜いた。
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