白磁の十字架
目に見えないもの、空気や光や音のような、そういうものを相手にしているわけではない。森の力を扱うこの少年は、動きこそ素早いものの、力は自分の半分もないし、何より無駄な動きが多かった。大振りの動作は簡単に次の動きを予測させ、ただ少年から体力を奪うだけに過ぎない。戦いに慣れている様子はどこにもないのだが、隙は全くなかった。森の力がある限り、四方八方だけでなく足元さえも、ここは少年の気配が漂う空間である。しかし、幸いなことにその全てを器用に扱う様子がなく、森の力は少年から独立した力があることも伺えた。少年さえ昏倒させることができれば、後は自分の仕事ではない。森の力をかわしつつ、その張り巡らされた力の隙間をとらえて少年の急所をつくだけだ。
「キース、あなたには関係のないことのはず。それでも僕を止めようと思いますか?」
「俺は仕事を引き受けただけだ。」
「残念です。僕は今止まる訳にはいかない。遊んでいる暇もない。」
怯えたような表情もあった少年は、静けさに似た冷静を取り戻している。嘆きの君の“裏切り”に酷く心が揺れていたのも、今を思えばほんのひと時であった。キースは右腕を振るった。足元から突いてきたいくつもの太い枝が、真一文字やなめらかな曲線によってその断面を露わにする。今、断面を撫でるようにしていった筋状の光が、キースの元へ返っていった。
キースが魔法線と呼ぶそれは、精霊石を糸状にしたもので、右腕の巻き布に収められているそれを指先に纏わせて扱う。世に出回る物でない精霊石は、その存在すら不確かで、そして未知なる可能性を秘めている。鉱石ともされる精霊石は特殊な技術を用いれば糸状にすることが可能なのであり、線となると伸縮性に富んだ柔軟なものとなるのだ。細く薄いその見た目に秘められた鋭い切れ味は、キースの魔力をもってすれば、剣を軽く上回ることがある。そう、刃物となっても線となっても、精霊石の効果は変わらない。魔力を通し、それによって様々な魔法効果が発生する。
ティルが精霊石に魔力を注ぐと炎があがるということは、以前に剣を持ちたがったティルに試させていたので知っていた。炎に変化したティルの魔力を魔法線に伝わせれば、魔法を使えないキースでも炎を扱うことができる。
「キース、あなたにはいけ好かない要素が多すぎる。」
ようやくイアンが魔法線を認知したことで、素早い動きを見せる二人の、目にも留まらぬ攻防が激しさを増した。精霊線は不可解であるが、魔力を感知できれば動きは読める。キースが線を伸ばすと紙一枚のところでイアンは身を翻し、振り切った腕の隙を森の力で突こうとする。イアンの操る枝や幹の鞭は発生直後は形を自由に変えるが、すぐに固く動きを鈍らせていた。ある程度引き出して距離をおければ、避けることは難しくない。だが、休みなく足元のどこからか現れるそれを次々に避けるには、かなりの集中力を要した。動きを止めた幹から枝が伸び、またそのしなやかな動きを見せる。更にそれらを避けて着地したその足元からまた幹が現れ、そこから枝葉が伸びる。延々と続く攻防に、キースは追い詰められていった。
自由に動き回る空間が、確実に閉ざされてきている。更に、魔法線はリーチが長い分隙が大きいということに、戦い慣れていない様子のイアンも気付き始めている。キースは戦線から離脱している仲間を横目で確認した。ティルが端正そうなのは実に見てくれだけで、思考はいつも散らかっていた。整理整頓が苦手な性格で、片付けようとするといつも人の倍時間がかかるような奴である。対人の戦闘経験も乏しく、あまり期待できない。
「!」
擦り傷だらけで隙を探り合う張り詰めた空気の中、若干の緊張がキースから抜けたのをイアンは見逃さなかった。既に発生していた木々を揺らし、大量の葉を落とす。キースの注意を乱して隙を広げたら、荊棘を張り巡らせて両手両足を掴んだ。ゆっくり締めあげると無数の太い茨がキースの足に食い込んで、瞬く間に血が滴る。
「無意味な戦いを、よくここまで続けました。想いの……意思の強さが最後には物を言うということ。身をもって知らせてくれたあなたに感謝します。それだけで十分、僕にとっては意味がある戦いでした。」
呼吸を乱しながらも、イアンの抑揚のない言葉の後ろでは一切の隙もなく、森の力が禍々しく増幅して集められていた。恐ろしい程凝縮されたそれらは、この森、この大陸中から集まった、悲しみの叫びだった。その時、森の力でもキース、イアンのものでもない力を二人は感知した。ようやく動き出したティルの魔力の気配である。
「ですが、遅い。」
輝くように白く滑らかな木肌、細くも引き締まった一本の木が現れる。縦に真っ直ぐ幹、左右にそれぞれ真っ直ぐ枝が伸びたそれは、白い十字を描いたまま引き抜かれ、イアンの手元に収まった。そしてイアンはその鋒をキースの胸に狙いを定め、逡巡することなく一思いに突いた。
「ぐうっ!」
強張った喉を通って押し出された声は、中性的で、その鈍さを耳に残さず消える。力を使い果たした草木は弱々しく収縮して枯れ、森にどんよりとした空気が漂いだした。白磁の十字架のような一本の木だけが光を失わず、静かに突き刺した者の血をしたたわせている。
「これは。」
泰然としたイアンの声が、手元から、血溜りになっているキースの胸に届くまでに、ティルの腹を通過している木を伝った。
「ティル!」
声はない。ティルは不随意に全身を震わせながら青褪めた顔をよこして、焦らすように口角を上げて笑んだ。こみ上げてきた血反吐を滲ませたその口元はやがて緊張を失い、目の色と共に落ちた。レタリオが叩きつけられた響きさえ、木々の波に飲み込まれて消えた。
20150413




