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IDLY HERO〜ルマティーグ編〜  作者: 松野 実
第五話
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動き出す時間

 水平線に金色の帯が輝いていた。もう間も無く日が沈み、このルマティーグに静かな夜がやってくる。穏やかに眠る森の中で、焚き火が揺れて一人分の影が踊っていた。火を見守るキースの影である。キースは赤く燃える炎を瞳の中で揺らし、相変わらずの無表情で火の側に腰掛けている。背中から聞こえる不自然な風の音に耳を傾けながら。

「来たのか。」

「やっぱりバレてましたか。来ちゃいました。」

 木の影から顔を出したのはナサエルだ。顔に幾つか布が当てられている箇所があり、肩や手脚にも包帯が巻かれている。緩い布を巻きつけたような衣服の乱れ方から、こういった格好は着慣れていないことがよく伝わってくる。

 弱々しく微笑むナサエルの表情は、怪我の手当てこそ痛々しいものの、どこか毒気の抜かれた、平静さが滲んでいた。キースのすぐ横に腰掛けて、一息つく。とても静かな夜だ、森の雰囲気が全く変わったように感じられる。

「風。」

「はは、敵わないなぁ。足音を消そうと思って魔法を使ったんですけどね。」

「ここへ来て良いのか?」

「大丈夫大丈夫、ちゃんと言ってきてあるし。あーあ、キースさんたちも来たら良かったのに。そうしたらボク、退屈しなかったよ。」

「厄介事はごめんだ。」

 ナサエルは一昨日にこの森を離れ、ハーディーンとマリオーズ、ルイと共に王城の世話になっている。キースはと言うと、城へ行くこと強く拒み、イアンと森に残った。王とナサエルたちが去った後、カナエが酷く疲弊したセイリアを連れて戻り、すぐ去っていった。思い出したようにやっと掘り出したティルと、セイリアはずっと目を覚まさないが、命に別状はない。イアンの建てた小枝と草藁の屋根の下で、二人は今も眠っていた。

「キースさん。」

 王城のナサエルたちは、それはもう至れり尽くせり、自分はベッドから降りることなく快適に過ごせるようになっているのだが、むしろそれが非現実を煽り、夢の中の出来事のように感じられた。安堵した瞬間、手のひらを返されてまた地獄のような日々がやってくるのではないかと恐怖さえする。

「ドンって人、死んだって本当ですか?」

「ああ。」

「そっか。」

「……。」

「本当に、終わったんですかね。」

「何が?」

「……さぁ。ボク自身も、何が聞きたいのかわからないんです。こんなの、おかしいですよね。」

「……。」

「思っていたようにならなかったけど、思い描いていたよりも、ずっとずっと良い結果になったのかな?ボクは精霊を殺さなかったし、それに……生きている。ハーディーンも、マリーもカナエも、キースさんたちも。」

「……。」

「これが、この今が、本当に本当に結末なの?」

「お前はこれからだ。結末じゃねぇだろ。」

 家や名前、死に縛りつけられて生きてきた。山も谷も越え、やっとの思いで歩んできた一本道が、思っても見なかった方向へ開けていく。この恐怖は、期待と希望をもつことへの畏れ。死から解き放たれ、生きるという意味の人生に対する、期待と希望を許されたのだ。ナサエルは両手で顔を覆い、声を殺して泣いた。泣き疲れて眠りにつくまで、キースは嗚咽を静かに受け止めていた。


「おはようございます。」

「ああ。」

「セイは、まだ眠っていますね。ティルさんも。」

「ああ。」

「果物です。食べてください……って、キース。どこか行くんですか?」

「そろそろ出発する。」

「は!?」

 イアンが額から素っ頓狂な声を出し、持っていた赤い木の実を四つ全て落とした。これは抗議の声だ、命に別状はないとは言え、疲労困憊のセイリアと、怪我人のティルをどうするのか。準備が整っているのはキースだけだと言うのに、それでも出発の支度を止めようとしない。腰にベルトを巻き、それに大剣を固定し、麻布の袋を肩に掛ける。手慣れた所作で整えると、もう今にも旅立てる様子になった。

「キース!聞いてますか?!どこへ行くんですか!」

「町。明日には海を渡る。その準備が必要だ。」

「あ、明日?!まだまだセイやティルさんは行ける状態ではない!」

「ティルは大丈夫だ。」

「セイは!」

「あいつのことは、これからお前が面倒をみろ。」

「は、……は?!どういう……!」

「うーん、うるさいなぁ……なに。」

「ナサエル、目が覚めたら戻れ。俺たちは明日出発する。」

「えっ!」

「報酬はきっちりもらう。それまでに用意して持ってこい。」

「な、なな!」

「き、キース!」

 顔を真っ赤にしたイアンと、起きがけの白い顔に泣き腫らした赤い目をしたナサエルが取り残される。あいた口が塞がらない二人は、同時に顔を見合わせて、突然の嵐にただ呆然としていた。

 そこへ森の精霊がくすくすと笑いながら降ってきた。柔らかく細い緑の髪に空気を含めて膨らませ、感情の色がはっきりしない緑の目を細めている。

「ティルのけがはずっと前に治ってるし、もうすぐ目をさますよ。」

「でもセイは……」

「セイリア様は、今までもずっとねむっていたから。」

「どういう意味ですか。」

「そのままのいみ。で、どうするの?イアン。」

 振り返ると屋根の下にセイリアの桃色の頭が見える。セイリアにはこれからやるべきことがまだあった。世界中に、セイリアの祈りを必要とする魂がある。それを本人もわかっていたし、自分は最後までその助けになりたいと思っている。だが、精霊に問われて初めて、自分がこれからどうするべきかを考えるのであった。

「ほうら。君も、キース君のようにしたくしなければ。」

「……そうですね、そうでしたね。」

「で、ナサエル君も。」

「わかってるよ、チビ。」

「チビちがう。ハーディーン君がしろを出て、おおあわてで何かをさがしているよ。」

「えっ。」

 全身の力を抜いていたナサエルが、背筋を強張らせて勢いよく起き上がる。

 ハーディーンは自分よりも重傷だったので、まず出歩いていることが心配だった。そしてその状況でもなお、何かを探さなければならない事情があるのではないかと考えた。今まではどこにいてもハーディーンの声を聞くことができたのだが、今は聞こえない。何があり、どこにいるのか考えて動かなければならないことを不便に思った。

 その時、精霊、イアン、ナサエルの三人は、目の高さや肩の位置がほとんど同じだった。それを横目で確認した精霊が、誇らしげに鼻を鳴らして言う。

「ほうら、ね。」

 その時風が大きく吹き抜けた。悩み立ち止まる二人を残し、森の精霊はこの風に舞う木の葉になって姿を消した。それに気づいてイアンがまず顔を上げて風上を見た後、ナサエルにもそうするように促す。止まっていた時が流れ、風が心の中で吹きすさび、早く早くと背中を押す。あと一歩、この道を踏めばもう、二人は立ち止まっていられない。今までの遅れを取り戻すまで、考えている時間などなかった。

「もう、こうするしかないよねぇ……。」

「そのようですね。」

 ナサエルは、風の中をやってくる金髪の青年を正面にとらえ、眉尻を下げて笑んだ。ハーディーンが今、何を探しているのかよくわかった。

 真っ直ぐ近づいてくるこのハーディーンによく似た青年が、全てをもっている。イアンが静かに離れ姿を消した時、ナサエルは風に向かって歩き始める。躊躇いの一歩をこえれば、もう一歩、またもう一歩と自然に身体は動く。躊躇いも戸惑いも、ナサエルの中には少しもない。

「お兄さん、どこ行くんですか。」

「君は、」

「ボクはナサエル。ハーディーンの、今のお兄さんだよ。」

「……そうか。」

「あなたは?あなたは、どこへ行くんです?」

「俺はここにはいられない。ここではない、どこかだ。」

 髪や目の色、顔だけでなく、青年の物憂げな表情の作り方は、自分の義弟と同じだった。時間など大して必要としない血縁の絆の深さを思い知る。羨ましさはなかった。自分の中の絆も、それと等しく深いものである自信があるからだ。そしてそれが、ここに揃うことを予感させていた。もう少しで彼はくる、そうして彼と足並みが揃うまで、この青年を引き留めなくてはならない。

 その間、風が二人の髪を揺らしながら流れ、沈黙を埋める。ナサエルは風に甘えて黙っていると、青年が目を閉じて眉間に皺を寄せ、その苦渋の表情の向こうに息を切らしたハーディーンが、腹を押さえながらやって来るのが見えた。彼が呼吸を整えるまで、言っておきたいことがある。

「お兄さん、ハーディーンを連れて行ってあげて。」

「な、っ……?!」

「……。」

「ハーディーン。お前が考えていることなんてお見通しだよ。大体、このボクがわからないとでも?」

 ナサエルは眉間や目元や口元に皺を作って、なおかつ微笑み、震えている彼を迎えに行く。この同じ背丈の少年とは、悲しみも喜びも、何もかもを共にしてきた。隣同士同じ目線で手を取り合って生きてきた日々が、頭の中で風のように駆け巡る。激しく上下して止まない背中を撫でて、そして押した。強く、思いを込めて。

「ハーディーン、もういいんだ。もう、終わったんだもの。」

「そんな、」

「今までワガママきいてくれてありがとう。」

「ナサ、エル!」

「あ、でもお前もたいがいワガママだったよ。わかってる?これからはそうはいかないよ。ねぇ、そうでしょ。お兄さん、ハーディーンを」

「いい!」

「ハーディーン。」

「もう、そんなの、いいんだ。」

「何がいいって?違う、これはちゃんとした形に戻すだけだ。」

「違うことない!僕は、」

「何故!お前を縛るものなんて、もう必要ないんだよ!」

「いいや、僕には道標が必要なんだ。居場所は、ここだ。君が与えてくれたよ。」

 ハーディーンは眉間や目元や口元に皺を作って、なおかつ微笑み、彼の震えた手をとった。そのまま自分とよく似た青年、ルイを見る。目の前にいても変わらない、近いようで遠い兄の存在。

「これを失ったら、今度こそ、どうやって歩いていけばいいかわからなくなる。」

 幼いハーディーンには、兄の影しか残されていなかった。縋り続けたそれが形のないまやかしであってもそうでなくても、もう関係のないことだ。自分の中にはたくさんのものがある。影の向こうにある、本当に手に入れたかったものが、全て。

「僕は、ナサエルの帰る場所になるよ。」

「何を、」

「僕がわからないとでも?……君は行ってしまう。知っているよ。」

「ハーディーン……。」

「……僕らはこれからも、ずっと繋がっている。例え、違う血が流れていても、声が、聞こえなくても。」

「……。」

「ナサエル、君を縛るものはもう何もないんだから。」

 見開かれた青い目から、途端に涙が溢れて零れ出た。微笑みに細められる、同じように青い目が、それをじっと静かに見つめている。ただ流れて止まらない涙の意味を、青い目だけが知っていた。二人の姿を暫く見守っていたルイは、その場からそっと立ち去っていった。もうそこに言葉は必要ない。

「そうなのかな。」

「そうだよ。」

「ハーディーン、ボクは、」

「うん。そうだ。」

「ああ……そうか……。」

「うん。」

20151009

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