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IDLY HERO〜ルマティーグ編〜  作者: 松野 実
第五話
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手詰まり

 引きちぎられた闇の破片は、咀嚼の度に食べ物とは思えない音を立てて、やがてキースの喉を通って消えた。奇妙なお面の精霊が、泣き顔を上にしてドンの元に戻る。ドンは、引きつった目元はそのままに、たるんだ頬を口端にやっと持ち上げさせてニヤリと笑う。

「気味の悪い男だ、つくづくな!……誰が戻ってこいと言った!」

 怒鳴られた精霊は持ち合わせていない焦りの表情の代わりに、ゆらゆらとお面を揺らして動揺を表現する。しばらくドンの肩の上で揺れた後、泣き顔を震わせたまま再びキースに近づいてきた。キースは目の端でそれをとらえるが、真っ直ぐドンを見ている。ドンもまた、弾力のある負の感情を魔力にのせて背負わせながら、キースを見下すように見ていた。精霊が、周囲の闇に溶け込んでいる手をキースの首にかけようとしたその時。

「血の味がする。」

「!」

 精霊は腕を止めた。血の味、その言葉の意味をその重さを、精霊は一番よく知っていた。カタカタとお面が音を鳴らして、激しく震え上がる。

「もう何人殺した?」

「……、……!」

 辺りが薄っすらと明かりを取り戻し始めている。困惑からか、恐怖からか、闇の精霊の力が極端に縮んでいるようだ。キースはまるでドンに尋ねているかのように、精霊に視線を向けずに続けた。

「それでいいのか、お前は。」

「何の話かな?冒険者よ。」

「お前は、一番守りたかった人間を殺した。」

「……!」

「何をもたもたしている!」

 逆さの笑顔と泣き顔が左右に半分ずつ描かれたお面背後に、虹色の羽と人間のものを擬似した黒い二本の腕が生えている姿。闇の精霊と思われるそれは、ドンの大声に飛び上がった勢いで、キースに腕を伸ばして飛びかかってくる。その大振りの動作は読むにもとらえるにも容易かった。キースは虹色の羽を掴んだ。鈍く色褪せたその虹色は乱れ、そのままキースの口に入れられていく。

「貴様は一体何者だ!冒険者!」

 取り乱した顔に大粒の汗を垂らしながらドンがまた叫んだ時、イアンの青い目が光った。緑の大地を踏み、ふわりと跳び上がると、ドンの顔に揃えた両足で飛び蹴りを食らわす。ほんのひと時に襲われた突然の衝撃に、ドンは足元を狂わせて怯んだが、彼の重厚な魔力からは一切変化を感じない。

「いい加減に、正体を現したらどうだ!」

「ふ、は、ははは……!」

 黒い魔力が渦巻きながら周囲に少しずつ広がっていく。ドンの全身の皮膚が赤黒く血走り、ギシギシと音を立てて骨を軋ませながら身体を拗らせて服が踊る。到底人間とは思えない動きに、キースもイアンも表情を動かさなかった。その間精霊は、キースに解放されて、その場にへたり込んで震えていた。

「悪魔め。」

 絨毯のように重く燦爛たる衣服は引きちぎられ、折れた骨があちこちから飛び出し、血管を浮き上がらせている赤黒い皮膚は露出する。頭の形は変形して刺々しく、釣り上がった目元にも関わらずこぼれ出そうな程大きな目玉は血走り、鼻は陥没してただの空洞でしかない。歯は全て抜け落ちて、伸びた舌がだらりと垂れていた。ドンという人間の原型はもう、どこにも残っていない。

「やっと大義名分にかなうのに……!」

 イアンにとってあの化け物は待ち望んだ敵で、今までずっとこの対峙の時の為に動いてきた。このルマティーグ中を染める悲しみは、ドンという男を媒介に感染していったのだ。救いようのない程に食い尽くされた人間は、このドンただ一人を除いて始末した。そんな、ルマティーグを駆け回り奔走した日々をイアンは思い出す。だが、今自分の身体には力が残っていない。自分の協力しようとする精霊はおらず、皆呼びかけにこたえないで傷付いたティルの元に集結して離れようとしなかった。

「なんとか、やるしかない。セイリアのために。」

 その言葉を耳にして、キースがイアンを一瞥した。ドンだったものは、のたりと爛れた脚の皮膚をぶら下げて、真っ黒の口から乾いた笑い声をあげた。

「何がおかしい。追い詰められているのは、お前も同じはず。」

「ソれハ、ドウカな」

「なに!」

「モウすグだ……」

 キースはそっとその場を離れ、木の根の塊へ近付いた。骨折り損のくたびれもうけとなりそうだが、このままでは厄介な事になりそうだと考えると、ティルを拾って去りたかった。何も残さず何かを変えることなくその土地を去るという、旅人としての過去の教え、培った経験からこのことを優先させる。

「ここにいるのか?」

 当然のことのように呼びかけには誰も応じない。キースは木の根の中にいるという、イアンの言葉を信じるしかなかった。対象がここまでの大物となると、今使えそうな武器は、遠くに見える木の幹に埋まった大剣だけ。こじ開けるのには時間がかかりそうだ。そして背後の二つの闘志、いつ自分の身に流れ弾が飛んでくるのかを気にしていなければならなかった。イアンとキースは手詰まりを感じていた。この状況を打破するために、今二人ができることは一つしかない。

「キース。」

「……。」

「僕はあなたに依頼します。」

「報酬は?」

「あなたの武器と、仲間でどうでしょう。」

「赤字だな。引き受けた。」

 異臭を放つ赤黒い巨体は膨れあがり、いつの間にかキースの背の二倍程の直径をした球状になっている。異臭の正体は全身から発される黒い気体で、嗅覚の鋭いキースは、いつまで経っても鼻が慣れそうにない。静かに、魔法線に魔力を移す。魔力を意識すると、身体の奥が軋むように痛んだ。体力も魔力もそろそろ限界が見えてきている。それはもちろんイアンも同じであろう、二人は図らずとも短期決戦を念頭に置いて、これから自分がどう動こうか考えていた。

 その頃、二人と一つの頭上では、三つの目が気配を消して様子を伺っていた。薄暗い森の中に、様々な思いが集まって交差しようとしている。

20150908

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