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IDLY HERO〜ルマティーグ編〜  作者: 松野 実
第一話
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二人の名前

 朝日が空へ染みるように登ってきた。オークの石畳たちが影を照らされてその輪郭を浮かばせ始める時間。背中の生温かさに気付いて振り返り、喉を引きつらせた少年が身動きを取れないでいた。彼の意識は恐怖に包まれ、身体は脱力している。目の前の紫色をした瞳の男をこうして凝視することしかできない。

「……、」

 男が口を動かしている。自分に何か言っているのだろうか。しかし少年には興味がなかった。背中の子分たちのように、いつの間にかバラバラにされるかもしれない。初めて経験するこの感情の処理でそれどころではないからだ。

「そこまでにしてもらおう。」

 キースの目の前に突如男の姿が現れた。地を這うような姿勢で現れた男の周りには旋風が渦巻いている。転移魔法やそれ同等の何かでできる、空間の歪み特有のものだ。男はすぐ少年を覆い隠すように抱き寄せ、切れ長の目で静かにキースを見上げた。放心状態の少年を庇い守ろうとしているものの、最初から好戦的だった少年とは違い、対話しようとする意思が伝わってくる。膝をつくその姿はまるで、キースの従者のようだ。

 キースは剣を石畳に突き刺した。男のすぐ目の前で金属の鈍い音がしたが、男の目は揺れずに真っ直ぐ見上げてくる。その目を見て、少しだけこの男に興味が湧いた。異様なまでに長い手足、括られた長い銀色の髪、そして、特徴的な尖った耳。亜人だ。

「何故あの女を付け回す。」

「我々の目的の為だ。」

 男が少年の目蓋を下ろし、その小さな身体を抱き上げて立ち上がった。その長身をもって、今度はキースを見下ろす。レタリオの向こうと向こうとで、至極淡々とした口調は続いた。

「俺の獲物だ。」

「そればかりは聞けん。」

「知らねぇよ。」

 突然、男の腕の中で少年の表情が乱れた。口を大きく開き、開閉させる。男は僅かに眉間に皺を寄せてキースの剣に手を伸ばす。キースは剣を抜き、切っ先をその手に向けて構えた。一触即発の空気の中、少年の大きな呼吸音が聞こえている。勢いよく酸素を取り入れ過ぎて噎せ返りながら、少年の苦しそうな呼吸は続いた。

「見逃してもらう代わりに、一つ忠告する。あの女に関わるな。あの女は既にあの男の毒牙にかかっている。……マチエールの名を聞けば、貴様はわかるはず。」

「!!」

「私も、貴様を見逃してやろう。」

 キースの鼓動が高鳴る。同時に瞳孔が開き、呼吸が荒ぶりだすと、剣を握る手が明らかに震え出した。一筋、汗が頬を伝い落ちる。やがてキースは脱力して腕をぶら下げ、膝をついて崩れた。そして、その姿勢とは似つかわしくない奇妙に歪んだ笑みを浮かべて男を見上げた。

「お前ら、いや……わかった。交渉成立だ。」

「そのようだな。」

 石の壁の影に吸い込まれるようにして、男と少年が消えた。仄暗い血溜まりに、呼吸を乱すキースだけが残された。


「マーサ!サラ!ナディア!」

 アンナが風呂場に駆けつけた。大崩壊の後に転がる石たち。見渡す限りの石。天井があった所には、朝焼け色の空がポカンと顔を出していた。アンナは額然とする。その中の娘たちの姿に。

「ま、ママ……」

 弱々しく、まず声を出したのはマーサだ。瓦礫でできた隅で力なく座り込んでいる。傷だらけの顔や手足、足元に転がる武器。そのすぐ背中で瞳をうるわせているサラも、マーサにしがみついて震えるナディアも、皆肌という肌が傷ばかりだった。髪は血や埃で汚れ、衣服は破れ、怯えている娘たち。そしてこの惨劇の跡。アンナは眩暈がしたが、堪えて三人に近づく。

「なにがあ」

「「「ごめんなさい!!」」」

 三人が一斉に頭を下げて叫んだ。アンナは吹き飛ばされそうになり、身体をおかしな方向に曲げて膝と腰を痛めた。高さは違うが三人とも小さくなって震えている。

「な、なにがあったの……!」

「ママ、これは違うの!鳥が!」

「違う違う!鳥じゃないって!」

「ごめんなさいごめんなさい!」

「落ち着きなさいっ!!」

「「「きゃあっ!」」」

 一喝され三人は手を取り合って固まった。涙目を通り越して三人ともボロボロ泣いている。アンナは安堵した。どうやらとても元気そうだ。それだけわかれば謝罪の言葉も涙も、何に向けられているのかよくわかる。ゆっくりと近付いて膝を折り、三人をまとめて力一杯抱き締めた。


 アンナの店は、休業を余儀なくされた。半壊した家、荒らされた店内、何よりも、店の前のドラゴンの山。それを見て、客としてやってきた誰もが驚き恐れた。平和なオークにもついに魔物の手が忍び寄ってきていると噂が広まる……そんな自体を避ける必要がある。

「美しい娘たちを見かけた魔物が求婚にやってきた。」

「ほほう……」

「それを店主のアンナサンが追い返したらしい。」

「それで?」

「そこへ通りかかったお……私が手を貸して、魔物を倒したのです。」

「なんとも、恐ろしい……。」

「安心して下さい、魔物は全て倒しました。

そしてこのドラゴンの血は魔物除けの効果があります。」

「それはいくらだ!」

「ワシにも売ってくれ!」

「たくさんありますから押さないで。」

 噂が噂を、人だかりが人を呼び、休業しているアンナの店の通りには連日人だかりが絶えない。

 キースお手製の魔物除け基、“ドラゴンの血に浸した布”は、毎日オークの人々に飛ぶように売れた。そのついでに武器屋や防具屋がドラゴンの牙や爪も買っていく。「取れたてですよ」という訳のわからない棒読みの付加価値があったからか、その場の雰囲気に煽られたのか、相場の倍以上の値段で売れた。が、キースはちっとも面白くなかった。何故ならこの売り上げは全て、アンナの店に寄付されるからだ。崩壊を招いたキースたちが悪いと物凄い目で四人に睨まれて、仕方なく“冒険者その1”の役をしている。

「アンタはキースを手伝わなくていいの?」

 その頃居住スペースでは、寝癖で前髪が全て持ち上がっているティルが不貞腐れた表情でそっぽを向いていた。アンナは苦笑してそれ以上は追求しないが、様子がおかしい。あのおしゃべりなティルが、あれから一言も発していないのだ。

(何かあったのかしら。)

 数日前、明け方のこと。娘たちとアンナの部屋に向かうと、ひっくり返したように散らかる床に突っ伏して寝るティルと桃色の髪の少女がいた。緋色の瞳。髪は無残にも引き千切られたように片側を切り落とされており、ティルの横で呆然と座りこんでいる。

「あっ。目が、さめたのね。」

「……!」

「いいのよ、今はまだ何も言わなくて。」

「ティルさん!」

「大丈夫よマーサ、あの子寝ているだけのようだから。」

「キミは大丈夫?」

「あ、あ……」

 サラが微笑みながら近付く。少女は身体を強張らせたが、恐れているというよりは困惑している様子だった。そんな少女に遠慮せず、すぐ目の前までやってくると、硬く握り締められていた手をそっと撫でる。少女は、目を瞬く度に肩の力を抜いていった。ゆっくり拳が解かれると、掴まれていたらしいティルの手が床に転がった。

「だいじょーぶだからね。私たち、味方だよ。」

「……もーしわけないんだけど、サラ、それ敵のセリフみたいだ。」

「えー?心優しい王子様のセリフじゃないの?」

 そのやりとりにクスリと少女が笑う。様子を見ていたマーサとアンナはほっと息を吐き、微笑んだ。

「さーて。王子様?お目覚めですよ。」

 マーサも手伝い、アンナがティルの身体を起こすと、重力に逆らって真っ直ぐ持ち上がる前髪が揺れる。それが非常に不自然でナディアが声を上げて笑った。続いてサラがお腹を抱えて笑い、マーサも遠慮がちに吹き出す。何も知らないティルは、健やかに寝息を立てていた。

(きっとその前に何か気に入らないことがあったのね。)

 少女は元気そうだ。今はマーサの部屋で四人、仲睦まじく話している。時々笑い声が上がり、その中には少女の声も混じっていた。その華のある雰囲気とはかけ離れた、ここの重苦しい空気。つい吐き出したくなる溜息を飲み込む。ふと、昔のことを思い出した。

「そう言えば、シコードと旅をしていた時ね」

 そこまで言って、口を閉じる。と言うよりは閉ざされてしまった。ティルが突然、口を塞いできたからだ。アンナは目を開き、黙ってティルを見た。眉間に皺を寄せ、きつく向けてくる目。丸出しの額には血管が浮き出てきていた。口を塞ぐ手は、それをするには不必要なほどの力がこもって震えており、押し負けた形で体勢を崩したアンナにも容赦無く押し付けてくる。不意のことで呼吸もままならない。苦しいと首を動かしてみる。それでもティルは止めなかった。

「やめろ。あいつの話はするな。」

 低い声で唸り言われると、手を押し退けようともがいた。やっと手を解かれると、アンナはティルの頬を思いきり叩く。胸に手を置いて呼吸を整えながら睨みつけ、薄ら目に涙を浮かべた。

「何なの……!!シコードが、」

「その名前を呼ぶな!!」

 胸ぐらを掴み、アンナの声をかき消すようにティルが怒鳴った。部屋の扉が開いて、少し遠くから誰かの悲鳴が聞こえてくる。足音が立ったが、アンナが手を突き出して制止すると止んだ。

「……わかった。もう言わない。だけど、何かあったのね。」

「うるさい……!」

「ねぇティル、」

「黙れ!」

「ティル。」

 皆が一斉に、静かに視線を向けた先には、キースが壁に凭れて立っていた。一部始終の様子を見ていたようだが、ただ無感情に瞳を向けている。キースの一言でティルは黙り、アンナを解放して床に崩れた。顔を伏してしまい、アンナから表情が見えなくなる。

「キース、これは一体、どういうこと。」

「アンナ。」

 身体を重たそうに壁から外し、距離を縮める。二人の元へやってきてまず一番にティルの頭に手を置いた。無反応だ。そしてキースがそれから話すことにも、抵抗せずそのままの姿勢を保っていた。

20130525

20170117改稿

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